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経験譚からくる老練の智慧

 年配者の「経験譚」には貴重な教訓が多々含まれている。その譚には、長い苦渋の苦労の足跡があり、その足跡自体は年輪として幾重にも連なって襞(ひだ)を成し、その襞には棄(す)て難い教訓が堆積されている。その堆積した教訓を掘り起こせば、行き詰まった問題も、思わぬ解決策を見付けることがある。老練の智慧である。


運紡ぎ

 運は、良いか悪いかではない。運が勁(つよ)いか弱いかである。勁い運は、悪運でも勁い方がいい。勁ければ生き残れるからである。
 また運は、自分自身の中に在り、良くなったり悪くなったりの変動を繰り返している。しかし、運の強弱は変動を繰り返すことなく、最初から自分の中にある。運は、俟っているものでなく、自分の裡(うち)から紡ぎ出すものである。


時間と金銭に縛られる現代の矛盾

 運が弱いと撥(は)ね返す力がなく、時間に縛られ、金銭に縛られる……。現代人の特徴のようにも想える。
 結局、どこまでも束縛されて、自由に縛られる。これでは、決してリッチな生き方とはいえまい。むしろ仕事にありついても、仕事を持たない自由人より、辛い生き方かもしれない。
 現に、仕事を持たない自由人は富豪並みにリッチで気侭な生活をしている人もいる。


不慣れ

 「郷に入っては郷に従え」という言葉がある。この言葉は、一方で真実だろう。
 例えば高山の登頂経験のある登山家でも、まだ一度登ったことのない山は不慣れである。むしろ、その山を、繰り返し行き来した地元の少年に劣るかもしれない。
 ある冒険家は世界各地の危険地帯や渓流下りを遣って、九死に一生を得た世界的に有名になったというが、その有名な冒険家が、自宅の風呂でバナナの皮を踏んで転け、頭部を強打して死んだというが、これなどは、わが家の風呂と思って甘く見たことが禍(わざわい)したのだろう。


極小の存在

 極小の中にも真(まこと)はある。なにも多数決の極大の中だけに現象界の真実があるのではない。
 まことは、むしろ少数派の極小の中に存在していると言える。しかし、極小的な存在だけに見逃され易い。


未来への暗示

 言葉で大事なことは、自分の言ったことは口約束でも履行(りこう)し、絶対に厳守しなければならないことである。
 人間は不実行だと、信を喪(うしな)う。不義理でも、自分の言ったことを果たせないから信を喪うのである。しかし、証拠がないと言って、これを重く捉える人は余りにも少ない。この少なさは、その人の人生が、信を喪う延長線上を歩いているという他ならない。
 言葉は「光透波(ことば)」であり、そこには自らの未来が暗示されているからである。


同胞という意識

 同胞は互いに褒めあい、互いに讃えあうことは自他ともに益する道である。同胞同士が貶しあい、悪口を言い合って鬩ぎ合っていては、益するどころか、滅びの速度を速めるばかりである。


遵養時晦という幻術

 出る杭は打たれると云う言葉がある。出過ぎれば、妬まれたり、憎まれたり、怨まれたりするからだ。
 さて、早く頭角を顕すのはよいことであろうか。
 人にとって最大の敵は外の敵でなく、中(うち)の敵である。敵は常に裡側(うちがわ)に巣食っているのである。
 人の世を生きると言うことは難しいことで、功績を樹(た)てなければ上と下から無能と罵(ののし)られ、功績を樹てて誇ればそこには嫉妬(しっと)と羨望(せんぼう)が生まれる。その嫉妬は自滅に繋がり、羨望は攻撃の的になるから、実に恐ろしいものである。
 老いて歳を重ねれば、人の盛衰を観る機会に恵まれ、その機会を得て人の遵養時晦(じゅんよう‐じかい)というものが分かってくる。
 この言葉は『詩経』(国風・雅・頌の周頌、酌)に出ているもので、「道に遵って志を養い、時勢によって愚者を装って発言と行動を晦(くら)ますこと」をいい、「時機を俟つ」という意味である。そして捕らえ所がないという構図を作る。こうすることで、他人からの指弾される攻撃を躱(かわ)すことが出来る。この自覚が出来れば、精神衛生上、自分を不健康にすることはなく、慎重に隠れて時機を俟てば、早晩幸運が訪れることもある。これこそが非凡な生き方であり、また世人を躱す幻術でもある。


八風

 世間には八つの風が吹いている。これを『八風』という。
 喜怒哀楽・一喜一憂を東洋医術的な五行の立場から考えれば、笑いが過ぎれば脾臓を傷つけ、怒りが過ぎれば肝臓を傷つけ、悲しみが過ぎれば心臓を傷つけ、有頂天の世界に舞い上がれば肺臓を傷つけ、妬めば腎臓を傷つけとあり、その他にも、「衰(浮き沈み)」や「誉(地位名声)」や「譏(人の噂話しを気にする)」などがあり、これらの俗事の振り回されることは自らの霊性を弱めるとし、これを総称して、「利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽」の『八風』というのである。
 俗人・凡夫(ぼんぷ)は『八風』に吹かれ易い状態にあり、一喜一憂・喜怒哀楽に応じて、その食の各々の機能も異なる筈(はず)なのである。
 これらを結論からいうと、精神的な面が肉体をコントロールし、肉体はこのような精神の歪で悪化していくということが分かる。その証拠に「病気は気から」という喩(たと)え通り、その治癒が当人の精神状態で大きく左右するのである。


 人の噂も戦略のうちである。賢愚を別けるのは世間に流れている噂を額面通りに拾って風聞に躍らされるか、否かである。
 そこで弁智に長けた者が登場し、噂を流す。斯(か)くして言語の力が猛威を揮う。
 愚者はその噂を真に受け、賢者は弁智の意図を見抜く。しかし、世間には噂に躍る人が多く、ここで世間を構成する構造が見え隠れする。