平成25年 『大東新報』9月号
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●富士山噴火、過去2000年で43回の噴火
世界遺産条約により富士山は、世界の文化遺産及び自然遺産の保護で「世界文化遺産」となった。地元では大喜びの歓声が上がっている。
しかし、その一方で、この山は過去約2000年間に、溶岩が流れ出す規模の噴火が少なくとも43回あったとの調査結果が発表された。この発表をしたのは産業技術総合研究所(産総研、茨城県つくば市)である。
産総研が十五年かけて行った地質調査によると、新たに判明した噴火の記録を盛り込んだ地質図の試作版を鹿児島市で始まった国際学会で公表した。
富士山噴火。
近未来を暗示する一つの大きな懸念である。
そして日本経済の中心地は政治とともに東京である。今の東京の現状をると、大変奇妙な状態になっている。今や東京の街は何処に行っても「電気工事」の立看板が立っている。東京の街は掘って掘って掘り返されている。その掘り返しが網の目のように疾っている。この目の中には地下鉄、地下道、地下街、ガス、電話、電気、対堂、下水道などが網の目上に疾しり、これらはみな地下に埋蔵されている。
狭い日本は、もやは東京スカイツリーのように上に伸びるか、あるいは地下に潜るしかないのだ。
つまり端的に言えば、この狭い地上ではどうにもならないと言うことである。しかし富士山噴火が、近未来に起こるであろう南海トラフによる大地震との連動は無関係なのだろうか。此処にはフィリピン海プレートの沈み込み帯があり、更に南海舟状海盆を形成している。
日本で起こったこれまでとは違いの大地震が起こったとすれば、至る所で地割れや陥没が起こりガスは服出るし水道管は破裂し、上階からはガラス破片の大雨がの如く降り注ぐだろう。
果たしてこれが「マンガ的発想」であろうか。あるいは単なる妄想か。
だが、人間の脳裡の奥の奥には太古の昔に起こった惨事なども遺伝子の中に組み込まれている。それがいつの日か擡頭して惨事の状態を想起したとしても不思議ではあるまい。
非科学的で、ある人は筆者をマンガ的と詰る。また、ある人は現実離れした空想と嘲笑する。そして一切がレベルの低い絵空事として一蹴するだろう。
二十世紀から今世紀に入って、科学は驚異的な進歩を遂げた。その一方で、科学の進歩に反比例して現代人は思考怠慢になり、何も考えなくなり鈍感になってしまったと言う痕跡は顕われ始めた。これては科学の驚異的は発達に対してのリバンドであると考えられる。この世にはユートンの法則を挙げるまでもなく、作用と反作用が働いている。科学技術の進歩と言う作用に対し、その揺り戻しとして考えなくなり鈍感になって行くと言う現象が起こっても至極当然のことであろう。
(本文より)
●犬目
世時代の複雑化は一方で人種変化をもたらしている。その変化の最たるものが現代人に見られる「目」である。
「近頃の若いやつは……」という言葉も今は、はたと聞かなくなった。そして老若男女という言葉もあったが、今は年寄りでも若作りをし、若い事はいいことだという意識を抱いているから、肉体上の表面だけでなく頭の中まですっかり若返り稚拙にまでなっている。青臭いことを言う老人も少なくない。
また、年にも似合わない事をすると、かつてはよく「歳を考えろ!」と叱咤したものである。その「歳」も、今では、はたと聞かなくなった。今は高齢者でも歳を忘れて若々しく振る舞う事を推奨している時代である。
若い事は良い事であり、稚拙な思考を持ち続けてそれで青臭い論理を展開させる事も歓迎される時代になっている。まさに言論の自由であり、民主主義真っ盛りという時代である。そして言論の自由をいい事に、「識者」といわれる連中が、自信たっぷりにお茶の間のテレビの登場して「人間は若返る事はいい事ですよ。四苦のうちの老病死のから抜け出して、自分らしく若々しくと行動できるようになったのは、皆民主主義が徹底されているからです」と、自信たっぷりにいう今日この頃である。だから「歳を……」などということは今ときらない。
「近頃の若いやつは、どいつもこいつも……」と、年長者が嘆いた時代があった。ところが、今はそうした言葉をとんと聞かなくなった。
しかし、やはり現代人をよく見ると若いやつだけでなく年寄りまでもが「どいつもこいつも……」であり、その目をよく見ると、犬目に改造されている。物事を深く探求しないためか、あるいは文化人という人間がテレビや新聞で発言する言に誘導されているためか、思考停止の状態に陥り、どこかぼんやりしたじみた目つきをしているのである。新宿や原宿辺りを歩いている人間を見ていると、改造された家畜の顔つきになっている。それは若者だけではなく、オヤジだってオバタリアンだってそうである。どこかすっかりメディアにコントロールされて流行に乗り、ほぼ一〇〇%家畜化されているのである。そして人相的によく観察すると、その顔つきは、表面の若々しい姿と対照的にみな精気の乏しい、くすんだような改造後の顔つきになっているのである。
その顔の中でも象徴的なのが「目」なのである。当然家畜化された眼は「犬目」にならざるを得ない。
要するに「依頼の目」になっている。依頼の目があるからこそ、顔つきは家畜の顔つきになる。
家畜の顔つき……。
それは「犯行の牙を抜かれた、飼いならされた畜生の顔」なのである。何一つ逆らえないような従順な家畜になっているのである。まさに「人間牧場ここにあり」という実態を見る思いである。
現代人の多くは野性から分離した。多くは野性の何たるかも知らない。依頼専門型の人種が出来上がっている。したがって独力では、自身で食糧を確保したり、また確保した食糧を自分の歯で噛みちぎり食らいつくという事ができなくなっている。肉を求めれば、それはスーパーの食料品売り場で、細かく裁断されあるいはスライスされて発泡スチロールにパック詰めされているのである。それを牛肉と思い豚肉と思い、更には鶏肉と思うのである。肉は総て細切れになりスライスされた物と思い込んでいるのである。
今時の若い者はノノ、そういう事を嘆く年長者が一昔前や二昔前は多く居た。教化の意味で年長者は嘆いていた……。(本文より)
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平成25年 『大東新報』8月号
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●どうなる日本の消費税
日本の消費税についてエコノミストたちの見解は別れている。
特に、増税を反対とする見解を持つエコノミストたちは、「増税はこれまで阿部政権が押し進めて来た金融緩和の効果が失われる」と言う意見で、増税反対を唱えている。だが阿部晋三首相はこの秋、日本経済再生に向けた思い切った経済政策が次の段階に入るとき、これまで避けてきた厄介な問いに答えざるを得なくなるだろう。つまり、それが消費税の値上げである。
消費税を上げるとどうなるか。更に増税した上で、今までに出した成果を後退させることなく、日本国民に痛みを伴う消費税値上げにどう対処するか……、という命題と向かい合わなくなる。これは避けて通れない登竜門的な命題であると言えよう。
安倍首相は、自民党が勝てばこの問題の解決に乗り出すという曖昧な約束をして、法廷が立法府に異議を申し立てるまでには至らないという可能性に賭けた。実際、一票の格差の問題は一九六〇年代以降ずっと政治を悩ましてきたが、最高裁が格差を理由に選挙を無効にしたことは一度もない。しかしである。
二〇一三年三月に入り、日本全国の高等裁判所が、自民党が勝利した二〇一二年の総選挙は違憲であるという判決を相次いで下し、政治家を慌てさせた。然も高裁のうち二つは、選挙結果を無効とする曾て無い判断を示した。最高裁が下級審の違憲判決を認めれば、極めて重要な時期に安倍政権の正統性が揺らぐことになる。だが、これはあり得ないと思われるが、もし最高裁が二〇一二年の総選挙を無効とするという究極の判決を下したなら、憲法と政治の危機が訪れるだろう。日本民主主義と日本資本主義は根底から大きく揺らぐことになる。
また戦後民主主義は違憲により根底から崩れ去ることになる。一隻の『日本国丸』に、「船頭多し」の状況が、時として日本国丸の進路を大きく阻み、かつ狂わすのである。
その一方で日本国民の意識は確実に変わりつつある。
それは、地方の過疎化が進むにつれて、一票の格差に対する一般の関心は高まり、司法に行動を起こすよう圧力を掛けて来た。政治家は、自らを選出してくれる制度に強く執着している。特に自民党は、地方で勢力を誇ってきた。
同党の殆どの議員にとって、意図的に地方の選挙地盤と支援を弱めるような措置を取るのは愚かなことだろう。国会議員はこれまで、選挙制度が若い有権者には理解し難いものである状況を当てにしてきた。しかし、国民の意識は変わりつつある。経済団体や海外投資家も、「都道府県による一票の格差は日本経済の構造改革を滞らせている要因の一つだ」と批判している。地方の住民が都会の人々よりも、急激な変化を嫌うらだ。一票の格差の問題は、世代間格差の問題とも密接に結びついている。したがって一票の格差は地方の高齢者に有利に働き、都市部に住む比較的若い有権者には不利に働くからだ。またこれには世代格差も絡んでいる。(本文より)
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平成25年 『大東新報』7月号
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●日本再生プログラムの裏に
日本経済を活気づけようという試みは今、難しい局面に突入しているた。
その顕著な現れが債券利回りが上昇したことだ。これを受けて株価が下落したのである。
そもそも安倍晋三首相が打ち出した改革「アベノミクス」は失敗だという声が一部で上がりはじめた。これを「どう検(み)るか」である。
この見方には二つあると言う。
一つは、「経済再生を試みているのだから、日本経済は多少でこぼこして株価の急激な変動は仕方なく、一部の現象を捉えてアベノミックスは失敗だと言う声には失笑を禁じ得ない」という意見である。
現実に、国債利回りの上昇と中国製造業購買担当者景気指数の悪化を受け、日経平均が7.3%急落したことは事実である。
そして「確かに、アベノミクスが失敗する可能性はある」と、アベノミクス支持者たちは云う。更には、債券利回りが上昇しているから失敗だとか、株式市場が大きく変動しているから失敗だという話は枝葉末節な現象であって、こうした意見は根本を観ていないと言うのである。支持者たちの声には「それどころか、日本経済が復活するなら、その時には債券利回りが上昇しなければならない。また、株式市場というのは大きく変動するのが常だ」と云う反論である。
現象界の現実を見詰めると、日本再生プログラムにはリスクが伴う。それは事実だ。
しかし先週の一連の出来事は、そうした危険について何かを物語るものではないとする意見と、既に危険な冒険で終わると言う失敗論で意見が二分している。
さて、このような動きはどう見ればよいのか?……。
また、特に重要な意味などないかも知れないことだが、短期的な変動だと切り捨てるのでなければ、どう今の実情を解釈できるだろうか?……。
「インフレ率の引き上げ」と「金利の引き下げ」を同時に行うこと自体に無理があるのだ。両者は両立出来ないことであり、宇宙法則に矛盾するからである。もし、この矛盾を無理に押し通せば、その先は最も危険な「ハイパーインフレの最悪の事態」が到来する。日銀が輪転機で日本銀行券を刷り捲れば、極度なインフレが襲うことになる。この可能性が大である。
既に人類は第一次世界大戦後のドイツで、ハーイパーインフレーションを経験しているではないか。ベルサイユ条約の敗戦国に対する天文学的な戦争賠償金は、その後どういう現象を生んだか。そしてその後、ナチス党が擡頭したではなかったか。
更にはヒトラーが世界征服の野望を燃やして独裁者となり、第二次世界大戦を誘発したではなかったか。更に忘れてはならないことは、ヒトラーが独裁者になるシナリオの中には国際金融の大王ロスチャイルドが、ヒトラーに多額の資金援助を裏でしていたことだ。国際ユダヤ金融の総帥である。この歴史的事実を忘れてはなるまい。
債券市場が大きく変動したことで、黒田東彦・日銀新総裁への批判も出ている。銀行が保有している日本国債に損失が生じれば、経済再生に向けて銀行が貸し出しを行う能力も意欲も損なわれてしまうというのだ。そこにアベノミクスを失敗と判断する日本人投資家の声がある。
さて、どちらに傾くか。
円相場の暴落!
裏で仕掛ける国際ユダヤ金融資本が考えるシナリオとしては、近年に見る一種の傑作の方だろう。その裏には「日本初世界同時安の株価の暴落」の秘策のシナリオが潜むからだ。つまり、ハイパーインフレである。この可能性はあろう。
だが、その可能性を簡単に認めず、また予兆を感じ取ることが出来ないのが、悲しいかな現代日本人の実情である。
日本人アナリストも中国意見に対し、負けずに反論する。
「自国の為替レート を切り下げた、あるいは操作した国が、円安にしていると言って日本を非難できるとは聞き捨てならない話だ」と反発している。アナリストにしては実に感情的な発言である。
こうしたやり取りは、確かに「通貨戦争の様相」を帯び始めている。
だが、通貨戦争は一体誰が裏で仕掛けているのか、此処にこそ焦点を当てる必要があるのではないだろうか。(本文より)
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平成25年 『大東新報』6月号
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●戦後の“日本人”はどうなったのか?!
戦後の日本国民に外圧として取り組んだ課題は、自由・平等・博愛のスローガンに支えられた民主教育を日本人に培養する事だった。その培養によって、日本人は確実の改造され、日本人の家畜化工作は確実に遂行された。
民主主義では“個人の尊厳”がしっかり保たれると言う。人間の命は地球よりも重いと言う。誰もが御伽話(おとぎ‐ばなし)のような戯言(たわごと)を信じている。
これは個人の存在の意味を明確にさせ、「人の尊厳を勝ち取る」錯覚を作り出すが、その実は、誰もが“ひとかどの人物”とされる政治システム下では、裏を返せば誰一人、重要ではないと言うことになる。重要人物など、この政治システム下では、一人ひとりの尊厳など、問題ではないのだ。
日本人に問う。民主主義とは何か?
これに、明確に応えられる人は少ない。
その反面、自由・平等・博愛のスローガンを民主主義と思い込んでいる日本人は多い。果たして、このような生易しいものか。
一口に誰もが「平等」の名を口にする。
では平等とは何か。
民主主義の総本家アメリカでは、民主主義を標榜しながら、大半のアメリカ人が感じ取っている“自分たちの社会には途方もなく、複雑な階級制度が歴然と存在している”ということだ。この国では、何かを考えたり、何かを行動するとき、まず社会全体には「階級」が存在し、それを考慮しないと思考したり行動したり出来ないことである。その一方で「階級」は霧に包まれている。正体が歴然としない。複雑で微妙なる問題が横たわっている。
「平等」とは神話に過ぎず、背後に歴然とした階級があるのだ。
だが、日本人の考えている民主主義は、アメリカ人のそれとは異なる。そしてアメリカが建国以来、アメリカ人が「平等」を謳った憲法を作ったために、そこから派生する複雑で特殊な苦境が起こっている。その背景下に、アメリカでは社会の同意に基づいた、一人ひとりの自尊心を求めて、絶えず奮闘すると言う行為が、実はこの国特有の不安を生み出したのである。この落し穴に気付いている日本人は少ない。
則(すなわ)ち、自尊心を求めて一人ひとりの尊厳に奮闘する、「誰もが一廉(ひとかど)の人物」と言う国では、その言葉の裏を返せば、「誰一人、重要な人物は存在しない」ということなのだ。そして背景には「階級」が存在していることが浮かび上がってくる。自尊心とか、尊厳と云う言葉は、巧妙なカムフラージュに過ぎない。
その最たる証拠が、支配階級と被支配階級の色分けされた存在である。
これこそ「平等神話」に隠された、見抜けない階級が存在する証拠である。民主主義の主体になる「社会的平等」という表向きの“謳い文句”に多くの庶民は騙(だま)され易い。この政治システム下では、裏で階級志向が明確になり、「民主主義国家では、市民は取るに足らない存在」であり、また「微生物視される存在」なのだ。そしてこれを動かすのは、“民主”の名を借りた国家権力を施行する高級官僚によって、この国は管理・監督されている。
この戦後改革は、対日講和条約発効に至るまでの間、猛威を揮ったのだった。その挙げ句の「日本解体」だった。 この「解体政策」の中には、日本人が“自虐病”に罹(かか)るよう仕向けられた。先の大戦を反省するような「一億総懺悔(ざんげ)」が仕掛けられ、この病気は脳裡の中で従属制が強く、いまなお自虐病から回復する兆しは見られない。そして今日では「国際主義」の美名の下で、日本人は仕組まれて「欧米の優秀な奴隷」に成り下がってしまったのである。
この効果は、マッカーサーの「占領政策」によるところが大きい。
日本人は精神的にも物質的にも、また肉体的にも、思考能力的にも、改良され、彼等の優秀な奴隷に成り下がったのであった。そしてこの効力は今でも継続しており、その処方箋が、二重、三重に仕掛けられた為、長い間が効力を発揮し、誰もが欧米になびき、夢遊病者のように欧米に従い、追随する流れに乗せられているのである。
日本人ほど“科学的”という言葉が好きな人種はいないようだ。その一方で、文化的背景としては「社会科学」という文化的度合いを示す、貧困が横たわっている。この貧困の一つに、「世の中が悪いのは政治の貧困」とか、「生活が貧困に甘んじなければならないのは政治が悪いせいだ」とする、「一極・政治悪」に決めつけるところがある。
こうした“だれだれのせい”とする思考も、日本人特有のもので、その背景には社会科学の貧困がある。
そして政治の貧困や政治悪のせいにする根底には、「生活水準が低い」とか「経済的に厳しい」という現象を、もっぱら自身の物質的欲望の達成の為に、求めていう場合が多い。物がない、物が買えない、貧しい暮らしをしているといった現実を政治の貧困にすり変える考え方である。
しかし一方で、生活水準が高まるにつれ、物質的欲望のゆえではなく、社会的欲望ゆえに求められる場合がある。
そして金持ちと貧乏人との間に生ずる格差は、単に衣食住のような基本的欲求の充足程度に回帰されるのであるが、その格差が見られるのは、主に所得水準が比較的低い国に限ってのことである。
その理由として、日本は今日でも不況の直中にありながら、意外と食生活は裕福であり、世の中には不況旋風が荒れ狂っているのであるが、日本中24時間営業のコンビニは至る所にあり、そして未だに飽食に時代の余韻を引きずって、多くの日本人は生活をしている。喰えずに、餓死したと言う話は最近殆ど聴かなくなった。
つまり政治の貧困から来る日常生活は、実際には存在しないことになり、「食」に限って言えば、日本ではかなりの金持ちであっても、貧乏人であっても、ほとんど大差はないのである。そのくせ、ことあるごとに“政治の貧困”を揶揄してきた。これは流動的現実の把握が出来ない為であろう。
また、個々人に巣食う日本人の、思考における非科学性も見逃すことが出来まい。この非科学性とは、社会現象を科学的に思考する論理的能力の欠如である。この能力が欠けている為に、“科学的”という言葉を乱発しながらも、その思考様式は、たかだか技術的レベルで止まり、局部的にしか判断する能力がない。
名の通った最高学府の学閥で学び、そこの出身者であり、一見論理的能力を身に付けた人であっても、それは“一専門レベル”にしか過ぎず、全体的に流脈の解読をし、社会現象を制御対象と観て、これを考慮しつつ分析する思考能力は著しく欠如しているように思える。(本文より)
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平成25年 『大東新報』5月号
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●現代の世を司る側面
今の世は危機感を孕んでいる。
しかし危機感に対する警鐘は、あまり深刻に取られない。背景には希望的観測が横たわっているからである。そして誰もが希望的観測に縋る。
この社会構造を考えてみたい。
こうした社会構造が出来上がったのは、日本では、企業の組織に与(くみ)するという運命共同体の枠の中で、人生の大半を消耗させることが余儀なくされる。
大方、半分以上はこうした運命共同体の枠の中に絡め捕られ、この網の中で人生を経験していく。基本原則はこの共同体の中にあり、その中で、老後までの人生設計がなされる。やがて、社会の流れに上手く乗りながら、「要領よく」だけが、その後の生き方になってしまう。難解なことは考えなくなり、面倒臭いことは他人任せである。
この構図を能(よ)く検(み)れば、サラリーマンの場合、あたかも江戸時代の「水呑百姓的」である。生かさず殺さずの過酷な日常である。多忙に追われて利益追従に奔走し、誰も彼もが疲れている。
この側面には、企業と言う運命共同体に属する被代表の会社員は、代表権を持つ会社役員のために奉仕させられる現実がある。
時代は確かに封建時代を脱した民主社会の世の中であるけれど、現実は資本家に搾取させられる、かつての悍(おぞま)しい彼(か)の時代と殆ど変わらない。体裁だけが民主的を標榜しているだけである。
その一方で、封建時代で言う士農工商のうち、「士」を譬(たと)えれば官公庁などの役所の役人であり、農は企業の組織化に与するサラリーマンであろう。つまり水呑百姓である。
それは国運営の国家基盤であるから、実に皮肉なことである。
いつの時代も形こそ違うけれど、搾取されるのは、国家の母体と基盤をなす“底辺の百姓”である。
百姓の働きは大きい。賃金明細も明確である。それだけに明細に記載された数字な何よりも大きな意味を持つ。何しろ税金が取り易い。有無も言わせない。 この事実を決して否定出来るものではないだろう。最大の国家収入源になるからだ。
しかし、百姓は何故か体制側から騙され、搾取される。搾取のされ方は、資本家の余剰利益のピンハネ以上である。
水呑百姓的サラリーマンは、労働した働きに応じた賃金は果たして分配されず、経営者からピンハネされる上に、更に“合法的ピンハネ”の管理機構の「税金」という、国民の義務で搾取される。二重苦に喘ぐことになる。
これは封建時代のように、「いついつまでに年貢を納めよ」というものではなく、憲法に記載して“国民の義務”としているところに、体制側の無言の圧力がある。時代は変われど、底辺は何処かで搾取されているようだ。
世界の他の国に比べて、日本ほど税金の高い国はない。それでも沈黙と忍従を保ち、黙って、搾取する側の言いなりにされている。
百姓は徒党を組んで、連合を組んで、官憲に立ち向かう一揆(いっき)を起こす牙を抜かれているから、これらに対しては抗(あらが)えないのである。泣く子と地頭には勝てないのである。結局は泣き寝入りするしかない。
そして、日本人でありながら、現代日本人は日本国の税金が高いと、誰一人、疑問を抱かないことである。自分の頸(くび)が真綿で絞められているのにも関わらず、である。
その自覚症状喪失の大きな要因は、「国民の義務」という“まやかし”に、誰もが騙されていることであろう。
生かさず殺さず……というのが、百姓に向けられる世の中の掟(おきて)である。権力者の遣ることは、いつの時代も変わっていない。(本文より)
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●世界の罠に気をつけろ!
狩猟民族は動物を猟るだけでなく、人間までもを綺麗に狩りとってしまう。
幕末から明治初期に掛けて、日本は改革派と保守派に分類され、改革派の倒幕か、保守派の佐幕かに分かれて、国内紛争が展開された。日本を二つに分けての大紛争が起こった。そしてこれを仕掛けたのは日本人の意識からではなく、欧米からの外圧だった。
外圧の骨格は欧米であるから、当然そこには奥の院の指令者がおり、この一握りのエリートが、ある連中にターゲットを絞り、そこに罠を仕掛けるのである。一旦罠を掛けると、仕掛けは巧妙なため、日本人レベルでは必ず罠に嵌まるように出来ているのである。当時の欧米列強はこの一点に焦点を当て、次々に狙った獲物を仕留めていった。ターゲットとして絞り込まれて狙いが定められ、取り込まれて利用され、最後は御用済みとなって殺される。幕末期、こうした日本人が何と多かったことか。
慶応三年十一月(1869)坂本龍馬、中岡慎太郎暗殺。明治十一年五月(1878)大久保利通暗殺。明治二十二年二月(1889)森有礼暗殺。同年、外相の大隈重信襲撃。明治四十二年十月(1909)哈爾濱(ハルビン)で伊藤博文暗殺。この後も明治期に暗殺者は暗躍する。
大正十年十一月(1921)原敬暗殺。昭和五年十一月(1930)浜口雄幸狙撃され後に死亡。昭和七年二月(1932)蔵相の井上準之助暗殺。同年五月、犬養毅暗殺など、近代史ならびに近年史は暗殺の歴史で彩られている。
その兆候が幕末から明治に掛けて、欧米列強の罠によって仕掛けられたのであった。(本文より)
昭和史の初期には、何か冥(くら)い陰が付き纏っている。
今でこそ日本はスパイ王国などという。しかしスパイの横行は、何も戦後に始まったことではない。戦前もあったし、戦中もあった。日本人の皮を被ったスパイどもが、内地でも大陸でも大手を振って闊歩(かっぽ)していたのである。
日本陸海軍の高級参謀や将官らが、欧米から操られインスパイア(inspire)されていたのは有名な話である。欧米駐在武官経験者らは、ある種の親睦団体の会合などに出席を求められ、巨大な威力を見せ付けられて思想工作されたり、洗脳工作をされるのである。フリーメーソンなどがその役割を果たしたという。高級メンバーに推挙される者まで居た。その後、巨大な国際勢力の思うがままに操られる。
その中でも有名なのが、レイテ沖で敵前逃亡した第二艦隊司令長官の栗田健男海軍中将である。
この提督は、イギリスのMI6(Military Intelligence section 6/エムアイシックス、 軍情報部第6課)に吹き込まれてインスパイアされていたのである。
栗田中将が戦艦「榛名」麾下艦隊を、謎の“北への反転”を命令を出した理由は、これで明確になろう。
また、米内光政、山本五十六、井上成美らは水行社のメンバーで、フリーメーソンの高級メンバーだったが、これは海軍上層部だけでなく陸軍上層部も、外国の思想に討ち取られてしまっていた。欧米の支配中枢に思想洗脳されたグループである。
海軍がアメリカの思想に染められたなら、陸軍はソ連の思想に染められていた。否、軍のみならず、政界もソ連の思想に染められていた。
終戦間際に、陸海軍や政府中枢が、「ソ連による和平仲介」という甘い幻想を抱いたのは、大正時代からのソ連の宣伝工作活動が相当に効いていたからであろう。白人スパイ組織の手口に、まんまと引っ掛かったのが、戦前の日本である。
日本人はちょろい。
海外から日本人は、このように検(み)られている。融通の利かない生真面目さが仇(あだ)になっている。
そうした見方は、戦前からあった。そして海外の情報要員からすれば、一番ちょろいのは独断的正義を降り舞わず政治家か、軍人や官僚だった。
謎の怪死事件の張本人の佐分利貞男も、情報要員の爪牙に掛った可能性が強い。
今日でも海外の情報要員は大使館、領事館、通商代表部、貿易会社、航空会社などに配属される。
これは旧ソ連のKGB(FSB/ロシア連邦保安庁に権限を移行)でも、アメリカCIAでも同じである。要員は派遣された国で情報提供者を組織する。末端細胞を培養し始める。金品と色仕掛けと利権で買収する。根刮ぎ買う。こうした「草の根運動」を緻密に遣り、工作活動を行う。手口は巧妙である。素人など、ちょろい。
これは情報収集細胞を作り上げるために養成するのである。
こうして作り上げられた細胞分子は、宗教家や文化人、報道関係者や有識者などに取り憑く。このようにして作られた細胞はその後、分裂と増殖を繰り返し、一国で何万人もの規模を形成する。金と女で買収するから、日本人はイチコロである。(本文より)
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