間界は「憂き世」であり、そこでは苦労が絶えない。天下は自分の思い通り運ばないものである。人生航路の舵取りの難しさである。しかし、よくよく考えれば、この難しさの中に人生の喜びと愉しみが横たわっている。
  一方、流行に乗せられ、安易に時めいていると、思わぬ失望や悲しみが襲ってくる。
  人生航路の舵取りは難しいだけに、油断は禁物であり、人間は生涯休めないようになっている。
  だが、緊張し放しでは問題だが、「無意識の緊張の術」くらいは心得ておきたいものである。

◆◆◆ 春・夏・秋・冬、季節を楽しむ夜咄会◆◆◆

  々、これ好日……。
雨が降ったら降ったで好し、
風が吹いたら吹いたで好し。
雪が降れば降ったで好し。
晴れればなお好し。また曇りも好し。
人生は日々好日の中にある。これを知るのが風流なのである。
人生は、あくせく多忙に追われて働くだけが人生でない。

  流に関心のお持ちの方は、お気軽にお越し下さい。入場無料、予約受付。





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【令和元年】9月28日(土) 開催決定!
18:0021:00迄  参加無料
会場:北九州市小倉南区志井6丁目11-13
   尚道館 二階の囲炉裏の部屋

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   2018年10月12日更新 






囲炉裏を囲んで、古人の智慧に興じる……。
 これが人生を深め、見識を持ち、胆識を備える橋頭堡となる。あなたも夜咄に興じて、生き方の足掛かりを掴んでみてはいかがだろうか。

夜咄会のテーマ     


過去集1〜360(※Daitouryu.net)361〜370371〜380381〜390391〜400401〜410411〜420421〜430431〜440441〜450451〜460




自分知るのは自分だけである。そのくせ、自分を知らないのも自分である。
子供から何かを話し掛けられて面倒くさがる親ほど、子供に絶望の習慣を植えつけている。
多くの人は無理難題を吹っかける相手の悪に対して立腹するよりは、自分の弱味があるために、相手から付け入られることに腹を立てることが多いようである。


日々の生活の装い

 本当の女性美は表面だけをベタベタと化粧を塗りたくった厚化粧よりも、むしろ化粧をしないスッピンか、薄化粧で、着ている衣服も簡素な洗いざらしの清潔感溢れるものを着て、装いの見栄の中で生きるのではなく質素な中に真当(ほんとう)の美があるのではないか、と思うのである。
 生きることは工夫である。
 装いの本旨は表皮ではなく、内面である。内面が表面に滲み出る装いこそ、真物の美が存在しているのである。


局面と大局

 劉邦が項羽と戦っていた頃のことである。
劉邦は負けに負けた。百戦して百戦負けた。そのとき泣き言をいった。
 「主上(しゅじょう)よ。これは一局面に過ぎません」
 この言葉は劉邦の謀臣だった張良(ちょうりょう)の諌(いさ)めである。
 漢の劉邦は項羽に逐われて敗走の途上にあった。困惑する日々である。
 図太い神経の持ち主も、さすが負け戦が続くと挫けそうになる。しかし、劉邦は張良の一言で吾(われ)を取り戻した。平常心に戻ったのである。そのとき劉邦は大局を見たからである。
 張良は前漢創始の功臣であり、字は子房(しぼう)といった。彼は劉邦の謀臣となって秦を滅ぼし、「鴻門の会」に劉邦の危難を救い、のち項羽を平らげることに貢献した人物である。
 また『孟子』の「大任」には、「天がその人の器量を検(み)るために、これでもかこれでもかと苦しめ、その人の真意を計り、その信念と験(ため)す」とある。
 これらの二つの箴言は、いま自分が何処を視ているかである。
 今しか見えない、聴く耳を持たないものが、今の現状に早々と諦めを生じさせ、聞き分けて「聴く耳」を持った人は、自分の未来を垣間みて、気が収まったと言えよう。
 幸福でも希望でも、また志でも、いまの実情にあるのでなく、すべて自分の未来に存在しているのである。そして、その人は自分の未来を今の苦しい局面に、どうやって、その一口を紡ぎ出すかに懸(か)かるのである。


苦難のとき

 売手市場のときには買わない。また、銀行が貸すと言うときには借りない。
 買手市場になったときに買い、銀行が貸し渋るときにこそ、借りることが出来て、その企業は真物(ほんもの)と言える。
 世の中が不景気になり、難しい状況で生き残るにはこうした苦難のときに耐えてこそ優秀と言えるのである。
 人間は大半の人が無自覚のまま卑怯者を遣っている。しかし自分では気付かない。


貸しを作る

 恩を仇で返されていちいち腹を立てることはあるまい。啖(く)われたのなら怨みが残るが、啖わせて遣ったと思えば、啖わせた相手に貸しを作ることになる。仇で返さず、恩を売って貸しを作ることは、なんと豪毅ではないか。


自然体

 無理はするまい。迷うまい。焦るまい。
 ただ自然の流れに乗り、自然体に身を委ねよう。そして逆らうまい。流れるままに任せばいいのである。それが無理をせず、迷いもせず、焦りもしない唯一つの身を護る策である。


先祖の徳

 先祖の霊には大なり小なり、徳が宿っている。
 先祖の徳にはおおよそ三つあり、威徳、遺徳、そして懿徳である。
 威徳は人を畏服させる威厳と、人を心服させる徳であり、遺徳は死後または後世にのこる恩徳であり、懿徳は大きい立派な徳であり、また善美の徳と称する。


欺くための策

 偽情報に信憑性を持たせるには真実の情報を幾つか流す。
 こうすることにより真実だと思い込ませるのである。この手口は時として常套手段で用いられる。相手を嵌めて、誘導に用いる手口である。しかし、本旨は何処までも隠している。


人の噂

 人間の舌は他人(ひと)の噂に左右され易い。その顕著な例が行列のできる店である。こういう店先に並ぶ多くの人は他人の噂に左右されてのことである。
 いつもテレビなどに出ている料理評論家が「うまい」と一言いえば、その店の店先には行列ができる。
 人の噂とは風説で成り立っているので、そこに真実はない。あるのは「まやかし」だけである、


宇宙を感じさせる世界

 職人には職人独特の世界がある。職人の遊び心なども、その世界を顕す世界である。おそらくそこには、宇宙を表現したものが少なくないからだ。
 今の世は、便利で安い物は直ぐに手に入る。しかし、それは型に嵌まったものや、決まった規格品に制限されたもので、一見合理的で無駄を徹底的に省いたものであるような錯覚を起こさせる。そうなると、現代人の行動パタンもその中にパターン化されてしまい、そこから一歩も動けなくなる。
 斯くして、便利で安いものに手を出す行動がとられる。薄利多売の商戦の規格に嵌められてしまう。生きながらに機能化されるのである。
 だが、職人の世界はそうではない。
 無駄の中にこそ、人間らしさがあり、手間を掛けることこそ、人間性の追求だと考えている。その追求が、時として宇宙にまで繋がっているのである。職人の世界は聚楽的な広がりを持つ。


教えることよりも教えないこと

 物を教えることを商売にするのではなく、物を教えないことを商売にしたい。
 有名になるのではなく、無名で、他人(ひと)から名を知られることもなく、人生を終わりたい。そういう境地に至った人は、人間として真物(ほんもの)と言えよう。
 禅僧でも真物の禅僧は、自ら坐禅三昧(ざんまい)の境地に身を置きながら、坐禅などしたことの無いような顔をしている。