内弟子制度 15
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●人は皆平等ではない。人は皆「同格」であり、「同等」であり、「対等」である 「人間が皆平等ではない」ことは、既に述べて来たが、私たちが「市民社会」を考えた場合、対等意識の中に、武士道の真髄(しんずい)を見い出す事ができる。「対等」こそ、これからの21世紀を担う思想の要であり、これこそが「近代的」と云われる「礼」の根幹ではないかと信ずる。 つまり「礼」とは、人間同士が対等の立場に立って互いに敬意を表す行為である。したがって貧困の集合体の「待たざる者」が、ひと握りの金持ちの「持てる者」に頭を下げるお辞儀ではない。礼とは、何処まで突き詰めても、「対等」である人間の接し方を教示したもので、そこには「平等」と云う絵空事はなく、「人は同格であり同等である」という結論が導き出される。 したがって武士道実践者は「対等」意識の中にこそ、その根幹の真価を見い出さなければならない。もし、武士道を標榜(ひょうぼう)して、対等意識に欠けていれば、その人の言は、不言実行から程遠く、独断と偏見によって武士道を解釈している事になる。武士道の根幹には、人と人を対等に扱い、これを同格・同等に看做(みな)すと言う教えがある。 世間は明けても暮れても、「平等」旋風で吹き荒れているが、実際に、人の才能や知恵を「平等の鋏(はさみ)」で摘み取ってしまったら、その後の社会は一体どうなるだろうか。 おそらく市民社会は、一挙に崩壊し、人々の人格は踏み躙(にじ)られるであろう。また、時代は知性と理性を失い、古代に逆戻りしてしまうだろう。 不法や不合理が蔓延(はびこ)り、人間と人間の間に暴力が介在して、市民としての人権は蔑(ないが)ろにされるであろう。 人間は、一人一人が特有の個性の持ち主として、あるいは主体として、尊重されるべき存在である。暴力によって殺傷される市民社会は、その社会自体が構造的に不備があり、その完成度が未熟であると云う事を物語っている。「平等」の口当たりの良さに溺(おぼ)れて、「人間は、皆《対等》である」という事を忘れているからである。 江戸時代と言う、かつての封建制度の真っ只中にも、主君と家臣は対等で意見を交換し合っていたのであるから、それより近代的な時代と云われる現代においても、その主従関係は対等であるべきだ。 しかし現実は、対等など何処にもなく、企業一つ取り上げてみても、ワンマン経営者の「鶴の一声」に、多くの社員は振り回されているではないか。これこそ前近代的な愚行の一つに挙げられる事柄である。 日本資本主義の特徴は、諸外国のそれと異なり、多くの企業は同族企業であり、多くの社員はその組織体の中で、こうした暴君の「鶴の一声」に振り廻され、お追従型人間として生きて行くしか希望を見出せないようになっている。これも偏(ひとえ)に、社会構造が市民社会として非常に未熟であると言う証明でもある。 では歴史的に見て、「近代」とはいつから始まったのであろうか。 また、「人間が対等」に扱われる時代以降を、「近代」と云うが、それはいつ頃からだったのだろうか。 歴史を紐(ひも)解けば、日本では武士階級の中に「近代」が始まった形跡があった。そして主従関係は武家の礼法にあったと考えられる。 城内に入場しても、武士は如何なる家柄であろうとも、脇指の対等が許されて居たと云う事がこれを如実に物語っている。君主が間違っていれば、それに対し、脇指を抜いて刃向かう事すら出来たのである。これこそ、「対等」に値する、まさに近代と云うべき制度でなかったか。 また欧米では、1642年頃に起った清教徒革命の軍隊の中に「近代」を見ることが出来る。彼ら清教徒達は、封建領主の家来ではなかった。信仰を共にする信者の集まりであったから、将軍も一兵卒も、人間として、市民としては、みな対等だった。 戦闘に従事している間は、上官の命令は絶対服従であるが、戦闘を終えて兵営や野営場所に帰ってくれば、討論したり、意見を交換する時は、みな士官も兵卒も全くの対等であり、自分の主張を自由にぶつけあう事が出来た。 これは士官や兵卒の区別なく、人間として一人一人の人格は独立した個人を表し、「何者も侵す事はが出来ない」という市民社会のルールに則し、その裏側で、「対等」という意識が働いていたからである。これは今日の近代的な軍隊組織にも匹敵し、軍隊内部の上下関係と、市民社会の対等な人間関係が一体となり、両立している様を表す、今風に云えば、シビリアン・コントロールとでも言う事が出来ようか。 既にこの時代の軍隊は、組織構造を考えると、軍令と軍政が程よく分離され、対等な関係が保たれた、市民社会の軍隊と言えるだろう。 こうした関係は、フランス革命当時の国民軍にも見られる。フランス革命当時、フランスは諸外国の軍隊の国内干渉によって、フランスの独立が脅かされていた。しかし国民達は、「フランスを守ろう」と言うスローガンの下(もと)に立ち上がる。当時、自発的に立ち上がったのが、市民によって編成された義勇軍だった。 そしてナポレオンは、フランス革命の成功を土台にして、更に強力な国民軍を作り上げたのである。 また、フランスの国歌『ラ・マルセイエーズ」は、革命当時、諸外国から祖国を狙われ、その祖国防衛に立ち上がり、更に進軍する勇敢な義勇軍を讃える歌ではなかったか。 軍隊ですら、将校や兵卒の差別なく人格的には「対等」であったのだから、近代化や産業化を標榜する資本主義下にあっても、あるいは民主主義下の中にも対等意識はあっても良さそうなものだが、ここには絵に描いたような平等は存在するが、対等や同格や同等は何処にも存在していない。 ●「分際」と云う言葉が崩壊してしまった現代 日本では古来より、身分と言うものは存在したが、欧米諸国のように「階層」と言うものは存在しなかった。したがって本来、日本人に階層と云う意識はなかった。爵位などの階層が起ったのは明治維新以降の事であり、それまで存在したのは、身分であり、家柄を表す「格」だけであった。 しかし「格」と云う言葉も、明治維新以降、四民平等の平定の中で、消え失せ、今では「同格」の「格」の字すら遣わなくなってしまった。今日の資本主義の下で、人格の「格」が、「同格」などというと、階層崩壊に繋がり、経済格差で作り上げた財産・職業・学歴・社会経済的地位の序列化された社会層のヒエラルキーは崩壊してしまうからである。したがって「階層」は、ひと握りの経済的エリートが、最も鼻を高く出来る唯一の言葉であるからだ。 「礼」の忘却にともない、法則の要(かなめ)を為(な)す「格」は既に崩壊した。要が崩壊したのであるから、「きまり」としての身分も崩壊するのは当然の事であり、この身分の崩壊によって、「礼」の根幹の為す、「立場の認識」は希薄になってしまった。 かくして「立場の認識」が薄れれば、当然のように「分際意識」も薄れ、これまでの格式意識は、一挙に観念の崩壊に導いてしまった。 現代は、往時(おうじ/過ぎ去りし持代)に比べれば、分際の観念は崩壊しているから、同時にこれは節操意識の崩壊に繋がっている。また、個別の今日的な観点から現代を凝視すれば、例えば、街金や風俗営業で金儲けの上手だった人間が、あるいは頂点に上り詰めた芸能タレントが英雄視され、まるで偉くなったような気になって国会議員に出馬したり、豪邸を建てるなどの、人の羨望(せんぼう)を煽(あお)っているが、これこそ分際意識の欠如の最たるものである。 時代は流れ、変化を遂げるが、かつての観念であった人倫の根幹を為(な)した「分際」とか、「節操」とかは、歴史の遺物として埋没しつつあると見るのは正確な読みであろう。 分際や節操は、何も底辺に位置する庶民だけが失っているのではない。 以前、誰かが、「今の政治家に分際と節操を求めるのは、八百屋で魚を探すようなものだ」と、ある人物が酷評したが、これに正面から反論して、この「ある人物」をこき下ろした政治家が居たが、しかし、与野党を含めて、政治家の中で、分際と節操の両方を兼ね備えた政治家は、未(ま)だ一人も見た事がない。 庶民も政治家も、つまるところ、貧富の範囲の経済格差はあるにしろ、倫理観程度の差はそんなに開きがないのである。つまり、こうした意味においても、頭の程度が庶民と同格か、それ以下かも知れないということだ。 また、昨今の人間現象の特徴として、カタギとヤクザの区別がなくなり、カタギがヤクザ擬きの態度をしたり、ヤクザがホワイトカラーの経済人に紛れ込んで、手広くビジネスを展開している事を見ると、その境界線の崩壊には、素人衆が公営ギャンブルだけではなく、厳禁の賭博にまで手を出して、こうした所に出入りしても、何の後ろめたさも感じなくなった時代であるといえるだろう。 そして、その分だけ、道義と礼儀が廃(すた)れ、「礼」の面では著しく混乱を来たしているといえよう。 かつて武門で尊ばれたのは、その態度が毅然として居た事であり、更には、沈着重厚、信義、率直、簡潔といった諸徳であった。分際も、節操もこの中に加味されていた。しかしこうした諸徳は往時の遺物と、骨董品扱いされ、本来の意味が正しく解釈されなくなった。そしてこれらの諸徳が人間の品格形成に大きく関与していたのだが、これが忘れ去られる事は、同時に礼を失う事であり、何とも残念である。 ●左右を見るな、前をしっかり見れ 右顧左眄(うこ‐さべん)して、辺りをきょろきょろ見回したり、分け目を振ると言う注意散漫状態は、決して喜ばしい態度ではない。 右顧左眄とは、人の思惑や企みなどを実行する時、周囲の様子を窺(うかが)って、決断を躊躇(ためら)ったり、人の眼を憚(はばか)って、悪戯(いたずら)をしようか、どうしようかと迷う時に遣われる言葉である。しかし、これは左右の警戒を戒めている言葉ではない。 また前進しながら、「後ろを振り返るな」と云う事は、武門では厳しく躾(しつ)けられた事である。後ろを振り向く事は、他人の目を気にする態度であり、また、自分の評判を気にする卑屈な態度である。更に、「後ろを振り向く」というのは、未練などの言葉からも解る通り、「思い切りの悪さ」を表した態度であり、これが幼児期の場合は、乳離れの悪さを表す。 こうした乳離れの悪さ現象は、特に剣道などの試合場でよく見られる光景である。道衣や防具の直し時間などになると、母親が一々我が子を呼び寄せ、服装を直したり防具を直したり、あるいはあれこれと指示を出す親を見かける事がある。 これはまさに、「遠くに遊びに行くな」「知らない人について行くな」などと、サイン・コールを出している光景を連想させる。 更に選手は選手で、打ち込んだ竹刀が、何等かの効果を上げたと思う度(たび)に、審判員の方を振り向き、自分の方にポイントがあったのではないかとする態度は、まさに母親からのサイン・コールを待つ姿を彷佛(ほうふつ)とさせ、審判員の顔色を窺(うかが)う姿は、母親からの「言い聞かせ」を待つ姿と酷似する。 昨今は、大人になっても親離れの兇(わる)い大人が居り、幼心(おさなごころ)の現れとして、判断力や理解力の十分でない者もいるようだ。 右顧左眄は、競技武道ばかりでなく、格闘技やスポーツ全般にも多く見られるようになった。選手やコーチ達は、常に「観客アピール」をよく口にする。これも、一種の右顧左眄であり、観戦者と切り離して考えられない近代スポーツ界の思考は、要するに監督離れ、コーチ離れの出来ない、幼児期の乳離れの出来ない大人を育てていると言える。 自分の意志のみでは戦えず、常に誰かからのアドバイスを耳許(みみもと)で囁(ささや)いて貰わないと、試合展開が出来ない人間を育てていると言える。そしてこうした、西洋の観戦スポーツに慣(なら)された日本人は、こうした監督なりコーチなりの耳打ちする姿が当たり前と思うようになり、これに疑問を抱く人は殆ど居ないようだ。 しかし、かつて武術の世界では、こうした耳打ちをして貰う事は、芸人根性として賎(いや)しまれたものであり、本来ならば、命の遣(や)り取りをする武術では、決して似合わない姿である。 そしてアドバイスと言えば聞こえがいいが、要するに耳打ちであり、自分の試合展開を監督ないしコーチに点検してもらい、更には対戦相手の欠点を探してもらって、その欠点目掛けて次の攻撃を集中させると言う、勝敗の行方を占ってもらっているようなものだ。 要するに、他力本願であり、選手は自分一人の力で局面を打開する事が出来ないのである。 こうした他力本願は、監督やコーチが耳元で囁く間は良いが、囁かなくなれば、途端に弱くなる選手がいる。往年の選手が、いま売り出しの選手から簡単に敗れてしまうのは、こうした耳打ちをする選手の介添人(second)が居なくなってしまったからだ。 かくして、往年選手の選手生命はこれで費(つい)え、前方を見る事が出来なくなり、また「見通し」が利かなくなり、晩年は悲惨な生活を強いられる者も少なくない。 ●将来の長期的展望を内弟子の修行の中に観る 長期的に物事を考察し、これについて将来のビジョンを計画・建設することは、将来を見抜く「見通し」の有無に関わることである。 「見通し」の疎(うと)い人間は、将来を見失うものである。特に、一時の有頂天に舞い上がり、人からちやほやされて、儚(はかな)い夢に酔い痴(し)れていると、将来の展望など見えなくなってしまう。これは、最も警戒しなければならない事柄の一つである。 一時的な成果や成功に、図に乗る人間は多い。したがって自分の立場を、つい、忘れてしまうものである。そして、やがては目下や弱い者を見下すような、ルシファーの目で、他人を見るようになる。 問題なのは、一時的な成果や成功に有頂天にならず、自分の立場を常に把握(はあく)して、忘れないという事である。しかし有頂天に舞い上がる人間の多くは、身分や立場と言うものを忘れてしまって、つい、調子づき、自分の立場から破目を外し、やがて窮地に陥ってしまうものである。 破目を外すか否かは、その人の持って生まれた資質に掛かるが、資質の違いと言ってしまえばそれ迄だが、根本的には「志」の違いであろう。 志の薄い人間、あるいは志の低い人間は、当人の資質とは一切関係なく、学ぶことや教わることで、自身の志が確立されるといういことを知らない。つまり、師より「学ぶ」ことと、「教わる」ことで、資質的なものは、この際、必ずしも関係はない。要は志の有無である。これを古人は「立志」といった。 志のしっかり確立されている者は、多少厳しい指導法を試みても、これに文句一つ言わず、必死に耐えようとする。ところが、志に欠ける者や志が低い者は、特訓や猛稽古をシゴキの類(たぐい)と考え、逆恨みする。あるいは逆恨みしないまでも、自分は才能や素質がないなどを弱音を吐き、挫折感に陥って行く。 内弟子修行の、一言で、「たった二年の修行」と言うが、この二年間の修行すら耐えられず、尚道館では十割方の人間が、二年未満でみな挫折して行ったのである。 問題は、挫折者の多くが、志に欠けていたと云う事が言えるであろう。 猛稽古は決してシゴキの類ではない。シゴキは、師匠の愛情が伴わないが、猛稽古は愛情の伴った厳しい指導法である。したがって、厳しい指導をとった場合、志が確立している者は、猛稽古を「今、師の愛情とともに鍛えてもらっている」と感謝するであろうし、志の希薄な者は「苛められている」とか「しごかれている」と、恨みに似た感情を露(あらわ)にする。 そして我慢の臨界点に至れば、ついに挫折するのである。 また、こうしたところが「小人(しょうにん)」の厄介なところである。 小人については、孔子が『論語』の中で、このように指摘している。 「ただ女子と小人とは養いがたしと為(な)す、これを近づくれば則(すなわ)ち不遜なり、これを遠ざくれば則ち怨む」(陽貨第17)と歎息(たんそく)しているのである。 自分の将来を展望する場合、志の有無に密接な関係があり、志が高ければ「見通し」は明るいものになるし、低ければ修行半ばで挫折するのである。自分の人生を長期的に観(み)ようとする者は、一局面の難局など露(つゆ)程も顕(あら)わさない。 しかし長期的展望の、自分自身のロケーションが想像できない者は、目先の難局に挫折感を抱いてしまうのである。 これまでの、尚道館における内弟子を志した若者の多くが、十割方挫折し、空しく故郷に逃げ帰った最大の理由は、自らの志の低さにあり、指導者の本意とは裏腹に、恨みに似た「しごかれている」あるいは「いじめらている」といった、不満足に思う心が、自分の将来と引き換えに、頓挫(とんざ)する方を選択したのである。
これはよく、肝(きも)に命じたい言葉である。 |