●西郷派大東流の動画について
わが流は、単に武技の優劣を競ったり、格闘を通じて、勝者を表彰して褒(ほ)め称える流派でない。一時の勝ちの強弱は存在しない。武術修行を通じて存在するのは、死生観(しじょう‐かん)があるのみである。あくまで謙虚に、大自然の理(ことわり)に則って、自らの修得した死生観を具現するものである。
本来武術は、生き死にを賭(か)けて、殺すか殺されるかを、真剣になって修行するものである。必死の殺し合いを通じて、「生命の大切さ」を知り、はじめて大事に臨んで、死生を明らかにすることが出来る。したがって、生に有りては「生の道」を尽くし、死に有りては「死の道」を尽くすことを明確にしなければならない。
この観点から今日の武道界を見回すと、現代わが国においては、「武の名」に値するものが、果たして如何ほど有るか、甚だ疑問である。
危険をなくして、ルール絡みに試合して、スポーツ競技として競うものではなく、また単なるスポーツ体育と言うものでなく、殺気を以て、まっしぐらに敵の心肝に突入するものが、まさしく「武術」と言うものである。そして武術は、死に対して、「如何に対処するか」を教える。
人間の精神の最高の緊張の姿は、死に向かい合った時機(とき)である。“死ぬかも知れない”と思った時に、人は緊張し、「その緊張を、どう解決するか」に、人の生き態(ざま)が存在する。
わが流は、人に「生き態」を示すものである。この生き態の中にこそ、生命の躍動(やくどう)が存在するからである。此処に紹介する動画は、“命の躍動”を表現したものである。
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