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西郷派大東流と武士道

■ 日本人としての誇り ■
(にほんじんとしてのほこり)

●刻苦勉励の精神

 六朝時代の東晋に陶淵明(とうえんめい)という詩人がいた。

 人生根蔕無 瓢陌上塵如
 得歓当作楽 斗酒聚比隣
 盛年不重来 一日難再晨
 及時当勉励 歳月不待人

 人生に根蔕(こんてい)無く、瓢(ひょう)として陌上(ひゃくじょう)の塵(ちり)の如し。歓を得えなば当(まさ)に楽を作(な)す。斗酒(としゅ)もて比隣(ひりん)を聚(あつ)めん。盛年(せいねん)は重ねて来らず、一日(いちじつ)再晨(あした)なり難し。時に及んでは当(まさ)に勉励すべし、歳月人を待たず。

 これは陶淵明(名を潜または淵明、字を元亮という)の詩『対酒』である。
 この詩の大意は、人の命の果敢なさは、道に舞い上がる埃のようなものである。機会があれば楽しみ、一緒に酒を飲もうではないか。
 今日一日のことは、再び明日同じものが巡ってこないのだ。したがってこの時期にあっては、楽しむべき時に楽しみ、勉強すべき時に勉強をしなければならない。歳月というものは、決して人間が老いていくのを待ってくれないものだ。

 さて、この詩の中で「時に及んでは当に勉励すべし」とあるのは、現在では「若い時に一生懸命勉強をせよ」というように、一部の漢詩学者はこう解釈しているようであるが、本当は「楽しむべき時に楽しみ、勉強すべき時に勉強をする」という意味である。
 時と場所を考えて、何事も一生懸命と言うのが、陶淵明の流儀であり、刻一刻と流転する宇宙現象を知り抜いた、陶淵明ならではの人生格言なのである。

 陶淵明は、江州潯陽郡柴桑県の下級貴族の出であり、若いときから理想が高く、博学で、非常に文章が旨かった。曾祖父は大司馬であったが、両親は歳老いていて家は貧しく、江州の祭酒として一旦は官吏の道を歩が、四十一歳の時の彭沢令を最後に、「帰去来辞」を賦して不遇な官途に見切りをつけ、故郷の田園に戻って隠遁生活をはじめるのである。

 自ら田畑を耕しながら、貧しいうちにも、細々と生計(くらし)をたて、後に平易な語調で田園の長閑な生活を詩に詠み、隠者の心境を詩い上げて一派を開き、白楽天(はくらくてん)はもとより、王維(おうい)や孟浩然(もうこねん)ら、後世の天才詩人にも大きな影響を与えた。

 しかし隠遁生活をするうちに、歳と共に体力は次第に衰え、きつい農作業から度々過労で倒れ、痩せ衰えて、何日も寝たきりの日々が続いた。
 陶淵明の才能を惜しむ人達が、これを知って続々とやってきた。
 彼のところにやってきては、官吏の道に再び戻るように勧めたが、彼はこれを頑なに断わり続けた。

 その中の一人であった江州刺史・檀道済(だんどうせい)は、尤も彼の才能を惜しみ、「賢人は世に処するに、天下に道無ければ隠れるが、道あれば、出て仕えるというのが古来より知識階級に与えられた使命である。今、あなたは聖天子の治世に生まれながら、清貧に甘んじ、どうしてそのように自分で自分を苦しめるようなことをするのですか」と詰め寄った。

 彼はすかさず「私如きが賢者であろう筈がない。私のような者が賢者を志したとて、到底叶う筈がありません。どうかお引き取りください」と云って、頑なに拒み、この申出を辞退した。
 それでも檀道済は食い下がって説得し続け、大粟や肉類の食品を彼に贈ったが、彼は手を振ってそれらを突き返した。

 ここに陶淵明の強烈な個性と生き態があるのである。それは生き態というより、死生観を超越した崇高な「死の哲学」に則った潔さ、あるいは悟人としての死に態でなかったか。
 そして浅薄な物質文明に毒されないという反骨精神がある。

 ここに『葉隠論語』を口述した山本常朝(やまもとつねとも)と同じ様な、人間の生・老・病・死の四期(四季に例える)を踏んで、最後には帰るべき処に帰るという、本当の人が人たる所以の目的を垣間見たのではあるまいかという、推理が成り立つのである。

 陶淵明の説くところは、権力や見栄の俗事の、見せかけ的な偽りの生き方ではなく、人間は如何にあるべきかという、清貧の人生を駆け抜ける「戦い態」ではなかったろうかと思うのである。

 山本常朝は『葉隠』の中で繰り返し、「現世の構造」を力説している。
 「人生、まことに短きことなり。好きなことをして暮らすがよろしかろう」と。
 つまり、常朝は現世自体を夢と見たのである。人の世、つまり現世を「カラクリである」と言い切り、人間を、一つの巧妙に作られたカラクリ人形であるとしているのだ。

 山本常朝の根底には「死の哲学」が流れており、人生の無常観を見てとり、それはニヒリズムで現世を冷徹に見下した観がある。
 常朝は健康であることよりも、健康に見えるように振る舞うべきだと説く。勇敢であるよりも勇敢に見えることを説く。このような豪気な様が、死に態を、美しく、神々しく、そして純粋に清い儘に一貫させる道に誘うと説いたのである。

 志を持って生きる人間にとって、戦時の世は行動によって勇気を現わし、平時の世は言葉によって、あるいは文章によって勇気を現わさねばならないと説いたのである。
 しかし人の一生は、刻一刻と流転して、時は移り変わり、あまりにも短過ぎるのだ。ここに常朝の、「人間とは、一瞬の出来事にて候」という、ニヒリズムが存在するのである。つまりカラクリ人形の構造をさらりと言いのけているのである。

 このようにニヒリズムで綴られた『葉隠』ですら、人の一生の短きことを明確に記し、生や死を問題にせず、富益を求め、奢侈(しゃた)と飽食に明け暮れる物質文明安楽に保障された生き方を強く否定しているのである。これらの放埒(ほうらつ)に身を委ねた生き方をすると、やがては目的や自己を見失い、老衰に困窮する哀れな死が待っている、と説いているのである。

 時の流れ、月日の流れは、神といえども、これを止めることは出来ないのだ。時間と共に万物の一切は流転しているのである。
 もし流転する宇宙現象を超越するものがあるとすれば、これはひたすら健康を求めて、生にすがる「生き態の哲学」ではなく、死生観や厭世観を超えた、自らの志を支える強烈な個性と、日々に死を当てて生きる、令厳な緊張ではあるまいか。

●日々、死を以て己の人生に当てる

 もし、あなたが明日死ぬとしたら、一体あなたは今、何をするだろうか。
 世をはかなんで、今にも死ぬだろうか。それとも旅の恥は、かき捨てとばかりに、異性を追いかけ、セックスにうつつを抜かして、快楽遊戯を貪ることに精を出すだろうか。
 しかし、そうした人は少ないであろう。

 やはり、この、明日訪れる死を厳粛に受け止め、あるいは真摯(しんし)に受け止め、今、一番しなければならない「大事」に、力のある限り、励むのではあるまいか。
 刻苦勉励の精神はここにある。
 そして「大事」に励むことこそ、あなたは人生のうちで、一番輝くのではあるまいか。
 日々、死を以て己の人生に当てるとはこういう事なのである。

 かつての武士階級はそうであった。
 戦国時代の日本人には、品格を備えた武人が沢山いた。これは当時、外国から宣教師として日本を訪れた外国人によって記録されている。イエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルもその記録者の一人であった。

 宣教師の彼等は、武士階級の聡明さ、忍耐強さ、質素倹約の徹底ぶりと粗衣・粗食少食の虔(つつ)し生活態度、高い品性と潔い名誉心、礼儀正しさ、謙譲心の強いことに対して賛美の辞を表している。
 これは単に武士階級に止まらず、庶民の末端までそうであったというから、おそらく当時の日本人は外国から高く評価されていたのであろう。

 こうした評価は、江戸時代に至っても落ちるものではなかった。
 時代が代わり、江戸期になって戦乱が収まると、武士の実際的な役割は殆ど無くなり、官僚化の道を辿った。 その代わりに、「武士とは何か」という、問いかけが起こり、これが「武士道」へと発展した。

 武士とは何か。
 当時の武士階級はこの問いかけに、必死で考えようとした。山本常朝もその一人である。

 『葉隠』を繰り返し読むと、まず、武士は学問に励み、人間としての教養を身に付け、武芸武術の鍛練を怠らず、名誉が一度傷付けられれば、潔く死を選ぶという、武士としてのアイデンティティが形成されていった。
 欧米人が今日に至っても、日本人の武術家に対し、「さむらい」と、尊敬の念を以て表するのはこの為である。

 江戸時代も、元禄に至ると、大阪や江戸の庶民は金銭勘定で小賢しくなり、品位が落ちてしまったが、武士階級はこうした金銭至上主義の世の中になっても、言葉遣いに気を配り、起居振舞に気を付けて、隙を作らず、有事にあたっては、率先して命を投げ出し、自分の所属する運命共同体(当時は藩であり、家であった)を守る為に、幼少の時期より徹底した教育を受けた。

 当時の各藩に、それぞれ藩校があったことは、これを何よりも如実に物語っている。 明治時代に入ると、武士階級は崩壊し、武士は消滅したものの「武士としての誇り」と「自負心」は健在であり、「名誉を重んずる心」などは、日露戦争に活躍した軍人達に多く見られた。これはまだ、武士文化をその血脈の中に受け継いでいたことになる。

 当時の小村寿太郎(外務大臣・特命全権大使となり、日英同盟・日露講和・条約改正・韓国併合に当る)や、児玉源太郎(台湾総督・陸相・内相・文相を歴任。日露戦争に満州軍総参謀長)らが、毅然とした態度で欧米に当たったことは、こうした「武士としての誇り」を持っていたからであり、またこう言う人は、明治期に多く一般にも見られた。

 そう考えると、武士階級が崩壊したのは、時代の流れとして致し方ないと思うが、徳川幕府打倒とともに武士階級が崩壊し、それが欧米一顛倒となって、もともと日本人に備わっていた精神的・思想的美徳や礼節までが崩壊してしまったということは、果たしてこれで良かったのだろうかと思えるのであるが、あなたは一体どうお考えだろうか。

 勿論、武士階級を復活させて羽織袴に、大小の刀を指せということではない。ここに一つの、今日の日本人の失われてしまったヒントが隠されているのではあるまいか、と思う次第なのである。

●消費の為の消費の愚を避けよう

 深刻さを増すばかりのデフレ不況。悪化の一途を辿る環境破壊。次第に規模を拡大する異常気象と天災惨事。食糧危機が叫ばれながら、その危機管理意識を持たない現代の日本人の飽食生活。
 これを何処か、おかしいのではないかと、あなたはそう思わないだろうか。

 こうした中で、日本だけがあくなき飽食の時代を満喫し、世界の孤児として、一人、平和に酔い痴ている。
 いま、多くの日本人の最大の関心事は、スポーツや、娯楽や、レジャーや、旅行に限られているようだ。
 また食への関心事は、週末ごとに、家族揃って車に乗って、郊外レストランに出かけ、何を食べるかの、そのメニューの模索であり、依然として、日本社会や世界動向には疎い連中が、日本列島をひしめいている。
 その一方で、中流意識の夢は覚(さ)めあらず、ローンやクレジットで物を買うという、現代人の浪費癖は未だに新たまっていない。

 国民の多くは「国と貸借対照表」はおろか、自分個人の貸借対照表の「資産の部」や「負債の部」の読み方すら知らず、大ローンで買ったマイホームや自家用車を自分の資産と思い込み、「借金漬け」から起こる苛酷なラットレースの参加を余儀なくされている。

 多くの日本国民は、自分の与(くみ)する会社経営の資本家に利益を齎す為に働き、無能な政府に税金を払う為に働き、マイホームや自家用車の大ローンを払う為に働き、VISAカード(実質年率一三・二%)で買物したり外国旅行に出かける為に働き、繋ぎの為の金が無くなれば、サラ金カードで金を借り、実質年率二九・二%という暴利を払う為に働いている。
 こうした人達は優秀な労働者であるかもしれないが、優れた金銭哲学の持ち主ではない。
 昨今急増しているサラ・クレ地獄は、損益計算書や貸借対照表の読み方を知らない国民の無知が招いた必然的な悲劇といえよう。

 国民の多くは、金を得る為に一生懸命に働き、余れば銀行に定期預金して、不足すればVISAカードやサラ金カードから借金をして、愚かにも、必要以上に税金を払い続けている。
 こうした実態が、日本人の一億総中流と思い続けている、偽わらざる実像である。これでは、まったく救いようがないくらいの、愚かな日本人の実像ではないか。
 正常な神経の持ち主ならば、この不可思議な現象に気付かねばならない。しかし、誰もが神経をマヒしていて、この現象に気付いていないというのが実情である。

 さて、こうした今日の実情にあって、では西郷派大東流合気武術は何を目指すのか。
 それを次ぎのように現わしてみた。

1.健康第一、強靭な体躯の育成

2.質素・倹約で、資本主義の輪廻の輪を抜け出すことを目的とする。
 われわれは資本主義市場経済の「消費の為の消費」あるいは利息と元金を払い続ける「返済の為の返済」を繰り返していないか。
 これをやめるのはこうした輪廻の輪を脱け出す以外ない。必要最低限の物以外買わないようにしよう。
 現に総本部・尚道館ではその敷地内に家庭農園を作り、半自給自足の無農薬・有機農法を展開している。

3.単に技を競い、試合に勝つ為に練習するのではなく、「負けない境地」を会得するために修行するのである。 
 こうした点が、今日、スポーツとして大衆に普及している競技武道や格闘技とは異なる。われわれは「秘伝」を、一子相伝で守り抜く集団である。

4.われわれは武術家並びに武道家である前に、まず、人間でありたい
 その為には、当然日常生活を取り巻く、政治や経済にも目を配り、単に好戦的なストリート・ファイターであったり、武道馬鹿でなく、社会の支配階級から搾取されない智慧(ちえ)を持つ。

5.己の養った修行の結果を、社会に還元し、人々に対して奉仕の心を持つ
 社会に貢献できない武道やスポーツは、最早時代遅れになっている。試合を見世物興行としてマネージメントする時代は終わった。観戦スポーツの愚は、時代とともに終焉しようとしている。

 これからは、自らも、健康法として、あるいは不慮の事故での咄嗟(とっさ)の護身術として、これを修行するべきと考える。その特異性と、他武道並びに他の大東流(柔術)と一線を画するところは、こうした処にあり、多くはホームページを参照されたし。

 最後に本ページを御覧になった皆様方の、ご健康とご発展をお祈りいたします。

西郷派大東流合気武術総本部・尚道館 謹書


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