平成29年 『大東新報』6月号
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●特異点
朝鮮半島にリスクが高まる中にあっても、為替も株も、大きく円安、株安には動いていないのはどうしてか?市場では、まだ、リスクが顕在化しないと見といるのか?といった疑問がある。
朝鮮有事と円相場については、北朝鮮による軍事行動の可能性に注目が集まることで、円相場との関係についての照会が多いので以下に筆者の考えをまとめておきたい。結論から書くと、朝鮮有事の勃発は円買いとなる。有事発生時の投資家の行動は今も昔も「リスクの縮小」と「手元流動性の確保」である。
具体的にはマーケットにおけるポジションの解消と現預金の保有となる。つまりマーケットポジションの観点から見ると、シカゴIMMに上場されているNon-Commercial(主に投機筋)の円ポジションは直近のもので三〇・四六三枚のショート(売り)となっている。
(本文より)
(前回の続きより)
確実に生き、確実に死ぬ……、そんな賢明な死に方でなければならない。それを誰もが願うことである。
恥多き、卑怯・未練を引き摺るような死に方であってはならない。少なくともそう願う。
そもそも生き方に「恥多き事柄」が充満していた。ゆえに死ぬ時こそ、若気に至りの赤面するほどの恥は雪がなければならない。死んで逝くとき、自らの死に納得したい。
また納得出来る死であるからこそ、大往生を得て成仏する。安らかな死となる。そうなると、この世への未練は微塵もないのである。この世に思い残すことは何一つない!……心は晴れやかである……という毅然とした、完全なる成仏でなければならない。
間違っても、臨終をしくじって、不成仏に終わり、この世に居残って、地縛霊なんぞになりたくない。無神論者でないなら必ず成仏したい。
無神論者なら端から死後の世界など信じていないから、その呪縛から解放されていようが、唯神論者ならそうはいかない。
(本文より)
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平成29年 『大東新報』5月号
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●人間の思考は巡る
当時の陸海軍は情報機関を持っていたが分析力に欠けた。経済分析に詐欺的な手法が用いられることを知らなかった。
米国FRBの輪転機で刷り捲ったドル札は国際同盟国並び独逸に散蒔かれている時、日本は律儀にお人好しに、軍用手形の決済に頭を痛めていた。頬っ被りするなら、占領地で早々と不履行すればよかった。
これらの少しでも履行をとする中途半端が戦費を圧迫した。ために流体力学を知らなかった。水の流れの方程式である。波がどのように発生して、どう流れ、どう働くかをの方程式を解明するのが流体力学である。流体の静止および運動の状態について論じる力学である。
これは金融にも応用出来る。これを応用して出来たのが金融工学である。この工学理論に基づけば、不履行の時期を予測すればよかった。それが出来なかったのは、米国と言う人造国家(【註】一%弱を占める国家の超富豪の支配形態)の情報分析が出来なかったからである。
(本文より)
●中途半端からの離脱
人生のけじめ……。
それは人生の総決算であろう。
人生の『貸借対照表』の辻褄を合わせ、帳尻を合わせなければならないからである。また生きているうちは、中々死と向かい合おうとしない。見て見らぬ振りをする。自分だけは例外で、死は先にあると思い込んでいるからだ。特に若ければ、そう言う気が起こらない。まだ先は遠いと思う。しかし、それは思い込みに過ぎない。
(中略)
歳月人を俟たずである。
現代人の多くは、誰もが死と無関係に生きているように思う。死は自分に関係ないと思っている。死があったとしても、それはまだまだ先のことだと思っている。それゆえ、生きる覚悟として死を意識しないのである。斯くして「人生のけじめ」は疎かになってしまう。けじめを付けず誤摩化して回避してしまうのである。
(本文より)
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平成29年 『大東新報』4月号
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●不可解な独善作戦
先の大戦末期、奇妙な作戦があった。昭和十九年六月七日から始まった大陸打通作戦である。この作戦を「南部粤漢打通作戦」と言う。日本側作戦名は一号作戦である。本作戦は服部卓四郎(大佐)大本営陸軍部作戦課長が企画立案し敢行したもので、次のような複数の戦略目的があったという。しかし、変化は起こらず、結果は失敗に終わる。
作戦距離二四〇〇キロに及ぶ大規模な攻勢作戦で、計画通りの地域の占領に成功して日本軍が勝利したものの戦略目的は十分には実現できなかった。点と線の占領に過ぎなかったからだ。
更に中国軍の敗北により、アメリカのルーズベルト大統領の中国に対する認識は変化したことが、戦略的な意味を失っていた。
併せて通商破壊により、日本の海上交通は被害を受けつつあった。華北と華南を結ぶ京漢鉄道を確保する目的は、南方資源地帯と日本本土を陸上交通路で結ぶという机上の空論こそ無理があり、減少しつつある中国戦線の兵力の機動力を高めて、小兵力での戦線維持を実現する目論見があった。
しかし所詮机上の空論だった。現実はそこまで甘くなかったのである。
(本文より)
●人生最後の総決算……安心立命
人は生きて死ぬ。人生の最後には、必ず死が俟っている。
だが、死があるのは生きているからだ。生きとし生けるものは、最後は死ぬのである。命あるものの定めである。生と死は、引き剥がせない表裏一体の関係にある。それが同時に「存在すること」である。ゆえに生きている人間は非存在なる生き物である。彼のドイツの哲学者、ハイデガーの現象学に基づく「人間存在」の本質構造である。
非存在が、一時期存在することは、表裏一体となって生と死が同居し、その条件下で存在が許されているのである。つまり「生かされている」のである。存在が赦されているからである。
だが、生きるにもエネルギーが要るが、死ぬにも、生命の火を消すための負のエネルギーが要る。それゆえ死は、簡単なようで簡単ではない。何故なら、死ぬには「負のエネルギー」が要るからである。それを老齢期を通じて準備しておかねばならない。
(本文より)
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平成29年 『大東新報』3月号
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●不可解なコンマ以下
明末代の碩学で大哲学者と言われた呂坤は、雅号を新吾といい、その代表作は『呻吟語』で、三十年間の講学生活の中で書き上げた処世哲学の書であるが、またこの書の中で書かれている言葉の数々がまたいい。実にいい。
さて、呂坤なる大哲学者は、朱熹の理気二元論を二物説として批判したことで知られる。
その批判に、宇宙の本源を気と看做し、天地万物は気の集散であると説いた。
その時代、満州では愛新覚羅が擡頭しつつあった。それゆえ辺境の情勢は動揺して内政が乱れていた。その中にあって、呂坤は刑部左侍郎にまで昇った人物であるが、今の由々しき事態を憂い、忌憚無く意見を上奏した。
ところが、他の役人どもや佞臣の讒誣中傷を受けるだけであった。呂坤は陥れられた。役人どもは挙って、事実をねじ曲げて悪罵の限りをついた。
これに業を煮やした呂坤は、官職を退くことを決意した。
「邦に道無きに穀すは恥なり」と検たのである。
(本文より)
●未科学が不科学に振り返られた
科学万能主義である。コンマ以下の数字に信憑性を見いだした時代である。コンマ以下に大いなる信仰が寄せられている。また、変えられてしまった要素に、不安感と危機感を煽り、個々人の心の中に潜む脅迫観念が煽られたからである。そうしなければならないと思う。そして、この元凶に情報化時代の縮図があったことを忘れてはなるまい。
情報はアルゴリズムの数字を持って成り立つ。確率統計によう情報を根拠の根底に据えている。はらして信憑性はあるか。数字に捏造はないのか。何者かの、特に金儲けを企む輩に、愚かにもコントロールされていないのか。そうした疑いを持つ者は科学万能時代には少なくなった。
(本文より)
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平成29年 『大東新報』2月号
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●食糧テロの懸念
先の大戦当時は、僅かな配給にも整列して、自分の順番を待つ道徳観はあり、世間には秩序だけはあった。これが深刻な「食糧テロ」を招かずに済んだ。水面下では闇販売は横行したが、道義を守る意識だけは存在していた。これが極端な、天下を覆す食糧テロに奔らずに済んだ日本人の礼儀であった。人間の礼儀はテロを招かずに済んだ。
当時の褒めた堪えるべき、日本人の道徳観であった。
だが、今はどうだろう。
食べ物などない……。それだけで、パニックになりはしないだろうか。
礼儀は、衣食足りて知るところである。だが我慢も限度がある。臨界点がある。その臨界点に、厄介な問題が海外からの輸入国日本には難問が横たわっているのである。
まず地理的にである。海峡を見た場合、そのネックは台湾海峡とフィリピン海峡である。輸入国日本はこの海峡を、これまで通り通過させてもらえるだろうか。
とくにフィリピンは盛んにアメリカの傘の下から離れようとしている。ここに輸入国の難儀と苦しみは派生しないだろうか。
食べ物がない。着る衣服がない。そして住む場所がない。これが有事の際に起こる。その困苦が起こる。
(本文より)
●唆し
ルーズヴェルトの奥の院仕込みの狡猾なところ。これこそシナリオ通りの体現であった。
言及すれば、実質上の対日最後の通牒と言うべき「ハル・ノート」において、東条首相に至っては、日米戦が二年以上の長期戦に及んで、「もし海軍にとうてい勝算がないと言われれば、敗戦に踏み切らなかった」と述べていることは、実に興味深いところである。
また山本五十六も、二年以上の長期戦には当初から勝算がないと言っていたが、それを承知で、なぜ真珠湾奇襲を決行したのであろうか。
先の大戦の開戦前夜、日本海軍の軍令部から「已むを得まい」の発言が出て、“利かん気”の山本五十六のプランであった真珠湾奇襲作戦が決行されたことは、戦史家の間で、よく知られるところである。
軍令部総長の永野修身は、一度言い出したら決して退き下がらない山本五十六の“利かん気”の性格をよく知っており、仕方がないから容認・同意したのである。
もし容認・承諾しなかったら、「俺は止めた」(【註】降りた)などと山本に言い募られ、連合艦隊司令長官の職を投げ出してしまうことを懸念したのであろう。
永野は『山本プラン』の真珠湾奇襲作戦に同意し、またミットウェー作戦まで同意・容認してしまったのである。これにより、日本はその後、敗戦の様相を深めて、遂に昭和二十年八月十五日に、米英を主導とする連合軍に対して無条件降伏するのである。そして日本列島は焦土と化した。
(本文より)
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平成29年 『大東新報』1月号
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●言った者勝ちの世界
近現代史は西洋に翻弄された痕跡が多い。その最たるは脱亜入欧。西洋の体系主義の鵜呑みのである。
(中略)
民主主義理論を判定する場合の正しさは、常にベンサム用語が蹤いて廻る。功利主義倫理説の主張する道徳的行為の価値の規準でベンサムの用語である。
「最大多数の最大幸福(the greatest happiness of the greatest number)」の言い回しからも分るように、輿論こそ勝つべき正義なのだから、多数を占める方が「常に正しい側」にあるとする正義論が戦後日本の社会に定着してしまったのである。つまり、大多数をもって占める選挙結果の民主主義理論は、民主主義そのもの自体が正しいと看做してしまったのである。
(本文より)
●生贄の日本列島
敗戦時、内務省命令で、再び新たな女子挺身隊が組織された。彼女らは皇族や華族ならびに財閥令嬢、政府高官や陸海軍の将官令嬢らの貞操を守るために生贄として組織された女子の奉仕隊で、占領軍の性欲の捌け口として「下の世話」を専ら遣らされた悲劇の部隊であった。
この生贄挺身隊の要請が内務省(【註】明治六年(一八七三)設置、昭和二十二年(一九四七)廃止)通達で出されたと言う。庶民の子女は戦時だけでなく、敗戦後にも酷使され使役されたのである。生贄の女体として捧げられる、無慙な家畜であった。
つまり、戦争に負けるとは、併せてこう言う地獄も体験することであった。敗戦責任を論ずるなら、敗戦に伴って敗戦後の生地獄についても、当然、責任は課せられるだろう。特に非戦闘員の死傷については戦争指導達の過失について陸軍参謀本部も海軍軍令部も、その責任を負わねばならない。だが未だに、この「敗戦責任」はとられていない。
(本文より)
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