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西郷派大東流と武士道
西郷派大東流

■ 日本人としての誇り ■
(にほんじんとしてのほこり)

●金への不安、物への不信

 いま人々は、何かしらとまどっている。うろたえている。

 あなたは、電車に乗ったとき、あるいは道を歩いているとき、無表情の人が多いのにお気付きだろうか。
 誰もが笑えない表情になっており、何と、多くの無表情の人で溢れているではないか。
 キチンと背広は着込んでいても、気障なライフジャケットに身を包んでいても、あるいは取り澄まして淑女を気取り、最先端のファッションを追いかけていても、その胸の裡は、何処か不安に充ち、悩み、迷い、苦悩に充ちた、心配事を胸中に秘めているかのように映るのは、果たして、われわれだけだろうか。そしてそれが、何時爆発するとも分からない表情をしているのは、どういう訳か。

 人はこうした現実の中で、毎日幸せを求めて精一杯活動し、働いている。誰一人、不幸になろうとは夢にも思っていない。
 しかし、それなのに何故こんなに苦しみ、悩み、焦るような生き方をしなければならないのか。
 自分自身の心の中で様々な葛藤を繰り返し、処世術を駆使して、何故、苛酷な世渡りをしなければならないのか
 これは実に深刻な問題であり、処世術の難しさを思い知らされるのである。ために、喜怒哀楽は浮世の常と諦めることで収まればよいが、そこで道を求める者ならば、今まで自分は何をしてきたのだろうかと、一瞬反芻(はんすう)が趨(はし)る。

 正直言って、何もしてきていないのだ。ある意味で、その日暮らしであったのではなかったか。
 ただ、平凡な、誰もがしてきていることを、画一的に、単純に模倣してきただけではなかったか。
 何か、不安の一閃(いっせん)がいつまでも趨る。何かに取り残されているような……。
 何かに、とどまっているかは分からないが、うろたえている自分であることは、誰もが十分に気付いている。焦りを感じていることは明白である。

 しかし現実社会はこうした不安や不信を明確にしない。そこにも何か、焦りの色を感じるものがある。
 誰もが、自分達の未来が確かなものでないこと、自分達の生活が不安の上に築かれていることは心の底で十分に感知している。ただそれを今、思い出すまいとしているだけである。

 こうした不安や不信を、政治が片付けてくれるという当てはない
 国会では国民不在の茶番劇が繰り返されている。日本はこうした愚人達によって、民族崩壊の道を辿ろうとしている。だが、誰もそれを指摘しない。
 国民は、ひたすら忍従を続け、彼等に対して沈黙を保っている。
 それを良いことにして、政治家達は「公」の為に尽くすという概念が全く無い

 こうした無策の政治から生まれてくるものは何か。

 政治が正しく機能していないことは、今日の青少年の姿を見れば一目瞭然であろう。
 彼等の多くは、いたずらに個人主義に趨り、自分だけよければ他はどうなってもいいという利己主義に陥る。そして恥も、誇りも、名誉も、何も眼中にはない。
 あるのは方向性を失った刹那的な欲望だけである。性欲旺盛、金銭至上主義。そうした現実は、日本人の一億総中流意識に回帰される。そして経済大国の傲慢(ごうまん)
 こうした社会意識は、単に阿房宮(あぼうきゅう)の如き、砂上に築いた楼閣である。

 戦後は誰もが民主主義に踊った。集団催眠術の魔力にたぶらかされ、価値観を拝金主義へ求めた。そしてその目標とするところは、勝手な自由の放縦だった。
 ために当然、品性は地に墜(お)ち、金儲けばかりを考えて、男も女も性欲だけが旺盛で、マナーを守らないバチルス(Bazillus/ある事物につきまとって、その利を奪い、または害するもの意)の如き日本人が出現した。

 日本人が、あるいは日本の商社マンが、東南アジア諸国から蔑まれている原因は性器の如き、その面構えと、金に穢(きたな)いスケベイ根性だ。彼等日本人男性は、日本の家庭に戻れば、佳(よ)き良人(おっと)であり、好(よ)き父であるかもしれないが、日本を一度飛び立って諸外国に向かえば、東南アジアに限らず、愚行を曝(さら)す。
 いつから日本人は、こうなってしまったのだろうか。

●親達が襟を正す時期

 コンビニエンス・ストアーの店頭にしゃがみこんだ若者の、あの無規範は何処から来るのか。
 深夜の24時間スーパーの前に、屯(たむ)ろして群れる若者の傍若無人な態度はどうだ。何処かおかしいとは思わないだろうか。
 それともあなたは恐怖して、刹那的に諦め、仕方ないと思う以外ないのだろうか。
 日本は、いつからこうなってしまったのだろうか。いつから日本人の礼儀正しさは失われてしまったのだろうか。

 いま、こうした若者が急増している。
 否、若者だけではない。
 こうした若者を持つ、戦後生まれの四十代五十代の親達にも問題がある。親達も、我子に躾(しつけ)を施すどころか、自らも現実逃避を企てて、夜の盛り場に屯し、あるいは風俗に出入りし、なじみの女をつくり、隙あらば会社でも、飲み屋街でも、カラオケ・スタジオでも不倫に走る体勢を構えている。

 また心無い一部の小・中学校のPTA役員会が、こうした親達の合コンや不倫会場にもなっていることも少なくない。彼等は小・中学校の一室を占有し、そこがある時、こうした不信の舞台となる。
 ここに来て、自分の子供の前で親も襟を正すべきである

 戦後民主主義は自由・平等・博愛(人権)という、各々が矛盾する社会システムの中に登場した。
 そして戦後の国民教育は、日教組という教育破壊集団によって牛耳られ、自由を「自由奔放」と、平等を「画一的平等主義」と、博愛と人権を「個人主義の徹底」と勘違いする、間違いだらけの要因を作った。
 今、日本人はこうした現実の中に生息する。

 世界最高のシステムとして崇められてきた民主主義社会構造は、老いて多くの腐朽(ふきゅう)をあらわしている。その構造システムは正しく機能するどころか、一部の特権階級が、民主主義の名の下に、不正を働き、腐敗を齎(もたら)している。昨今の政府高官による汚職事件は、こうした民主主義社会構造に、ガタがきた証拠として顕在化している。

 また経済は、本来、『文中子礼楽』からも分かるように、国を治め、人民を救うことが目的だった
 ところが実態経済から金融経済に移行した資本主義市場経済に、その人民を救済する力はあるか。
 昨今の不況の嵐は日本中、否、世界中を巻き込んで荒れ狂っている。この不況の由来は、バブル崩壊に端を発する。
 1980年代後半、投機によって齎された、実態経済とかけ離れた相場や景気のバブル現象は、ユダヤ系アメリカ人の国際金融資本・ソロモンブラザーズ(現在はソロモンスミス・バーニー)によって画策された。しかし世界動向に疎い多くの日本人は、平成バブルが自然発生的に起こって、崩壊したものと思っている。

 米ソの冷戦構造が一応片付いた1980年代後半、アメリカの対外巨大戦略(strategy)の敵国は、日本に設定された。水面下で、CIAが合衆国政府の支配中枢に寄生する国際金融資本の走狗として、同中央情報局の経済工作班が、日本に向けて行動を開始した。
 そして89年秋、日経平均を意図的に持ち上げる工作に出た。株価は見る見る中に膨張し、信じられないようなバブル構造を造った。

 ところが同年11月、ソロモンブラザーズは信じられない行動に出た。
 日経平均が、大暴落したら大儲けできるという「プット・ワラント」なる商品を発売し始めた。根回しは十分であった。アメリカの機関投資家や大口投資家はこれに飛びついた。
 同社の証券マン達は、自分の持つ顧客に対し「年が明け、一月早々から日本の株式は大暴落しますから大儲けできますよ」と触れ込み回った。
 こうしてお膳立は89年12月末までに整えられた。

 ところが日本の証券関係者や投機家達は、お屠蘇気分で「今年はどのくらい株が上がりますかな」などと、欲惚けした間抜けぶりを曝した。
 こうした中、異変が起きた。
 90年正月二日、ニューヨークで日本株の大暴落の前兆が始まった。突然為替が円安へと移行し始めたのだ。
 ソロモンブラザーズの画策は功を奏した。そしてソロモンブラザーズが中心になって、債権・為替・株のトリプル安を演出した。まさにシナリオ通りだった。

 同年2月下旬、自由民主党は総選挙に大勝した。彼等の眼中にあるのは自分の故郷に、道路を開通させ橋を架ける、我田引水に終止しただけだった。
 ニューヨーク株式市場では売り攻撃が開始されているのにも関わらず、「公」に尽くす概念の無い彼等は、専らスキャンダルと汚職に明け暮れた。

 同年の同時期、日本株はジリ安から一挙に暴落へと移行し、バブル崩壊に向けての引き金が絞り込まれる寸前だった。ソロモンブラザーズの秘密兵器は、日本人アナリストが難解とし、不得意とするデリバティブ(派生商品)であった。
 デリバティブによる巧妙な仕掛けを着々と作り、現物と先物のサヤ取りを狙った裁定取引と、先物オプションなどで武装したソロモンブラザーズは、日本株が下がったら大儲けできるシステムを作っておき、日本の株価を自由に操った。
 日本側は、自民党の政治家はおろか、証券会社や大蔵省までがこうした巧妙なトリックにしばらくは気付かなかった。

 これまでのバブル構造は、僅か二、三年で一兆円を上回る膨大な利益を日本市場に齎した。だが蓋(ふた)を開けてみれば、砂上の楼閣に等しいものだった。
 こうした構造の脆さに気付いた日本政府や大蔵省は、この時、一瞬翻弄(ほんろう)した。
 そして日本株が大暴落しただけではなく、政府が不動産融資へのマネー供給を、90年春から急激に絞め始めた為、同年の秋からは大都市における不動産価格が値下がりし、アッと言う間に全国へ波及した。
 政府の対応は常に後手続きで、傷口を広げるばかりの愚策でしかなく、日本の資産とマネーは、急激な収縮へと向かった。

 日本はソロモンブラザーズの餌食となって、92年夏には日経平均株は15,000円の大台を割り込み、更に今日、株価は10,000円を割り込んで、断末魔の叫び声を上げて悶絶を繰り返している。
 日本の不景気現象はこうした経緯がある。

 今、ある経済学者はこうした日本の不景気を、統計学的に予測しようとしている。そしてその推断によれば、この不況は50年は続くだろうと予測している。
 50年……?。これを一言で言えば、「不況」などと言う、生易しいものではなくなる。それは一つの立派な歴史ではないか。
 不況は少なくとも10年周期で繰り返すもの。しかし50年となれば、立派な歴史だ。

 歴史の性格とは、一つの時代が過ぎて、新たな時代に突入したことを指す。
 昔は歴史の交代が200〜300年単位で繰り返されていたが、今はスピード時代で加速度がついているから、凡そ50年で歴史は交代するものと考えられる。

 歴史を振り返れば、西洋ではローマの繁栄の後に中世が来た。
 日本では平安時代の栄耀栄華の後に、質素倹約を旨とする武家の世・鎌倉時代がやってきた。そして貴族から武家へと、以降、時代は室町、安土桃山、江戸と続く。
 これから察すれば、今日の長引くデフレ不況は、実は不況ではなく、一つの歴史的方向への転換期と捉えることができる。生活意識の改革と捉える事ができる。新しい時代への幕開けと解釈できる

 さて、あなたは如何がお思いだろうか。


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