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西郷派大東流と武士道
帆柱杉

■文武両道に培われた武士道■
(ぶんぶりょうどうにつちかわれたぶしどう)

●間違った平等観からの解放

 総ての人間が「平等」という、同じ能力を持つという、デモクラシー信仰は、善いことと、悪いことの白黒の決着をつけ、正邪を決め、それを多数決により、全体を代表する意見として取り上げるシステムであり、特に平等意識の中には、「幼児的な正義感」が見え隠れしている。したがって、多数決で決められた「正義」でも100%の正義は含まず、多数決で決められた「邪悪」も100%の悪とは限らない。何れにも「グレー・ゾーン」があるのである。
 このグレー・ゾーンを抜きにして、正邪を決するのは、短見といえよう。

 人間というものは、生まれながらにして平等ではない。ただ、現代社会における民主主義の唱える「平等」は、あくまでも法の上での、尊厳としての平等観であり、これが能力の差において、決して平等であるはずがない。だから、人間は100%の悪人もいないし、100%の善人も居ない。多くはグレー・ゾーンに位置する人間が多い。正邪を同時に持ち合わせているのである。したがって、「人間は生まれながらにして平等」という、尤もらしい論理は成り立たない。

 それは人間の肉体的な醜・美や、体躯の大・小や、才能の有・無などで明白となる。しかしこれらも、親から貰ったもので、自分の努力によって勝ち得たものではない。最初から備わったものに、磨きを掛けただけである。しかし、磨きを掛けても、光からない者もいる。これこそ、不平等極まりがない、現実ではないか。

 何故ならば、人間は同じような環境で同じように教育され、訓練されても、決して同じ結果が生まれないからである。その最たるものが、「各人の持つ精神状態」のばらつきであろう。各人の持つ精神状態は、人それぞれによって大きく異なる。

 また、この精神状態の中で問われるのが「度胸」である。あるいは「胆力」である。精神を律し、心の安定に不可欠な度胸や胆力は、生まれながらにして、その性格から、人それぞれに異なっている。

 例えば、戦場の最前線に居て、敵の打ち込む砲弾に驚くものは、その殆(ほとん)どであろうが、中には、敵の砲弾や小銃の弾が飛び交う中で、塹壕(ざんごう)から姿を顕し、この砲火の中を悠々と、歌などを歌い歩く指揮官が居る。また一方で、砲弾の音に両手で耳を塞(ふさ)ぎ、塹壕の中で身を震(ふる)わし、脅(おび)えている兵士が居る。あるいは、もっと酷い兵士になると、精神状態を完全に狂わし、精神分裂状態になるものも居る。

 人の精神は十人十色である。平等ではない。比較的安定している者も居れば、幼児期の前頭葉発達教育において、家庭内で教育と躾を充分に受けなかった者は、前頭葉未発達から情緒不安定に陥るものも多い。育った環境や教育程度、あるいは教養の差が、人格を形成しているのであるから、この人格面においても、人それぞれに異なり、決して平等ではない。

 また一方で、平等であるはずの人間が、平等から脱落する現象を取り上げて、一部の文化人は、環境が人間を平等から引き離すとするが、これは必ずしも、そうでない。
 進歩的文化人の言に、仲の悪い夫婦の家庭に生まれた子供は、環境により性格が歪(ゆが)んでしまい、それによって犯罪を犯しやすいという意見があるが、これは必ずしもそうではない。

 犯罪の多くは、貧困や教育の就学程度から起すものであるとする意見がるが、家庭が貧困でもない者でも、犯罪は犯すものである。
 そのよき例が、強制猥褻(きょうせい‐わいせつ)という、性犯罪の一種である。

 世界の先進国の中で、「痴漢は犯罪です」などと列車内のスピーカーからアナウスが流れ、また列車内には「痴漢を犯罪とするポスター」が貼られているが、これは日本ぐらいなことで、大々的なキャンペンを遣っているのは日本を置いて他にあるまい。日本は満員電車の中では、痴漢王国である。恥知らずの国である。
 そして、この強制猥褻を働いた人間の中には、立派な学歴を持ち、良家の家庭に育ち、日本でも屈指の学閥出身者で一部上場会社に勤めながら、こうした環境にあっても痴漢を働く輩(やから)がある。

 例えば、NHKの職員でありながら電車内で痴漢を働いた男や、日本テレビに勤務しながら、その通勤の登城で痴漢を働く社員が居る。彼等は最初から犯罪とは縁遠い環境と、教育を受けた者達であり、それでありながら破廉恥極まる痴漢を働いたのである。

 しかし一方で、彼等以下の家庭環境にあり、学閥も際して立派ではなく、下層階級の底辺に与(くみ)しながら、性犯罪と無関係な者も居る。家庭環境や、教育程度によって、犯罪が起るとしたのは遠い昔の神話である。

 人間というものは、固体によって薬の効き目が違うように、また、反応も人によって異なるのである。これを十把一絡げで、「平等の定理」に充(あ)て嵌(は)めることは難しい。
 また現象には「突然変異」という生物学上の真理がある。生物学では「トビがタカかを生む」ということすら有り得るのである。これは非常に稀なことであるが、生物の歴史の中にはこの足跡が歴然としてある。

 したがって、人間側から見た平等観は、極めて危険であり、自然の摂理に従った平等観からの発想でないことは明白であろう。人それぞれに肉体的にも精神的にも格差があり、この幅や厚みや奥行きを素直に認めることこそ、真の勇気というものであろう。
 何が何でも、人間は平等でなければならないとする考え方は、一歩誤れば全体主義に通じ、ここに人間の破滅のシナリオが横たわっている。このシナリオを踏んで行かない為にも、間違った平等観を改め、人間には一流といわれる人も居るが、二流以下のその他大勢も沢山居ることを認めなければならない。

 人間は十人十色である。人それぞれが異なる。しかし、「人である」という観点から立てば、その思考には平等意識がなければならない。それは、人は貧富の差に関係なく、人間としては「同格」であり、「同等」であるという意識だ。
 この意識が崩れれば、平等観など有り得ない。人としての尊厳は、なんびとも平等なのである。これこそ、同格で、同等でならなければならない。ところが、「同格」や「同等」は、有名人や有識者の前では、脆くも崩れ去る。情けない限りであある。

 それは大衆の中に、人は平等ではないという意識があるからだ。これこそ、不平等を暴露したようなものである。その癖に、平等を口にしたがる。
 人はみな平等であるという思想と、人間はそれぞれに異なるが、それは同格であり、同等であるという意識とは、根本的に異なっていることが分かろう。

 昨今のデモクラシー下で唱えられている平等は、あくまで「能力の平等」であり、「権利の平等」であるようだが、こうした平等は、この世には存在しない。
 生まれの平等にしても、明らかに人はそれぞれに異なり、こうした駄目押し平等の中にも、特に現代社会にあっては、それぞれの人間が自分の優越感を満足させる為に、同じ階級の中に所得力や金銭力と、また土地などの不動産力を加味させて、更に細かい階級を作り、更には従事する仕事にまで階級を作り上げてしまったのである。
 そして、本来の意味での平等観は崩壊し、理不尽な平等だけが罷(まか)り通っているのである。

 

●死を清々しく捉える

 死は決して逃げ回るものではない。生きとし生けるものは、生まれた以上、必ず死ぬ宿命を持っている。生まれたものは、死ぬのである。誰にも死ぬという宿命を背負わされている。宿命である以上、これから回避しようと思い、あらゆる医療措置を行って、生き延びようとすることは、実に愚かなことである。

 生きているものは、流動性の中にその宿命が設定されている。生きているものは変化する。その変化の最たるものが、生・老・病・死である。これは、包み隠さない現実の歴然たる事実である。したがって、現実逃避をしてはならないだろう。

 現実逃避を図れば、死をも逃れようとする心の働きが起り、その人の運命を軟弱にする。その典型が、人の心の裡側(うちがわ)を巣食う、歪(ゆが)み、甘さ、辛辣(しんらつ)、悪意、憎悪、侮蔑(ぶべつ)、誹謗(ひぼう)、思い込み、偏見、独断、無知、思考の短見、偽善、強がりなどであろう。そして、これらが「心の贅肉(ぜいにく)」となる。

 心rに贅肉がつけば当然、身も重たくなる。動きが鈍重になる。姿勢も崩れる。毅然(きぜん)さがなくなる。軽快で機敏なる心の反応が失われ、武人にとって一番大事な素早さがなくなるのである。

 心の贅肉をなすものは、「人間の欲」である。欲により振り廻され生きるのが、また人間の宿命でもある。

 例えば、人間の欲に振り廻されるある現象として、酒を飲み過ぎれば肝炎や肝硬変などの肝臓障害を起すことはよく知られたことであるが、酒はアルコール中毒になる元凶であり、飲んでいるときは酔いに任せて愉(たの)しいが、この愉しみが過ぎ去ると、肝臓障害を懸念しなければならなくなる。
 しかし、この懸念も死が遠い先のこととして短絡的に考えてしまえば、人間は「今の愉しさ」の方を選んでしまう生き物なのである。「今」という次元における「楽」である。

 したがって、不愉快になること、自分が損をすること、自分が死の危険に晒(さら)されることは、総て後回しにしてしまうのである。ここに現代の「先送りの論理」がある。しかし、これに陥れば、先入観に振り廻され、先が見えなくなってくる。

 

●仁とは

 「仁(じん)」は、愛の形を指す。
 また愛は、仁の形を変えた表現法で、仁とは、「思いやり」を顕わす形として、「礼」がある。

 一般に愛と言えば、男女の溺愛を指すようであるが、こうした欲望のドロドロしたものではなく、万物に対する慈悲の心であり、広くは、「慈(いつく)しみ」や「思い遣(や)り」を指すのである。
 慈しみや思い遣(や)る心は、人類における最高の道徳観念であり、「礼」に基づく自己制御であると共に、他人への配慮が「礼」として現われる。

 しかし、日本人には「愛」の概念がない。その事物の本質を捉える思考がない。その為に、「愛」と言う思索を、快楽的人生観から索引しようとする。
 つまり、男女関係に於ての耽美主義と捉え、唯美主義、つまりエステイチズム(aestheticism)として愛を解釈している。この考え方は、道徳的功利性を廃して、耽溺美の享受や形成に捉われ、最高の価値を唯美主義に置く立場である。

 十九世紀後半、フランスやイギリスを中心に唯美主義が起った。この「新浪漫主義」という考え方は、当時の文芸思潮であり、ボードレール・ゴーチエ・ワイルドらが、その代表格であった。生活を芸術化して、官能と享楽を求めたのである。芸術至上主義といえば聞こえがいいが、反自然主義的傾向にあり、その背景には耽美思潮が漂っていた。

 日本で謂(い)えば、明治40年代末以降に擡頭(たいとう)した、耽美思潮であり、特に北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、永井荷風、谷崎潤一郎らの新浪漫主義は、日本人に「謙虚に慈しみの心を抱くチャンス」を失なわしめた。そして、日本人が感得する「愛」は畸形(きけい)に捻れた。

 この時点から、徳川時代、武士階級が持ち続けた「道徳」や「倫理」は破壊され、人間の一生のうち、どれだけ功利的な立場に立って、官能的かつ享楽的な幸福を貪かに変わっていった。

 つまり、唯美主義者達が唱えた主張は「死後、千年の名、生前の一杯の美酒に若(し)かず」だった。死して吾(わ)が名を残すより、現実的な耽美(たんび)に溺れる美酒こそ、最優先であると考えたのである。したがって、一生は肉体への享楽だとしたのである。
 彼等の言を借りれば、死後どんなに褒(ほ)められようが、自分が称賛されようが何もならない。現実の世の、現世を満喫するのが、一番大事であると観(かん)じたのである。

 その為に、社会は自己の利用すべき場所であると考えるようになる。また、道徳と言っても、それは、それを守る事の方が、自己の営利活動に有利である為、ポーズとして、批准(ひじゅん)するとしたのである。そして、彼等が夢見る社会の全体像は、功利的な考え方が全体を貫いているのである。他人に協力すると言う考え方も、許(もと)を辿れば、ここに回帰する。

 これは、常に自己の利益や幸福を増す場合に於てのみ、そのものに価値を認める存在理由になるのである。
 まさに人生を、快楽的人生観で捉え、一方に於いて、世紀末的な頽廃的かつ享楽的な思考である。つまり、今がよければそれでよいと考える分けである。
 「恋と歌と酔いが若い魂の三部曲」と持て囃(はや)した耽美主義は、しかし、人間が死ぬべき存在であると言う真理に直面した時、この主義は脆(もろ)くも崩れ去る。

 それは享楽の実体が、「負えば負う程」失うべき存在であるからだ。享楽的幸福を思う者は、ついには本当の幸福から遠ざかるのである。そして耽美と享楽の行き着く先は、醜と死だけであった。

 かつて孔子が提唱した礼は、「仁」を天道の発言と看做(みな)し、道徳思想の中心課題に据えられ、万人平等の実践するべき倫理となった。そして人は、仁を実践する事によって人間相互間の秩序が保たれるとした。仁の表現型である慈しみや思いやりが無くして礼は存在しない。

 世間には、仁義・仁術・仁侠などの言葉が軽々しく用いられているが、「仁」における根本理念は他者に対する慈しみであり、思いやりである。
 一方、この仁の精神的支柱の背景には、民を治めると言う必要条件が内在し、この必要条件こそ、全人格を代表して人の上に立ち、人を指導する条件であった。「民を治める」崇高な条件は、その中に内在する「愛」「寛容」「弱い者への哀れみと同情」「人情に機微」「至高な徳」などが求められ、人間が貫いて生きて行かねばならない精神的な支柱が此処におさめられていた。そして、これこそが高貴な精神の性質でもあったのである。

 歴史を振り返ると、孔子や孟子が教えた精神の中で、民を治める必要条件は「仁」であると説き継がれて来た。そして仁は、慈悲に回帰する。

帆柱稲荷神社

 孔子は言う。
 「君子はまず徳を慎む。徳あれば此処に人あり、人あれば此処に土あり、土あれば此処に財あり、財あれば此処に用あり。徳とは本(ほん)なり、財とは末なり」と。
 また言う。
 「未だ上仁を好みて、下儀を好まざる者はあるざりなり」と。そして「天下心服せずして王たる者はこれあらざるなり」と述べている。
 更に、孟子は孔子についで、「不仁にして国を得る者は、之(これ)有り、不仁にして天下を得る者は、未だ之有らざるなり」と云っている。
 つまり両者は、天下を治める者の不可欠な条件は、「仁」であり、この仁は「人(じん)」と定義したのである。
 人は仁に通じる以上、人の道の基本は「礼」である。「礼」をもって人に回帰するのである。

 武術における「礼」も、原点はここから出発している。
 したがって古来より、「武は礼に始まり礼に終わる」と言われる。同時に、世人は武に期待するものを、時代と共に変化させつつ、それに期待を寄せてきた。そしてこの期待は、日本人の文化資産にまで隆盛し、教育的効果が注目された事は紛れもない事実だった。
 ところが今日に至って、その効果も揺らぎ始め、時代の流れの中に埋没する恐れが出てきている。

 これまでの武の中心課題は、勝つ為に修行するのではなく、「負けない境地」を得る為に修行するものであった。自らは争わず、有事に際してのみに百年兵を練り、これに備えると言うものであった。

 しかし時代が明治維新以降、西洋化の波が押し寄せる頃になると、「負けない境地」と言う考え方は、古いものとされ、勝てばよい、叩けばよい、投げればよい、倒せばよいと言う考え方が生まれ、その勝者は、英雄として持て囃(はや)される現実が出現した。今日もその延長上にある事は明白であろう。

 かくして、勝つ為の修練は、弱肉強食の欧米的な植民地主義に加担し、帝国主義に加担して、欧米の「強さは正義」という考え方に汚染されてしまった。
 しかしこうした原因の根元を知らない一般世人は、今日でも、「武道」と名の付くものに、「礼儀あり」を期待し、武道界もまた、某かの自信を持って普及に奔走している。
 そしてこうした現状を広く武道界を見渡した時、理想とは似ても似つかわない、武の礼が、儚い幻想であった事に気付かされる。

 現在一部の、少数の本格派あるいは例外的な一部の良識派を除いて、「礼儀あり」と現実は廃れてしまっている。更には、この現実を持して、世の良識派を納得させる説得力は、今日の武道界にはない。

 礼儀正しいと自負している各種目武道でも、それはその集団の中でしか通用しないものであり、恣意的な習慣に過ぎない場合も少なくない。特殊な仏教思想を掲げ、横行に合掌などをする種目武道も、これを礼と喩(たと)えるが、これはむしろ礼と言うより、その実態は規律であり、規則であり、単に人の行動を制約する道具に過ぎない用に思われる。

 武門の礼は、行動を制限し、制約するものでない。自然な流れを旨とするのである。
 しかし武道と名の付くもの外と度スポーツ化していくと、武の礼法は廃(すた)れる傾向に傾く。本来、武の礼法は、求道精進(ぐどうしょうじん)の道であったはずだ。
 また、その価値観をもって、礼としての作法があり、作法には当然、自他の境界意識としての認識を促す、けじめの意識が備わっていた。その意識こそ、自発的な行動律であり、礼を知る者は、その背後に教養と見識が要求され、また鋭敏と柔軟が要求されたのである。これこそが直覚を支える意識であり、知性と感性の結集として、仁義があり、仁侠があった。

 ところがこうした意識は、違うものに宛てがえられ、万人の平等を実現する相互的な倫理は時代の移り変わりの変化と共に、無用の長物視される現実を招いた。
 また仁義の根底のあるものは「人の温情」であり、温情味のない仁や義は、決して一流とは看做されないのである。

 仁義や仁侠を語る多くの人間は、冷厳な態度を崇拝するようであるが、こうした態度は単に温情のない、人情に機微を知らない愚行を実践しているに過ぎない。
 恥を語り、菖蒲の大事を熱っぽく論い、志や、仁や、義を力説する輩は、ただ冷厳な人柄が多く、逆から見れば、他人に厳しく自分に甘い人である。冷厳な態度を取る人は、他人の行為に冷厳であって自分の行為には実に寛大である。

 特に仁侠道(にんきょうどう)と称して、その中に身を置いて生活をしている人にはこのタイプの人間が多く、自分の身の保身を考えて、他人に傾けねばならないはずの人情の機微が、実は自分の方ばかりに向けられていて、酷薄な性格の持ち主が少なくない。そして彼等の行為の多くは、教義で仁義を捉え、君徳に欠ける酷薄さだけが鼻につくのである。

 しかし仁や義の実態は、一種の温情味と呼ぶに相応しい「潤い」が保たれている事が、そのまま志の高さを顕わし、ここにこそ仁義の境地が存在していなければならない。
 武士道実践者の「武家目利き」の基準の一つには、この温情味を所有し、人間理解の目配りがあったという事である。そしてこの目配りが、見識となって現われ、仁や義の変型が「徳」と言うものであった。
 徳の無い人間に、人は価値観を認めず、潤いの無い人間に、「目利き」は出来ないからである。

 

●義とは

 仁と同じく無用の長物視されるものに「義」がある。
 本来、義は道理や条理を指し、物事の理にかなった事あるいは人間の行うべき筋道を言った。ここに「仁・義・礼・智・信」からなる「正義」があり、「義務」があった。

 正義や義務は、利害を捨て、道理や条理に従って、人道もしくは公共の為の奉仕であった。武士道の原点はこの奉仕の一語に尽きるのである。こうした事に骨を折った者に対し、世人はその行動を義挙と讃え、その行動人を「義士」と讃えたのである。

 論語為政に、「人の道として当然行うべき事と知りながら、これを実行しないのは、勇気がないというものである」と、勇の無い事を指摘する言葉がある。
 勇は義の変型であり、心が強く物事に恐れない事を指す。「義勇」や「武勇」は、こうした義に原点を置いて、「勇断」や「勇退」の潔(いさぎよ)さを顕わした。しがたって義は、仁に結び易く、一方で広義の「仁義」という語が礼に適(かな)うとされたのである。

 また力量と言うのは、勇によって派生し、義に結びつく事で「仁・義・礼・智・信」の人の筋道が出来、武士道はこの五つの実践に於いて、成就されるべきものである。またこの成就を武門の嗜(たしな)みとした。

 喜怒哀楽の感情のままに揺れ動く事を戒め、人間の行動様式は本来、奉仕に向かわねばならないとする自他同根思想である。
 ところが徳川中期以降の武士道は、儒教的教養主義の毒を受け、自己抑制こそ、美徳とする狭義的な解釈で武士道が狭い思想で徘徊した。また官学に組み入れられ、儒家の朱子学的要素を濃厚にした。

 だが官学的朱子学は時の権力者や特権階級の保身に利用され、狭窄的なものに成り下がって行く。しかしこうした朱子学的要素の儒学を武士道と称するのではない。
 朱子学的要素では、時代を変化させ、新しい波を乗り越える事が出来なかった事は、歴史を見れば明白である。
 喩えば、戦国時代や徳川幕末から明治維新にかけて、果たして朱子学的思考で新しい時代の波は乗り越える事ができただろうか。現に時代の封建体制は、室町期も同様に、徳川幕藩体制も、時代と共に跡形なく崩壊しているではないか。

 日本民族が本卦帰りほんけがえり/八卦で、二回算木(さんぎ)を置いて占う時の初めの卦の事。本卦の二になる事で、即ち数え年で六十一歳になること。還暦とも)を果たしたような時期に武士道にピントを合わせて観察すれば、当時の行動律は非日常における「実践」を信条とし、「本心の動くまま」の知行合一のアクションを起こし、これに集約されている事が非常によく窺われる。

 つまり時代に節目には、日常と違って、非日常の原則から、心にも無い事を口にしたり、不本意な事をするのは、武士道全う者の恥辱(ちじょく)としたのである。
 ここにこそ、陽明学の説く「知行合一」があった。

 知行合一ちこうごういつ/の王陽明の学説。朱熹の先知後行説が「致知」の「知」を経験的知識とし、広く知を致して事物の理を究めてこそ、これを実践しうるとしたのに対して、王陽明(おうようめい)は「致知」の「知」を「良知」であるとし、知は行のもとであり、行は知の発現であるとし、知と行とを同時一源のものととらえた)によれば、嬉しい時に嬉しくないような顔をし、また悲しい事を悲しくないように装おう事こそ、陽明学の精神思想に反するものだと考えたのである。これは明治維新を縦横に駆け抜けて活躍した志士達の歴史を見れば明らかであろう。

 旧態依然の幕藩体制を支持する、本心を偽って仮面を被った武士が居る一方、御身大事の保身主義を否定して、行動こそ、知行合一の要であると理解した武士道実践者も少なくなかった。
 そしてその知行合一の、実践の第一人者が吉田松陰ではなかったか。
 知っている事と、行う事が同時であると言うのは、決して武士道の行動律に矛盾しないのである。


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