内弟子制度 19



●他人行儀に人と接する

 
「他人行儀」という言葉があります。
 この言葉は、一般にはあまり良い方に使われません。巷間(こうかん)での解釈は、親しい仲であるのに、他人に接する時のようによそよそしく振る舞うことを指し、むしろ悪い意味でとられる方が多いようです。

 しかし、一方「親しき仲にも礼儀あり」という言葉もあります。
 これは、親密過ぎて節度を失うのは不和のもとだから、親密な仲であっても時と場合を考えて、礼儀を守るようにせよということであり、この同義として、「親しき仲に垣かきをせよ」ともあります。

 秩序が崩壊するのは、人間が人と人の付き合いの中で、礼儀を失う事に由来します。また、規範が失われ、無規範anomie/日々の行動を秩序づける共通の価値・道徳が失われること)になって悪魔のイデオロギーが蔓延(はびこ)り、世の中が騒然となるもの、礼儀が失われる事に由来します。

 尚道館では、子弟相互間でも「敬語」を遣わせ、「丁寧語」を使わせます。秩序が崩壊し無規範になるのは、馴(な)れ馴れしさから日常の不和が原因して、崩壊に至ります。人々の日々の行動律が道徳や倫理を失い、無規範と混乱が支配的になった社会状態になれば、秩序は忽然(こつぜん)として崩壊します。
 ある一つの時代が終わり、ある時代が浮上する時は、こうしや無規範状態が暫(しばら)く続き、その後に歴史が塗り替えられます。一つの国家が忽然として消えるのは、無規範によって齎され、無礼の極みが禍根となって、国が崩壊し、文明が崩壊するのです。これは、何よりも歴史が証明しているところです。

 かつて「ローデシア」Rhodesia/アフリカ南部の旧イギリス植民地で、1953年ローデシア・ニアサランド連邦(中央アフリカ連邦)を結成)という国がありました。しかしこの国は、1964年北ローデシアはザンビア、ニアサランドはマラウイとして独立し、南ローデシアは1965年、独立を宣言してローデシアと称しましたが、1980年、革命によってこの国は崩壊しました。
 崩壊後は、当時軍人であったジンバブエ大統領に指導され後、正式にジンバブエ(Zimbabwe)として独立しましたが、ローデシアと言う国は地球上から消えてなくなりました。

 国一国が崩壊する時、あるいは文明が崩壊する時、必ず社会には無規範が蔓延(はびこ)ります。これはローマ帝国崩壊を見ても明らかです。西洋古代最大の帝国であったローマ帝国は、王政、共和政、第1次・第2次三頭政治を経て、前27年オクタウィアヌスが統一し、帝政時代を実現しましたが、その後衰退を辿り、崩壊に至ります。
 無規範とはこのように恐ろしいものであり、武術家は単にハングリーで、ハードな修練に明け暮れるのではなく、護身術の一つとして、「恐れる」という事を、実感として身に体験しなければなりません。
 「恐れ」に疎(うと)い、武道オタクや格闘技マニアは、この「恐れる」という感覚に疎いようですが、こうした感覚で格闘技や競技武道に親しんでいると、必ずいつかは「しっぺ返し」を喰らうものです。

 尚道館では、「礼儀」は「護身術の一つ」であると教えます。人間の円滑な関係は礼儀から生まれ、社会が騒然となって、無規範状態に陥るのを防止するからです。



●日々新たに、「今日」と言う一日を、死に当てて暮らす

 「今日一日」と言う、その一日は、またとない「今日」です。
 その日が吉日(きちじつ)であるか、厄日(やくび)であるかは、今日一日と言う、本当の意味を知ることから始まります。したがって「今日一日」とは、人生の中でまたと無い「良き日」であり、これを吉日にするか、厄日にするかは、それは自分自身の行動律に掛かります。

 吉日か、厄日はか、九星早見表や暦表の暦(こよみ)の中にあるのではありません。
 「今日一日」とは、またと巡って来ない一日です。「昨日」は過ぎ去った今日であり、「明日」は近付きつつある今日です。「今日」以外に、人間が知覚し、これを体験し、その中で行動すると言うこと以外出来ません。すなわち「今日」が人生であり、「今日」以外に人生はありません。ですから、人の一生は、「今日の連続」です。

 しかし世の中には、昨日を悔(く)い、また、明日を憂(うれ)うる人がいます。これは、己が影法師に、びくつく優柔不断な人です。その為、日の良し悪しを愚かな運勢暦で占ったり、方位を占ったり、九星早見表でその日を占う人がいます。愚かしい限りです。

 今日と言う日を、日の吉凶で占い、そうした迷信を信じる人は、また、実に気の毒な人です。そして今日を取り逃がし、迷信を信じたまま、また、一生を取り逃がす人になってしまいます。

 今日と言う一日は、またとない「今日一日」のことなのです。今日は、人生に於て、二日と巡って来ない今日だからです。この今日を、吉日にするか、厄日にするかは、今日を判断する自分自身の中(うち)にあります。
 隙(すき)を作れば、今日はどんな危険が襲う厄日なのかも知れないし、一方、迷信に振り回されること無く今日一日を希望の日と捉えれば、またとない良き日になります。

 今日一日の「今」は、「一秒」の集積です。この「今」を失う人は、今日一日を失う人です。今日一日を失う人は、一生を失う人です。
 今日一日を吉日にするか、厄日にするかは自分の裡側(うちがわ)にあり、今を蔑(ないがし)ろにする人は、結局、今日一日を無駄に過ごし、今日一日を無駄にする人は、また、自分の人生をも無駄に過ごす人です。

 「光陰(こういん)矢の如し」という格言に心を傾けて下さい。また、「歳月人を待たず」ということを心に留め置いて下さい。

 更に金言として、「時は金なり」というではありませんか。そして西郷派大東流では「今」この一瞬に、総てを賭(か)けることを教えるのです。
 「この一瞬に賭ける」とは、青春をこの一瞬に賭ける事であり、また、自分の振り下ろす、一刀の太刀も、その「初太刀」(抜刀して一番最初の痛烈な第一撃)に総てを賭ける事を言います。西郷派大東流では、剣での一太刀も、「初太刀に総てを賭ける」と言う事を教えますから、「自分の太刀は自信をもって振り下ろせ」と教示します。

 ゆめゆめ、間違っても、初太刀で跳ね返されるなどの失態は許されません。敵にこれを受けられ、跳ね返されれば、自分が次に斬られて死ぬだけのことなのです。したがって痛烈な第一撃は、自分を信じ、初太刀を信じるのです。
 「一瞬に総てを賭ける」と言う格言は、この「今」と言う瞬間に輝かしい光を放ちます。
 その教えの中に、「現代に生きる武士道」の思想があります。

 そして尚道館では、「武士道とは何か……」という命題に迫りつつ、かつての武人達に見られた毅然(きぜん)とした態度ならびに、一種独特の「すずやかな態度」と、「潔さ」にテーマを掲げ、内弟子はそれに向かって儀法や習得事項などに全エネルギーを注ぎ込み、精進を重ね、同時に、「捨身懸命(すてみ‐けんめい)の武士道精神」を探究していく事になります。
 捨身懸命とは、「死に身」の事であり、一般には「捨身」と云う言葉で知られています。

 よく「武士道」等というと、聴き覚えのある『葉隠論語』を捩(もじ)って「死ぬ事と見付けたり……云々」と云う人がいますが、これは認識薄です。
 かつての、太平洋戦争当時、「特攻隊」(別攻撃隊の略称で、特に、太平洋戦争中、体当りの攻撃を行なった日本陸海軍の部隊で、「神風特別攻撃隊」等がこれに当たる)という青少年の決死隊がありましたが、自分の命を粗末に扱い、犬死するという事ではありません。

 勿論、当時の特攻隊員の青少年の惨劇は、亡国に当たり、国防の為、自らの命を顧(かえり)みず、国に捧げた報国の精神は非常に貴いものですが、真の武士道はこうした、上からの命令によって死を強要され、それに準ずると云う姿勢を、我が流は「武士道」と定義しているのではありません。
 武士道とは、容易に敵から付け入られない境地を養うことであって、「死の事」ばかりを念頭において、死に急ぐ事ではありません。
 真の武士道は、人に死ぬ事を強要しないものなのです。最後の最後まで生き抜いて、「日々、己の日常生活の中に死を取り入れて、もし、明日死ぬのだったら」という気持ちで、世の中を生きていく、生き方を教えているのです。

 例えば、読者の皆さんが、「もし、明日死ぬのだったら」……、今、一体何がしたいと思うでしょうか。もし明日、地球がこの宇宙から消えてなくなるとしたら、皆さんは、今一体何がしたいと思うでしょうか。
 多くの人は、今自分が一番したいことを真っ先に遣るのではないかと思います。
 やり残した仕事が残っているのなら、この仕事を、何が何でも今日中に仕上げて死にたいと思うでしょう。中には、不埒(ふらち)な不法の限りを尽くして、男ならば女を犯し捲り、好き勝手な暴力を働いて、性欲を満足させて死にたいと思う人も居るかも知れませんが、多くの人は、やはり善意をもって、最後に、人の為に、死にたいと考えるのではないでしょうか。

 人は臨終(りんじゅう)間際(まぎわ)に及び、善意の光りに導かれ、悪であるより、善でありたいと願うものです。悪業の限りを尽くして、それを自分の臨終としたいと思う人は、殆ど居ないのではないでしょうか。
 これは、死刑囚の死刑執行までの日々の行いを見れば明らかになります。殺人鬼のような死刑囚であっても、やはり最後は宗教に帰依し、これまでの罪を悔い入り、安らかに死にたいと考えます。こうした最後に及んで、性欲を発散させたいなどと思う人は非常に少ないと言え、もし、こう言う人が居たのなら、これは異常者と言うべきでしょう。そしてこうした異常者は、異常者として次の因縁を作ります。

 また、悪業の限りを尽くして死んでも、安らかな臨終など出来るわけがありません。
 安らかな臨終を迎えるには、善導に導く、何かが必要になります。つまり善導とは、自分の一番やらなければならない事を最優先して、これに打ち込み、この成就を願う事なのです。

 例えば、芸術家であれば、最高の芸術を求めて限りある時間を努力に費やすし、例えば機関士であっても、運転手であっても、また、その他の職業に就いていても、その仕事に誇りを持ち、最後の締め括りとして、最高の、完成度の高いものを求めて努力するのではないでしょうか。

 これこそが、「日々、己の日常生活の中に、死を取り入れて生きる」と云うことなのです。つまり、それは生き生きとして、その人の日々は輝くのではないでしょうか。誰もがそう言う気持ちで生きれば、素晴らしい社会が出来上がります。
 西郷派大東流の説く武士道は、此処(ここ)に根本を為(な)し、「日々、死を取り入れて生きる」と言う事を目指しているのです。

 よく、人は「死んだつもりで……」とか、「死にもの狂いで……」(『葉隠』では「死に狂い」という)とかの、窮地に立たされたと時機(とき)、このような言葉を使います。死を覚悟した人間ほど強い者はありません。格闘技の猛者(もさ)でも、死を覚悟した人間と闘うと、非常に手こずります。命を捨てて掛かる人間ほど強いものはないからです。
 つまり、「死んだつもりで」とか、「死にものぐるいで」と言うのが「捨身懸命」の精神であり、「命を捨てて掛かる」と云う武士道の崇高(すうこう)な精神は、此処に回帰されます。そして「捨身懸命」の中から、西郷派大東流合気武術は、敵に「負けない境地」を教えるのです。
 それは一度闘うような事があれば、死を覚悟して、命を捨てて敵と闘うからです。この次元に、死生観は存在せず、ただ自分が死んで、相手も死ぬという事だけが、「負けない境地」に誘(いざな)うからです。

 スポーツや格闘技は、次元の低い、「勝ちに、こだわる」種目競技です。ボクシングのチャンピオンが、柔道のルールで勝てるわけはなく、柔道の選手は水泳競技の選手と競争して、これを負かす事は出来ません。また、土俵内では幾ら強い力士でも、マラソン選手の長距離ランナーには歯が立たず、40キロ前後の長距離を完走する事は不可能でしょう。

 結局、スポーツや格闘技は、同じ競技種目で対戦者を競わせ、勝者を褒(ほめ)め讃(たた)えて、局面的な英雄を作り上げようとするだけのことなのです。
 試合に勝てば、時の英雄となる事が出来、その時代の英雄として多くの人達から、ちやほやされ、持て囃(はや)され、自分自身も舞い上がって有頂天になり、「時の人」になったことに思い上がってしまいます。

 人前では、態度や語り口が傲慢(ごうまん)になり、他人を見下すようになって、「図に乗る」という態度に出ます。昨今のスポーツ選手や、格闘技の選手が、非常に傲慢で悪態をつくのは、周知の通りです。そして勝ったこと、あるいは優勝したことにいつまでも酔い痴れます。
 しかしこれは、一時(ひととき)の儚(はか)い夢でしかありません。一年も経てば、次の新たな英雄が出てきて入れ代わり、自分の名前など、世間からすっかり忘れ去られ、十年後、二十年後には、完全に人々の記憶から消滅してしまいます。

 一時、勇名を馳(は)せても、あるいは有名人になる切っ掛けを掴んだとしても、これは永久的なものではありません。かつての某格闘技の世界チャンピオンが、芸能タレントに身を窶(やつ)したり、その後、酒で身を持ち崩したり、異性や同性で身を持ち崩すと言う話は五万とあり、寂しい晩年を送っていると云うのは紛れもない事実です。

 芸能タレントでも、こうした人々の記憶から薄れると云う現実からは免れることが出来ず、スポーツ・タレントも同じような結末を迎えます。若い頃に、有名人として名を馳せた大スターは、スポーツ界でも芸能界でも、晩年が実に惨めなのは、周知の通りなのです。それは、過去の栄光と共に、過去のものになり、人々の記憶から忘れ去られるからです。

 一方武術は、スポーツ武道や格闘技と異なり、観客の前でゲームや試合を楽しむと言う事ではありませんし、観戦スポーツでもありませんので、その根底に流れているのは、「己を捨てた捨身」であり、生と死の二極相対の中で、あれかこれかと迷わぬ心を養成していきます。これを「不動心」と云い、不動心の中にこそ、かつての武士の、一朝事がある時は身を捨てて有事に向かう精神がその存在的価値観です。この事から人間の人生は、何事においても、「死と隣り合せである」という事が分かります。

 こうして常に、日々を「死」を以て当たれば、その人生は生き生きと輝き、その行動原理は、常にさっぱりと片付いていて、総(すべ)てに、一種の簡潔性を見る事が出来ます。そして、その簡潔性を決定するのは、迷わぬ不動心であり、こうした不動の心に近付けば、その人の品格は常に潔いものであると同時に、こうした品格を決定するのは、その根底に、その人の持つ志が流れているからです。

 この志こそ、今風に云う「目的意識」であり、この目的意識が、「何を考えているか」また「武人とは如何にあるべきか」と云う事を、武技の修練や稽古を通じて示唆してくれるものなのです。
 ともあれ、人間はその志によって品格が決まります。その品格が高いか、あるいは低いかは、その儘(まま)が志の高低に繋がります。そして志は、自分を生涯支え続ける威力でもあります。

 将来に志を掲げ、世の中に大旆(たいはい)を掲げ、自分の将来を見詰めて、自分は「人間のクズではない」と思い、後世の指導者たらんと志す方は、真摯な気持ちで、ぜひ一度、我が西郷派大東流合気武術の総本部・尚道館の内弟子の門を叩いてみては如何がでしょうか。



●志は苦難の中でのみ成就する

 
『孟子』には、次のようにあります。
 「天の将(まさ)に大任(たいにん)を是(この)の人に降(くだ)さんとするや、必ず、まずその心志(しんし)を苦しめ、その筋骨(きんこつ)を労す」とあります。

 これは、「天命」と言うものは、その人に大任や大役を仰(おおせ)せ付ける時、必ず、「これでえもか、これえでもか」と苦しめ、その志と信念に嘘(うそ)(いつわ)りがないか、徹底的に試し、筋骨がボロボロになるまで苦労させ、骨を折らせるというのです。

 人間の人生において、骨を折り、苦労することは非常な苦痛が伴います。
 また、人が恐れ、避けて通りたいのは「苦難」です。苦難の中でも、病気や、災難や、貧困や、不成就などは避けて通りたい苦難であり、かつてはこうした苦難や不幸は、悪魔の仕業(しわざ)とされ、忌み嫌われたものでした。

 そして現在でも、この迷信は人々の心に深く根付き、これを家相が兇(わる)いからとか、先祖の罪の現れだとか、因果応報いんが‐おうほう/過去世における善悪の業で、悪い事をすれば悪い報いが、良い事をすれば良い報いがという仏教布教の教え)の報(むく)いだとか云って、仏教用語を持ち出し、過去における善悪の業(ごう)に応じて現在における幸・不幸の果報を生じ、現在の業に応じて未来の果報を生ずること等と、安易に決めつけました。

 しかし「仕方がない」と諦めてしまうのは愚かなことです。
 苦難は元々、天命における試煉(しれん)だからです。苦難を、耐え忍んで努力すれば、必ず良い結果が生まれます。
 古(いにしえ)の勇者・山中鹿之介(戦国時代の武将で、名は幸盛。出雲の人で尼子義久に仕えた。しかし、1566年(永禄9)義久が毛利氏に降ったので、尼子勝久を擁して戦ったが、のち播磨(はりま)上月(こうづき)城で毛利方に攻められ、捕えられて打ち首のなった)は、「我に七難八苦を与えたまえ」と自ら進んで、三日月に祈ったと言えれます。

 また、『マタイ伝』(7-13-14)には、
 狭き門より入れ。滅びに至る門は大きく、その路(みち)は広く、これより入る者は多し。生命に至る門は狭く、その路は細く、これを見い出す者は少なし 

 とあります。

 生命に生き、それを全うする門は、非常に狭くて、入り難く、また苦しいし、痛い。更には、醜く、見窄(みすぼ)らしく、見て呉(く)れは非常に悪いものです。しかし、それが酷ければ酷いだけ、しっかりとした足取りで進めば、必ずや、この門の扉は開かれます。
 そして門の奥で待ち構えているのは、広き門とは桁(けた)違いな、歓喜と光明に輝く眩(まばゆ)いばかりの幸福であり、幸福とは苦難から入る狭き門だったのです。

 人は苦難に襲われたり、窮地に立たされると、つい弱気になって、考え方を消極的に運び、己の「運命」の不運を嘆くようです。そして、人の一生は「運命」によって定まり、これは人間の力ではどうしようもないと諦めてしまうようです。

 しかし人の一生は、占師が言うように、運命で左右されるものではなく、またその人の生年月日や時間が分かれば、それだけで運命がすっかり分かると言うようなものではありません。
 「運命に左右される」というこの考え方は、非常に危険な考え方【註】占いは深層意識に暗示をかけ、九星気学に見るような、統計的に人の生年月日を分類し、この分類によって未来を占うと言う暗示性の強いもの。この意識下で前頭葉の発達の未熟な者は、暗示に掛かり易く、占い無しでは見通しが立たなくなる)であり、「果報は寝て待て」という怠慢(たいまん)な性格を作り出してしまいます。
 いま流行りの、テレビ番組などに出ているカリスマ占師や、自称・霊能者と言う手合いの「言」は、でまかせと嘘が多くて、これを信じる要素は何一つとしてありません。

 「運は天にある」のではなく、苦難を体験して、「人事を尽くして天命を待つ」というものなのです。人事を尽くさずして、天命の働きようはなく、毅然(きぜん)と人事を尽くすから、その行動律においてのみ、運は開けるのです。

 「方位」にしても同じ事であり、怠け者は幾ら良い方位をとっても良い方に働かず、また悪い方位を避けても、益々悪くなるばかりです。特に九星気学のような、変型方位版【註】60度と30度。そして右に5度ずれる)を使っての「方位取り」は、危険であり、そこから土や水や塩などを持ち返ったとしても、決して「果報は寝て待つ」ような怠け者には働きようがなく、運気は益々停滞するどころか、逆方向の悪化の方向に向かいます。
 本来の、《八門遁甲》はちもんとんこう/地球を球体を看做し、正八角形の遁甲盤に自分の位置を配当し、ここから複雑な計算をする兵法。大学レベルの物理数学などの不得手な人には、非常に難解で全く理解できない。素人は絶対に手を出さぬのが賢明)でいう軍立(いくさだて)をする中国古典物理学では、良い吉方(きっぽう)をとっても良くはならず、また悪い災方(さいほう)をとっても悪くならないと言うのが本当であって、方位次第で運気が上下するものではないのです。

 したがって「人の境遇」などというものは、予(あらかじ)め定まっているようなものではなく、その人が苦労しつつ、逆境をものともせず、毅然(きぜん)と立ち向かえば、その人の心通りに、境遇の方が「変わる」ということなのです。



●機能美の追求

 
武人の行動律は「機能美」に集約されます。
 したがって抽象的な非現実主義が嫌われ、現実的かつ機能的なものが尊ばれます。この機能美の中には、作法としての「隙のない振る舞い」を重視し、隙をつくらぬ配慮に心掛けます。

 例えば、ある会社などを訪問して、会社の廊下に一片のゴミが墜(お)ちていたとしましょう。
 これを発見した時、次ぎのような判定が下せます。
 まず、この会社は廊下にゴミが墜ちていても、社員は誰もゴミを拾う人など居ない。次に、ゴミを拾えない程、この会社は忙しい。そして最後に、社長も、ゴミが墜ちているのに気付きながら、自分でも拾うのが厭(いや)だから、このまま放置した。

 しかし、ゴミが墜ちていてそれを拾おうともしない会社は、はっきり言って「斜陽」に向かっているのは紛れもない事実でしょう。
 また、こうした会社の経営者も、社員の躾(しつけ)のぞんざいな、ただの凡夫が社長を遣(や)っているに違いありません。要するに観察眼がなく、隙だらけの、盲のような社員が居(お)り、経営者が居(い)ると言う、斜陽に差し掛かった会社と言えます。したがって会社の将来性もゼロと言えましょう。そして機能美などは、何処にも存在していません。

 これは道場や、それに附随している内弟子寮についても言う事がで来ます。
 本来ならば、武人の配慮は隙を作らぬ事で一貫していなければなりません。常在戦場の意識を自覚し、いつ、いかなる時も、即応できるような体勢を作り上げ、有事の際に対処できるような態勢を整えて置く必要があります。
 使い古された言葉ですが、「火事は出来るだけ出さないようにしなければならない。よく注意して火の元には細心の注意を払い、火の用心には心掛けねばならない。しかし、万一火事が起れば、この火を消すだけの訓練と準備をしておかなければならない」という、外国の用心に対する諺(ことわざ)があります。

 「火事は出来るだけ出さないようにしなければならない」
 これは万人が願う気持ちでしょう。しかし用心しているからと言って、火事がこれだけで防げるとは限りません。人間は不注意の塊(かたまり)のような生き物ですから、聞き逃しや見逃しがあるのは当然の事です。その為に、毎日毎日、起こりようもないと思える火事に対して、消防士や消防レンジャー隊員は過酷な消化訓練と救出訓練を繰り返しているのです。

 武術で言う、「負けない境地」も、実はこれと同じであり、武を練り、修行をし、稽古を繰り返して、隙を作らぬ事が「負けない境地」を確立しているのです。したがって常在戦場という意識が必要になります。
 日常の瑣末(さまつ)な所作の一つ一つに心を配り、どんな小さなミスも見逃さず、些(いささ)か神経質と思われるような注意を注がなければならないのです。

 尚道館では、この事を火事に喩(たと)えて教訓に挙げていますが、これは決して命令したり、あるいは一切を指導する宗家先生が一々、事細かに注意はしません。廊下や階段に小さなゴミ片が墜ちていても、これを拾えとは、一言も言いません。
 では、もし廊下や階段にゴミが墜ちていて、内弟子も気付かないとすれば、いったい誰が拾うのでしょうか。それは宗家先生自らは、ゴミを拾って廻ります。

 昨年の夏季合宿セミナーの時、合宿が始まって何日が過ぎ、心の弛(ゆる)みが出た頃、玄関前に並べられた参加者の履物がぞんざいになり始めました。スニーカーや雪駄などは揃(そろ)えられておらず、脱ぎっぱなしの状態になっていました。そしてこうした履物をきちんと揃えようとした参加者は一人も居ませんでした。
 そうした時、これに逸早く気付き、門人や参加者達の靴を無言で揃えていたのは、実は宗家先生だったのです。この事に気付いたF師範は、慌てて飛んで行き、途中で宗家先生と交代しましたが、「指導者は、自らその行いを無言の儘(まま)で示す事が指導的立場にあるのもの姿だ」と宗家先生は教えます。

 したがって内弟子の我等も、この教えは厳守しなければなりません。しかし用心深さや、注意深さや長時間の緊張に欠ける我々は、見逃しや聞き逃しも多く、疲れて、つい緊張が弛み、瑣末な所作も作ってしまう事もしばしばです。

 また、注意事項に、「跫音(あしおと)を立てて歩くな」とか、「コップや湯呑みや盃は右手で持つな」という教えがあります。
 跫音を立てる事は未熟な証拠で、膝・腰が弱い事を表し、西郷派大東流の「弓身之足(きゅうしん‐の‐あし)」の修行が足らない事を物語り、敵に対して跫音を聴かれて自分の居場所を教えるようなものであり、盃などを利き手の右で持つ事は、利き手を制するとして致命的であると戒められます。

 特に、利き手を塞(ふさ)いでしまう事は、いざという時に即応が出来ず、常に利き腕は自由にさせておくと言う事が原則であり、これこそが武門の行動律なのです。
 また、坐礼の時は、初段補以上の有段者は利き手でない左手から床に手をつき、壱級から初心者一般は利き腕の右手から出します。黒帯以上は利き手でない方から出しますが、それ以外は誠意の現れとして、未熟を認め、また、上士から技の指導を受けると意味も罩(こ)めて、利き手から出し、ここに西郷派大東流の特異な身分が存在しているのです。

 この身分は、身分制度のそれではなく、また黒帯以上が威張る為の身分でもなく、修行者としての先達の身分に敬意を表します。
 つまり「発心順」ほっしん‐じゅん/入門順)というのが、西郷派大東流の諸先輩を尊敬する敬意の現れれであり、特に黒帯と、それ以外を発心順に修行者としての会得範囲を示し、敬意の象徴として許された証(あかし)がこれであり、この伝統はもう、五十年以上も続いている吾(わ)が流の掟(おきて)なのです。
 こうした所作も機能美から生まれた、上下関係の摩擦を避ける為の、身分を表した無言の礼法と言えましょう。