平成26年 『大東新報』2月号
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●景気の二番底
金融経済では、マネーは洪水化する特質がある。たまりすぎればそれを排出しようと、その逃げ道を求める金融独特の動きが起こる。それは失業率が増加してもである。
そしてである。こうなっても行き場を失った投資マネーの円を買う動きは、簡単には止まらないだろうから、円高だけは依然として進むであろう。
これにより輸出企業は益々苦しくなる。そうなると、2008年に起こったリーマン・ショックどころではない。もっと恐ろしいことが起こる。この危機を阿部内閣は感知していない。この兆候は変形バブルであり、アベノミクスは「好景気」という名の変形バブルを齎しただけであった。そして、もっと強烈な、世界同時不況の、巨大津波のような大波に、国民の物的財産は跡形も残らないほど攫われる危険もあるであろう。
平成バブル以降、日本の多くの企業は、中国市場の成長を前提に苦境を脱しようと考えてきた。中国国内での日本企業の多国籍化を増幅させただけに過ぎなかった。これは必ず行き詰まろう。
日本の輸出総額を見ても分かることだが、1990年には、シェアで2%程度だった中国向け輸出は年々上昇して、2010年には20%近くにまで伸びた。
この間、中国がアメリカを抜いて、日本にとっては最大の輸出国になったのである。 この経緯を再検討すると、日本企業は中国の安い労働力に頼り、「工場」として利用してきた足跡がある。
更に中国が発展し、賃金が上昇すると、今度は巨大な「市場」として、日本企業は進出を強化してきた。そして、今では自動車メーカーを中心に、製品開発の拠点そのものを中国に移したり、また中国企業と合弁会社を作るなどして、依存度を高める結果を招いた。日本の中国企業への依存度は極めて高いものである。
昨今の状況を車企業で見てみると、中国ではトヨタやホンダが苦戦するなか、日産だけは好調な売り出しが続いている。今や、販売台数はアメリカを抜いて業績の急回復に繋がっている。また日本からの投資も伸び、2011年は、約70億ドルが投じられたという。日本の中国依存度は未だに高い。
その一方で、韓国企業や台湾企業の中には撤退し始めている企業もある。利益が出ているうちに……と考えたのだろう。賢明と言えなくもない。
それどころか、中国企業ですら、自国の経済成長に見切りをつけ自国から逃げ始めている。自国を危険視しているのである。
その証拠に、中国では急激な経済成長で成金になった共産党幹部ですら、アメリカやイギリスに資産を持って移住するケースが増えているという。
また、海外の大学に留学したまま、中国に戻らない中国人エリートも急増しているという。この状況下で愚行を晒しているのは、日本人ビジネスマンだけである。あるいは日本企業から中国駐在を命じられている日本人サラリーマンだけである。
彼等、日本人の多くは、自分の足許に火が点いているのに気付かず、また自覚症状がないのである。多くは、彼の地に砂上の楼閣を築いて生涯を終えるだろう。
では、このまま中国経済が大崩壊すると、日本はどうなってしまうのか。
中国経済が崩潰する無気味な様相を呈し始めたのは、2009年頃である。この年に無気味な予兆が顕われ始めた。
それは中国系ファンドが、日本株を買い始めたときからだった。その買い進め額は、3兆円前後だったと言われている。それと同時に、日本国債も買い漁られている。更に、中国系ファンドは東京・銀座や麻布などの一等地のマンションなどを買い漁るなどして、中国富裕層のツアーなども派手に展開している。だがもし、中国経済の崩潰が見え始めると、まず中国系ファンドは苦し紛れに日本の株・国債・不動産を投げ売りするだろう。(本文より)
●欧州の骨子はユダヤであった
日本の近代史はユダヤの思惑に画策された。欧米というユダヤの骨格の欧州の気候風土をつけたヨーロッパの西洋というものに日本人は大いに魅了され、西洋崇拝の啓蒙運動が日本で幕末期、爆発した。
そのために倒幕のために動いたユダヤ・フリーメーソンの工作員だった坂本龍馬以下を奉り、その立役者にフリーメーソン日本支社長のトーマス・ブレーク・グラバーを崇め立てるのである。攘夷運動はフリーメーソン革命であり、したがって討幕運動が功を奏した事ではないと認めさせない暴挙に出たのである。
つまり、吉田松陰も、西郷隆盛も総て「悪」としたのである。その上で、これらを記す書物の一切を焚書にしたのである。そしてフリーメーソンやイルミナティの歴史、また『ユダヤ長老のシオンの議定書』を頭から偽書と決めつけ、ユダヤ教に詳しくない司馬遼太郎の作家らに、例えば『龍馬が行く』などの小説を書かせ、龍馬熱を煽り、フリーメーソンの宣伝の遣った事であった。
この手の作家を学問上の間接的工作員という。進歩的文化人や共産主義者やマルクス経済学者を直接的工作員とするならば、間接的工作員は世論操作をする事で、自然発生的に国際ユダヤ欧米に与する無報酬の工作員の事である。
このようにして日本国民を、まず報道方面から操作し、次に文化人や有識者を遣って、権威に弱い国民を料理してしまうのである。
特にイルミナティの目論みは日本人の家畜化である。人間牧場に日本人を檻詰めにすることである。今やスパイ王国日本は、カバラ思想をはじめとするユダヤ的黒魔術の国際舞台に成り下がってしまった。表舞台が「人道」によって軍国主義日本を裁くと称する極東軍事裁判に引っ張り出し、天皇までもを裁こうとしたのである。今日でも、昭和天皇の戦争責任を問う者は多くいるが、その大半は進歩的文化人らの有料の報酬を受け取る工作員である。
「天皇に戦争責任あり」
それは進歩的文化人だけでなく、「洗脳組」といわれる一般人を模倣したシンパサイザーの中にも多くいた。一口に「シンパサイザー」とか「赤」という。シンパサイザーとは同情者をいい、共鳴者をいい、特に、左翼運動などに直接には参加しないが支持援助する人をいう。
未だにこの声は消えない。
一方、戦争指導に対し大失敗をした海軍の水交社(アメリカ寄りユダヤ・フリーメーソン)のメンバー、米内光政、山本五十六、井上成美らおよび、陸軍の偕行社(ソ連寄りユダヤ・フリーメーソン)のメンバー、服部卓四郎、辻正信、瀬島龍三が作戦失敗にも関わらず、戦争指導責任を一切取っていない。
それにも拘らず東京裁判は強引に行われた。A級戦犯で死刑判決に異議を申し立てたのはインド代表のパール判事ただ一人だった。
この軍事裁判は、日本国内ではまた東京裁判なるものが連合軍によって開始され、日本の侵略戦争を共謀し、実行したとされるA級戦犯28名が起訴された。
荒木貞夫(元陸軍大臣)、土肥原賢二(元教育総監)、橋本欣五郎(元陸軍大佐)、畑俊六(元元帥・陸軍大将)、平沼騏一郎(元総理大臣)、広田弘毅(元総理大臣)、星野直樹(元内閣書記長官)、板垣征四郎(元陸軍大臣)、賀屋興宣(元大蔵大臣)、木戸幸一(元内大臣)、木村兵太郎(元陸軍次官)、小磯國昭(元総理大臣)、松井石根(元陸軍大将)、松岡洋右(元外務大臣)、南次郎(元朝鮮総督)、武藤章(元陸軍省軍務局長)、永野修身(元元帥・海軍大将、海軍軍令部総長)、岡敬純(元海軍省軍務局長)、大川周明(右翼思想家)、大島浩(元駐独大使)、佐藤賢了(元陸軍省軍務局長)、重光葵(元外務大臣)、島田繁太郎(元海軍大臣)、白鳥敏夫(元駐イタリア大使)、鈴木貞一(元国務大臣)、東郷茂徳(元外務大臣)、東条英機(元総理大臣、元陸軍参謀総長、元陸軍大臣)、梅津美治郎(元参謀総長)の28名であった。
彼等は平和に対する罪、軍事法規違反による罪、人道に対する罪等の五十五項目に亘って告発された。
ドイツの戦犯裁判は、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の四ヵ国によって定められた国際軍事裁判条例を土台にして裁きましたが、東京裁判ではマッカーサーが統合参謀本部の指示を受けて、行政命令として設けたもので、裁判官や検察官は彼が任命したものであった。
裁判官は極東軍事委員会を構成するメンバーの十一カ国から一名ずつ選出され、裁判長はオーストラリアのウィリアム・F・ウェッブ、首席検事はアメリカのジョセフ・B・キーナンであった。
しかし一方、パール判事の日本無罪は少数派判決として退けられ、日米開戦時の総理だった東条英機をはじめとして、土肥原賢二、広田弘毅、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、荒木貞夫の七人の絞首刑執行の日を、当時の皇太子殿下の誕生日の12月23日に合わせて執行しているのである。
東京裁判を反芻すると、この裁判は国際法に基づくものではなく、連合軍最高司令官マッカーサー元帥の命令に基づく私刑的な裁判に過ぎません。昔から言われる通り、「勝てば官軍」であり、勝者が敗者に「勝者の都合」を押し付けたものに過ぎない。(本文より)
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●世界連動経済
かつて日本でも、食糧難から米騒動が起こっている。大正七年(1918)の七月から九月に掛けて、米価の暴騰のため生活難に苦しんでいた大衆が米の廉売を要求して米屋・富豪・警察などを襲撃した事件である。
富山県魚津に起こって、全国に波及し、労働者や農民を主力とする未曾有の大民衆暴動に発展した。その挙げ句に軍隊が鎮圧に出動した。この事件で寺内内閣が倒れたのである。
これと同じことが中国で起これば、当時の日本の比ではあるまい。凄まじい暴動と騒動が引き起こされるだろう。
何しろ、共産党幹部の特権階級は、これまで私腹を肥やし好き放題遣って来たからである。この反動は凄まじいだろう。特権階級は、この現象界に作用と反作用が働く、この原理をすっかり忘れていたか、知らなかったのである。
特に、今でも食料品の値上がりに対する不満は強く、これは一つ間違えば暴動に繋がり、暴動は、やがて内戦に発展するかも知れない。極めて不安定な世情が出現するのである。これが出現した場合の、今日の中国はどうなるのか。
例えば、食肉製品などを挙げれば、中国では前年比で四割り近くも上がったという。政府はインフレを抑えようとして、あらゆる策を講じているが、その効果は殆ど顕われず、こうした状況下でも、また前年比較で二割り半ほど高騰していると言う。この高騰が欧州危機と連動して、中国経済界に悪影響を齎したのである。
さて、中国の貿易状況を検ていこう。
輸出額を検ると、最大の輸出先は欧州であり、約19%を占めるている。約二割り弱だ。
また中国は日本にとっては最大の輸出国である。しかしこれを中国側から検れば、8%にも満たず、然も欧州の半分以下である。
2013年の中国商務省発表によると、2011年度の中国の対欧州(EU圏)投資額は、何と前年比約九四%増と倍増しているという。それだけに欧州は中国にとっては「お得意先」ということになる。そして欧州が経済破綻すれば、中国には大打撃を受ける。直下型地震のように、大きな直撃をまともに喰らうことになるであろう。
欧州危機による中国への影響は、既に数値にも表れている。
中国の2011年度の国内総生産(GDP)は、9.2%増と一桁成長に留まりである。
これは四半期連続で中国経済が減速したことになる。更に2012年度の予測でも、政府系シンクタンクの中国社会科学院は、8.9%という数値を上げ、経済減速が起こることを予測し、そのことを懸念している。
また高度成長を経た先には低成長時代が待ち構えているので、恐ろしく衰退する懸念があり、こうなった場合は、経済に併せて政治的な諍いがおき、過去の経緯から考えれば、戦争すら辞さない構えとなる事がある。昨今中国が、日本の南海海域をうろついて尖閣諸島をこの島を自国の者だと言い出したのは近年の事で、これだけで被筒の戦争の引き金になる事すらあるのだる。中国国家首脳は、矛先をこうしたところに向け、中国人民の関心を国内から外に向けさせる内務的な政治工作を行っているのである。
こうなった場合、日中の双方に激しいナショナリズムが起こるのは必定である。あるいは悲観的な見方をすれば、既に人民解放分の中には、この言いがかりを起点に日本を武力鎮圧する、一部の軍部高級官僚層の意図が政治問題に反映されているのかも知れない。そのことはこれまでの経緯から考えても、十分に考えられる事であろう。あるいは第二次日中戦争という懸念すら浮上してくる。その場合、中国は北朝鮮と韓国を抱き込み、あたかも元寇の役のときのような高麗連合軍とともに蒙古が来襲したときのような構図が生まれるのかも知れない。軍事的には、中国軍首謀は近未来戦を艦船による航空戦と踏んでおり、昨今の空母建造政策はそれを明確にするものである。
経済と政治、そして政治と戦争は常に表裏一体の関係にある事を忘れてはなるまい。尖閣問題は現在のところは政治問題として浮上しているが、やがて政治の延長が何時行使されてもおかしくないのである。日本は戦って、三日と持たないだろう。
経済問題が、政治の延長問題にすり替える日が無い事を祈るばかりだか、中国が仕掛けてくる強圧的な策は日本人の頭脳を凌駕するほど巧妙である。日本の政治屋にこの矛先が躱せるかどうか、甚だ疑問である。(本文より)
●日本を啖う石屋
石屋は「百年の計」と云う長い時間を掛けて、日本壊滅の計画を立てた。そのプランに従い緻密に周到なる悪の計略を謀って来たのである。そしてその総仕上げが、秒読み段階で始まったと言える。
それにである。
戦場となるべき舞台は、日本列島なのである。世界でも有数なスパイ王国と言われる日本を戦場にするのである。
石屋の仕掛けた牙城と言うべき国は、日本だったのである。阿鼻叫喚の恐怖が近未来に待っている事だろう。やがて日本は阿鼻叫喚の地獄と呈するのである。
しかし、これに気付く日本人は殆ど居まい。多くは霊的神性を曇らされ、これを察知する能力も、また闇を見通す視覚も失われてしまったからである。太古から連綿と続いた日本精神は失われ、かつては誰もが持っていた日本人としての霊的神性すら曇らされてしまったのである。
あたかも、畜生道に落とされてしまった「豚の如し」である。この豚をユダヤ教では「ゴイム」という。
豚は、霊的神性が曇らされたことにより、自分が豚であることに気付かないのである。
戦後の日本人はアメリカ占領下、占領軍の「対日マインド・コントロール」に見事に掛けられたものである。日本が先の大戦である大東亜戦争に敗北した日、日本には日本占領のために国際連合軍となのるユダヤ人で構成される軍政部が乗り込んできた。GHQである。占領軍総司令部という。
この司令部はユダヤ人、つまりユダヤ教徒で構成された日本改造、解体のためのスタッフであった。
ここで言うユダヤ人とはイスラエルに住むイスラエル人のことを言うのではない。ユダヤ教徒をユダヤ人というのである。イスラエル人でも、ユダヤ教徒でなければ、ユダヤ人とは言わない。ユダヤ教徒でないユダヤ人はユダヤ人でも非ユダヤ人なのである。つまり「ユダヤ人」という場合、ユダヤ教徒でない限りユダヤ人とは言わず、多人種と同じように非ユダヤ人なのである。非ユダヤ教徒の事を、また非ユダヤ人というのである。
つまり『タルムード』が言うところの「ゴイム」であり、豚あえるいは非ユダヤ教徒という意味である。したがってユダヤ人という場合、ユダヤ教徒の事であり、ユダや民族という場合も同じくユダヤ教徒である場合はユダヤ民族を構成するのである。
このユダヤ教徒は、日本敗戦時、マッカーサーとともに日本占領ならびに解体・支配のために遣ってきた。そして当時の占領軍の実態は米ソのユダヤ教を信仰するニュー・ディーラーといわれる連中であり、この連中は悉くがユダヤ教徒であった。このユダヤ教徒たちは日本民族に対日マインド・コントロールを仕掛けたのであった。そして日本占領中、完璧な言語検閲を実施したのである。連合軍総司令部の実態はユダヤ教を信仰するニューディーラーであった。
このユダヤ教徒たちが、神国日本の解体を企て、まず出版と現炉運の自由から、占領軍は日本国民から日本の国体を堅持しようとする「日本民族の神話」や「日本神典」などを没収して消却すべき膨大な図書のリストを作成し、これらを破棄するように命じたのである。
また、スパイ天国日本にあって、日本人の中から工作員を指名した。つまり日本民族を裏切る事のできる売国奴養成であった。これらの売国奴を募る事により、日本史未曾有の大々的な焚書を行ったのである。その代表的な者が朝日新聞でありNHK、また岩波文庫であった。
そして「焚書」の対象とされた図書文献には次の基準で焼却されていった。
その第一は、神国日本の国体を堅持しようとするもの総てであり、従ってこの中には日本民族の神話、進展などを正しく継承せんするもの。
その第二は、天人とともに許さざるユダヤ欧米の骨子を批判し、それらを歴史・経済・政治・軍事から検証しようとするもの。つくにユダヤの道具としての共産主義とマルクス経済学についてである。これらは批判すべきものではなかった。
かつて経済学の世界では、通称「マル経」と呼ばれるものが盛んであり、マル経とは日本では「マルクス主義経済学」と言われるものであった。総てマルクス主義で割り切り、そこに独断と偏見を持って当て嵌め、その協議に照らし合わせるというねじれた思考が流行した事があった。猫も杓子もマルキストだった。
そのマルキストたちが新聞やテレビや雑誌などのメディアを占領し、その教義に合わせて解釈する思考が大流行し、かる表面的印は理路整然として、あたかもマルクスの『資本論』が聖典として崇められた時代があった。まさにマルクス教だった。
ところがマルクスの資本論は単なる「循環論」に終始した。『資本論』の冒頭に出てくる「労働価値説」は循環論であることをオーストリアの蔵相ベーム・バヴェルクから指摘され、多いに批判された。あっさりと「労働価値説は循環論法である」と批判されてしまったのである。経済の循環はよしとしても、景気、消費、所得を説明する上で論理の循環は、まさに卵が先か、鶏が先かの循環が連続するようでは困るのである。
ベーム・バヴェルクの労働価値説批判によって、昨今の経済学からは循環論は姿を消している。マルキシズムも元を正せば、一神教と酷似する。ユダヤ教の何ものでもない。
一見、理路整然とした唯物弁証法によって理論武装されているが、また理論上、弁証法によって理論立てられているため、難解な『資本論』は凡夫には解り辛いが、実は、経済とは理論通りには予測できない、まさにダイナミックな動きをする生き物だったのである。したがって国家権力で統制しようとか、計画経済を打ち立て競れで制御しようとかの愚行は、却って角を矯めた牛を制し、遂には殺す事になりかねなかった。
戦後の昭和三十年代後半からよく言われた事であるが、「日本には、経済史学者は多くいるが、本物の経済学者は殆どいない」と言われたほどである。
経済は、実際には不確定要素が多い生き物である。理論上、構築した単純な古色蒼然とした公式などでは割り切れないものである。
だがそれにも拘らず、「いったんマルクス主義経済学を覚え、それを講釈できるようになると、一生涯食うには困らない」と言われたほどである。(本文より)
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●ハイパーインフレが襲う時
一つの事業がまぐれ当たりして、一時的に巨万の富みを築いた俄成金は大半が貪欲である。昨今ではこうした新興成金を「ニューリッチ」というそうだが、所謂俄富裕層である。
こうした俄富裕層の実像は、あたかも中国浙江省の東南部・温州市で起こった暴動寸前の集団抗議デモから、その実態だ思い返される。
中国では地域間格差の問題が長らく指摘されてきた。そして、温州市といえば、2012年7月に起こった中国版新幹線衝突事故が起きた場所でもある。この事故に絡み、不動産業者の自殺者も出た。
また同市では中国屈指と言われた眼鏡メーカー「信泰集団」の会長までもが、巨大な負債を抱えて海外へ逃亡している。
温州市はかつて、中国の経済成長を象徴する都市だった。それが2012年夏頃から暗転した。
この暗転も、俄成金の結末を能く顕している。一口に経済と言っても、金が総てではないことが分かるであろう。
そして最も奇妙なことは、暗転した経営状態から建て直しを計った経営者が、不可解にも高利貸しから金を借り、借りた金が払えなくなった企業の経営者が夜逃げし、更には次に、高利貸しが逃げ出すと言う奇妙な現象が起きたことである。
高利貸しは、以降、企業から貸付金を回収できず、出資者に元本と利息が返せなくなった高利貸しまで逃げ出したわけである。
つまり企業に金を出資した高利貸しはその資金を、市民から出資させてその金に頼り、企業からの貸付金が回収出来ずに、今度は自分が夜逃げすると言う珍現象である。そのために、金を高利貸しに出資た市民はパニックに陥り、暴動寸前の集団抗議が行われているのである。
これに関する事件を挙げると、高利貸しまで逃げ出す異常事態が起きている温州市では、一四万社の中小企業のうち四割が倒産危機に陥っているという。そして、それを切り取り貪る解体屋と整理屋が、水面下の秘密組織の華僑集団とも言う。
これは温州市に限った話ではない。北京や上海では、まだここまで深刻な酷い状況にはなっていないが、中国経済を牽引してきた沿岸部の広州、あるいは中国広東省中南部の珠江デルタの東部に位置する東莞などでも同様のことが起きているという。そこでも経営者が夜逃げし、放置されたままの工場が無惨な姿を晒しているというのだ。そして懸念すべきは、世界経済の頼みの綱だった中国で、こうした異常事態が起こっているのである。
今日の経済は一国だけではなく、世界経済と連動されているから、その連動性の構造には、一ヵ所が躓くと連鎖反応を起こして次々に波及することである。そうなると、いま欧州危機が中国経済にマイナスの影響を与えるのは避けられないであろう。そもそも欧州経済の悪化がなかったとしても、中国経済は減速せざるを得なかった状態にあったのである。
この背景を経済的に分析すると、2008年に起こったリーマン・ショックが原因しているだろう。
この年に起こったリーマン・ショックは、中国ではショック後の経済対策として、大型公共投資と大幅な金融緩和を実施してきたが、その効果が既に切れかかっているからである。
リーマン・ショック後の経済対策で、中国政府は当時の為替レートで約四兆元(日本円で五七兆円)の巨費を市場に注ぎ込んだと言う。そのうち約八割りが鉄道や道路、公共住宅に費やされた。
公共投資で景気を刺激するのは、かつての日本と同じ遣り方だが、中国では同時に、住宅ローン金利の優遇や貸出金利の引き下げなどの金融緩和も行ったのである。
このなりふり構わぬ対策で、確かに中国は、リーマン・ショックから世界でもっとも早く立ち直った国となったが、これから先の中国の経済成長は暗礁に乗り上げてしまった観が否めないのである。思えば、中国の経済成長は、幻想に過ぎなかったのである。(本文より)
●人間牧場
戦後の日本人は、日本民族に体するある種の霊的テロリズムでマインド・コントロールに掛けられた。ここで言うテロルとは、肉体的危害を加える事によって、人を恐怖させる意味の事である。
日本の戦後は「国際連合軍」という米ソのユダヤ教徒によって日本占領基本法が企てられた。つまり、現行の「日本国憲法」であった。これは日本の占領と同時に、日本精神並びに日本的な者の全否定だった。
つまり、これらを否定するには天皇の生命を人質に取り、占領軍が日本人を脅すという行為に出たのである。そして解体を目論む彼らは日本民族解体のために「出版・言論の自由」と「信仰の自由」を前面に打ち出し、日本人をマインド・コントロール(mind control/催眠などによって個人や集団を被暗示性の高い状態に導き、暗示によって特異な記憶や思考を生じさせて操ること)に掛けてしまったのである。ユダヤ・カバラ思想による黒魔術の「政治的催眠術」である。
その目的は日本人を囲う、日本人の為の「人間牧場」であったことが、更に明確になる。その最初の血祭りが日本人隔離政策だった。隔離して強制収容如き柵を、日本列島ごと被せて覆い、この島国を人間牧場にする魂胆である。日本人を先ず蹂躙しておいて、次に日本人を含む、世界のどの民族も管理し、監督して行く計画である。
このシステムは、ほぼ九割がた完成したと見ていいであろう。これは単なる植民地より、更に恐ろしい計画である。何しろ自由を束縛され、日本人は総て支配層の監視体制の指揮下に入り、管理され、制御され、操作されて、骨抜きとなり、世界の支配層の思惑通りに事が運ぶのである。
昨今、政治家の口から洩れる「道州制」も、このプランに含まれているのである。発言するのは、石屋に媚を売る日本のフリーメーソンの代理人で、日本を邪神界に売り渡す売国奴どもである。飴一個の持つ魔力に転んだ売国奴どもである。
一般常識的な考え方からは、蹤いて行けないかも知れない。
だか「奥の院」の巨大な存在は別にしても、表皮で走狗する生身の人間の動きであれば、『シオンの長老の議定書』を解しつつ、真剣に討究すれば、ある程度は、いま日本がどのように誘導されているか、その方向が見えて来るだろう。
十八世紀から十九世紀に懸けて、石屋の行動は実に活溌だった。この頃にプログラムされて、今日に波及しているものも多い。それを『シオンの長老の議定書』は顕著にする。
また「石屋」は、国際ユダや金融資本の実行部隊である。石屋が企てることは謀略である。これまでそのように見られて来た。
それはそれで一部は真実かも知れない。だが、真実はフリーメーソンの表皮にあるのではない。また両世紀は、まさしく石屋に煽動され、虚構までもが作り出された。その潮流は、現代でも相変わらず顕著で、水面下ではワン・ワールドと言う「世界一極支配」に向かって動いているのである。
これから、日本列島を舞台に争いが起こる。この列島を地獄の決戦場にする。この戦いは、そんなに遠いものではなく、既に始まっている……と考えた方がいいであろう。
この戦いは、単なる善と悪の戦いではない。可視世界だけの戦いではない。不可視世界を巻き込んでの神霊界ごとの戦いである。眼に見える現象だけの留まらない。闇の力まで動くのである。
曲亭馬琴の代表作の『椿説弓張月』の「清和天皇七世の皇孫、鎮守府将軍陸奥守源義家朝臣の嫡孫、六条の判官為義の八男、冠者為朝と聞えしは、智勇無双にして身の丈七尺、豺の目猿の臂、膂力人に勝れて、よく九石の弓を曳、矢継早の手煉なり……」(前篇)で始まる後篇には、また「事に迫りて死を軽んずるは、大和魂なれど、多くは慮の浅きに似て、学ばざるのあやまちなり……」とあり、九州併呑・伊豆七島管領より琉球渡りまでを描いた源為朝一代の武勇外伝である。その中に「大和魂」と云う言葉が出て来る。
そして大和魂とは、平安時代中期頃から起こり、「才」もしくは「漢才」と対比的に使われ、諸事の諸内容を包含する極めて広い概念である。
また江戸中期以降になると、国学の流れの中で、「漢意」と対比されることが多くなった。これは本居宣長が提唱したといわれる。
漢意とは、漢籍を学んで中国の国風に心酔、感化された心を指し、一方大和魂は、それに対比する日本古来から伝統的に伝わる固有の精神を顕す概念である。そして中国の学問や知識は、そのまま日本へ移植するのではなく、あくまで基礎的教養として採り入れ、それを日本の実情に合わせて、応用的に政治や生活や文化で発揮することであった。日本風味付けとでもいおうか。
情緒を理解する心として用いられたのである。(本文より)
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●蝕まれる日本国
今時は刻々と変化する。時代も然りである。そして現代の時代の移り変わりは、かつての比ではない。加速度的で、猛烈は早さと変化を伴う構造になっている。実に加速度的である。そして政治や経済の変化も、時間というときの流れの中にあり、現代人の生活空間は常に激変の中に組み込まれてしまっている。
それに現代人はどの時代に人間が経験しなかったような、「多忙」の時空に閉じ込められている。誰もが加速度を持った多忙な歯車の中に組み込まれ、好むと好まざるとにかかわらず、多忙を強いられているのである。
そして自分の身の回りを観察すると、ここにも急激な変化の波が押し寄せ、この中に否応無しに散り込まれてしまっている現実がある。
政治的経済的な状況下で、今日の政治面に眼を向けると、そこには明らかに、「仕組まれた何か」がある。この「何か」は自然発生的に、また民意の事前隊で発生しているのではない。明らかに意図を持った水面下の事象に反応し、時代が操られているのである。
それは半島で起こっている事でも、あるいは大陸で起こっている事でも同じである。何かに反応し、何かに操られているのである。そしてその発信源は、極東においては日本である。この国では、水面下の暗躍がある。水面下で、一般人の眼の触れないような形で、「何か」が画策されているのである。その意味での、日本はスパイ王国である。世界一スパイが活動しやすい温床下にあり、世界各国の諜報活動は日本を舞台に繰り広げられている。隠微な集団の暗躍により、そこでは人類に指令を出す総帥の一言が大きく影響を与えているのである。
我々日本人は他の民族と異なり、狩猟民族でない。動物を罠に掛けて捕らえる事を多くしいらない。したがって動物を殺し、それを食糧にしたり、また震源同士で共食いをする術を知らなかった。少なくとも、近代までは、である。昨今のように動物の肉を積極的に摂る習慣が無かった。
日本人のような農耕民族には中々わからない事であるが、遊牧民ならびに西洋人の考え方は、人間同士に対しても、実に狩猟的である。そのために日本人尿に農耕文化を送ってきた人種には、狩猟民族のように動物を罠でしとめるという思考が疎い。動物を仕留めるるためには、必ず罠が必要である。
罠にもいろいろあって、直接罠を仕掛けて足が挟まりそれで仕留める個人闘技のようなやり方ではなく、集団的な大きな罠を仕掛け、その柵の中に追い込むというような全体的なビジョンに則った罠を仕掛ける。
柵を造らないでもA・Bの其々の地点を決めておいて、勢子の役割と、最後に動物を仕留める役割の実行者によって動物狩りが行われる。半島系、大陸系で生きてきた民族は、罠を仕掛けないと動物はかる事ができない事を本能的に知っているのである。
それは、人間をかるときも同じ理論が遣われるのである。ある連中は、ターゲットを絞り、罠を嵌めると必ず罠に嵌るような狡猾な仕掛けを造るのである。日本以外の各民族は、物事を罠的に考えるのである。
例えば、日本人に狙いを定め、日本を乗っ取ろうと考えた場合、何処と何処に罠を仕掛ければよいか、それを時空的に考え、それを実践に移すのである。日本占領は何処が一番効率がよく、その結果、日本人からどうすれば合法的に、かつ簡単に奪えるか考えるのである。
したがって、最も効率がよく、仕留め易いのは、日本では政府高官か高級官僚という事になる。この場合、高官でも官僚でも全部を狙わなくてもいいのである。高官のトップ、官僚のトップを狙えばいいのである。官僚でも、事務次官級でいいのである。まず次官級に狙いを付け、まず賄賂と美女漬けに知れはいいのである。
この二つの用いて接近すれば確実に落ち、この一人を落とす事で、以後は思い通りに事が運ぶ訳である。この仕掛けに嵌るのは、政治家も同じである。
政治家の、何処をどのようにくすぐれば、日本の政治を牛耳る事ができるか知っているのである。そうなると、まず首相が狙われ、次に官房長官が狙われる。そして接近するためには、諜報機関で特殊訓練を受けた美女のスパイが接近を開始するのである。これを餌に、西洋の狡猾さを知らない日本人は次々に罠にかかるのである。(本文より)
●西欧崇拝主義が猛威を揮った時
脱亜入欧推進者。それが福沢諭吉である。
脱亜入欧の大事業に当たり、欧米崇拝促進運動に続いたのが岩倉具視、大久保利通、伊藤博文、木戸孝允、大隈重信、井上馨、西園寺公望らの重臣であり、また文明開化思想運動であり欧化主義を展開していた文相の森有礼や啓蒙思想家の西周らの明六社設立のメンバーであった。
また、森有礼に至っては、明治五年に日本の国語は英語にすべきであると主張している。これが日本の西欧主義の「強引導入」の始まりと云える。
そしてこれに続く者として外山正一が、明治十七年に漢字を廃止してローマ字採用論を主張した。これは明らかに東洋蔑視、西洋優位の考え方であり、また明治二十八年には、フランス留学経験を持つ西園寺公望が外山と同じ主張をしている。
脱亜入欧そして西洋崇拝主義は一体誰によって齎されたものか。また誰の入れ知恵によるものか。
幕末、日本には「ユッタ衆」が暗躍した。ユダヤ・フリーメーソンの代理人たちである。ユッタ衆が走狗となり、水面下で暗躍して討幕運動に手を貸した。
西欧崇拝……。
それは日本精神の否定であり、文化も伝統も総て否定すると言うものだった。それはあたかも昭和三十年代から四十年代に懸けて、日本中を席巻した共産主義革命が吹き荒れた嵐のように、その頃の明治も欧米崇拝主義の嵐が吹き荒れていたのであろう。
当時の欧米を事実上支配していたのはユダヤ・フリーメーソンである。
欧米の骨格はユダヤ・フリーメーソンの上に、ヨーロッパやアメリカの鎧袖を着せたものだった。そしてこの思想の根底には、古代ユダヤのカバラ思想と黒魔術の儀式が流れていた。カバラ思想とはユダヤ教神秘主義の一つである。また「カバラー」という。
この思想によると、宇宙と人間を、神からの十の流出物の関係で説明する。
ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴うユダヤ神秘主義思想である。また、独特の宇宙観を有していることから、しばしば仏教の神秘思想である密教との類似性を指摘されることがある。カバラーはユダヤ教の伝統に忠実な側面を持ち、他の宗教の神秘主義とは異なる。
またカバラーは、ユダヤ教の律法を遵守し、あるいは神から律法の真意を学ぶことを目的とする。伝説によれば、アブラハムがメルキゼデクから伝授された天界の秘密だという。モーセが律法に記し切れなかった部分を口伝として後世に伝えたものだともいう。
カバラーは全ての神秘を解く鍵と言われ、西洋魔術に最も影響を与えている古代の神秘思想である。それが黒魔術と結びつき、巧妙なる血の儀式を通じて、フリーメーソン秘密結社の入団式にも用いられた。
黒魔術は自己の欲求・欲望を満たすために行われる魔術のことである。そこで登場するのがルシファーである。
ルシファーは、明けの明星を指すラテン語であり、キリスト教、特に西方教会における悪魔とされる。堕天使の悪霊である。
この堕天使が幕末,日本を狙ったのである。邪神界から悪霊軍団を引き連れて……。
西欧のフリーメーソンは日本の内戦を企てた。まず日本を二分する作戦を立案した。この作戦計画に従って、徳川幕府にはフランスのメーソン大東社が取り憑いた。また他方の薩摩藩や長州藩にはイギリスのスコッチメーソンが取り憑いた。そしてそれぞれのメーソンは、幕府と薩長に武器を提供する。此処に武器商人が暗躍することになる。
トーマス・ブレーク・グラバーは、上海経由で日本に来日したフリーメーソン日本支社長だった。フリーメーソンを「石屋」とも云う。
この頃から石屋が暗躍が活発化し始めるのである。その走狗が坂本龍馬らだった。坂本龍馬(竜馬)はグラバーの棲む長崎のグラバー邸に、繁く足を運んでいる。
(本文より)
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平成25年 『大東新報』10月号
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●日本人の対岸の火事視
今日の日本で「愛国」という言葉を出せば、すぐに軍国主義者の烙印が押される。日本という国を思ったり憂う事は、何か犯罪者のような眼で見られ、また危険な匂いがするなどと揶揄される。
そして日本人は昭和二十年八月十五日以降、「国破れて山河あり……」などという感傷的な情緒に浸り、日本国の事に関心を待たないばかりか、かなりの年月を費やした。敗戦以来、多くの日本人は、日本の事について何も考えなかったのである。また考える事を罪悪であると思い込んできたのである。
戦後の民主主義平和教育の中では、誰もがそうした立場に立つ日教組の赤化誘導の操作と指導を受けて、特に団塊の世代は日本の歴史を捏造し、歪められた近年日本史を、半ば強制的に学ばされてきた。そして「国破れて……」等とのんびりしていた事を言っていれば正常な日本人と思われてきた。そのために本当の意味での自主独立の機会を失った。(中略)
近代市民社会の国家とは、一体どういう国家か。
つまり逆の観点から言うと、市民社会国家を定義する上で、どんな市民社会でも、自分たちを守ってくれる軍隊に対し、深い信頼と尊敬の念を払うという事だった。フランスなどは勝利した戦争に誇りを持った市民社会国家であった。その最たる証拠に『ラ・マルセイエーズ』は、マルセイユから祖国防衛のために進軍する義勇軍の歌ではなかったか。
また、アメリカ国家の『星条旗よ永遠なれ』は独立戦争で銃弾に倒れた愛国者の歌ではなかったか。
しかし日本だけは、市民社会国家で、独立国と自負していても、なぜ英霊に対し、あれほどまでに激しい海外からの干渉が入るのか。その最たる物が韓国であり、また中国である。靖国神社参拝問題でも、首相の安倍晋三氏の態度は実に不明確である。背後に半島系の自民党清和会の意向が働いているからだ。自国の英霊に対して尊い命を犠牲にしてくれた英霊たちは、この首相の不明確な態度に、戸惑っているに違いない。自分の死を「死に損」と感じているかもしれない。
時代が高速回転し、加速度的に時間が過ぎ去る時代は、それに複雑さが絡む。変化も猫の目のように激しく豹変する。
特に顕著な現れが、同盟国とのアメリカであり、アメリカはその変化の中でアジア政策すら変更しようとする節があるようだ。めまぐるしく動く現代、日本人は、この現実をどうとらえているのだろうか。
そして日本周辺で起こっている驚くべき変化の早さは、今から突き進む国際情勢そのものを雄弁に物語っているのである。
環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への本格や韓国との的参加の意向、エネルギー政策としての原子力発電の促進と確立、更には中国や韓国との歴史的軋轢。そして重要課題である日米安保条約と普天間基地の移転と同時に日本国憲法の改正といった諸問題は、最重要課題でありそれも早急に解決しなければならない問題が山積みされている。手当が遅れれば、世界からの袋叩きは免れないだろう。
特に韓国はアメリカと国連を自国の味方につけ、日本叩きに熱心で、この国の言動は益々エスカレートする事だろう。(本文より)
●本当の女性の強さ
女性は以前のように単純ではなくなった。子供を産み、子供を育てるという、かつてのような生き方をしている女性など殆ど見かけなくなった。多くの女性は、一応最終学歴という大学まで出るという人が殆どであり、知的になり、知識力は男勝りで、それを凌ぐ女性が職場の至る所で見られるようになった。特に公務員がたむろする職場には多く見られ、また完全なる能力主義が遂行されている。男も女も無い。能力さえあればトップに立てる。
昨今の特徴は、能力順の序列になり、曾てのように年功序列という考え方は廃止され、性別を超えた職農人としての能力が問われる時代になった事である。そして女性自体がそれなりの知識人となり、物事を論理的に考える人が殖えた。
更には自分の置かれている状況判断も正確になり、物事を客観的に見る意識が主力を占めている。そして一応論理的である。
果たしてこれがよい事か悪い事か。損ずれば問題点は種々浮上する。何故ならば、その認識と感情とが渾然としないのである。その事が問題なのである。
男女同権、そして男女同格。
非常にいい事である。
つまり感情の部分だ。
例えばである。
ある女性が「あなたその薄ら禿、何とかならないの……、何となくムカツクわ……」などと言ったとしよう。職場にそういう女子社員が居たとしよう。
果たして、この薄ら禿は男が責任を取るべきものなのだろうか。これは論理的でもないし、むしろ感情的である。この感情の部分が論理と渾然としないのである。
「薄ら禿が何とかならないのか」と言う要望は、決して論理上の事でない。だがこの女子社員は更に傲慢に言う。理由は、男の薄ら禿を見ていると気分が悪くなって気持ちまでおかしくなり、動悸、息切れ、めまい、耳鳴り、吐き気がするというのである。そしてそれ自体でセクハラというのである。(中略)
スポーツには、ボクシングのように「ハングリースポーツ」というものがある。ハングリー精神で戦わねばならないスポーツがある。食事制限をして減量が強いられるからだ。そして今の若者は、ハングリー精神が無いから根性が無いと言われた時代があった。この根性の無い時代の大半は、いま四十半ばになっている、曾て「新人類」と呼ばれた世代がだんトツだという。
この世代は、『私をスキーに連れてって』という映画が雄弁に物語るように、戦中、学童疎開を強いられた国民学校世代を両親に持っている者が多い。昭和三十年代の高度経済成長の恩恵を受けつつ、そういう母親から甘やかされてそだった、いま四十半ばのオヤジどもである。世代別を研究する学者によれば、このオヤジ世代を中心に上下に根性なしが分布しているという。
ハングリー精神の崩壊。そしてハングリーに耐え忍ぶのは一部のスポーツマンのみ。
更に日本の社会からは、「食えないハングリー」という階層は完全に駆逐されたように思える。こうした食えないハングリーがなくなった事は結構な事である。そのことで、根性が無く、辛抱が無く、そうした老若男女が出現するのは自然の成り行きだろう。こういう現代人は攻められる訳も無い。
だが、しかし豊で物質的経済的自由、楽しさを得るための享楽主義。そこに幸福なる人生があると思ったら大間違いだろう。
また現代は耐え忍ぶ事を忘れた時代である。耐え忍ぶ事は帆どんど現代人から駆逐されてしまっている。
昔は耐え忍ばねばならぬ事があまりにも多かった。忍耐は美徳と言われた時代があった。しかし、今は忍耐は美徳ではない。平等主義に照らし合わせれば、悪徳でもある。我慢する事やよくないとされる時代である。我慢がストレスにつながるという意味からである。
では、認定を悪徳と決めつけ、その結果何が起こったのか。
我慢する事が嫌になった日本人が出てきた。我慢できない日本人が出現した。我慢するとイライラしてきて、「切れる」というのである。
事件を振り返っても、昔は殺人にもそれなりの理由があった。その理由から情状酌量が考えられることもあった。ところが今はそうした理由がない。納得できない、理由が存在しない残忍な無差別殺人が急増している。性格粗暴者の出現である。
「人間の命は地球よりも重い」と暢気な事を言っている場合ではない。そういうお説教は痛痒も感じない時代である。
物が溢れて、物質的になり、社会全体が物質至上主義で動かされている今日、現代人はますます人間牧場の檻の中でコントロールされ、ローン漬けのラットレースをやらされ、そのランナーとして人体実験のもるモンットにされているのである。狭檻の中で飼われる家畜は、家畜同士がストレスから共食いをするという事は生物学上からも認められた現象である。(本文より)
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