スポーツライター/宮川 修明      

●内弟子制度について

 此度、曽川和翁宗家の依頼により、内弟子制度について第三者の立場として、問い合わせ各位の質問に対し、それに答える意味で、筆を取らせて頂いた次第である。
 これまで多くの方が、問い合わせに殺到したと聞く。そして問い合わせの質疑と回答を一応整理してみた。
 これによって少しは、内容が把握できるのではないかと自負している。

 さて、問い合わせ者の多くの方が、まず誤解をしている点を幾つか挙げてみたい。
 第一に、某空手道場の寮生のような、非常にハードで、心身ともに酷使する稽古が展開されるのではないかと言う内容のものが一番多かった。しかしこれははっきり言って違うので、以下述べる事柄を参照して頂きたい。

 第二に、満期終了した後には、どういう道が開けているのかという質問が、これに続いている。
 更にもう一つは、費用の面についてのことだった。
 そして痛切させられるのは、目的意識が不明確で、単に憧れや情緒だけで、ものを言っている人が多かったことだ。

 以上ことから、これに対し、曽川和翁宗家から、「これについて、一言客観的な立場から、意見を述べてもらえないだろうか」という、ご依頼を賜わったので、こうして私が筆を取った次第である。

 しかし「一言」では到底語り尽くせず、ついに説明が論文調の長文になってしまった観があり、これも偏に内弟子について、その内容を十二分にご理解して頂きたい願から発したものである。何卒、平に、ご容赦頂きたい。
 そして私自身が内容を述べるにあたり、「内弟子一日体験」をしてその感想から述べさせてもらうと言う形を取った。

 さて、「内弟子制度とは何か」と言う事について、まず、お答えしよう。
 この制度は将来において、「西郷派大東流合気武術」を、日本および世界各地に普及するにあたり、その先駆者として、あるいは尖兵(せんぺい)として、専門の指導者を育成する事を目的にした制度である。
 なお、本題を書くために曽川宗家所有の資料を参考にした。



●内弟子制度の目的を要約すれば、次のようになる

どこで、どういう先生(例えその人が著名な人でも)に、何を学んだかは問題ではない。実際には何が指導でき、何を会得したかが問題である。これは自身が「西郷派大東流合気武術」を、どの程度、掴み取ったかを問題にしているのである。
内弟子修行期間を通じて、その資格(段位や師範免許の紙切れ)を得るのではなく、どれだけ西郷派大東流儀法に精通し、どれだけの能力を有しているかと言う事が問題である。
すべての人間は各々に特異な、知られざる能力を持っているが、それを実際に具現化し、使わなければ、一生の宝の持ち腐れになり、その隠された特異な能力を、自分自らが発見し、開発し、更に「自分とは何か」という、人間としての根本玄理に迫る修業を目的とする。
以上の目的を遂行する為に、その根底に「礼儀正しさ」と「武士道精神」が宿っていなければならず、これを具体的に習得し、この精神を通じて、これを実社会に広く還元する。武術家である前に、社会人たれと言うのである。
「人は武術家たる前に、まず、人間でありたい」これは常々曽川和翁宗家が申されている言葉である。社会的に評価されず、また、人間社会から遠ざかってしまった、「山篭り」的な武道観では、人民の心と支持を失う。
 したがって自他を社会から隔離する思考ではなく、むしろ俗事に交わり、「まごころ」を以て、人と接する「礼儀正しさ」を養うことを旨とする。

 以上の五項目が内弟子制度の主旨であるが、指導の中心課題は、あくまで心ある人々に対し、示唆を与えるのが目的であって、ただ強持(こわも)てだけでは、社会人として通用しないと言っているのである。



●将来、美術品を商いして、それを職業とする古物商を奨励している

 19世紀にかけて、ヨーロッパの政治を金融面からほしいままに動かした一族に、ロスチャイルド家ある。この一族は、今もなお、地球規模で巨大な大繁栄を見せ、その事業意欲は「不死身」とか「不死鳥」の名で呼ばれている。

 ロスチャイルド家は、かつてフランクフルトでは、零細な一古物商に過ぎなかった。ロスチャイルド家の富豪への物語は、フランス革命の少し前、一族の初代に当たるマイヤー・アムシェル(1743〜1812)が、フランクフルトで始めた「古物商」から始まる。時に、1760年のことだった。

 この時マイヤーは、古いお金を扱う古物商になったのであった。この古物商の第一歩が、同時に、世界を動かす金融王への第一歩であった。
 マイヤーは普通の人なら安易に見逃してしまう、“がらくた”でどうしようもない古銭に目をつけた。その古銭に、付加価値をつける為、安い古銭を買い取ると、持ち前の知恵を駆使して、手書きのパンフレットを作り、その上に、独自の創意工夫をして、顧客になりそうな人達に、このパンフレットを郵送したのである。

 マイヤーは長身で、肩をすぼめた学者タイプの、髭(ひげ)下には、いつも微笑を絶やさない、神秘的で、かつ穏和な性格な人だったと言い伝えられている。これはマイヤーが知的であることを物語っていた。つまり物事を冷静に判断し、「見通し」の利く人であったことを表していた。

 当時の時代背景としては、封建時代の真っ只中にあり、封建君主が君臨して絶対王制の時代であった。この時代、一般の人々は古銭蒐集(しゅうしゅう)などに全く興味がなく、見逃し、見下しがちで、“喰う為に精一杯”の時代であった。
 ところがマイヤーは、視野の広さを持っていて、一般の人が見向きもしない古銭に目をつけ、これに付加価値をつけることを考えたのである。

 当時古銭などに興味を抱く階級としては、王侯貴族や富裕の商人層であり、そこでマイヤーは知恵を絞り、こうした階級に、興味を抱く趣向を凝らしたのである。マイヤーは顧客開拓の為に、あの手この手を使って彼等に接近を図り、遂に、支配層に食い込むことに成功したのである。
 そしてフランクフルト地方の領主、ヘッセン・ハナウ家のウィルヘルム公に、古銭を売り込むチャンスを掴んだのである。

 マイヤーは周知の通り、下層階級出身のユダヤ人であり、少年の頃からユダヤ教の導師ラビについて、中東やヨーロッパの歴史を学び、語学を勉強し、ヘブライ語をはじめとして、英語、フランス語、ドイツ語を学んだ。こうした教養が、普通の人ならば古い貨幣に過ぎない、古銭に独特の付加価値をつけることを思いついたのである。

 古今の貨幣について、「お金の由来」を語るマイヤーの“口上書”は、当時の領主や富裕貴族に、大いに共感を呼び、そして受け入られた。
 この事実は、当時、ユダヤ人は下層階級のユダヤ人が多く、この階級から王侯領主や貴族に受け入れられることは異例のことであった。

 しかしマイヤーは、そんなことはものともせず、ついに王侯貴族に面識を得たのであった。そして面識を得た後、マイヤーが、かつて勉強した歴史観や語学など、その側面の教養面は、大いにこの階級の人達の心を掴んだのであった。

 王侯貴族に面識を得、領主達の間に取引が成功すると、マイヤーはユダヤ人街に「ウィルヘルム公の宮廷御用商人、M・A・ROTHSCHILD」の看板を掲げ、ここに“ロスチャイルド商会”が誕生したのである。まさに、人生を生きる為の、彼の「知恵の開花」といってよかろう。これが当時の政治力と結びつく第一歩であった。

 ちなみに「ロスチャイルド」は英語で、「赤い楯」という意味である。フランス語では「ロチルド」、ドイツ語では「ロートシルト」と発音される。何れも、「赤い楯」の意味であり、マイヤーがロスチャイルド家の始祖として、これを紋章にしたことから始まっている。また、「赤い楯」の屋号を、そのまま“姓”として使い、今日に至っている。

 

刀剣市場にアシスタントとして、オークションの手伝いをし、“丁稚”として出勤する曽川竜磨。

 有名な刀剣市場のオークションでは、ジーパンやラフな恰好は、古物商許可を所持していても、入場は許されず、背広にネクタイが常識となっている。

 これは日本刀や甲冑などの古美術品のオークションが、他の市場と違い、ステータスであることを物語っている。

 (写真は、平成21年1月30日に陸上自衛隊を退職、翌31日より“内弟子見習”として仮入門し、このテスト期間を終えて、同年2月22日に、正式に入門を許された曽川竜磨。刀剣市場への出勤前の模様)

 

鎧兜や刀剣などの古美術品を商いする古物商を目指す。

 口先ばかりで、自称“武術家”と称しても、年から年中、経済的に困窮しては、思うような人生設計は出来ない。ハングリーでは何もならないのである。
 最低限度の、喰う為に経済基盤が必要である。

 職業武道家でも、道場の運営と倶(とも)に、経済的な“喰う為の糧”が必要である。
 尚道館・陵武学舎では、武術と倶に、美術品を扱う古物商としての職業を奨励している。また、甲冑などの古美術品や刀剣類などの鑑定なども内弟子に指導している。

 尚道館・陵武学舎では、内弟子たちが見事に年間の内弟子修行に耐え、その暁(あかつき)には、道場開業だけではなく、喰うに困らない経済力を身に付けさせる為に、「古物商許可」を取得させ、刀剣や甲冑や古美術などを商いして、富裕層や上層階級に食い込む為の政治力を身に付けさせ、上層部からの組織作りの方法を指導している。

 武術家と雖(いえど)も、霞(かすみ)だけを食って生きることは出来ない。やはり困らない程度の経済力を有し、妻子を養って、道場基盤の地域では人から尊敬される「有志」に育っていかなければならない。その為にも、ロスチャイルド家の繁栄に習い、経済力を身に付ける方法を指導するのである。

 幕末から明治にかけて、榊原鍵吉(さかきばら‐けんきち)という凄腕の剣豪が居たことは、武道愛好家なら誰でも知っていることだろう。
 しかし榊原鍵吉は、「理財の才」がない為に、徳川幕府が解体され、明治になった世では、サーカスの曲芸師として、辛酸かつ惨めな生活を送ったことがあった。もし、榊原鍵吉の「理財の才」があったら、彼の直心影流は、もっと違った形で発展していたであろう。

 世の中の社会構造は“支配する側” と“支配される側”に二分される。しかし、“支配される側”の子弟を数百人・数千人と集めたところで、大勢には影響ないであろう。所詮(しょせん)烏合の衆であろう。大衆集団はこうしたものである。
 ところが“支配する側” の子弟を、少数精鋭主義で組織し、政治的な力と結びつけば、それは将来強大なものとなる。それには、人を動かすだけの資金力も要ろう。だから「理財の才」も必要なのだ。

 かつてロスチャイルドの始祖マイヤーが、古銭に付加価値をつけたとき、一般庶民は古銭などには目もくれなかった。喰うに精一杯で、毎日毎日、その日の生活に追われていた。
 ところがマイヤーは、一般人の多くの、誰もが見向きもしない古銭に眼をつけ、これに付加価値を付随させた。これがロスチャイルド家の「赤い楯」「五本の矢」につながっていくのだ。

 ちなみに「五本の矢」は、マイヤーの五人の男子を指す。長男のアムシェル、次男のサロモン、三男のネイサン、四男のカール、そして末弟のジェームスを「五本の矢」は現している。そして“ワーテルローの会戦”で、乱世の計略に長けるロスチャイルド家は、最後の最後まで、ナポレオンを食い物にしたことは歴史的にも有名である。

 ロスチャイルドの始祖マイヤーが、誰も見向きもしない古銭に眼をつけ、これに手書きのパンフレットを添えて、領主や富豪の商人に、これを郵送して顧客を見つけたという行為は、現代の世にあっても、一種独特のロマンを感じさせる事実である。マイヤーの富豪への第一歩は、古物商を選択したことでもあった。
 今日、ロスチャイルド一族が、世界に及ぼす金融経済の影響は強大であり、その善し悪しの有無には関係なく、生きるに精一杯であった時代、古物商としての出発は「先見の明」があったといえるだろう。

 こうしたロマンに肖(あやか)り、日本刀や甲冑などの古美術の勉強をしてみるのも、武術家として生計を立てて行く将来を考えれば、決して無駄ではないであろう。



●「内弟子日誌」記載の義務

 わが尚道館・陵武学舎の「内弟子制度とは何か」というと、一口で言って、吉田松陰の松下村塾のようなものであると答えることが出来よう。
 “教える側”と“教わる側”を区別するのではなく、自他共に教える先生であり、またある時は、自他共に教えられる生徒であり、人間は「お互いに砥石」であり、人から磨かれつつ、時には人を諭(さと)す砥石にもなるのである。そして此処では、内弟子が“脇役”や“受身”になるのではなく、内弟子自身が、人生の主人公になるのである。気概をもって、自身が自立し、自主独立の精神を示すのである。

松下村塾跡
松下村塾室内

 内弟子の修行をしながら金銭的な確保の為に、アルバイトをすることも可能である。
 アルバイトなどを行う人は、正午より「8時間以内」は自由時間となるので、内弟子期間中に副業をすることは自由である。
 稽古のある日は、午後9時半まで道場生と混じって“夜の部”の道場稽古。一日の反省を行った後、「内弟子日誌」を記載し、午後11時ころ就寝。
 以上、規則正しい「修行者の生活」が繰り返され、こうしたことは将来道場を開設した時、大いに役立つようにプログラムされている。

 注意事項は、内弟子本人に「求道の精神」に委ねられるので、自分から求めていったり、探究心がない場合は、後進者に追い抜かれ、あるいは途中で挫折していくようだ。
 特別なカリキュラムは、道場側から押し付けるものは何もないが、「内弟子規定」に定められている8時間以上のアルバイトが、朝早くから夜遅くまでというように、それが内弟子生活の主体となったり、人からの借金や、ローンやサラ金などに借金を抱えていて、経済的に困窮している人は、内弟子は勤まならいので、こうした考えで、安易な気持ちで入門を考えている人は、お断りしている。

 内弟子は、外から習いに来る“一般の弟子”と異なり、内弟子としての人間性と品格が必要になる。その中心課題は、自分の将来に向けての向上と飛躍である。

 自分の人生設計は、自分自身に責任があるように、自分の修行は、人から与えられるものでなく、自分自身でプログラムしていくことが大事なのである。したがって、「人生の計」というのを自分みずからで設定し、それに向かって邁進(まいしん)するのが陵武学舎の「内弟子の姿」なのである。
 また、内弟子期間の「内弟子日誌」をつけることは、内弟子の義務であり、これをきちんと記入していくことが、同時に人生の記録に蓄積されていくのである。そして本当の「人生の計」も、此処から始まるのである。

内弟子は日本刀の手入れなどを通じて、刀剣商や美術品商としての将来の職種のプランも立てていく。
  まず経済的に安定することが大事である。喰えない武術家では何もならないからだ。
 したがって「目利」きになる為の“眼”も養っていかなければならない。
また内弟子は、鎧甲冑などの古美術品の掃除や手入れなどを通じて、扱い方や美術品市場での相場などの「勘」を身に付けていく。
  武術と武器の関係は、古来より切っても切れない関係にあり、その良し悪しを見抜く“眼”が、同時の己の身を護ることにも繋がるのである。


【内弟子として、適性が不適合な人】
 以下、過去の悪例と反省による。

体形・体格的には中庸で、痩せ過ぎや肥満体の人は不適合である。適合者の体形は中庸であり、体重は64kg以上75kg以下であること。また成人病や生活習慣病などの、糖尿病や脂肪肝を患っていないこと。
鬱病(うつびょう)や神経症の人、その他、統合失調症などの精神障害を持っている人は不適合である。あるいは静止や静坐していても、体が揺れたり、一点に静止することが出来ない人も同じである。性格粗暴者や精神異常者、性的異常者や変質者も不適合である。
呼吸器系や耳鼻咽喉系に障害を持っている人は不適合である。わが流は呼吸法を重要視するため、呼吸における吐納は非常に大事なものである。蓄膿症などで鼻づまりをしていて、口でしか呼吸が出来ない人は、呼吸法の間違いが生じやすく、精神障害を起こしやすい為である。また、喫煙者も不適合である。
 更に、食事の際の咀嚼時に、口が開いたり、ぺちゃぺちゃと音を立てて食べるような、品格のない鼻づまり人間も不適合である。ただし、弱視や難聴は体感(第三の目や第三の耳)で克服できるので問題がない。
過去に格闘技やスポーツ、その他の事故や怪我で、肩・肘・腰・膝を負傷し、膝や腰を痛めて「静坐」が出来ない人、肩や肘を負傷していてこの部位を動かすと痛みを感じる人は不適合である。
 特にわが流は、長時間静止する「静坐」を行ったり、剣術における剣の素振りを行い、あるいは棍法である腕節棍・五尺杖・六尺棒・六尺袋槍などを修練し、更には長槍術などを修練するので、肩や肘に障害のある人は不適合である。
性格的に頑迷で頑固、思考的に先入観や固定観念が強く、信念がなく、優柔不断である人は不適合である。
 また、「修行をする」という認識がなく、掃除・洗濯・炊事・炊飯・買い物・料理などの日常の一切を、自分から進んでやろうとしない者は不適合である。「下積み生活」の苦労を自分から買って出ない者は不適合である。
出身地においてきた妻子や、恋人が気がかりな人は不適合である。また、“恋慕の思い”が激しく、携帯電話でしょっちゅう連絡を取る人も不適合である。故郷を離れてホームシックに罹り易い人も同様。
多額のクレジットやローンを抱えていたり、他人から多額の金銭を借り、あるいはサラ金などの高利の債務を抱えていて、経済的に困窮している人は不適合である。経済観念がなく、浪費型の性格で、金銭感覚のない人も不適合である。
礼儀知らず、恥知らずは不適合である。恥辱に対して、鈍感な者は不適合である。
 また、態度や姿勢の悪い者、靴の踵を引きずって歩く者、言葉使いの悪い横柄な者など、自身に「けじめ」をつけることを知らない、態度の毅然としない者は不適合である。
 また、年長者を敬わず、オタク意識を振り回す者は不適合である。 更に、任かされたことに責任を取らず、責任回避をする者は不適合である。
観察眼の疎(うと)い者は不適合である。慎重さに欠け、配慮に欠け、先を読もうとする心がなく、緊張感がなく、“見逃し”や“聞き逃し”のある粗忽者(そこつ‐もの)は不適合である。
 また、思い上がりの激しい人、思い込みの激しい人、素直でない人、固定観念や先入観の強い人は不適合である。更に、マスコミに翻弄(ほんろう)され、流行に踊らされる人は不適合である。
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暗記能力に頼り、口先ばかりで、知識と実践を分けて別々に思考するような、不言実行が伴わない者のは不適合である。武道オタクも同様。
 また、他人の話をよく聞かない、聞き上手でない者は不適合である。 更に、「文武両道の精神」に欠け、技だけを学んで強くなろうと思い、思想を学ぼうとしない者は不適合である。勉強嫌いも不適合である。

 以上が、内弟子として不適合な人であり、内弟子修行には一点の曇りもなく、晴れ晴れとした白紙の気持ちと、真摯な態度で臨まなければならない。また、内弟子とは厳正な審査によって、「選ばれたエリート」であることを忘れてはならない。

 つまり、内弟子とは「選ばれたエリート」である為、最初から統率力や指導力や運営力、更には無から有を造り出す創造力や企画力に富んだ基本的要素が必要であり、今は磨かれずにそそ儘(まま)になっているが、それを内弟子修行を通じて磨き上げていくというものでなければならず、技術的な才能や素質の有無は別にしても、既に「品格」を備え、「礼儀」を知り、「恥辱」に対して敏感で、「エリートたる要素」が最初から備わっている人でなければならない。
 したがって、誰にでも出来るというものではなく、リーダーシップのある、ごく限られた人になってくる。

馬術を通じて、日本武術の根本を探る。陵武学舎の内弟子は、総合的に馬術にも通じていなければならない。
 日本武術は、武芸十八般からも分かるように、「総合武術」の観が強い。したがって一種目や二種目程度でなく、最低六種目はマスターしたいものである。

 尚道館・陵武学舎の内弟子は、一般によくあるような、道場内だけの“畳水練”に終わることなく、古来より尊厳された武芸十八般を通じて日本武術の精神を学び、日本武術の中に西郷派大東流の「合気」があるということを自覚していくのである。
 したがって、「合気」があって、日本武術が存在するという傲慢な考え方を持ってはならない。謙虚に、総合武術として西郷派大東流を学び、その中には、以上のような馬術の修得も課せられているのである。また自然を敬い、「山稽古」などもする。

 さて、陵武学舎では「人生の計」を立て、それに邁進すると倶(とも)に、武術という分野を一種目に固執することではなく、武術全般を検(み)て、そこから本来の中心課題を学ぶということを教えている。したがって、“適合する人”と“適合しない人”がどうしても出てくる。
 内弟子としての適性の適合者は、次の通りである。

図形的な思考法で物事を考え、職人的な作業をしたり、数学的な発想をする人が、その適合性は大いにある。
 これは歴史的に検ても明らかで、剣豪・宮本武蔵などがそうであり、武蔵は単に剣技が優れていただけではなく、画家としても、書家としても国宝を遺(のこ)すほどの教養家で、他にも彫刻や刀剣、その他、鍔などの名品も後世に残している。
 また近年においても、名人や達人といわれる人は、図形的な思考力が出来、職人的な一面を持っていたり、数学的な発想をできる人が、その名をほしいままにしているようだ。
哲学的発想ができ、物事を深く掘り下げ、考え続けることの出来る人や、謙虚な反省力のある人がよい。自分には出来ないと安易に思うのではなく、最後まで考え続けることが、内弟子としての適性を示しているようだ。
“飽きやすの好きやす”ではなく、また“熱しやすく醒めやすい性格”ではなく、「修行」というテーマを、人間の一生と捕らえている人。そこには、才能や素質の有無よりは、根気のあることがその人の適性を決めるようだ。

 また、内弟子とは、稽古に通ってくる“外の弟子”とは異なり、「薪水の労をとる」と言うことが基本となるので、日常の一切のことを任され、これを日々の仕事とする。

 つまり武士道で掲げる「奉仕の精神」が必要になる。この事が分からなくなると、「内弟子」イコール「強化合宿の強化選手」と勘違いしてしまう。そして、この勘違いは、“自分の非”を棚に上げて、やがて挫折につながる。
 また、修行途中でアルバイトが主体になったり、病気や怪我などで帰宅日数が多くなると、「破門」あるいは永久追放の「絶縁」 を申し付けることがあるので、ご注意いただきたい。

 稽古は差ほど厳しいものではなく、一方で和気藹々(わきあいあい)とした生活を、曽川宗家のご家族と一緒に暮らし、そこから「人生とは何か」そして「武術とは何か」という最大のテーマを学んでいくことになる。
 将来に志を掲げ、世の中に大旆(たいはい)を掲げ、指導者とならん方は、ぜひ一度、わが西郷派大東流合気武術の総本部・尚道館陵武学舎の門を叩いてみては如何がだろうか。
 内弟子制度に関する詳細な内容は、下記のところにアクセスください。



詳しい内容については、
尚道館HP内「内弟子入門体験記」大東流ネットHP内「内弟子問答」
ご参照下さい。