●戦場を駆けた女性戦士達の勇気と信念を讃えて
太平洋戦争下、日本軍は至る所で負け戦を展開していた。しかしこうした最中、連合軍を驚嘆させたのは、中国とビルマ・ルートが交叉
(こうさ)する地点で敢闘した、拉孟
(らもう)・騰越
(とうえつ)の日本軍守備隊の活躍がある。
蒋介石
(しょうかいせき)麾下
(きか)の最精鋭機甲師団がビルマに向かって南下した時、その途中には、日本軍守備隊が守る拉孟と騰越と言う陣地があった。
当時、ここを守備していた拉孟守備隊長・金光直次郎
(かねみつなおじろう)少佐の許
(もと)にあった兵力は、歩兵・砲兵・工兵を併せて僅か約1400名足らずで、これに対して中国軍の兵力は、一個師団
(組織編成は15000名からなる)ないし二個師団であり、2〜3週間ごとに兵を交代させて、一刻も兵力を弛
(ゆる)めないと言うものであった。
更に、二百門以上の重砲をもって砲撃し、数十機の戦闘機や爆撃機で空撃を繰り返した。
守備隊長の金光少佐は、陸軍士官学校や予備士官学校出身の将校ではなく、二等兵からの叩き上げの軍人であった。それだけに、下級の兵隊に対しての理解と愛情があり、また現場で実戦経験を積んでいる為に、その戦闘技術も軍上層部高く評価されていた。その温厚、かつ篤実な人柄は、部下達だけではなく、従軍看護婦や朝鮮人従軍慰安婦からも愛され、信頼されていた。
金光守備隊の火力と言えば、10センチ榴弾砲十門、山砲四門に過ぎず、金光少佐はこれを効果的に遣って、中国軍包囲網に大きな打撃を与えた。夜になると少数の野戦斬り込み隊を組織し、敵陣に斬り込んで敵の武器弾薬を奪い、昼間はこれによって、敵の攻撃を撃退し続けた。しかし、敵の攻撃は激しく、ここで死闘三ヵ月を繰り返した。
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▲日本人教官に捧銃の軍事教練を受ける蒙古軍幼年学校の特別年少兵。アジアで日本式軍隊教練を受けた軍事指導の影響は大きかった。 |
多くの将兵は傷付き、本来ならば野戦病院に居るはずの片手、片脚、片目の兵士も第一線の陣地に立て籠(こも)り、従軍看護婦や従軍慰安婦達もここに立て籠った。彼女達も小銃を手に戦ったのである。負傷した兵隊や、女性達の闘魂を支えたのは、金光少佐個人に対する人間的な信頼への傾倒であったのである。
やがて弾薬が尽き、兵は殆どが負傷者ばかりとなる。金光少佐は最後の総攻撃を決行する。そして金光少佐は、朝鮮人従軍看護婦や従軍看護婦を集め、「中国軍は、君らを捕虜として扱うが、決して殺したりはしないだろう」と、最後の言葉を述べ、護衛兵をつけて、彼女らを陣地の外へ脱出させる。
ところが日本人女性達や朝鮮人女性達は戻って来て、「敵の捕虜となって辱(はずかし)めを受けるくらいなら、隊長と一緒に死にます」と言う。かくして拉孟守備隊は、ここで壮絶な玉砕(ぎょくさい)する事になる。女性達も、戦士として金光少佐と運命を共にしたのである。まさに、「アラモの砦」
(Alamo/アメリカのテキサス州サン‐アントニオ市にある僧院跡。1836年、テキサス独立戦争中、通称デーヴィー・クロケット(David Crockett/アメリカの西部開拓史上の英雄で、メキシコからの独立を図るテキサスを支援して、アラモの砦で戦死)ら約2百名の独立軍が、メキシコ軍相手に立て籠って全滅)の再現であった。
戦争において、何処の国の軍隊でも同じなのであるが、勝った側は、負けた側の国の婦女子を強姦すると言うのが通り相場的行動となっている。戦場での兵士の心理は、極度に緊張する為に、その反動として性欲が高まり、勝てば、負けた側の婦女子の強姦すると言うのは通り相場であり、残念ながら、戦争犯罪と無縁だったと言う軍隊は、歴史上、ただ一つの例外すらないのである。したがって、婦女子は強引な男の暴力に屈する。
今日の日本人で、このことを理解している平和主義者や反戦主義者は皆無と言っていいだろう。
また騰越守備隊も、陣地に立て籠
(こも)って壮絶な死闘を繰り広げる。不完全な陣地ながらも、二十倍以上の敵を相手にして戦い、抗戦60日余りを守備し、最後の指揮官・太田大尉を先頭に突撃を行ない全員玉砕した。果たしてこの戦場を戦った兵士や、それの随行した女性達は、その最期が清らかであったか否かは、偏に勇気と信念にかかるはずである。任務を遂行したのであれば、魂は穢れないまま、その清らかさが保たれた事になる。その魂は、永遠に清らかな世界に辿り着く事になる。
この戦闘の後、蒋介石は、「最近の我が軍へ勇戦は、まことに喜ばしいものであるが、なお、足らざる兵がすくなくない。日本軍の拉孟と騰越の守備隊の守備隊ごときは、まことに敬意を表すべきものであり、斃
(たお)れてもやまない勇戦敢闘は、我が軍も大いに模範とすべきである」という、日本軍玉砕に対する最高の追悼
(ついとう)の念を下している。しかし失われた命は、再び蘇(よみがえ)ることはなかった。ここが戦争の悲惨なところだ。
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▲防空服着と鉄帽準備で授業を受ける高等女学校生徒。 |
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繰り返すまでもなく、戦争がどんなに愚かであるか論ずるまでもない。しかし戦争を避ける事が出来ないのも、また事実である。
戦争そのものを正義であるか否かは別にして、戦争によって失われる命の犧牲は膨大なものであり、戦場における人の命など、虫螻
(むしけら)同然となる。そして一人の兵卒や一民間人の活躍など、歴史の記録に残らぬ程、哀れで、無慙
(むざん)に消滅していく。
まして、非戦闘員の年端も行かない婦女子なら、なおさらの事であろう。
しかし一方で、戦争に駆り出され、無慙に消えていく人間の命とは何だろうと考えさせられる。実に遣る瀬ない思いが湧き起って来る。そうした事実を背景に、戦争と云う現実から人間は逃げ果
(おお)せる事が出来ない。
では、こうした現実に直面した場合、一体人はどうしたらよいのであろうか。
人間を論ずるその価値観は、非常の事態に遭遇した時、それをどのように対処するかにかかる。平時の日常生活を営む上で、優位に物事をすすめる事の出来る人であっても、一度戦時の非日常に事態が変化した時、これに対応できず、無態
(ぶざま)を曝
(さら)す人は少なくない。特に知識で人生を渡って来た人は、この傾向がある。
知識の施行は勇気と信念の実践ではないから、これが欠如していると、今までの理屈が通らなくなって混乱に陷る。
人類にとって、戦争が正義か否か、それを論ずる事は不毛の議論である。明らかに戦争行為が、どんなに理不尽で、どんなに不条理であっても、勝者が正義になる事は歴史が明白に物語る事実であり、これに異論を挟み、覆
(くつが)えす事が出来ない。敗者は悪玉と論
(あげつら)われ、悪の譏
(そしり)を免れない。したがって欺瞞に満ちた戦争の論理を論い、これを議論する必要性は全く無い事が分かる。
最も大事なことは、戦争に直面し、それに対し、個人がどのように対処したかが、最も重要な問題になる。極限状態に直面した時、個人として、勇気と信念をもって堂々と戦うのと、卑怯未練な行為に趨るか否かで、その天意の価値観が決定される。
戦争そのものは、まさに欺瞞
(ぎまん)から成り立っている。「正義」と銘
(めい)を打ち、「聖戦」と称しても、決して欺瞞の域から抜けだせるものではない。この欺瞞の多くは権力者の野心であったり、戦争指導者の欲望が見隠れする。
しかし、国民の上に君臨する指導者の野心ではじまった戦争であっても、自身が卑屈になったり、卑怯未練な行為を行えば、自らの想念を悪想念で汚してしまう。この悪想念は、一旦抱くと生涯消える事がない。また、運良く一時的にその場を逃げ果せても、後ろめたさが何処までも付き纏う。日本の軍陣や軍属、あるいは徴兵を逃れた民間人においても、卑怯未練な行為を働いた者は、決して少なくなかった。特に目立ったのは、能力主義で出世して行った軍隊官僚の中に、卑怯未練な輩は多く居た。
ある将軍は、特攻隊の死に行く青年を前にして、「君達ばかりを決して死なせはしない。本官も最後の特攻機で必ず出撃する」と豪語した。
また、海軍のある提督は、連合艦隊指令部ごとに、フィリピンゲリラの捕虜になりながら、『戦陣訓』を一蹴して「ゲリラ達は非常に、我々に対して好意的であり、紳士的であり、別に何も取り調べる素振りはしなかった。また盗まれた物は何一つ無かった」と評し、米軍麾下のフィリピンゲリラの捕虜になりながら、おめおめ帰国し、後に第二航空司令長官として栄達して行った。しかしこの時、日本側の情報は、総てコピーが取られアメリカに読まれ、戦後「海軍乙事件」となって話題に上った。
任務を果たさずに敵前逃亡を企てるのと、最後まで任務を果たすのとは雲泥の差が出る。戦争指導者が、邪悪な想念ではじめた戦争であっても、その邪悪な想念に煽られて、自らの想念まで汚す必要ないのである。
この場合、自分の任務を果たす事に専念すれば良いのである。この事によって喩え命を失ったとしても、想念を汚す事がなければ、その意識体は精神世界で永久の生命を得る事になる。戦争に勝つか負けるかと云う事よりも、「如何に立派に戦ったか」と言う事が、実は問題なのである。卑怯未練な行為をして、たとえ生き延びたとしても、その人の死にざまは決していいわけはない。
それは既に、卑怯未練を働いたという事で自らの想念を汚しており、これが凶事に繋がって、死にざまを悪くし、臨終に失敗する。潜在意識に残る卑怯な振る舞いは、何処までも付き纏い、臨終の時、霊的な神性を穢して、清き最期を迎える事が出来ないからである。
人間が絶体絶命の場面に遭遇した時、それを切り抜けられるか否かは、勇気と信念にかかっている。勇気と信念をもって、自らの魂を悪想念で汚さぬまま、逃げずに立ち向かうと云う事である。
逃げれば、悪想念で自らの魂と、魂に刻み込まれる想念を汚す事になり、清らかさは一気に穢
(けが)れで汚染されてしまう。穢れで汚染されると、不安や迷うが生じ、静粛さが失われて、優柔不断となり、行動に躊躇
(ちゅうちょ)が起こる。この躊躇は、巡り巡って悲惨な結末を迎えることになる。
勇気と信念が欠如すれば、個人的な人生における転機であっても、企業の経営方針の転換であっても、為政者の政治的決断であっても、そこには覚悟を持った、勇気と信念がなければならない。どういう覚悟で、それに臨んだかが、その後の運命を大きく左右してしまうのである。
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▲米軍に射殺された日本軍の女子挺身隊員。米軍は、非戦闘員は日本にはいないと判断していた。その為、婦女子に至っても容赦なく惨殺した。そして銃弾に倒れた彼女は、国際法で定めた非戦闘員であり、野戦病院の、学徒動員で召集されたの特志臨事看護婦だった。 |
実行力と決断力が問われる場合、そこに必要とするものは「覚悟の程」である。
悪想念の中には、「弱さ」「卑怯」「未練」「卑屈」などが含まれるから、既にこうした事を表面化する事だけで、悪想念が湧き起こる。これは清く安らかな神性な波動とは異なり、心を汚染するものとなり、騒音に満たされた魔界のそれである。
勇気と信念が失われた場合、それは弱さとなり、卑怯未練が起り、心は卑屈になる。この卑屈こそ、穢れで汚染された波動であり、この波動は永遠に神界の波動とは合い交
(まじ)える事はない。
人の命は桜の花弁
(はなびら)のように儚
(はかな)いものであるが、常に勇気と信念を持って難事を乗り越える事ができれば、それは歴史の中で永遠に輝くのである。そしてこの輝きの中に、神界の極めの細かい、霊的神性を得た細かい粒子が、清らかな永遠の命を宿すのである。
無名戦士として否応なく戦争に駆り出され、死出の旅に旅立った、太平洋戦争に無惨に散って行った多くの英霊に、哀悼の念を捧げ、そのご冥福をお祈りいたします。