インデックスへ  
はじめに 大東流とは? 技法体系 入門方法 書籍案内
 トップページ >> 技法体系 >> 高齢者の護身術(三) >>
 
誇りの裏付けとなる数々の技法

高齢者の護身術《実践篇》
こうれいしゃのごしんじゅつ《じっせんへん》

●護身術を遣う為の身体改造術

 50の五十路(いそじ)を過ぎ、人生の折り返し点を過ぎたら、食事にも気を配らなければならない。人体は「食の化身」であるからだ。
 人間は年齢と共に変化し、体格も体調も変化する。特に、年齢とともに体格や体型の変化は顕著に現われる。これが「老という現象」である。その変化を挙げと次のようになる。

 若い頃と異なり、歳をとると、贅肉(ぜいにく)が増えはじめる。贅肉と云うのは伸筋が弱るので、筋肉を引き締められない現象である。特に、下半身に垂れ始め、全体として紡錐形のズングリ体型となる。また現代栄養学のカロリー摂取量判断での考え方が、こうした間違った体型を作り出した。
 「1日30品目食べよ」という現代栄養学の考え方は、「早く老化せよ」といっているようなもので、日本人は、戦後教育において「栄養が足りないと病気になる」という迷信が、動蛋白を多く摂るようになり、種々の現代病を作り出したのである。また、その元凶は食べ過ぎによる内臓疲労から起るものであった。
 現代人は飽食により、死期を早めているのである!
 歳をとると、毛細血管に異常が現われ、この末端部の毛管に老廃物が溜まりはじめる。この顕著な異常現象が、肩凝り・腰痛・膝・肘の関節痛などである。
 その為に紡錐体型に「しもぶくれ」状に肥(ふと)り、下半身の老廃物が排泄されないまま体内に蓄積される。肥る現象というのは、運動不足で肥るのではなく、毛細血管が詰まっているから肥るのである。また腸内に老廃物が溜まり、血液を汚染し、各細胞の部位に炎症を起しているから肥るのである。
 激しい格闘技や、ハードトレーニングを要するスポーツは、これを行うと、痩せるように見える。また、激しくなくても、ジョギングやゴルフ、テニスやエアロビクスなども、痩せて、スマートな体型になると信じられている。
 しかし、激しい運動や、中年層以降の人でも可能であると信じられている軽いスポーツでも、運動をした後は、無駄な汗を流す為に、飲料水が欲しくなり、また食欲を感じるものである。
 その為に、最も有害な甘味料や炭酸入りの清涼飲料水に手を出し、あるいは「運動の後の爽やかな一杯」と称して、ビールなどに手を出す。更には食欲を感じ、暴飲暴食に趨(はし)る。これこそ、「ホメオスタシス(恒常性維持機能/リバウンド)」であり、まさに愚行と言えよう。これにより、体型がオットセイのような紡錐体型になるのである。
 人間は年齢を重ねれば重ねるほど、身長は縮み、紡錐体型が激しくなる。腰骨部分の仙腸(せんちょう)関節が弛(ゆる)み、背骨が下がり、更には背骨と背骨の間にあるクッション代わりの椎間板(ついかんばん)に水分が欠乏して、身長が縮むと云う現象が現れる。要するに、背骨と背骨の間隔が縮まることだ。
 人間の椎間板は全部で23個あるから、各々の椎間板が1mm縮んだとして、1ミリ×23個で、23mmも縮んだことになる。つまり青年期の身長から、約23mm縮んだ身長が、中年以降の身長となる。そして、体重はこれを反比例して益々重くなる。1mm縮めば、1kgの割合で肥るとも言われている。
 一日3食と云う飽食が、「内臓疲労現象」を作り出す。内臓疲労現象は身体の畸形(きけい)を作り出し、肩凝り・腰痛・膝の関節痛ならびに、神経症的な疾患を齎(もたら)す。意志強固状態が平均値以上にある人は、ある程度の自制心と自己コントロール能力があるので、精神病を患うことが少ないが、自制心などの、霊的障害に対し、フィルターを持たない霊体質の人は、精神病を発症する人が少なくない。
 女性の30際過ぎに精神分裂病になったり、男性の40歳過ぎに同病気になるのは、内臓疲労が病因であると言われる。現代人はテクノ・ストレス下にある環境の中で生きているので、大食いや不規則な食事は内臓疲労を齎(もたら)し、即、精神障害に結びついてしまうのである。
 老若男女を問わず、大腸の疲労は、排泄障害を起す。
 特に、午後七時以降に食事を摂ると、この異常現象が起り、排便不完全となる。この排便不完全は即、腰痛に繋(つな)がり、座骨神経痛などに発展し、その元凶は内臓下垂と腹部の膨満が原因である。中年以降、腹が出るのは、この為である。
 冷えや浮腫(むくみ)は夕食に白米・饂飩(うどん)・ラーメン・白パンなどの炭水化物や、食後にフルーツやケーキ・アイスクリーム・スナック菓子などを摂る為に起る現象である。これは躰に湿り気があることから起る現象で、甘い物の摂り過ぎは、体内の水はけを悪くする。
 ちなみに、腎臓病で、腎臓炎・腎臓結石・腎臓癌・腎動脈硬化・ネフローゼ・尿毒症などを患って居る人は、「水はけの悪さ」がこうした病気を発症させたのである。腎機能不全は人工透析に頼らねばならない人生を送らねばならなくなるが、元凶は生まれてから発病までの期間の、食の誤りから来たものである。
 老化する原因の一つに「朝食をしっかり摂る」と云う迷信がある。これにより、老化は一段と早まる。異化作用と同化作用が人間の生理機能としてある為、これを無視して、朝食を摂る作業を行えば、排泄タイムに朝食を摂る愚を冒していることになる。
 朝は食事をせず、液体の玄米ジュースもしくはドクダミなどの薬草茶などが人間の生理機能を最も順調にする。排泄タイムに食事を摂る習慣をつけると必ず内臓疲労が起り、朝方の活動エネルギーは、食べ物の消化吸収に使われる為、思考力も落ち、躰の動きも鈍重になる。
 人体を満腹状態に置くと、まず腰痛になる。
 特に、筋肉を使い、躰を動かす体術的な修行をして居る人は、朝食は水分だけにし、また昼食は腹六分にして、満腹状態にしないことである。朝食に固形の食事を摂ると、動きが鈍重になり、この習慣は一日中続いてしまう。これが一日中続くと云うことは、一年365日続くことになり、年から年中鈍重になる。その間思考力も正しく機能しなくなり、感情的になり、怒りっぽくなる。
 朝食の愚は、排泄タイムに食事を摂る愚行であることのみならず、朝食を摂ると、血液が筋肉内の血管や末端の毛細血管に流れず、消化の為に、胃に集まるからだ。この為、筋肉が柔らかくならず、ますます血管を痛めるのである。これは「運動することの悪影響」である。
10
 人間の骨格は一日の周期をもって生活を制御している。つまり、頭蓋骨(ずかいこつ)、肩胛骨(けんこうこつ)、骨盤、肘関節や膝関節、脊柱(せきちゅう)などの骨格部は、一日の周期を以て開閉作用を行っている。
 例えば骨盤を挙げると、骨盤が開いた時に睡眠状態が訪れ、睡眠中は骨盤が締まる作業が始まる。そして骨盤が締まり切った時に、目が覚めるのである。
 人間は、午前中に骨盤が締まり、午後からは開きはじめる。また、空腹だと骨盤が締まり、胃の中に食べ物があると骨盤は開く生理作用が現われる。したがって、午後七時過ぎに食べ物を入れると、骨盤の締まりが兇(わる)くなり、朝起きても骨盤が弛(ゆる)み切っているから、椎間板ヘルニアなどのギックリ腰が起る。これは夜遅く食事をする事と無関係ではない。腰痛や肩凝りは、これが元凶である。
 人間は骨盤が締まっている時に、脳や運動神経は覚醒(かくせい)するので、午前中に体術などの稽古・修行が最もよく、また術の会得も、この時間帯に限られる。そして、午後からは脳の覚醒や運動神経が鈍麻するので、早朝稽古というのは、最も有効な方法である。
 食べ過ぎは、骨の開閉作用で開き放しにするので、「腹六分」を徹底させ、締まりある骨格を養わねばならない。

 高齢者が、晩年のラスト・スパートに向けて運動をする場合、過激な運動などは、返って寿命を縮めることになる。また、若い頃と同じような暴飲暴食も避けるベきであろう。また喫煙は、愚の骨頂である。
 五十路(いそじ)の、人生の半ばを超えた人は、特に、動蛋白摂取を極力少なくしなければならない。血液を汚染させる動蛋白は命取りとなる。

 一日の食事スケジュールは、「朝食抜きの一日2食の粗食・少食」に心掛け、内臓疲弊を避ける為にも、一日18時間程度の「18時間断食」を心掛けるべきであろう。朝食は摂らず、その時間は「排便タイムである」ことを肝(きも)に銘ずるべきだ。
 また、排泄を促す為に、この時間にドクダミ茶などの薬草茶を飲用するか、玄米ジュースなどの液体栄養分を摂るべきであろう。白米や白パンなどの、固形食品は不適当である。これは若者でも同じであり、若年の時期から、こうした食餌法(しょくじほう)に徹底する事は、より人生を有意義に遣う事に役に立つ。

 次に、一日2食の食餌法だが、昼食に澱粉質(でんぷんしつ)の主食の食品を多く摂り、夕食に副食の食品を多く摂るようにする。昼食は主食対副食の関係が8:2の割合で、夕食はその関係を逆にして2:8とするとよい。これは「18時間断食」をする準備の為である。

 一般に信じられている「肥る」と言う現象は、運動不足から起るものと信じられているが、実は必ずしもそうではない。人体の生理的な代謝機能を無視した事から肥るのである。肥る原因の最たるものは、現代栄養学が云う「朝食をしっかり摂る」ということに付け加え、「一日30品目程度の食品を摂る」としている食指導の誤りから起るもので、まず、これを是正しなければならない。

 人間の生理機能で、「朝方」という時間は、大切な排泄タイムであり、この時間に固形の食品を摂るのはよくない。
 例えば、何処かのホテルか旅館に泊まり、そでこ出された朝食の品数の多さを考えてみれば分かる事である。果たして、あれだけの食品を朝食として全部平らげたらどうなるか、誰が考えても分かる事であろう。明らかに食べ過ぎとなり、これを毎日一年365日食べ続けたら、一体肉体はどうなるか、誰が考えても容易に察しが付く事であろう。
 もし、これを食べ続けて、病気にならないとする人が居たら、是非お目にかかりたいものである。また、早朝から重労働に縁が無い多くの現代人は、多過ぎる朝食を摂取すれば、内臓が疲弊(ひへい)するのは当然である。

 次に、粗食・少食に摂取すべきであろう。五十路(いそじ)を過ぎ、それでいて一食分の食事に、主食のご飯を二杯も三杯もお代わりする壮年以上の者は、明らかに食べ過ぎであり、根気も気力も衰えてしまう事は、その実証に難しくない。気力が萎(な)えるのは、食べ過ぎによる内臓疲弊から来るものである。一食分の三度三度の食事の中で、二杯三杯と、ご飯をお代わりして、その人が健康であり得ることは決してない。
 特に中年期を過ぎて、頭脳職等のサービス業に従事する者が、主食を二杯三杯のお代わりは、自らの鈍重と無能を物語っているようなものである。こうした社員は、いい仕事は出来ないであろう。

 中年を過ぎると、食餌法(しょくじほう)に心を配ることは大切であり、これを無視すると、85歳まで生きれる寿命を持ちながらも70歳前後で潰え、結局15年も若死することになる。こうした愚を冒さない為にも、「何を食べるか」と云うことに、心配りをしたいものである。
 そして、動蛋白は必ずしも、摂取する必要はない。こうした食品は、舌を一時期、酔わせ、喜ばせ、味覚を麻痺させる魔力は持っていようが、それに酔わされていては、やがて85歳までもつ自らの寿命も60歳か、65歳で費える事になる。仮に、人工的に生命維持装置などの力を借りて、70歳まで生きたとしても、15年もの寿命を縮めて人生を終わる事になる。まさに「早死」ではないか。

 現代人は欧米的な科学に振り回さて生きて来ている為、総てアメリカナイズされたものが、正しいと信じ込み、また「カッコ良い」と思っている。これを矢鱈(やたら)に模倣することばかりに執念を燃やし続けて来た。こうした模倣を、欧米からは「猿真似」と揶揄(やゆ)され、それでも未だにこの傾向が脱けきれずにいる。

 そして、若者だけに限らず、60歳に達した「団塊の世代」も、この範疇(はんちゅう)にあって、欧米を模索することや、権威筋の欧米的な思考や言論に振り回され、晩年期にありながら、未だに死生観の解決も出来ず、悲惨な人生を送っている高齢者も少なくない。
 特にその最たるものは、食生活の誤りから来る、愚かしいまでの現代栄養学に信奉している現実だ。

 飽食に時代、老いも若きも、一日3食は云うに及ばず、4食も5食も食事を摂る人が居る。かなりの年齢に達した人でも、こうした食習慣を作ってしまった人がいる。愚かしい限りである。
 食べた物が総て、血となり肉となるのでないから、この事を充分に把握しておくべきであろう。
 また、血となり、肉とならなかった老廃物は、体内に蓄積され、これが慢性病の元凶になっていることも忘れるべきでない。暴飲暴食は避け、腹六分にして、普段から空腹トレーニングをしておくことが事が大切である。
 また、一日2食の朝食は、玄米スープを摂り、昼食や夕食は粗食・少食に徹するべきである

 

●高齢者の運動・肩凝り・腰痛対策

 歳をとると肉体的には、多くの人が「下膨れ状態」となり、贅肉(ぜいにく)が下半身に集中してくる。これは二足歩行する人間の特徴であると共に、重力の影響を受けているからだ。
 姿勢の猫背で、前屈(かが)みになり、肩凝りを抱え、腰痛を抱えるようになるのも、この影響だ。階段の上り下りも、膝に負担がかかって、膝が高く上がらないようになり、また、左右の均等も崩れて、左右の脚が同じように動かなくなる。いずれかに負担がかかり、坐骨神経痛か下半身不随状態が顕れる。

 左右の腕も、右左が同じように動かせなくなり、肩の位置も、いずれかに高低差が生じ、左右の均衡が歪(いびつ)になる。
 また、躰全体に贅肉がつき、引き締まった体型が崩れ、全体として方錐体型となる。尻の筋肉は垂れ、皺(しわ)が寄り、腹や脇の下にも無駄な贅肉がつき始め、体臭も臭くなって「老臭」という状態が顕れる。

 人間は死に向かって生きている。死ぬ為に生きている。今は若いと自負していても、五十年も経てば、肉体上には老醜が顕れてくる。老醜はまず、異様なベタつくような「発汗」から始まり、それには「汚臭」が伴う。視力が衰えて「失明」状態が起り、若い頃の筋肉は贅肉状態となって体脂肪過剰となり衰え、「落花」の現象が見え始める。そして、これらを総称した、老醜に絡む「絶望」が襲ってくる。

 また「若い」と粋(いき)がってみても、それは幻想であることに気付き始める。命あるものは、必ず最後は死で終わるという「死の法則」から逃れることは出来ない。美醜を問わず、死の法則から逃れることは出来ず、寿命が尽きれば、喩(たと)え、神であっても死ぬ運命にあるのだ。
 しかし、問題は死ぬことではなく、死が近づくと、発汗・汚臭・失明・落花・絶望という現象が人間に起こることだ。
 快楽を貪(むさぼ)った御仁(ごじん)も、享楽に興じた特権階級も、死を目前にすると、物質的な恩恵を受けてきただけに、これに驚き、嘆き、そして絶望という「諦め」が襲ってくる。

 こうした「諦め」は、何処から起ってくるのか。それは肉体は歪になり、肉体が言うことを利かなくなるからだ。肉体の内外に、様々な病根が姿を現すからだ。
 しかし、死の直前まで、肉体を有効に使う手段はある。肉体を有効に使い、死に臨むのと、粗末に扱って、死に臨むのとは大いに違っているはずだ。

 肉体の衰えは、運動不足から起るものでない。食餌法を間違うから、肉体が衰えるのである。一般に贅肉がつき始める現象を「運動不足」と考えてしまう。しかし、根本は運動不足にあるのではなく、食餌法に間違いがあるからだ。
 少年少女期から、食餌法を間違って大人になると、この習慣が青年期になっても、壮年期の働き盛りになっても、中々抜け出すことが出来ない。こうした間違った食習慣が、やがて晩年に至って、腰痛や肩凝りとしての病魔として襲ってくるのだ。この病魔の根源は、食餌法と食習慣の誤りから来る。

 つまり、食事と骨格部の開閉とは大きな関係があり、特に頭蓋骨(ずかいこつ)、肩胛骨(けんこうこつ)、骨盤、肘関節や膝関節、脊柱(せきちゅう)などの骨格部は、一日の周期を以て開閉作用を行っていることだ。 この開閉作用を無視して、飽食に趨(はし)ると、その報いは必ず慢性病となって顕れる。

 また、慢性病の元凶は体内に溜まった老廃物が排泄されないことに原因がある。これが肩凝りになり、腰痛になるのだ。
 溜まりに溜まった老廃物は、腸内で腐敗物質となり、体組織に影響を与えて各部位で炎症を起す。この最たるものが「ガン発症」である。それは血液の汚れにある。
 血液が汚れる最大の原因は、動蛋白摂取である。動蛋白を摂取すれば、血液は濁り、サラサラ状態が失われる。濁った血液は体内を循環して目詰まり異常な状態を起し、毛細血管の毛管の先端を目詰まりさせて、血行不全を起す。これは骨格の開閉と重なり、種々の病院を派生させる。老年期はこうした確率が多くなり、最後は食餌に間違いがあると、やがて「絶望」が襲ってくる。
 則(すなわ)ち、この絶望の嘆きは、まさにガン患者の最後の嘆きと酷似するではないか。

 しかし、食餌法と修行という、心身の自制法に誤りがなければ、肉体は最後まで、人間として有効に、爽快に使うことが出来るのである。
 人間は、本来、自分のものは何一つない。自分の棲(す)む土地も、その上に立つ建物も、それは本来自分のものでない。総て、「借り物」だ。
 法的に自分名義で所有していても、それは人間が決めたことで、宇宙の玄理から言うと、これは自分のものでなく、宇宙の創造神のものである。その証拠に、死ねば墓場まで持って行けないし、形あるものは、やがて失う運命が待っている。

 人は、総てのものを宇宙の創造神から「借りて」生きているのであり、「借りたものは返す」というのが、この現象界の掟(おきて)ではなかったか。
 したがって、自分の使っている「肉体」すら、「借り物」であることを忘れてはならない。借り物である以上、粗末に扱っていいということは許されないだろう。出来るだけ大事に扱い、長持ちさせて使うことが、借りた者の「礼儀」ではないか。
 果たして、自分の肉体を大事に使うという礼儀を、現代人はどれほど厳守しているであろうか。

 大事に肉体を使うという大原則は、肉体を酷使して「苛め抜く」ことではない。また、甘えに乗じて、飽食に明け暮れることでもない。そこには自制法として、肉体に対して「礼儀」が備わっていなければならない。
 この自制法をマスターすれば、自らに貸し与えられた肉体は、再び生き生きと、瑞々(みずみず)しく蘇(よみがえ)るであろう。それには「食を正す」ことである。
 その具体的な方法として、一日2食の朝食抜きの、朝は玄米スープか薬草茶の摂取で、粗食少食に徹することであろう。特に注意を払いたいことは、今日の飽食の時代、腹六部の粗食少食に徹し、食べ物の妄想や誘惑から解放される事を、早い時期から養っておくことだ。

 特に人間は、美食の目がないように出来ていて、美食の誘惑に負けやすい。若い時期から、美食の誘惑に負ける習慣を付けてしまうと、これは歳をとっても中々直らない。粗食に徹し、本来の四季の旬の味を知ることが大事である。
 また、美食が濃い味であるのに対し、粗食は薄味が原則であるから、特に野菜の味は、早い時期に切り替えて脳に記憶させるべきで、外食せず、美食に趨(はし)らず、流行に振り回されない確固たる信念を養っておくことが大事である。

 年から年中一年365日、一流ホテルで出されるような豪華な朝食の味を、当たり前と思うようになると、それは自らの食禄(しょくろく)を早く食い潰し、死に急ぎをしていることになる。現代人は極度に死を恐れながら、実は、飽食が死に急ぎに繋がるということに殆ど気付いていない。

 死に急ぎしたくなかったら、「一日2食の朝食抜き」は、是非とも実行したいものである。
 起き抜けの朝は、排泄タイムであり、この時間に食事を摂るのは愚行である。但し、排便を促す為に、玄米スープか薬草茶を飲むことは是非実行したいものである。食事は、昼食から始まり、昼食は主食対副食の関係が8:2の割合で、夕食はその関係を逆にして2:8とするとよい。これは「18時間断食」をする準備の為である。

 「18時間断食」をするに当たって、出来るだけ夜遅く食事はしないことである。少なくとも、午後七時までには夕食を食べ終えておく必要がある。また、理想的には午後六時までに終えておく必要があり、午後六時、つまり18時から翌日の12時までの、その間、18時間の断食をするのである。これをすることにより、まず膨満感が消滅する。また便秘などによって引き起こされていた頭痛が消え、内臓疲労が次第に小さくなっていく。更に、「18時間断食」三週間目くらいに、疲れにくい体質が戻ってきて、その間、腸壁の宿便等の腐敗物質は排泄されるようになり、大腸の蠕動(ぜんどう)運動が盛んになり始める。

 これは肝臓から分泌される腸内洗浄液である胆汁(たんじゅう)によるもので、排便後の便が黒味を帯びているのも、胆汁の色によるものである。
 「18時間断食」をすると、まず肝臓が元気になるのである。しかし、肝臓が弱った状態になると、胆汁分泌が少なくなり、それが便秘状態を引き起こすわけだ。

 この胆汁の元になるのは、乳酸などの筋肉内に存在する老廃物であり、「18時間断食」に限らず、普通、1〜2週間程度の断食をすると、黒便が出てくるのはこの為である。
 これは筋肉内【註】普通、筋肉は外筋を指して筋肉と呼称されているが、実は問題は内筋であり、内筋に老廃物が溜まると老化が早く顕れるのである)に含まれる乳酸であり、筋肉を捻ったり、抑えたり、“合気”の極め技などを用いて、順方向や逆方向に曲げると、乳酸などの老廃物が肝臓で解毒され、胆汁となるのである。この胆汁が十二指腸に流入し、流れ込んだ胆汁が腸内の腸管にこびりついた宿便などの老廃物を剥(は)ぎ取るのである。

 胆汁の分泌は、空腹時ほどよく分泌されるので、一日24時間のうち、6時間は腹の中に食べ物が入った状態を作ってもよいが、それ以外は、空腹にする「空腹トレーニング」が必要なのである。
 起き抜けの、朝の排便タイムに排泄される便を「一番排便」という。次に「18時間断食」をすると、昼食後30分程度て、再び便意を催し、これを「第二排便」という。
 第一排便は、昨日に摂った食事の搾(しぼ)りカスの老廃物であり、これはやや硬めで固形物質である。また、二番排便は胆汁によって押し出された腸内の残留物質が排泄される為、下痢状の軟らかい便が出てくる。

 普通、排便は一日に一回と信じられているが、実は空腹トレーニングをやると、一日に二回以上の排便があり、排便はたくさん食べると、多く出るのではなく、空腹状態の時ほど多くなるのである。これは空腹トレーニングをしている時の方が内臓が疲れなくなり、健全に機能するようになり、この事が、飽食状態だった時よりも、二倍も三倍も多く排泄されるのである。

 これにより、腸内が清浄されるばかりでなく、筋肉内の毛細血管も目詰まり状態が解消され、毛細血管自体が蘇(よみがえ)ってくるのである。また、毛細血管の回路が新たに開発され、目詰まり状態が改善されてくると、まず肌が綺麗になっていく。これは喫煙者と対象的であり、喫煙者は毛細血管にニコチンとタールを送り込んでいるので、肌の色はドス黒く、また張りがないが、タバコをやめると、肌が綺麗になっていくのは、毛細血管が改善されていくからである。また、筋肉内の乳酸も老廃物として胆汁に変換され、これが腸壁にこびりついた腐敗物質を剥(は)ぎ落としていくのである

 以上を要約すると、「肥る」という現象は、決して運動不足から起こるものでないということが分かるであろう。
 つまり、過食や飽食により、内臓が疲弊しているから 「肥る」のである。内臓の疲弊を小さくしてやり、体内の老廃物が排泄されれば、方錐体型の躰に「張り」と「締り」が蘇り、突き出して膨らんだ腹は老廃物が排泄された為にへこみ始め、猫背で、前屈みの、弱々しい姿勢は胸を張ったような自信に満ちた「毅然」とした姿勢になる。また、押しつぶされて水分を失った椎間板のクッション部分には水分は補給されて、身長も若いときと同じような23mmも復活して高くなり、自分の肉体が、土台から根こそぎ変身するのである。
 また、この若返り変身により、寒さ暑さにも強くなり、エアコンなしの、極めて自然に近い環境の中で、元気に長寿が保てるのである。

 

●人間の修行する目的

 修行者の鍛練の秘訣は、わが流・西郷派では「山行」を修行の中心課題においている為、山仕事をとしている人を、その手本においている。これは洋の東西を問わず、そこから学ぶべき教訓があれば、謙虚に学び、研究し、これをよき手本とする必要があると思っている。

 例えば、西洋では百年、二百年前の肉体労働者たちは、腰を痛めない為に、朝食は摂らず、この時間帯は水分だけで働き、昼食を多く摂り、しかし満腹時に、直ぐに仕事をすると危険だからと言って、食後は2〜3時間昼寝をして、夕食は少な目にするという食事法で、生活のリズムを営んだと言う。

 また、日本でも、山林業に従事する人や、山で猟をする人は、特に足腰を使う作業に追われるので、筋肉のみに血液を集める必要性から、朝と昼は骨の弛(ゆる)みを防ぐ為に、朝食は、液体などのお茶か、味噌汁などで、固形食品は一切摂らず、昼食は雑炊(ぞうすい)などの粥飯(かゆめし)にし、作業が終ってから、ゆっくりと夕食を摂るという生活のリズムを厳守したという。

 山林業に従事する人の智慧(ちえ)は、朝食を摂ると、血液は筋肉に集まらないことを充分に承知していて、また筋肉が柔らかくならないことを、数百年もの古人の経験から知っていて、これを厳守して来たのであろう。

 人間が修行する目的は、人生の途中に如何なる不測の事態が起り、災難が降り懸(か)かったとしても、これを無事に切り抜ける英知を養う事である。英知によって、多難な人生を切り抜け、わが生命(いのち)を、燃やし続ける事である。したがって、途中で挫折しては、わが生命を燃焼させる事は出来ない。
 それには「智慧(ちえ)」がいる。古人に学び、歴史に学ぶ必要がある。それには頭を使い、柔軟な思考力が必要である。更に細心の判断力が要求される職業に従事する人は、肩凝りや腰痛などは、最も駆逐するベ病気である。また、暴飲暴食も厳禁である。
 「生命の燃焼」と言う目的を達成する為には、わが身一つが頼りであり、この意味に於ては武芸者も同じであった。

 武芸の上達は、単に躰(からだ)を我武者羅(がむしゃら)に動かせば、それで上達すると言うものでない。単に筋トレばかりをしても、暴飲暴食では、その成果が得られない。
 汗をかくほど、激しく躰を動かし、激しい肉体運動を長時間続ければ、その後の食事の摂取は、内臓を疲労させるだけである。特に高齢者は、こうした結果を招こう。
 内臓が疲労するとは、腸内に腐敗物質が溜まり、排泄不完全の状態が起るからだ。これが宿便の元凶となり、停滞を起して炎症を派生させ、種々の慢性病を発生させるのである。その最たるものが「ガン発症」であることを忘れてはならない。

 こうした病的状態にあって、根本を解決せずに、幾ら躰を酷使して頑張っても、返って筋肉や骨の状態を痛めるばかりで、運動をすればするほど、悪くなると云う症状が現われる。
 つまり、暴飲暴食をしながら、ハード・トレーニングをするという運動法は、まず、骨を開き放しの状態におき、左右のバランスが崩れ、骨を歪めて、筋肉を痛め、筋肉の俊敏さが問題となる瞬発力が失われることになる。正食法を知らずに、運動だけを行うと言うのは、骨や筋肉にとっては、非常に危険な事なのである。

 こうした愚行を起さない為に、かつての山林に従事する人や、また山行をする山伏(やまぶし)や武芸者は、常日頃から正食法を実践し、正しい食餌法を弁(わきま)え、そこから精神と肉体の何たるかの智慧を知っていたと思われる。

 普通、素人考えでは、「食べなければ力が出ない」と安易に思ってしまう。力仕事をする前には、必ず食事をしなければならないと思っている。諺(ことわざ)にも「腹が減っては戦が出来ぬ」とある。しかし、力と食事はイコールでないことが分かる。
 日本人は、筋肉を使う動きをする場合、以上の間違った考えから、愚かにも食事をしてしまう。この事が日本人に、多くの腰痛患者を出す要因になっている。その為に、大量に食事をした後、怪我や事故も多発していたのである。

 諺に云う、「腹が減っては戦が出来ぬ」とは、戦場の最前線で戦う、「足軽的な発想」である。彼等は戦場の最前線にあって、肉体を酷使し、激しく戦うのであるから、当然食糧の補給は、後方部隊の人間と異なり、食餌量は多かったかも知れない。ところが果たして、大喰いの傾向に趨(はし)っていただろうか。
 また、これを後方部隊に控える上級武士までが、こうした肉体労働者と同じような食餌をすれば、当然そこには病的な異常が現われて来る。

 戦国時代、この時代の食生活を研究すると、戦(いくさ)の下手な武将の配下には大喰いが多く、躰が大きいが、戦闘に於ては、巨漢体躯は、余り役には立たなかったと言う結果が出ている。食べ過ぎの為に、智慧が回らず、動きが鈍麻状態になるからだ。
 むしろ知将の配下では、多くの食餌を与えず、粗食・少食に徹して、空きっ腹状態にあった武士団の方が強かったと云われる。この事は、特に注目すべきことであろう。

 また、現代栄養学で云う「肉と野菜をバランスよく」も、「一日30品目以上を摂る」も、結局、大喰いの傾向を習慣付け、老化を早めるだけだったのである。
 現代栄養学では、同じ食物ばかりを食べると言うのはよくないとされているが、これも誤りである。
 現代栄養学の食物観は根本的に間違っている。一種の誤った仮説の上に、現代人を早期に、老化に導こうとしているのである。

 昨今は、慢性病には食事療法が大切だと云われ始めた。しかし、その食事療法の内容たるや、現代栄養学の丸写しである。
 「組織の修復に、充分な蛋白質が必要であるから、高蛋白食品を摂取する必要がある。肥満解消にはカロリー制限をする必要がある。但しバランスをとることが大事であるから、量さえ控えれば、何を食べてもよい。むしろ主食への偏(かたよ)りを無くし、より多種の食品を摂るように心掛けるべきである。カルシウムもしっかり摂る為に牛乳もたっぷり摂ること」などという、間違いだらけの栄養学を挙げ、これを病気治療の現代人に押し付けている。

 現代栄養学の仮説理論の中に、部分的には食物繊維とか、緑黄野菜などといった食品も奨励しているが、全体としてはマイナス要素が大きいから、その効果は発揮できていない。また食事療法的において、加えて化学薬剤などを服用したり、一時的に苦痛な症状を抑える療法が組み込まれている為、この療法に頼っている患者は、ますます気力・体力共に衰えていく。これこそ、現代栄養学の理論が間違っている証拠であり、患者は自然治癒力が働かないまま、ますます弱り、短命で人生を終えることになる。

 現代栄養学は、食の根本を見据えていない。表皮だけに捕われて、欧米の科学論理にその拠り所を求めようとしている。これでは治る病気も治らず、改善されるべき体質も、悪くなるばかりである。

 ところが、血液の汚染をさせる元凶を腸内から取り除けば、一切の慢性病は治癒の方向に向かう。これは食養道で、既に実証済みである。
 自然治癒力を高めるには、浄血を図り、血液のサラサラ状態を作り出せば、解決することである。毛細血管の細部も目詰まりすることがないし、目詰まりしていても、直に改善されよう。

 特に、最も優れた食餌法(しょくじほう)は、マタギの食餌法であり、更に「ヒトリッコロバシ」という、単独行動をするマタギに優れた一面を見出すことが出来る。マタギの行動原理は、自己との戦いが命を繋(つな)ぐ、唯一の方法だと知っていることだ。自己に甘えなど、微塵(みじん)も感じられない。
 生き抜く為の、一縷(いちる)の望みは、腹六分にして空腹に耐えることだった。そして、大自然を相手に挑むさまは、まさに修行者のそれで、ここに人間の本質を見る事が出来る。

 また、毛細血管の開発法として、非常に効果が高いのは、平地だけでのトレーニングでなく、高低差のある高所にわが身を置いて見たり、あるいは河川や海などの低地にわが身を置き、そこから受ける気圧の差を利用して、血圧や脈拍のコントロールをして、その開発に当たることなのである。特に山は、同じ場所でも、天気により、気暑さが変化する。これは毛細血管の鍛錬に、非常によい結果を与えるのである。
 かつて筆者は、山行などにより、「勾玉発光体(まがたまはっこうたい)」の体験をした事があるが、これは登攀(とうはん)の上下によって、毛細血管を開発する修行に他ならなかった。
 わが流・西郷派が「山行」を主眼に置くのは、こうした理由によるものである。

「勾玉発光体」については、http://www.daitouryu.net/の小説『旅の衣』参照


戻る << 高齢者の護身術《実践篇》(三) >> 次へ
 Technique
   
    
トップ リンク お問い合わせ