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まず、足の構え方から説明すると、右半身に構えた前足の向いた方向である。これまで、合気道等の構え方を見てみると、「T字型」に形取った、足(脚)に、上半身は左右両手を伸ばした手刀構えを取る。これを合気道では剣の理合を活かした構えと言っているが、この構えは中心線上に左右の両手が並び、近代剣道スポーツの構え方に酷似するが、中心線上に、一列に並ぶこの構えは、ある意味で三角錐の形を模写したものと言えるが、実戦の場合、大きな問題点を抱えている。 その理由の第一が、「影半身」でないという事だ。中心線上には多くの急所である経穴が縦に並んでいる。中心線は人間の前面と後面に任脈と督脈と言う形で並んでいるが、これに加えて胴体幅約一尺二寸が、敵前方にもろに曝け出す結果となる。日本刀で斬り付けられた場合、こうした構えである場合、致命的な重傷を負う。 いわゆる「半身構え」と称しながら、実は半身になっておらず、体勢のそのものが敵前に対して相向しているということなのである。また正確に敵の動きを制する場合、迅速に対応できない欠点を持つ。 即ち、半身とは、「影構え」ということであり、頭・肩・腕・手が中心線上を一直線に縦に並ぶ事ではなく、真っ向五割を半分にしてしまう事であり、胴体幅一尺二寸を「六寸」に変えてしまう事なのだ。 このようにして敵の標的として捉えられる胴体並びに中心線を如何に小さく見せ、万一の場合、斬られたとしても最小限の被害でとどめるかと言う事が、穏陰之構の主体となっているのである。 第二に、敵に対して、日本刀なり手刀なりで、真っ向から構えた場合、袈裟斬りの集中砲火を浴びたり、あるいは素手の手刀で構え、徒手空拳の制空圏を自称する格闘技からは、突きや蹴りの散々な集中砲火を浴びる事は必定であり、まして相手が拳銃、弓矢、ボウガンで攻撃してくる場合、これを躱す余裕は全く無く、無惨に打ち倒されるというのが実情である。 喧嘩狎れしたストリートファイターや用心棒等をしている喧嘩師はこうした真っ向構えによる、愚かな構えをしない。自分の胴体を、真っ向五割にする構えが常識となっている。 第三に、「T字型」に形取った、足(脚)の三角錐理論である。立ち方の三角錐理論、あるいは安定度を保つ三角錐理論は、これが物体として制止している時はこれでも構わないが、動いている場合はどうだろうか。第一鈍重ではあるまいか。 更に鈍重だけではなく、T字型の前足が相手に対して「膝」をもろに露出しているという事である。つまり膝の半月盤を、敵に砕いてくれと言わんばかりに突き付け、膝の正面蹴りをローキックで蹴り込まれると言う事である。こうしたローキックは一種の関節を狙った関節技であり、逆関節に持ち込まれる恐れが有るのである。 実戦において、殴り合いで少しでも顔面叩きで正拳を突くと、喧嘩師はいきなりそうした手合いの正拳を無視して、振り出された正拳の腕の死角を突いて棒立ちになった膝にローキックを入れる事を得意としている。また棒立ちになった脚は、半ば地面に固定されている為、体重のある者程、しっかりと固定されていて、切れ易く、また半月盤を意図も簡単に損傷する。 自慢の必殺パンチを繰り出す腕は、自らの死角となり、腰から下の死角が遮られてしまい、なまじっか格闘技や競技武道をかじったばかりに思わぬ不幸を背負い込む事が有る。この事からT字型足構えは如何に危険かが解るであろう。 こうした事は、近代スポーツ剣道にも大いに共通するところで、剣術が剣道に改められ、日本刀が竹刀に変わった瞬間から、剣術は真剣を以て行う命の遣り取りと太刀合いから離れた。そして竹刀のみで優劣を競い、実戦から離れたという実用性が失われ、その戦闘意識も、ただ平坦な四角四面の試合場でぶつけられるものに変わってしまった。こうしたことが自然と、剣術の極意を失う結果となり、また左右の足の重心、更には体位の重心の気の下げる姿勢をも忘れさせ、本来摺り足という特異な足運び迄も忘れさせてしまったのである。 さて、西郷派大東流の足の構え(摺り足の重心を「拇趾球」で支える技法)は、穏陰之構に代表される次の通りである(イラストを参考にされたし)。 また穏陰之構は、長時間の正対にも耐えられるように「労宮」の経穴を圧する(口伝)と言う特異な一面を持ち、膝は十五度だけ裡側に向くと言うのが特徴である。これは槍の構え方であり、「影半身」を代表する構えである。
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