平成26年 『志友会報』12月号
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●拮抗
例えば、斬った張ったを生業にする暴力組織に加わる者や、一般に言うヤクザなどの男には、痛覚が極端に鈍い男が居る。通過久我に無為から、常人なら敏感に感じていたくてしょうがない、彫り物などを平気で遣るのである。そして何かと好戦的で、喧嘩にも及ぶ。暴力沙汰で、斬られても、常人ほどに痛まないので、喧嘩したり命を張って殺し合いをする事に何の恐怖も怯えも無い。三度の飯より暴力沙汰が好きで喧嘩がという好戦的な者も居る。
これを正面から見れば、強いと言えるし、それだけに強靭とも言える。
(中略)
大衆が群れるそうしたところでは小競り合いが常に起こっていて、警戒するだけで大変なエネルギーを遣うからだ。発想が違うのである。
同じエネルギーを遣うのなら、別の意味での「程よい緊張」を抱いた方が利口である。真の武人はそのことを知っている。一つの「生まれの良さ」であろう。
武術の鍛錬者は、単に肉体酷使ばかりでなく、反復トレーニングも大事であるが、精神的には隙を作らないという事であろう。日常を非日常に置き換え、自らの脳裏に、戦闘状態のイメージを描いておく事である。災害の多い日本では、このイメージトレーニングが大事である。
つまり、無意識の緊張である。緊張してストレスを感じるのは、それが病的な緊張であり、隙を作らないというイメージトレーニングが出来ていないから起こる病的現象であって、本来の無意識の緊張とは異なる。
緊張をする。
決して悪い事とは思わない。
隙を作らないという警戒心は常に持っていたいものである。
(本文より)
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平成26年 『志友会報』11月号
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●地道な鍛錬
猛稽古によって信念は鍛えられ、それは教養とともに一種独特の「両輪の輪」を形成し、両輪揃って機能する「文武両道」の道が完成するのである。
これを、西郷派大東流では「友文尚武」の言葉として残っている。単に首から下だけを強化するのでない。むしろ首から上を強靭にすることを目的にする。
師は、わが愛弟子が、そこの入口に到達出来るまで、猛稽古を惜しまないのである。
思えば、かつての記憶がよみがえる。
それは「常時戦場」の記憶だった。日常を非日常に置き換えて、一心不乱に稽古に励む事である。
一般に稽古に励むとか、トレーニングに励むという人間の習得の行為は、組む相手があって行うものと誤解するようであるが、実はそうではない。必ずしも相手は必要としない。自分一人でも稽古は可能である。常に自分の脳裏で稽古を思い浮かべている事である。
(中略)
近代戦の特徴は、一人に対して袋叩きにする事である。その一人は、強固であろうと、軟弱であろうと関係ない。多数を持って一人を徹底的に叩き、跪かせる事である。このようにして、確実に葬り去る事が近代戦の特徴である。
この構図を逆から見れば、自己鍛錬の急務であろう。鍛錬とは、「刀の鍛錬」に置き換えれば、自らを叱咤激励して、挫けそうになる自身を「立て直す行為」である。この行為こそ、不屈の精神であり、ネバー・ギブ・アップの精神である。肉体は倒れても、精神は倒れ得ない。精神で立ち向かい心意気であり、ここに「一歩前へ」という心の行動律が育っていく事になる。
しかしこれは決して肉体を苛め抜く事でない。
かつて筆者も、「一歩前へ」という精神と行動律を学んだ事がある。その基本原則は、毎日行う事である。休まない事である。
当時の稽古は毎日であり、一週間のうち隔週の日曜日が休みだったが、それでも殆ど毎日朝晩稽古には通っていた。当時の稽古は早朝六時半から始まり、それから一時間稽古し、午後は学校が退けた五時頃から夜九時頃まで行われるのである。殆ど毎日、五時間ほどの稽古をしていた。また、昔の武芸の稽古は、これを当り前と思っていた。当然、稽古も猛稽古である。
ところが人間の躰は不思議なもので、そう言う稽古を毎日されればそれに馴染んでしまうのである。
その猛稽古が、私の意識の中に「常時戦場」という実戦を叩き込んでくれたのである。
これは以降、程よい緊張となり、緊張しながらも常に「張り詰めた糸」の心境から解放され、安らぎの中にも緊張している野性を身に付けたのであった。現代人に欠けているのは「野性」だった。(本文より)
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平成26年 『志友会報』10月号
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●侠の武
古くから武家では眼力の有無を説いた。
武家始まって以来の武門の伝統は、平安末期より発し、武家は、わが国を代表する一種の教養層でもあった。多くは教養を身に付け、学問を学び、勝ち負けを度外視して、人間性を磨いたのである。人格を養ったのである。
今日のように格闘技やスポーツ競技などに見られる「勝てばいい、叩けばいい、倒せばいい」というような暴力肯定の「噛み付き犬」ではなかった。また「噛ませ犬」ではなかった。
強持ての噛み付き犬や噛ませ犬では、やがて民衆を失うのである。芸人擬きでは、有識者の評価が低い。
単に「おどろおどろしい」だけでは、厳めしいという語と同義であり、民衆を失った。文化人からは見下される。
武士は、その辺を慎んだ。そうなる愚行を慎んだ。
(中略)
武士は上士と下士に分けられるが、大半は名も無い奉仕者だった。有事の際に、命を投げ出す奉仕者だった。
だからこそ、彼等の見識の中には、当然深い人間に対する洞察力があり、また「人間理解の達人的な要素」をもっていた。これこそが「温情味」である。
温情味を換言すれば、広義の意味での「愛情」だろう。あるいは慈愛とか、慈悲と云う言葉で言い表される。
それはまた、師が弟子に対する愛情のようなものだ。当然、この愛情には潤いがある。信頼感とゆとりと恩恵である。故に過酷な稽古にも蹤いていける。
背景には「信」があるからだ。
「信」は人間を勇者に変える威力がある。懦夫も一新し、勇者となる。民草と軽くあしらわれる社会の最下層の人間でも、ひとたび「信」を得れば信じられないほどの力を発揮し、過酷な「道」の鍛錬にも耐えられる。人間には「信侠」という信を内蔵している。
世に勇者という輩は多い。自称を含めて、種々の武勇伝などにはこれらの勇者の物語が綴られている。勇敢に武勇をもって立ち回り、痛快を極める物語は多い。
(中略)
さて、何ゆえ順しなかったのか。そこには「信」と「侠」を感じる事が出来ず、平伏させる傲慢があったからである。従って筆者は「信侠」を選んだ。先師より受けた信の御恩に対し、それを侠の塊として維持したかったためである。「侠の武」を実践したかったためである。
侠の武とは、社会の階級には無制限であり、草民もその資格を得る。
現に太公望の撰と称する『六韜』によれば、暴刃・陥陳・勇鋭・冦兵・死闘・死憤・必死・励鈍・倖用・待命の十一の項目を挙げているではないか。根本に横たわるものは慈悲であり、その恩恵である。これを慈愛の「愛」と解しても言いだろう。
愛は単なる男女のラブではない。それは渇愛であり、仏道でもその愚を戒めている。大事なのは懦夫は勇者に変わる慈愛の恩恵を受けた信侠に貫かれた「慈」でなければならない。この慈しみこそ、懦夫を勇者に変える根本原理である。従って逃げる必要はない。堂々と対峙すればいいのである。逃げずに踏みとどまればいいのである。
逃げずに踏みとどまる境地。
それは難局に当たって、この窮地を「死地」と怖じける事もなければ、理で拓かれる活路も必要としない。この場で大事なのは血路を開き、天の命に従う、生と死の間に生まれる人間の心である。依って以て死ぬべき道を求道するだけである。(本文より)
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平成26年 『志友会報』9月号
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●温情味
人に道を説くには不十分な、輩が、指導者面して大きなことを言っている。笑止である。
武の道を、その辺の筋トレスポーツと誤解しているのだろう。だか筋トレで、温情は学べる訳がない。肉体を酷使しても、道が理解出来る訳がない。肉体を虐め抜いて後に残るものは、絶え間ない疲労感と顰蹙された孤立感、それに肉体故障から起こる早老だけである。
このことは、動物は運動するが、過激な肉体を酷使するスポーツはしないことから明白となろう。
温情……。
一言で、これを云い退けるのは易しい。だが、これを人生で本当に実践するとなると難しい。この言葉には、大変な蘊蓄が籠っているからである。行動の裏には物事を弁えた、「老成」が宿っているからである。
老成は知識でない。
単に、物を知っているだけの教科書的な知識でない。これには精神性が伴う。精神を重んずる行動がなければならない。
知行合一の実践的な、実戦にも遣える精神性がいる。それは、簡単に揺るがないものである。不動のものである。
したがって男と女の愛のような、常に不安定に変化して揺れ動いているものでない。頑として不動のものである。
世間一般では、温情を「思い遣りの籠っている温かい、優しい心」などという。
だが、その程度のものでない。この表現は実に抽象的であり、観念的である。抽象表現だから具体性がない。一種の詭弁であろう。
あたかも、いま自殺をせんとする者に対し、自殺の悪と無意味さを説くようなものである。自殺を決意している者に、自殺の悪と無意味を説いても、何ら説得力がない。美辞麗句を並び立て、宗教的な論理展開をしても無駄である。これを百万遍といても無意味である。
(中略)
情味が実用語である以上、武術に携わる武人並びに伝統を有する武家には、古くからの伝統があって、刀の目利きについて深く勉強したものある。
刀身や中茎に刻まれた銘、更には外装に至る鐔や縁頭や目貫などの目利きは、基準に照らし合わせて、その段階を判断していくことだった。
それは、常に「温情味」を考えることだったのである。
温情味は「温情」に置き換えられる。但し、情味は階級別に、身分別に、例えば、かつての士農工商に分類して考えると、武家の情味と町家の情味は違う。同じ情味でも、家柄や身分が異なれば違うのである。
だが、その違う中にも、一つだけ共通点がある。
それは背筋を正し、また日頃の行いを省みて襟を正し、その姿勢の中にも、一種の温情味と呼ぶに相応しい、「潤い」があることが大事と教えられたことがある。
日本刀を鑑定する場合、姿を見て、その中に「潤い」があるか、どうかを即座に判断しなければならない。名刀には、その「潤い」があるのである。観察眼を養えば、それが分かって来る。また「潤い」こそ、名刀の条件だった。
同時に「潤い」は、その作品の品位を決定しているのである。潤いのあるものは卑しくないのである。
名刀には品位がある。
これは筆者の悟った真理だった。
長らくに本物を検てきて、その真意を悟ったのである。
日本刀の目利きになるには、単に独学で勉強しても中々理解出来るものではない。好みに偏ってしまうからだ。好みに偏れば素人の域を出ない。単なる趣味人である。(本文より)
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平成26年 『志友会報』8月号
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●諸法無我
白隠に切り掛かった武士が、その後、することと言ったら、地面に頭を擦り付けて、白隠に、自分の無謀と粗暴と愚行を詫びる以外なかった。この構図では必然的にそうなる。
武士は頭を擦り付けた。
そうなる構図を、また白隠は望んでいたのか。
「地獄が何処にあるか?」と問い、暴挙に出たすえ「そこに地獄がある!」と一喝されたことに、大層恥じ入ったのである。これに絶句した筈である。
これを表現するならば、筆者は即座に「学識優れた在家信者の維摩の、『維摩経』の長ったらしい説法より、何かの理論付けよりも日常茶飯事に起こっている「屁の一発」の方が効果的という気がしないでもない。長ったらしい説明は無用である。ここに価値があるのである。
俚諺にも「維摩の説法より屁の一発」とある。
この一発の屁と同じ効果が、「地獄はそこにある!」という回答になったのである。理論付けされていないだけに、端的で分かりやすい。それがこの喝破だった。
武士は聴く耳を持っていた。聴く耳が無ければ、後世にのこのエピソードは残らない。当然そうなるべき、である。
そうしないと、わざわざ語り継がれるほどのエピソードにはなり得ない。
聴く耳を持っていたことで、武士は救われたのである。そう感じたのだろう。
「和尚どの、拙者はとんでもないことを仕出かしました。怒りに任せて、和尚どのを斬るなどは持っての非か。なんとも詫びの仕方がありません。こういう大罪を仕出かした拙者は、如何なる制裁を加えられても文句は云いません。いかなる仏罰も受けましょう。どうぞ、拙者を処罰して下さい」
武士は平蜘蛛のように、地べたに這い蹲り、深々と詫びた。
「そこじゃよ。そこに、極楽があるのじゃよ」白隠は言った。分かれば極楽なのである。
白隠の諭した、極楽は、先の地獄と対句になっていたようだ。
そして白隠が最後、こう諭したところで、このエピソードは完結する。
武士は、更に、はたと気付かされ、白隠の噂通りの高僧であることを思い知ったのである。そういう結末でなければ、わざわざエピソードにはしまい。
筆者はこれが実話か、後世の仮託かは知らない。
当時、生きていて、その現場を見た訳ではないからである。
しかし、禅の教えを示す、面白い、痛快なエピソードとして流布されたことは察しがつく。本当だったかも知れないし、あるいは後世の仮託であったかも知れない。現場を見た訳ではないからだ。
ただ一言いえることは、此処には「諸法無我の境地」が存在することは明らかだろう。
諸法無我の実践の方法を明確にした……と読むことが出来るのである。(本文より)
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