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技法の根源となる「ただ一つのこと」

合気武術
(あいきぶじゅつ)

●ただ一つのこと

 西郷派大東流の修行者が目指すことは、「ただ一つのこと」のことである。
 それは、「入身」により、躰(たい)を開き、対峙する敵の懐(ふところ)に飛び込み、敵の力と反発するのではなく、受け入れ、「受け流す」ことである。受け流せば、そこに力の揉(も)み合いや、競い合いは起らない。

 しかし、懐に飛び込むことが出来ず、これを懼(おそ)れ、反発し、跳ね返そうとすれば、当然そこには、力の揉み合いや競い合いが起る。力比べが必要になる。最早(もはや)こうなれば、力のある者が勝つことになり、弱者は苦敗を舐めることになる。この現世という世の中が、「弱肉強食の欧米論」で説かれることは、これからも明らかであろう。
 その為に、科学するスポーツの理論が必要になり、弱者も負ければかりで口惜しければ、ひ弱な肉体を鍛え上げ、筋肉を付け、同等に対峙(たいじ)できるくらいの筋力とパワーを筋トレによって補わねばならなくなる。

 しかし、この考え方は、何処までも、力は、力によって対抗し、力でねじ伏せるという、このジレンマから抜け出せない考え方である。
 十代後半から二十代、三十代、四十代までの、初老に差し掛かる時期までは「肉体力万能主義」で押し通すことが出来るであろうが、五十代に差し掛かり、無理に筋トレに励めば心臓肥大症になる恐れが生じる、人生中盤からは、こうした考え方も徐々に通用なくなる。

 それは外筋という筋肉には年齢とともに、乳酸が多く派生するようになり、これが伸筋と屈筋に疲労を加え、外筋を衰えさせるばかりでなく、骨にまで影響を与え、特に椎間板といわれる、部分から水分を失わさせてこれを萎縮させ、左右のバランスを歪(ゆが)めていくのである。

 また、このアンバランスが、伸筋か屈筋かに異常変化を与え、緊張あるいは弛(ゆる)みを生じさせることになる。肉体が崩壊していく過程のメカニズムには、こうした左右のアンバランスと、椎間板からの水分の喪失がある。

 これがやがては、腰骨に崇(たた)り、腰骨関節の仙腸骨に異常を与え、それらの関節を弛める元凶を作っていく。腰痛を初めとして、坐骨神経痛や肩凝りなどが起り、最後は頭蓋骨(ずがいこつ)の縫合(ほうごう)や関節まで弛め、血液の汚染とともに、アルツハイマー型痴呆症までもを引き起こす。
 若い時に、力み、無理をして肉体を酷使した人は、意外にもこうした病魔に襲われ易い。

 年齢を重ねるという「人間現象」は、確実に肉体を弱らせ、長年の生活環境に汚染され、病気に罹(かか)り易い肉体環境を作り、その先は死である。誰しも、人は死から免れない。幾ら科学が発達しても、また、医学に革命的な発見があったとしても、人間の命を永遠にこの世に引き止めることは出来ない。何びとも、やがては死ぬのであり、せいぜい長生きをしたとしても、百年止まりである。
 その先、生きていたとしても、肉体力万能主義の考え方からすれば、百と何歳かを過ぎた、かつての往年の武道家や格闘家が、若者相手に、まるでボロ雑巾のように投げ捨てる柔道や相撲のような場面は絶対にないであろう。

 それでなくても人間は歳をとる。生きているということは歳をとることだ。歳をとるということは、同時に肉体力が弱くなり、それだけ病魔に襲われ易い体躯(たいく)となるということだ。
 五十の人生の曲がり角に差し掛かったとき、人だ誰しも、自分の肉体力の衰えを感じる。一昔前の自分の体力が、もう自分に備わってないことに気付かされる。坂道を上っていても、山道を登っても、あるいは5、6分走っただけで、それだけで息切れをしている自分に気付かされる。ここで人は、自分自身を顧みて、「つくずく歳をとったなぁ」と、溜息とともに、老いた自分に感慨深さを口にするのである。

 ここに自分の肉体が、若者の肉体とは異なってしまったことに気付かされるのである。筋力が衰え、反射神経も鈍くなり、力を、力で対抗できなくなる。これを回避する「術」が、実は「合気」である。だが、一言で「合気」といっても、その考え方や術理は様々で、「合気を会得するのは並大抵のことではない。行き着くまでに、厳しい日夜の稽古が必要となる。

 しかし、一旦これを身に付けると、自分には、もう一つの、別の力が備わっていることに気付く。何も筋肉は、「外筋」ばかりではなかったことに気付く。「内筋」の働きがあることに気付く。裡側(うちがわ)に迸(ほとばし)る新たなる力を観(かん)じる。この「内筋」を武技の応用させたのが「合気武術」である。

 「合気」を会得するに至って、それまでに修行を重ねてきた各々の技法は、その性質、威力共に大きな変貌を果たす。
 即ち、柔術ならば「合気柔術」、二刀剣ならば「合気二刀剣」、槍術なら「合気槍術」というふうに、合気を加味することによって、あらゆる技法は完成を見る。これらの動きは、円運動に取り込まれ、旧運動に行き着いて、やがては巧妙な螺旋状(らせんじょう)の「絡みつく力」や「うねる力」が生まれる。この応用範囲は、実に広い。

 ただし、ここで修行が終わるということではない。
 重要なのは、合気という「悟り」を得た後に、それを用いて何を為すのか、ということであり、単なる戦闘上手に留まっていたのでは、限りなく拡散する自我(じが)を満足させるだけの、無用の長物に成り下がってしまう懼(おそ)れがある。

 そこで浮上してくるのが、日本古来からの良き規範、究極の行動原理とも言うべき「武士道」なのである。
 わが西郷派は、人間の「行動律」に伴い、「知行合一」の陽明学の行動哲学と合体させて、武士道を実践するのである。それは、ま「礼」に回帰することである。人格を養うとともに、品格を養い、人間としての「明徳」を身に付けることなのである。

 日本陽明学の開祖・中江藤樹(なかえ‐とうじゅ)は次のように説いている。
 「武士道とは、明徳を明かにして、仁義を行って、天下を太平にすることであり、文武の統一を為さねばならない」と。

 「文」とは、天下国家をよく治めて、人間関係を正しくすること。
 「武」とは、悪逆無道の者が文の道を妨げる時にこれを懲罰したり、成敗したりして、天下国家の秩序を回復することである。

 文の道を実現するためにあるのが武術であり、武の道の根本は他ならぬ文である。
 よって、両者は表裏一体の、車の両輪のようなものであると言えよう。
 真実の武術とは、我が心の内の「明徳」が明らかである時、自らの為すべき所に従い、何事にも心を乱されず、大勇をもって断じてこれを行う「術」なのである。自分が武術を修行する背景にこうした燃えるような志が存在するから、人は修行に打ち込み、それを学ぼうとするのである。

 日々の修行の中で得た武力と叡智は、武士道を通してのみ存在意義を確立することが出来る。
 それこそが、真の「合気武術」であり、合気の修行者が到達するべき境地なのである。そして、自分のみにつけた武術の「術」に溺れることなく、謙虚に物事を見回し、何事にも鋭い観察の眼を向けることが肝心である。

 この世の中は、現象界である為、そこには必ず、何処でも「人間現象」が起っている。この「人間現象を徹底的に究明し、研究して、その背後に隠されているものを見抜かねばならない。人間は、表面だけで動いているのではない。その表面の裏側に隠れた心というもので動いているのである。

 人の心を見透かし、その心の動向を知れば、無益な戦いはすることがないだろう。意地になって競い合うこともないであろう。和していけばよいのである。溶け込めばよいのである。一つになればよいのである。
 わが流で説く、「ただ一つのこと」のこととは、これを言うのである。

 

●西郷派大東流が説く合気武術概論

 合気の術理は、指導者により、まちまちである。論理も考え方も、武術的な行動律も、その捉え方も、それぞれに流派によって異なっている。また、何某かの術を得るまでのプロセスも違えば、練習方法も異なり、これをトレーニングにするのか、稽古にするのか、はたまた、修行にするのか、こうした言葉一つ上げても、その考え方は十人十色である。それぞれの考え方に、尤(もっと)もらしい理屈があるようだ。

 ただ一つだけ、はっきりしていることは、「合気」といわれるものを、「人間が遣っている」ということである。
 人間には、人それぞれに特技があり、才能がある。才能に恵まれ、素質に恵まれた人は、武術史の歴史の中では、武勇の名を残す人が少なくない。こうした人は、武道評論家達から天才と呼ばれ、名人と呼なれた。だが、これらの人も、許(もと)を質(ただ)せば人間であり、別に超能力を身に付けた人でなければ、また、そこで行われていることは、神懸かったこともで、神秘的なものを演じているわけでもない。絶え間ない努力の結果である。

 ごく普通に行動し、ごく普通に呼吸をしている。人間は水冷式の哺乳類の形態をとり、「生きとし生けるもの」の一つである。しかし、人間が何かのはずみで発想を変えたとき、そこにはこれまでとは異なる別世界が現れる。閉じ籠(こも)った世界観からは決して観(み)ることの出来なかった、新たな発見に気付くのである。

 世の多くに人々は、決められた固定観念に基づき、常識という「分別」に従い、定められた世の中を生きている。しかし、この「分別」は単なる知識の世界であり、「分別知」に基づく人間を、固定的に作り出しているだけである。こうした固定観念から抜け出すには、これまでの先入観を一掃し、知識で得た常識を排除し、発想の次元を新たにして、異次元で、「無分別智」に基づいた考え方をしなければならない。これが研究熱心の「心」を養い、創意と工夫が出現するのである。
 その為には、どんなに小さな現象を見逃してはならないのである。よく観察し、創意と工夫を凝らすのが、「無分別智」への第一歩である。

 「合気」こそ、その「無分別智」の最たるもので、肉体力に頼らない、「内なる力」を使う武術である。
 多くの武術や競技武道、あるいは格闘技の多くを見ると、その殆どが、平面上を、横に振り回す動きに集約されている。つまり、特に拳で殴りつける、前蹴りや横蹴りで蹴るなどの行動は、総て平面上を横に回転する動きであり、それを行うのはそれ相当な力が要る。

 つまり、引力に逆らい、息を止めて力んだり、気合によって剛力を発揮させようとする、一種の吐納法の誤りから来る「外筋発揮」である。「外筋発揮」させる為には、パワーとスピードが必要なのである。その為に、筋トレで鍛え上げた外筋力と、スピードが必要になる。若いうちはこれでもよかろうが、歳をとると、些(いささ)か辛い肉体酷使となる。つまり、繰り返すが、「重力に逆らっている」からだ。これでは「重力と一つになる」ことが出来ないのである。

 また、困ったことに、外筋を鍛える為に筋トレを行うと、そのスタミナ源をどうしても肉食や乳製品などの動蛋白に求めることになり、食事は一挙に欧米化する。食生活が、欧米の動蛋白中心の食事になってしまうのである。よく肉体を動かす為には筋力とそれに付随する運動神経を養う為のスピードが必要になり、スピードを上げて行く為には、今日の現代栄養学的なスポーツ理論を中心としたカロリー栄養食が必要になる。
 しかし、カロリー神話に毒されている為、スポーツの論理からは解脱することが出来ない。

 則ち、よくスポーツする為には、よく食べることが必要であり、そのエネルギー源を動蛋白に求めてしまうことである。そして、スポーツの論理は西洋科学からなっている為に、力の出所の解明も、科学的でなければならないと考えるのが、昨今の常識であるようだ。
 つまり、行動の根源は、「食」であり、「食を摂る」ということに、西洋も東洋も同じ考え方であるが、問題は「何を食べるか」であり、洋の東西はこれが大いに違うようだ。
 その為に、「パワーの論理」も、根本的に異なっている。また、西洋的発想では、肉体力主義に固執する。つまり「重力に逆らう為」に、パワー理論が必要なのである。

 しかし、発想を変えて、重力に則した動きをすればどうなるか。
 当然そこには、重力を味方につけ、更には相手の飛び込んでくる力をも、貰い受けるのであるから、それだけで威力は倍になるというものである。
 この計算式は簡単な「足し算」である。相手の「襲い掛かる力」+「その力を受け流す力」+「自分の僅かな力」+「味方に付けた重力」が、非常に簡単な足し算である。この足し算の結果、こちらは力まないでも、相手は自ら墓穴を掘る事になるのである。

 では、その為にはどうすればよいか。
 重力方向に、行動線を縦方向に切り替えることだ。この「縦に動かす」というところに、「合気の秘訣」がある。行動線を横から、「縦」に変更するのである。

 また、人間はその行動線の殆どが、「上肢」に頼っている為、例えば、ポケットに手を突っ込んで歩いていて、転んだ場合、ポケットの中に手を突っ込んでいては、中々起き上がることが出来ない。つまり、上肢が不自由になれば、人間の大方の行動は制止されてしまうのである。
 また、攻撃してくる上肢の力の方向を変えてやれば、それはこちらには届かない。

 喩(たと)えば、腕を抑えられて、それが地面方向に、重力が引き付ける「ジオイド方向」に力が働いている時、これから逃れて起き上がることは容易ではないであろう。これは簡単な、基礎物理学の「万有引力の法則」が働くところである。

 更に、手頸(てくび)関節や肘関節を逆に捕られた上で、こうした状態になっている場合は、起き上がり、即座に反撃することは不可能であろう。
 つまり、敵対する相手に不自由を強(し)いれば、敵は容易に反撃をすることが出来ないのである。また、襲い懸かる場合、その力が強ければ強いほど、損害を受けるダメージは強くなる。出し過ぎる力は、奪われるからだ。逆利用されるからだ。

 合気は、「崩し」の中に、その秘訣があるといえよう。
 この「崩し」は、柔道の崩しと異なるのは、柔道はもっぱら下肢を主体にして崩しに懸かるが、合気は上肢を主体にして崩しに懸かる。それは「合気揚げ」などの、手解きの「抜き手」の状態から、これを揚げる時に、ほんの少し、崩れる一瞬の隙(すき)が起る。この隙を利用したものが「合気揚げ」である。
 つまり、肩を縦に、円を描くように動かし、その躰動が手頸を掴んだ相手や、肩を握った相手に影響を与えるのである。その時に、肝心なのは術者の腕が「三角形のフレーム」を作っていることである。

 しかし、これもやがて限界があることに気付く。それは「触れる」あるいは「握る」「掴む」という行為が伴ってこそであり、これを無視した行動の中では、そう簡単に決まるものではない。

 合気道や大東流柔術の演武会などの派手な動きを見ていると、人間が簡単にポンポンと飛び交うが、実際にはそれほど簡単には運ばない。弟子という協力者が居てのことである。これが赤の他人なら、容易ではなく、また、自分の立っている現場が戦場ならば、こうした戦闘ステージは一新される筈(はず)である。予期しない、一寸先の運命に、「約束事」は通用しないからである。

 演武会で演じられる演武の対象は、術者としての「捕り」を決め、被術者となる「受け」を決めることから始まる。そして「受け」は、「捕り」との間に交わした約束通りに「受けを演じる演武」が開始される。
 この場合、「受け」は「捕り」に対して、「手頸を掴む」「腕を取る」「袖を掴む」「肩を掴む」「後ろから抱え込む」「拳で攻撃する」「横面で切りつける」「前蹴りや横蹴りを繰り出す」「坐っている座布団を掴んでくる」などの攻撃法で、ある一定の決まったパターンで攻撃を開始する。そして、約束通りに、ポンポンと投げられる。

 しかし、こうした攻撃が、真剣を躱わしたり、手裏剣や飛礫を躱わしたりの条件とは異なっている。この条件下で、術者が攻撃側を封じれる条件は、躰の一部を「触れる」という行動がない場合、幾ら術者が柔術に長けていても、巻きついた絡め取ったりしない限り、それは不可能というものである。合気は、空気を伝播(でんぱん)して飛んでいくものでないからだ。 「畳水練」に限り有効であるからだ。

 西郷派が、一柔術だけに固執しないのは、この為である。柔術にも、ある種の限界があるからだ。
 例えば徒手空拳の攻撃は、その殆どが拳大(こぶしだい)である。空手などの「貫手」を遣ったとしても、最小は「指の太さ」である。

 ところが、日本刀の剣先は、紛(まぎ)れもなく「点」である。尖先(きっさき)こそ、「点の一粒」である。この点は、1mm以下であろう。
 「点」とは、一次元的存在であり、三次元顕界(げんかい)から打ち出されてくる拳大(こぶしだい)のものや、下肢から繰り出される蹴りの足底(そくてい)、円踵(えんしょう)、膝頭(しっとう)、虎趾(こし)、足刀(そくとう)、足甲(そっこう)などとは、全く違う。
 この「点」を躱(か)わすのは容易でない。何故ならば、「見切り」が非常に難しいからだ。

 日本刀は人間の腕の延長として、恐ろしい速さで、尖先の点が移動する。そこには太刀筋というものがあるが、人間の眼で感得し、これを捌(さば)くのは容易でない。一太刀を躱しても、二之太刀、三之太刀が襲ってくる。襲い方は「乱射刀」である。

 これを躱わすには、太刀筋を読むことも大事であるが、「点」の見切りをすることが大事である。これは拳や足などと、わけが違う。したがって、これを躱わすには、剣術の「乱射刀」を同じ条件にたって修練しておかなければならない。日本刀の場合、もし、自らの肉体の動脈部の何れかを斬られた場合、僅か14秒でこれに対処しなければならない。14秒で、止血をしつつ、敵を制せなければならないからだ。最悪の条件を考えて、普段から稽古を積み重ねる必要がある。

 動いているものに、「見切り」を付けるには、まず、観察眼が大事であり、次に攻撃してくる時機(とき)「風(ふう)を読む」という、読みが難しいからである。「風(ふう)」は、ただの風(かぜ)ではない。その場の気配であり、「気の動き」である。「気」は、如何様にも変化する為、その動きから、「気」を読むのは容易ではない。
 こうした「動き」を読むには、やはり経験が必要であろう。この経験は、単に道場室内での「練習」という実情からは生まれない。実戦体験が必要なのである。

 また、戦場に限らず、実戦を考えた場合、刃物の形態をした投擲(とうてき)武器が飛び交うことだ。これらは真空状態では飛んでくることはないが、空気を媒介としたところでは、手裏剣が飛び交い、矢が飛び交い、飛礫(つぶて)や長槍・薙刀などが、それに準ずるものとして突き出てくることがある。
 ゆめゆめ、警察力の発達した日本では、こうした最悪の元凶は出現しないと、安易に思わないことだ。

 したがって、飛び道具や刃物に対しての防禦(ぼうぎょ)も、徹底して研究しなければならない。また、「抑える」という行為は、一種の馬を馭(ぎょ)す、これに非常によく似ているところから、「腕(かいな)を返す」という点では、馬術を知っていても損はないだろう。

 「触れる」だけではなく、「抑える」「踏む」「固める」という行動律も研究しておく必要があり、わが西郷派は、単に柔術のみに固執することなく、武術を《武芸十八般》として総合的に捉え、これを称して、「合気武術」と呼称しているのである。
 「合気」とは、武術に応用できるものであり、この武術をもって、わが流は「西郷派大東流」と称し、明治中期に興った、他の大東流柔術とは異なっている。

 もともと大東流の「大東」は、東洋一の優れたものと称する「大いなる東(ひむがし)から、わが流はその名を受け継いでおり、「大東の館」や「新羅三郎義光伝説」その他の伝説を語る、大東流を流名とする大東流とは異なる。

 「大いなる東」は、この背後に大東亜の「大アジア主義」があり、東洋人の大同団結がわが流の思想的主旨であり、この主旨に則り、西洋の物質主義を排して、東洋の精神的自然観に基づいた「心」を拠(よ)り所に求める「東(ひむがし)」なのである。ここに「大いなる東」があり、級会津藩家老・西郷頼母(さいごう‐たのも)「極東の優れたもの」の精神性に基づいて、「日本論」を掲げ、「西郷派大東流」を流名にしているのである。


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