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平成27年 『志友会報』12月号



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見識から胆識へ
 言葉で言い退けることは易しい。口先だけの、口舌の徒では何もなるまい。口では好き放題に虚飾することができるからである。言論には言った者勝ちの魔が潜んでいるからである。その間の最たるものが二言である。二言は人格を低からしめるが、低俗という格の低さは現代社会では無視されることが多い。知識優先の社会ではその傾向に走りやすい。

 だが知識は、行ってこそ生きる。行ってこそ智慧となり教訓となる。それを古人は「見識」と言った。
 物事の本質を見抜く優れた判断力を見識という。あるいは物事に対しての確りとした考え方を見識という。
 (中略)
 勘は心が曇り、濁っていては働かなくなる。澱みがあっても同じだ。仮に働いたとしても、そこに入ってくる情報は、色眼鏡で見た歪んだ情報であり、清流の流れを受けた情報ではなくなる。心の曇りが招いたものである。そのために、かつての陽明学実践者達は、心の鍛錬をした。躰と共に心を錬った。

 安定情報を引き出すために、自分の感覚器を研ぎ澄まし、歪んだ情報を取り込まないために、心を普段から鍛えていたのである。心が不在であれば、則ち、多くの知識を得ていても、知識のみに揺さぶられ、とどの詰まりは、自称「科学的」と称する数値主義に奔ってしまう。数値を得なければ、二進も三進もいかない状況に追い込まれる。したがって、数値だけ得ておれば、よしとする結論に至り、科学万能を深く信仰してしまう。
(本文より)

裏 面

(前回の続きより)
 兵法家は、まず敵の情報を仕入れなければならない。敵を知ることから始めねばならない。
 したがって、阿片戦争の実践記録は、実に貴重な体験談で、記された一つ一つが実に重みのある佳語であった。
 松陰が平戸藩家老の葉山左内邸の蔵書の『聖武記附録』を読んだのが、嘉永三年(一八五〇)八月末のことである。既に戦争から八年が経過していた。

 後に松陰は、攘夷論の課題に、片戦争の非道なる侵略の警鐘を鳴らして、東洋植民地化政策に対する西欧列強の警戒を促したが、これは単に排外思想ではなかった。この根底には、欧米の事情に精通して、先進文明を積極的に取り入れ、西欧にも劣らない法治国家へと日本を向かわせねばならないという確信のもとに、その実行を移そうと、海外密航を計画する。

 それは奇しくも、平戸で葉山左内の蔵書の『聖武記附録』を読んだときから始まったと言えよう。書籍に書かれた教訓を、松陰は知行合一の行動律により、実行に移したのである。心底には得た「知」は、至誠を貫いて実行せねばならないのである。目前に国難が迫っていたからである。
(本文より)


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平成27年 『志友会報』11月号



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仁と顛沛
 榊原鍵吉は天保元年(一八三〇)十一月、麻布広尾の榊原邸で生まれたが、天保十二年の十三歳の時、男谷精一郎の門に入り、直心影流剣術を学んだ。
 以降、研鑽十年、天性の素質と才能に加えて、稽古熱心であったため、免許皆伝を得て、安政三年築地の講武所剣術教授に抜擢され、また小川町の講武所剣術師範として、師の男谷精一郎と、その門下十三人衆と共に名を連ねる程の腕前になっていた。

 こうした鍵吉の得意絶頂にあった頃に、入門したのが山田次朗吉であった。後世に、直心影流の極意を伝えた異能者である。仁の実践は強靭的であったと言われる人物である。天性の才があったと言えよう。
 そして一躍有名にしたのが後世で『雪の九段坂』という異能ぶりを伝える物語である。
 山田次朗吉は師匠の榊原鍵吉と共に、雪の九段坂を歩いて来た時の事が、この話の異能ぶりを伝える物語となる。実話だけに凄まじい。
 そしてこの話は、ある咄嗟に起った「顛沛事」を取り上げている。運命的に言えば、まさに「特異点」である。

 雪のために鍵吉の履いていた下駄が滑って鼻緒が切れ、わが師・鍵吉が顛倒しようとした瞬間、山田は鍵吉の躰を咄嗟に支え、残る片手で、今度は自分の履いていた下駄を素早く脱いで、師の足許にあッという間に差し出したのである。一瞬のうちに踏み履かせ、顛倒を防止すると同時に、わが師の足許に、自らの下駄を踏み敷かせたのである。これこそ、まさに臨機応変の最たるもので、これ以上の「妙」はない。まさに君子の「仁」である。
 顛倒しようとする人を支えるくらいなら兎も角として、機転の利く人ならば、この程度のことはこなそう。

 ところが、問題は次である。
 この顛倒寸前の状態にありながら、咄嗟に自分の履いている下駄を脱いで、その足許に、瞬時に、さっと差し換える妙技を行えるのは、凡夫には中々できることではなく、つまりこれはその人の持つ、才能と素質が、このような妙技に至らせるのである。
 また、これは普段から「仁」とは何かを心得て、常に心を鍛練しておかなければならない。
 (中略)
 しかし、修行するという日々精進の世界は、有事に際して咄嗟の措置が出来なくては、その人は武道愛好者や趣味の域で止まる人なのである。「仁」を致すか、そうでないかに懸かる。

 また精進する世界を、単に勝ち負けにこだわって練習する人間には、こうした「切実」かつ「純真」な心が理解できず、仁不在のまま、ついには有事に際して、何一つ役に立たない禍根ばかりを積み上げている人なのである。これこそ自らの裡側に不仁を堆積していることになる。
 行動や日々の実践の中に「仁をなす」気持ちがあり、それが実行と直結していなければならない。
(本文より)

裏 面

(前回の続きより)
 そのときに松陰は、靜斎から平戸藩家老葉山左内を紹介され、これにより大いに海外事情に通じるのである。
 松陰はこの頃、藩内に在書するめぼしい本は殆ど読み尽くし、左内が九州きっての蔵書家と聞いて葉山家を訪れたいと思うのである。

 左内は参勤交代のおり藩主について江戸に出る度に、あらゆる書籍を買い漁っていた。
 また、左内自身が陽朱陰王と評された佐藤一斎の弟子であり、蔵書は儒学のみならず、内外に通じた西洋書なども蔵していた。この書籍は貴重な情報源と看做し、九州遊学の計画を立て、西洋の情報を得ることで、松陰の将来はこれにより決定付けられることになるのである。

 平戸藩には山鹿流兵学の宗家の山鹿万介がいた。松陰は「軍学稽古」という理由で九州遊学の許可を得た。そして平戸に向かう際の旅の哲学とも云うべき『西遊日記』を遺したのである。
 「道を学び自分を完成するためには、古今の歴史や現在の世の中のことを知らなければならない。しかし、一室に閉じ籠って本を読めば充分であると考える人が多いが、一室に籠っての自学自習は生きている証としての心が伴わない。生き物には必ず機がある。生き物が静止しては、機を逃す。機に触れるには物事に接し、感動しなければならない。そういう場面に遭遇して動の働きを知る。こういう機会を得ることが出来るのが旅である」と。
 まことに陽明学的な、人間の心を活性化させる言を述べ、機の発動を需めて、九州平戸に向かったのである。

 そして、此処には人の行動律を示す「知」と「行」の一致があった。この一致を「合一」と考えていいだろう。この合一において、人の心は活性化される。
(本文より)


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平成27年 『志友会報』10月号



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赤誠
 良知は強大な円の中にある。仁の発動域である。
 『論語』によれば、「仁」は如何なる場合も無意識に発動されなければならないという。更に陽明学的に言えば、良知は「心即理」であると説いている。「仁の発動準備」と称す。そしてこの発動準備を「顛沛」という。 顛沛とは、咄嗟の弾みなどで、躓き顛倒することを言う。

 だが、仁者はこうした顛倒時にも、仁をなすと言うのである。更には、仁をえないというのである。
 (中略)
 「まごころ」である以上、偽りのない至誠の事である。換言すれば赤誠という事になる。そして赤誠に基づけば、そこで派生した心の有様は、静寂であり、動揺がなく、動かない不動心であるといえる。真理に基づいた揺るぎないまこと一筋の心であり、智であると言えよう。
 この「智」を陽明学では良知と言う。この良知をもってすれば人間現象界では、人為のレベルを超越する。心即理が実践できる。人間レベルの臨機応変を超越しているから、この良知には大自然の大いなる働きまでもが味方になる。扶けてくれる。

 その扶けを受ける条件として「捨てる」というところに行き着くのである。
 この世の真理は「捨てる」というところに赤誠に至る条件があるように思われる。それは今日で言う科学的という現代人が二言目に口にする単語であり、科学的という目と耳と肌で触れる感傷以外に何も信じないという傲慢である。
 刷れる中に真理がある。何も持っていないというところに真の大自然への接し方がある。
 (中略)
 暗闇こそ、また静寂こそ、物事を思考し、想像力を逞しくする温床であったからだ。
 この温床より、想像力としてのイマジネーションが生まれ、宇宙意識の原形である霊的なインスピレーションが生まれたからである。
 闇の世界では、静寂をモットーとするが、それは音に敏感であり、音だけが外部と繋がる通路であったからだ。

 音もよければ、いいインスピレーションが齎され、また「閃き」が起こる。直感も鋭敏になる。この鋭敏さが「勘」である。
 二言目には“科学的”の言葉を連発させて、勘を非科学的と見下す現代にあって、勘が「心の顕われ」ということを忘却した時代は、数値主義主体のため、「勘」が蔑ろにされる現実を生んだ。

 斯くして、この現実に流され、人間本来に具わった「勘」は迷信と結びつけられ、非科学の譏りを受けることになった。
 今や勘は、科学の対象であり得ない。侮蔑の対象である。迷信極まる非科学的な妄信と一蹴される。
(本文より)

裏 面

(前回の続きより)
 松陰が筋金入りの陽明学者であったかどうかは疑問だが、一時期、陽明学に感化されたことは疑いようもなく、現に感銘すらしているからである。

 ちなみに、一時は儒学・国学・史学・神道を基幹とした水戸学にも感銘を覚えたが、会沢正志斎が尊皇攘夷から体制派へと変貌したため一旦は感動した水戸学への気持ちも薄れていったようだ。松陰にとっては、陽明学も水戸学も学問の通過点であったようだ。
 後に、高杉晋作が「奇兵隊」を結成するときの思想に大いに助けられ、天に託す「天命」の根本には、真心を中心に据えて、松陰の唱えた「奇兵」をこれに用いたのである。

 但しここで云う天命は、『中庸』でいう「天の命ずる之を性と謂う」とは少し違っているようで、天寿と云う意味があり、天から与えられた命を全うするということで、精一杯の自己燃焼と考えられる。自力努力で自己の生き態の完全燃焼ということである。

 奇兵は私事に動くのではない無私の兵隊であり、無私であるからこそ、状況判断が巧みであり、「如何様にも変化して、賊に対して謀これあるべくと候」とし、ゆえに「奇となりて神出鬼没」と称したのである。この根本原理には、「心即理」の行動原理があることが分ろう。
(本文より)


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平成27年 『志友会報』9月号



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仁の思想
 陽明学の生い立ちを考えると、最初は陽明の良知は封建統治の階級を母体としているため、それは単なる主観唯心論と一蹴されていた。それゆえ単に統治者を代弁しているに過ぎないと思われていた。それは朱子学が体制側の学問として君臨していたからである。その焼き直しだと思われていたのである。したがって、陽明学は時代にそぐわないとされていた。

 ところが、この思い込みが打ち砕かれた。
 心斎が陽明の思想を継承していく上での経緯には、陽明自身が陽明学のこれまでの思想の中に古典的な文化から抜け出せていない何かを感じたからであり、また文化的な装飾すら臭わせていてそれを剥ぎ取ることを目指したのかも知れない。つまり儒学的名分意識であろう。

 心斎はあることを試みようとしていた。
 良知説の思想を社会全体の仕組みの一環に用い、人民がそれを認めるか否かを試みると同時に、現実に存在する矛盾に自分なりに総智を傾け、抜本塞源の気迫をもって体当たりを試みた。既にこのとき、心斎は陽明の握った手綱から抜け出し、自らで奔馬の如く駆けはじめたのである。既にこの時期、その能力を賦与されていたであろう。
 そして、心斎はそれに至る経緯が、ここから始まっているように思うのである。

 『伝習録』下巻には王心斎が外出から帰って来た時に、陽明が居合わせて、「お前は外で何を見てきたか」と訊ねる場面が記載されている。
 そこで心斎は「満街の道ゆく総ての人が、みな聖人に見えました」と答えた。
 陽明は、すかさず切り返し「では、お前が満街の人が聖人に見えたのだから、満街の人こそ、お前が聖人に見えたのだろう」と言った。この問答が重要な意味を持つのである。

 この場面を即座に『伝習録』に記載せねばならぬと考えた編者は、陽明の人を惹き付ける魅力を察して、この場面を用いたのであろうが、そもそも陽明なる人物は、よほど人を感動させるずば抜けた才能を持っていたらしい。陽明学に敬慕する入門者が跡を絶たないこの事実からして、当時、動かし難い聖学として世に通用していた朱子学より、人々は陽明の方に傾いていくそうした状態が手に取るように分かる気がする。
 つまり、この場面こそ陽明は良知を直ぐさま実践してみせたのである。

 この問答は、単に心斎を感動させたというだけでなく、「これこそ良知」という証のようなものを示している。既にここには、良知としての基本的な実践的性格が顕われているのであり、陽明学の真髄を披露して見せているのである。
(本文より)

裏 面

(前回の続きより)
 松陰は、孫子が言わんとする隠れた「幽」なる部分を逸早く見抜き、戦いは単に正攻法をもって勝つのではないと言うことを読み解いていたのである。つまり、孫子の言葉に隠れていた有機的なる結合部分の「幽」なる部分を『孫子の兵法』から読み解いていたと言えよう。
 松陰の『孫子の兵法』について解釈力と、有機的な隠れた部分の推察力は、江戸中期の儒学者で古文辞学を唱道の達人といわれた荻生徂徠の孫子解釈以上であったと言われる。
 松陰は、漢詩の才からも窺えるように、漢学にはズバ抜けた分析力を持っていたのである。

 中国の思想の根本にあるのは『易経』である。
 『易経』は言葉少なめに、如何なる解釈でも出来るような恐ろしい一面をもっている。解読者が無能で、ただ文字通りに解釈してしまえば、言葉の羅列はただ耳に響きのいいように伝わって、本当の隠れた部分の深さを見落としてしまう筈である。その最たるものが『論語』であり、また『孫子の兵法』であろう。
(本文より)


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平成27年 『志友会報』8月号



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ねむり
 胆識のある人物は、多くの長所も持つ反面、その長所の中に凡人の持ち得ない短所も隠れている。普段はそれは魅力となっている。あるいはこの魅力が、「手応えのある人物」と映っていることが少なくないようである。したがって、「数えるべき短所」を沢山持っている方が人を惹き付ける魅力もあると言うものである。その魅力は、一見妖しくもある。妖艶にも映る。その艶なるところの深層部にまた短所が隠されている。
 その隠れた短所とは、あたかも獰猛なるウミヘビの如しである。

 このウミヘビには「ねむり」という箇所があり、ウミヘビの習性をよく心得ている漁師は、そこを抑えて身動きできなくする術を持っているのである。つまり怪物と思われている人間にも「ねむり」という急所があって、如何なる怪物的人物であろうがそこを抑えられると、もうどうにもならないと言うのである。
 (中略)
 急所を撃つ。
 それは「ねむり」の術を心得ると同時に、「ねむり」に併せてその瞬間を気で撃つのである。気で撃つ術は、気の武術が存在していることである。撃つときの対象に手で触れて撃つということもあるが、殆ど触れずに気だけで撃つ術もある。それはあたかも手裏剣を打つようにである。
 手裏剣と言う投擲武器は、「投擲」と云う言葉が用いられている関係上、一般には「投げる」と解釈されているようだが、手裏剣は投げるのではなく、実は「打つ」のであり、これは気で撃つののと同じで、手裏剣は投げるのではなく、確かに撃つのである。それは「急所を撃つ」と同義である。

 撃つ場合、それは気合いのような声を発して撃つ場合もあるが、また無声にて撃つ場合もある。撃つ要領は、相手の肉体の虚を撃つのであり、「ねむり」に当たる隠れた部分の急所である。相手の肉体の虚の部分に、術者は実の気を発して虚を撃つのである。つまり実を、一瞬にして浸透させ、急所に対し物理的な打撃を相手に与えるのである。ただし、この打撃は虚を衝く以上、腕力をもってするのではない。あくまで気で撃つのである。気で撃つ術の応用範囲は広く、「呼吸で撃つ術」を解していいだろう。
 「合気」も呼吸を操る気の武術であり、それを掛ける場合、合気は「ねむり」の術で急所抑えをしている事が分かる。

 呼吸こそ生体の持つ神妙なる働きの現象であり、またこれが生命の源をなしている。呼吸を司るには、反射並びに時と場合のおいての条件反射などがあり、これには生理的な反射も含まれている。また呼吸を用いて、同じ呼吸をするものに不意打ちを喰らわし、条件反射で操ることも出来るのである。これが正確に決まれば、気で撃つことにより、気絶までさせることが出来る。腕力の物理的な力に頼らないから、恐るべき術であると言えよう。
(本文より)

裏 面

(前回の続きより)
 そのためには「狂」であり、「猛」でなければならない。時代を動かすには、常套手段を用いての尋常なことでは成就しないのである。これまでの生温い“甘えの構造”から訣別しなければならない。

 松陰が、自らの号に「二十一回猛士」を挙げていることから明白である。事を当たるに対しての決意なのである。
 これは現代風に云うなら、現代の平和ボケと生温い、例えば時間通りに会社に出勤して、タイムレコーダーにカードをガチャン通せば、それで給料が貰えると言うケチな考えを棄て、甘えの構造からの脱却であった。
 これを徳川期の平穏な、良き時代に置き換えて考察すれば明白となるだろう。この時代は平和で実にいい時代であった。町人文化も開花して、大いに伝統や文化を発展させた。
(本文より)


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平成27年 『志友会報』7月号



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秘密は秘密ゆえに切り札
 秘密を明かしては、死後の世界を冒涜したことになるからである。
 また、孔子は礼の人である。礼を知っているからこそ、秘密の世界を冒涜しなかった。
 そして、死後の世界が克明に語られたら、一般の常人は、自分だけは善い死に方をして、仏教的に言うならば、自分だけが極楽浄土を得たいと考えるようになるだろう。それを警戒して、秘密を明かさなかった。

 右で善い事をしたら、左にそれを知らせるな。俚諺に、そんな言葉がある。
 右のしたことは右のしたことで、そっとしておき、左はそれを知らなくてもいい。時が来れば、知る時は知るのである。それまで、そっとしておく。明かさなくても、知る人は知る。
 人は、人生を充分に生き抜いて鍛錬した人は、やがて悟る時が遣って来るのである。したがって、悟りは時を得て熟さねば思い込みだけの「生悟り」となるし、実体の無い付け焼き刃的な“俄悟り”となってしまう。
 これが秘密の定義である。
 (中略)
 かつて、かの国に王心斎なる人物がいた。王陽明に感服した陽明学者であった。しかし、この吾人は体制側の朱子学に異を唱えるだけでなく、奇なる事は人間解放運動を展開した事である。
 人間解放運動の他面において、庶民層に良知説を展開させたのが、もう一人の陽明学左派の巨匠・王心斎であった。明代の思想家である。浪人学者として、地方での講演活動に励んだ人で、また心斎は驍将として名を馳せた人物である。王艮という。
 正統派の陽明門下とは区別された異端的存在として扱われた人物でもある。
 (中略)
 心斎は、いま噂の陽明なる人物がどういう人物か一方で興味津々であるにも関わらず、他方で一泡吹かせてやろうと思い立ったのである。
 つまり、陽明の説く「良知」に難癖をつけてやろうと思ったのである。無礼千万は端から覚悟の上である。

 しかし、心斎も一介の小商人である。
 一方、相手は天下に名立たる武将である。
 返り討ちも覚悟せねばならなかった。ところが、返り討ちなど、ものともしない。一泡吹かせてやろうと思った以上、それなりの覚悟も出来ていた。
 躰を張って、勇み肌で陽明のところに乗り込んだのである。

 陽明に遭って予想は大きく狂った。陽明は小難しい理屈を抜きにして、「良知の働きに生存の総てを賭ければならぬ」と憚らず言った。ただ、それだけだった。心斎は陽明の迫力に気圧された。ただただ気魄に圧倒されるだけだった。
 もう、遣ることと言ったら、あとは拝跪するだけである。遂に心斎は「弟子の礼」をとるに至る。
(本文より)

裏 面


 光は、明るい中では烱らない。闇があって烱る。その尊さが分る。
 しかし、現代の保に炯眼は失われつつある。物事の真相を隠す策略があり、それに多くはコントロールされる。

 一九六三年に起きた米合衆国三十五代大統領のジョン ・F・ケネディ(民主党)暗殺事件であった。テキサス州ダラスで遊説中暗殺された。そしてケネディ兄弟は、何とも奇妙だが、当時の司法長官で弟のロバートも、一九六八年の大統領選出馬準備中に暗殺された。
 この暗殺に日本人の多くが驚愕した。
 二十世紀最大の、そして最も文化的で法治国家のアメリカで、白昼堂々とその国の最高指導者が暗殺されたからである。

 更に不可解なのは、兇弾に無慙に頭を吹き飛ばされた最高指導者の暗殺が、たった一人の犯人の狙撃によって成功したことであり、その犯人は実に頼りない男であり、この不可解な事件に、当時の日本人は二重の驚きだったのである。
 それにも関わらず、その後の調査においては、到底その男一人の実行ではこの大それた犯行は不可能であるのに、その偽り報道は真実として納得せねばならないと云うことが、またアメリカと言う民主国家で、かつ法治国家である強大国の見解であった。

 また、更に驚かされることは、この事件に関与したと思われるその組織に対して、証言しようとした証言者が六十人以上も疑惑に満ちた死に方をしていることである。当時の疑惑は、疑惑の儘、不可解な出来事として放置されたままである。真相は解明できなかった。あるいは解明してはならぬものであったのだろうか。こうなると、一体、アメリカ唱える「民主主義デモクラシー」とは何だろうか?……。
(本文より)

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