内弟子制度 15



●人は皆平等ではない。人は皆「同格」であり、「同等」であり、「対等」である

 「人間が皆平等ではない」ことは、既に述べて来たが、私たちが「市民社会」を考えた場合、対等意識の中に、武士道の真髄(しんずい)を見い出す事ができる。「対等」こそ、これからの21世紀を担う思想の要であり、これこそが「近代的」と云われる「礼」の根幹ではないかと信ずる。

 つまり「礼」とは、人間同士が対等の立場に立って互いに敬意を表す行為である。したがって貧困の集合体の「待たざる者」が、ひと握りの金持ちの「持てる者」に頭を下げるお辞儀ではない。礼とは、何処まで突き詰めても、「対等」である人間の接し方を教示したもので、そこには「平等」と云う絵空事はなく、「人は同格であり同等である」という結論が導き出される。
 したがって武士道実践者は「対等」意識の中にこそ、その根幹の真価を見い出さなければならない。もし、武士道を標榜(ひょうぼう)して、対等意識に欠けていれば、その人の言は、不言実行から程遠く、独断と偏見によって武士道を解釈している事になる。武士道の根幹には、人と人を対等に扱い、これを同格・同等に看做(みな)すと言う教えがある。

 世間は明けても暮れても、「平等」旋風で吹き荒れているが、実際に、人の才能や知恵を「平等の鋏(はさみ)」で摘み取ってしまったら、その後の社会は一体どうなるだろうか。
 おそらく市民社会は、一挙に崩壊し、人々の人格は踏み躙(にじ)られるであろう。また、時代は知性と理性を失い、古代に逆戻りしてしまうだろう。
 不法や不合理が蔓延(はびこ)り、人間と人間の間に暴力が介在して、市民としての人権は蔑(ないが)ろにされるであろう。

 人間は、一人一人が特有の個性の持ち主として、あるいは主体として、尊重されるべき存在である。暴力によって殺傷される市民社会は、その社会自体が構造的に不備があり、その完成度が未熟であると云う事を物語っている。「平等」の口当たりの良さに溺(おぼ)れて、「人間は、皆《対等》である」という事を忘れているからである。

 江戸時代と言う、かつての封建制度の真っ只中にも、主君と家臣は対等で意見を交換し合っていたのであるから、それより近代的な時代と云われる現代においても、その主従関係は対等であるべきだ。
 しかし現実は、対等など何処にもなく、企業一つ取り上げてみても、ワンマン経営者の「鶴の一声」に、多くの社員は振り回されているではないか。これこそ前近代的な愚行の一つに挙げられる事柄である。

 日本資本主義の特徴は、諸外国のそれと異なり、多くの企業は同族企業であり、多くの社員はその組織体の中で、こうした暴君の「鶴の一声」に振り廻され、お追従型人間として生きて行くしか希望を見出せないようになっている。これも偏(ひとえ)に、社会構造が市民社会として非常に未熟であると言う証明でもある。

 では歴史的に見て、「近代」とはいつから始まったのであろうか。
 また、「人間が対等」に扱われる時代以降を、「近代」と云うが、それはいつ頃からだったのだろうか。
 歴史を紐(ひも)解けば、日本では武士階級の中に「近代」が始まった形跡があった。そして主従関係は武家の礼法にあったと考えられる。
 城内に入場しても、武士は如何なる家柄であろうとも、脇指の対等が許されて居たと云う事がこれを如実に物語っている。君主が間違っていれば、それに対し、脇指を抜いて刃向かう事すら出来たのである。これこそ、「対等」に値する、まさに近代と云うべき制度でなかったか。

 また欧米では、1642年頃に起った清教徒革命の軍隊の中に「近代」を見ることが出来る。彼ら清教徒達は、封建領主の家来ではなかった。信仰を共にする信者の集まりであったから、将軍も一兵卒も、人間として、市民としては、みな対等だった。
 戦闘に従事している間は、上官の命令は絶対服従であるが、戦闘を終えて兵営や野営場所に帰ってくれば、討論したり、意見を交換する時は、みな士官も兵卒も全くの対等であり、自分の主張を自由にぶつけあう事が出来た。

 これは士官や兵卒の区別なく、人間として一人一人の人格は独立した個人を表し、「何者も侵す事はが出来ない」という市民社会のルールに則し、その裏側で、「対等」という意識が働いていたからである。これは今日の近代的な軍隊組織にも匹敵し、軍隊内部の上下関係と、市民社会の対等な人間関係が一体となり、両立している様を表す、今風に云えば、シビリアン・コントロールとでも言う事が出来ようか。

 既にこの時代の軍隊は、組織構造を考えると、軍令と軍政が程よく分離され、対等な関係が保たれた、市民社会の軍隊と言えるだろう。
 こうした関係は、フランス革命当時の国民軍にも見られる。フランス革命当時、フランスは諸外国の軍隊の国内干渉によって、フランスの独立が脅かされていた。しかし国民達は、「フランスを守ろう」と言うスローガンの下(もと)に立ち上がる。当時、自発的に立ち上がったのが、市民によって編成された義勇軍だった。
 そしてナポレオンは、フランス革命の成功を土台にして、更に強力な国民軍を作り上げたのである。
 また、フランスの国歌『ラ・マルセイエーズ」は、革命当時、諸外国から祖国を狙われ、その祖国防衛に立ち上がり、更に進軍する勇敢な義勇軍を讃える歌ではなかったか。

 軍隊ですら、将校や兵卒の差別なく人格的には「対等」であったのだから、近代化や産業化を標榜する資本主義下にあっても、あるいは民主主義下の中にも対等意識はあっても良さそうなものだが、ここには絵に描いたような平等は存在するが、対等や同格や同等は何処にも存在していない。



●「分際」と云う言葉が崩壊してしまった現代

 日本では古来より、身分と言うものは存在したが、欧米諸国のように「階層」と言うものは存在しなかった。したがって本来、日本人に階層と云う意識はなかった。爵位などの階層が起ったのは明治維新以降の事であり、それまで存在したのは、身分であり、家柄を表す「格」だけであった。

 しかし「格」と云う言葉も、明治維新以降、四民平等の平定の中で、消え失せ、今では「同格」の「格」の字すら遣わなくなってしまった。今日の資本主義の下で、人格の「格」が、「同格」などというと、階層崩壊に繋がり、経済格差で作り上げた財産・職業・学歴・社会経済的地位の序列化された社会層のヒエラルキーは崩壊してしまうからである。したがって「階層」は、ひと握りの経済的エリートが、最も鼻を高く出来る唯一の言葉であるからだ。

 「礼」の忘却にともない、法則の要(かなめ)を為(な)す「格」は既に崩壊した。要が崩壊したのであるから、「きまり」としての身分も崩壊するのは当然の事であり、この身分の崩壊によって、「礼」の根幹の為す、「立場の認識」は希薄になってしまった。
 かくして「立場の認識」が薄れれば、当然のように「分際意識」も薄れ、これまでの格式意識は、一挙に観念の崩壊に導いてしまった。

 現代は、往時おうじ/過ぎ去りし持代)に比べれば、分際の観念は崩壊しているから、同時にこれは節操意識の崩壊に繋がっている。また、個別の今日的な観点から現代を凝視すれば、例えば、街金や風俗営業で金儲けの上手だった人間が、あるいは頂点に上り詰めた芸能タレントが英雄視され、まるで偉くなったような気になって国会議員に出馬したり、豪邸を建てるなどの、人の羨望(せんぼう)を煽(あお)っているが、これこそ分際意識の欠如の最たるものである。

 時代は流れ、変化を遂げるが、かつての観念であった人倫の根幹を為(な)した「分際」とか、「節操」とかは、歴史の遺物として埋没しつつあると見るのは正確な読みであろう。

 分際や節操は、何も底辺に位置する庶民だけが失っているのではない。
 以前、誰かが、「今の政治家に分際と節操を求めるのは、八百屋で魚を探すようなものだ」と、ある人物が酷評したが、これに正面から反論して、この「ある人物」をこき下ろした政治家が居たが、しかし、与野党を含めて、政治家の中で、分際と節操の両方を兼ね備えた政治家は、未(ま)だ一人も見た事がない。
 庶民も政治家も、つまるところ、貧富の範囲の経済格差はあるにしろ、倫理観程度の差はそんなに開きがないのである。つまり、こうした意味においても、頭の程度が庶民と同格か、それ以下かも知れないということだ。

 また、昨今の人間現象の特徴として、カタギとヤクザの区別がなくなり、カタギがヤクザ擬きの態度をしたり、ヤクザがホワイトカラーの経済人に紛れ込んで、手広くビジネスを展開している事を見ると、その境界線の崩壊には、素人衆が公営ギャンブルだけではなく、厳禁の賭博にまで手を出して、こうした所に出入りしても、何の後ろめたさも感じなくなった時代であるといえるだろう。
 そして、その分だけ、道義と礼儀が廃(すた)れ、「礼」の面では著しく混乱を来たしているといえよう。

 かつて武門で尊ばれたのは、その態度が毅然として居た事であり、更には、沈着重厚、信義、率直、簡潔といった諸徳であった。分際も、節操もこの中に加味されていた。しかしこうした諸徳は往時の遺物と、骨董品扱いされ、本来の意味が正しく解釈されなくなった。そしてこれらの諸徳が人間の品格形成に大きく関与していたのだが、これが忘れ去られる事は、同時に礼を失う事であり、何とも残念である。



●左右を見るな、前をしっかり見れ

 右顧左眄(うこ‐さべん)して、辺りをきょろきょろ見回したり、分け目を振ると言う注意散漫状態は、決して喜ばしい態度ではない。
 右顧左眄とは、人の思惑や企みなどを実行する時、周囲の様子を窺(うかが)って、決断を躊躇(ためら)ったり、人の眼を憚(はばか)って、悪戯(いたずら)をしようか、どうしようかと迷う時に遣われる言葉である。しかし、これは左右の警戒を戒めている言葉ではない。

 また前進しながら、「後ろを振り返るな」と云う事は、武門では厳しく躾(しつ)けられた事である。後ろを振り向く事は、他人の目を気にする態度であり、また、自分の評判を気にする卑屈な態度である。更に、「後ろを振り向く」というのは、未練などの言葉からも解る通り、「思い切りの悪さ」を表した態度であり、これが幼児期の場合は、乳離れの悪さを表す。

 こうした乳離れの悪さ現象は、特に剣道などの試合場でよく見られる光景である。道衣や防具の直し時間などになると、母親が一々我が子を呼び寄せ、服装を直したり防具を直したり、あるいはあれこれと指示を出す親を見かける事がある。
 これはまさに、「遠くに遊びに行くな」「知らない人について行くな」などと、サイン・コールを出している光景を連想させる。

 更に選手は選手で、打ち込んだ竹刀が、何等かの効果を上げたと思う度(たび)に、審判員の方を振り向き、自分の方にポイントがあったのではないかとする態度は、まさに母親からのサイン・コールを待つ姿を彷佛(ほうふつ)とさせ、審判員の顔色を窺(うかが)う姿は、母親からの「言い聞かせ」を待つ姿と酷似する。
 昨今は、大人になっても親離れの兇(わる)い大人が居り、幼心(おさなごころ)の現れとして、判断力や理解力の十分でない者もいるようだ。

 右顧左眄は、競技武道ばかりでなく、格闘技やスポーツ全般にも多く見られるようになった。選手やコーチ達は、常に「観客アピール」をよく口にする。これも、一種の右顧左眄であり、観戦者と切り離して考えられない近代スポーツ界の思考は、要するに監督離れ、コーチ離れの出来ない、幼児期の乳離れの出来ない大人を育てていると言える。
 自分の意志のみでは戦えず、常に誰かからのアドバイスを耳許(みみもと)で囁(ささや)いて貰わないと、試合展開が出来ない人間を育てていると言える。そしてこうした、西洋の観戦スポーツに慣(なら)された日本人は、こうした監督なりコーチなりの耳打ちする姿が当たり前と思うようになり、これに疑問を抱く人は殆ど居ないようだ。

 しかし、かつて武術の世界では、こうした耳打ちをして貰う事は、芸人根性として賎(いや)しまれたものであり、本来ならば、命の遣(や)り取りをする武術では、決して似合わない姿である。
 そしてアドバイスと言えば聞こえがいいが、要するに耳打ちであり、自分の試合展開を監督ないしコーチに点検してもらい、更には対戦相手の欠点を探してもらって、その欠点目掛けて次の攻撃を集中させると言う、勝敗の行方を占ってもらっているようなものだ。
 要するに、他力本願であり、選手は自分一人の力で局面を打開する事が出来ないのである。

 こうした他力本願は、監督やコーチが耳元で囁く間は良いが、囁かなくなれば、途端に弱くなる選手がいる。往年の選手が、いま売り出しの選手から簡単に敗れてしまうのは、こうした耳打ちをする選手の介添人(second)が居なくなってしまったからだ。
 かくして、往年選手の選手生命はこれで費(つい)え、前方を見る事が出来なくなり、また「見通し」が利かなくなり、晩年は悲惨な生活を強いられる者も少なくない。



●将来の長期的展望を内弟子の修行の中に観る

 長期的に物事を考察し、これについて将来のビジョンを計画・建設することは、将来を見抜く「見通し」の有無に関わることである。
 「見通し」の疎(うと)い人間は、将来を見失うものである。特に、一時の有頂天に舞い上がり、人からちやほやされて、儚(はかな)い夢に酔い痴(し)れていると、将来の展望など見えなくなってしまう。これは、最も警戒しなければならない事柄の一つである。

 一時的な成果や成功に、図に乗る人間は多い。したがって自分の立場を、つい、忘れてしまうものである。そして、やがては目下や弱い者を見下すような、ルシファーの目で、他人を見るようになる。
 問題なのは、一時的な成果や成功に有頂天にならず、自分の立場を常に把握(はあく)して、忘れないという事である。しかし有頂天に舞い上がる人間の多くは、身分や立場と言うものを忘れてしまって、つい、調子づき、自分の立場から破目を外し、やがて窮地に陥ってしまうものである。

 破目を外すか否かは、その人の持って生まれた資質に掛かるが、資質の違いと言ってしまえばそれ迄だが、根本的には「志」の違いであろう。
 志の薄い人間、あるいは志の低い人間は、当人の資質とは一切関係なく、学ぶことや教わることで、自身の志が確立されるといういことを知らない。つまり、師より「学ぶ」ことと、「教わる」ことで、資質的なものは、この際、必ずしも関係はない。要は志の有無である。これを古人は「立志」といった。

 志のしっかり確立されている者は、多少厳しい指導法を試みても、これに文句一つ言わず、必死に耐えようとする。ところが、志に欠ける者や志が低い者は、特訓や猛稽古をシゴキの類(たぐい)と考え、逆恨みする。あるいは逆恨みしないまでも、自分は才能や素質がないなどを弱音を吐き、挫折感に陥って行く。
 内弟子修行の、一言で、「たった二年の修行」と言うが、この二年間の修行すら耐えられず、尚道館では十割方の人間が、二年未満でみな挫折して行ったのである。

 問題は、挫折者の多くが、志に欠けていたと云う事が言えるであろう。
 猛稽古は決してシゴキの類ではない。シゴキは、師匠の愛情が伴わないが、猛稽古は愛情の伴った厳しい指導法である。したがって、厳しい指導をとった場合、志が確立している者は、猛稽古を「今、師の愛情とともに鍛えてもらっている」と感謝するであろうし、志の希薄な者は「苛められている」とか「しごかれている」と、恨みに似た感情を露(あらわ)にする。
 そして我慢の臨界点に至れば、ついに挫折するのである。
 また、こうしたところが「小人(しょうにん)」の厄介なところである。

 小人については、孔子が『論語』の中で、このように指摘している。
 「ただ女子と小人とは養いがたしと為(な)す、これを近づくれば則(すなわ)ち不遜なり、これを遠ざくれば則ち怨む」(陽貨第17)と歎息(たんそく)しているのである。

 自分の将来を展望する場合、志の有無に密接な関係があり、志が高ければ「見通し」は明るいものになるし、低ければ修行半ばで挫折するのである。自分の人生を長期的に観(み)ようとする者は、一局面の難局など露(つゆ)程も顕(あら)わさない。
 しかし長期的展望の、自分自身のロケーションが想像できない者は、目先の難局に挫折感を抱いてしまうのである。

 これまでの、尚道館における内弟子を志した若者の多くが、十割方挫折し、空しく故郷に逃げ帰った最大の理由は、自らの志の低さにあり、指導者の本意とは裏腹に、恨みに似た「しごかれている」あるいは「いじめらている」といった、不満足に思う心が、自分の将来と引き換えに、頓挫(とんざ)する方を選択したのである。

 「志の低い者は《不満》を語り、志の高い者は《未来》を語る」 

 これはよく、肝(きも)に命じたい言葉である。



●「敬」を守れば大きな過ちを犯すことはない

 「敬」とは、「うやまう」ことや「慎む」ことを顕わし、「敬」の付く語に「尊敬」とか「敬愛」とか、また「愛敬(あいきょう)」などという言葉がある。
 以上の言葉は、互いに、相手の立場を尊重し、筋道に沿った行動と言動を行って、自分自らの身を律して行く、言動ならびに態度の行動原理である。

 互いに犯されず、あるいは犯さず、これについて武士道では、上下の差別はないと教える。つまりこれが、何人からも侵略を受けない「負けない境地」の事であり、この境地の原点には「敬」が存在する。互いに、相手を尊敬して、うやまっているからこそ、犯されず、犯さずの拮抗(きっこう)が保てるのであって、世界でも、一国の国家でも、このバランスによって運営されている。

 ところが、和を乱す不穏な国家が存在すると、この拮抗は忽(たちま)ちのうちに崩れ、国内では内紛が起り、隣国の間では国境紛争に発展し、しいては各国間に戦争が起こり、最悪の場合は世界大戦へと発展する。人類が二度体験した世界大戦は、互いに犯さず、犯されずの拮抗が失われたからであった。つまり、「敬」に欠如があったと言える。

 「敬」の一字に心掛け、互いに犯さず、犯されずの精神を貫けば、喩(たと)え、末端部分で知識不足から、ルール違反が発生したとしても、概ねは互いの心の裡(うち)に、うやまいと慎みがある為、ルール違反が許されないなどと、目くじら立てて争いになることはない。
 これは、「敬」を知る為、概括的な心得で運営されているから、重箱の隅をほじくるような愚行に陥らないからである。

 しかし昨今の国際情勢や、それに絡む政治や経済情勢を見てみると、相手の欠点や、言葉尻の揚げ足取りばかりが盛んで、肝心な「敬」の一字で運営している国家など一国もない事が分かる。

 『論語』に記される言葉の中にも、「敬」の一字が登場する。
 これによれば、「言忠信、行篤敬ならば蛮貊(ばんばく)の邦(くに)といえども行われん、言忠信ならず、行篤敬ならざれば州里といえども行われんや」とある。
 言葉が誠実で、行動の中に相手を犯さない慎重さがあれば、世界の何処の国の、何処の集団組織とも仲良く、立派に付き合っていけるが、「敬」を知らず、あるいは忘れてしまえば、争い事はいつまでも止む事のないという喩(たと)えを顕わしている。

 昨今は武道界でも、大学の体育会の各武道部でも、競技する種目や、流派などが異なると、途端に犬猿の仲となる。互いに誹謗中傷合戦が始まり、マイナーな武道雑誌までを駆使して誹謗中傷の手を緩めない、思い上がった団体が少なくない。そしてその団体の長が、自分を称して「日本一」とか、「世界最強」などと豪語しているから恐れ入る。

 「礼節謙譲」だのどと、安っぽく公言している団体でも、ひと皮剥(む)けばこの程度の人間の集合体であり、「道」だのと言っていても、他を中傷誹謗するようであるくらいだから、こうした自らを憚(はばか)る事の知らない団体に、「道」などあろうはずがない。最近の武道界で、殊(とく)に目立つのはこうした程度の、低いレベルで、他を誹謗する愚かな幼児的な泥試合を展開していることだ。

 流儀や組織、また指導者や幹部連中が、「敬」の一字の意味を知らなければ、犯さず、犯されずの拮抗は忽(たちま)ち破壊され、醜い泥試合を展開しなければならなくなる。こうした事にも、真摯(しんし)に耳を傾けない武道家や武術家は、今や増加の一途にあるようだ。同じ日本人として、「武」を語るには恥ずかしい限りである。



●志と勇気

 人の志は「品格」の有無で決定される。品格は志の別名であり、志を胸に秘めている者は、気高(けだか)い品位を持っている。
 その品位は、人に自然に備わっている人格的価値であり、品格とも云われる。品格は、目的意識としての将来の「見通し」を明確にし、人が何を考え、何を求めて求道(ぐどう)の道を進んでいるのか、その心の向う方向を自(おの)ずと示してくれる。

 さて、尚武(しょうぶ)を語り、武勇について論じていると、何やら猛々(たけだけ)しい、強(こわ)持ての、近寄り難い人物のように誤解され易いが、これは大きな誤りである。本当の志を裡(うち)に秘めている者は、威張り腐ったり、頭ごなしに他人を扱ったり、目下を罵倒(ばとう)するような暴言は吐かないものである。

 志は、別名、「親切心」の標榜(ひょうぼう)である。また「厚意」の現れである。そして愛情も兼ね備えている。したがって鄙劣ひれつ/品性・行為などの、いやしく下劣なこと)な態度には出ないものである。
 「親切」の言葉からも窺(うかが)えるように、物言いは「優しさ」がある。しかし物言いが優しいからと云って、その人が軟弱であるという事ではない。
 それは逆である。軟弱な人間程、「空りきみ」があり、威(い)を張って見せるものである。
 巷間(こうかん)で、「弱い犬程、よく吠える」と言う。まさにこの言は的中である。弱い犬程、よく吠え、相手が年下とか、弱いと見抜けば、とことん吠え捲り、更に、バックに何者かが控えていると、「虎の威を藉る狐」を決め込む。

 しかし、心に目指すところのある者は、こうした愚行は侵す事がない。
 酷薄な印象を与える人間は、古来より、君徳(首長の徳)の欠ける者として決して高い評価は下されなかった。温情味がなく、人生の機微に疎(うと)い者は、評価が低かったのである。何故ならば、明治維新前、武人と言うのは当時の知識層であり、その見識の中には、深い思慮と、人間理解の徳育の成果が備わっていたのである。

 西郷隆盛は当時、武人の典型のような人物として深い尊敬を受けていたが、この尊敬は、彼が猛々しい、武張った人物では決してなかったからだ。
 時代小説や時代劇では、作者が勝手に作り上げた武張った武士が登場するが、武士も上・中・下のランクがあり、陽明学者の中江藤樹なかえ‐とうじゅ/江戸初期の儒学者で日本の陽明学派の祖)が上のランクを付けた武士は、猛々しい武張った武士ではなかった。

 「志合えば胡越(こえつ)も昆弟こんてい/兄弟の意味で、「昆」は兄の意)たり」と『漢書鄒陽伝』にはある。これは、志が合えば、疎遠な者も兄弟のように親しくなれることを表す意味である。それに、年齢の差など関係がない。
 西郷隆盛は、自分より遥(はる)か年下の、少年少女に対しても、無礼・乱暴な態度で接しなかったと言う。
 一般に、年下の者や目下の者に対しては、物事を粗略にするように、軽く見下し、横柄な態度でこれに接する。特に、少年少女ともなると、更に見下し、これを甘く見る。

 凡夫か、否かの境目は、年下や目下の者の接し方によって決定されると言ってもよかろう。凡夫は年下や目下を甘く見るばかりでなく、特に、少年少女に対しては一個の人格を備えた人間とは見ないようだ。したがって、その口の利き方も横柄であり、傲慢(ごうまん)であり、辛辣しんらつ/きわめて手きびしいこと)である。

 ところが西郷隆盛は、幼い者にも、一個の人格を備えた立派な存在と看做(みな)し、これを遇する事を識(し)って居たと言う。
 現在の教育者でも、小児に対して、若年層の子供を一個の人格ある存在として看做す者は稀(まれ)である。教えるが側と、教わる側に境界線を引き、境界線のこちら側は教える方、向こう側は習う方と、しっかり線引きし、教えるが側の物言いで、甚だ傲慢な態度でモノを言う教師が少なくない。それでいて、「自分は教育者」などと胸を張る。
 そして、「弱い犬程、よく吠える」と言う諺が思い返される。

 人間理解とは、「人間観察」の事であり、これをよくすれば「徳」が備わる。人間観察の確かな眼を持っていれば、当然温情味も出来、人に尊敬される一面を備える事が出来る。武家の目利きの基準の一つとして、「温情味」をいう事が挙げられていた。温情味がなければ、武人としては高い評価が下されなかったのである。

 かつて旧日本海軍はイギリス海軍を手本に、海軍士官を育てた。そして日本海軍士官がイギリスから学んだ事は、紳士の意味を持つジェントルマンであった。
 ジェントルマンはgentlemanの「静かで優しい人」を指し、単に日本語解釈で言われる、「殿方」だけを表す語ではない。同時に「勇敢」も表すのである。

 「勇敢」といえば、「勇気」を連想するが、勇気とは戦場だけで発揮するものではない。戦場から遠く離れた処でも、勇気は発揮できる。知略や武略も勇気の一つであり、喩(たと)え裏方に準じていても、勇気は発揮する事が出来る。

 関ヶ原の戦いの際、薩摩の武人達は知略を配して中央突破作戦を試み、見る者の肌に粟(あわ)を生じさせ、島津義弘以下数十騎が一気に薩摩まで駆け戻ったではなかったか。この決然たる行動は、まさに勇気のそれでなかったか。

 この勇気の裏には、優しさがあった。その優しさの裏には、柔軟な頭で、知略も武略も自由自在な発想があった。そして忘れてはならない事は、武人としての温情味だ。これを考察すると、単に試合に強いだけでは、こうした発想は生まれないという事である。



●何処で、誰から、何を学んだかは問題ではない

 尚道館では門人の「質」を相手にする時、その人の学歴や学閥、経歴や肩書などは一切問題にしない。また過去において、何処で、どのような先生につき、何を学んだかも問題にしない。特に段位と云う紙切れは、我が流の修行にとっては無用の長物であり、なまじっかこうした肩書きは、邪魔になるばかりである。
 尚道館で相手にするのは、学歴や学閥、経歴や肩書などに左右されない、その人の備えている「品性」であり、「ナマの教養」である。

 成人年齢付近に達しながら、現代人は礼儀を知らない為に、その品格は極めて低い人間が多い。その為に、「不文律」という暗黙の了解や、文章に示された法律や規則以外の慣習を知らない者が多い。一々文章に認めた法や規制ばかりを重視して、無形の規則である「不文律」を蔑ろにする。

 昨今は「大東流○○会」「○○をする会」「○○会館」などの会派を作りたがる傾向にあり、会員名簿を作り、これに規制を加え、規約を定めて、何事かを決定しつつ組織化を図ろうとする。しかし一方で、トラブルも発生し、派閥同士が睨み合った、仲たがい現象や、越権行為などの、無用のトラブルも発生している。そして更に、そこから分派が生まれると言う現象が起る。

 こうした会派の多いのは空手団体であり、それに続くのが大東流の○○会である。そして表向きは「礼」を標榜しつつ、裏では越権行為を働いたり、他派の中傷誹謗を行っている。
 言論の自由を標榜する民主主義では、進歩的文化人のポーズがその儘、こうした組織運営にも及び、欧米で生まれた民主主義の対処に誤解があるようだが、欧米における民主主義の実情は、日本人が呑気(のんき)に考えているような楽観できるものではない。

 欧米の民主主義は平等を標榜しつつも、実は、幾つもの階層に分かれた階級社会であり、自分の所属する階級が異なれば、同じ部屋に同室も出来ないと云う現実があり、階級によって物を考える社会である。したがって階級が異なれば、親しく言葉を交わしたり、同じ場所に同席する事すら許されないのである。

 民主主義の実態は、人間不信に基づき、便宜的に考え出された一つの政治手段であり、この発祥は、余儀無い事情から派生した社会システムである。したがって「不文律」という有効に機能する暗黙の了解と云う意識に欠けるものとなる。また、「以心伝心」という感覚の疎(うと)い物質文明中心の欧米人は、実は不文律が、民主主義下の便宜的な手法より、有効に機能すると言う実情を知らない。
 この事は、今日の現代日本人の「不文律」崩壊にも言える事で、民主主義が適性に運用する為には、国民個々の理性や知性が充分に働かなければならないと云う実現に至って、はじめて正しく機能するものであって、味噌もクソもが混合した器の中では、正しく機能しようがないのである。

 さて、「作法」というのは、礼の意識が形として顕(あら)われたものであるが、ややともすると作法は教条化し、規定化し、固定化する恐れがある。そして規律や規則や法令と同一視されてしまう事もあり得る。
 ところが、これにブレーキをかける役割を果たすのが、「見識」と「感覚」である。
 見識と感覚は、「人情の機微」を母体にして派生するものであるが、これは同時に、人間に対しての敬意の現れでもある。

 かつて我が国では、戦前・戦中において、新兵教育と称して一銭五厘の赤紙【註】市町村に属する地域の役所の徴兵係の職員が、召集対象者のいる家庭を一軒一軒訪問して「赤紙」といわれる各連隊宛の出頭命令書を配り歩いた事に由来する。したがってこれらは、一銭五厘の葉書では郵送されなかった)と称される召集令状で、兵役に達した成人を招集し、頭ごなしに、罵倒と殴打を教育内容とし、「教育」の名を借りた「新兵いびり」があったが、これは人格を無視した卑劣かつ粗暴な指導法ではなかったか。
 また、人間の命が一銭五厘と言う安価な価値しか認められなかったことも事実であった。要するに一兵卒は、軍隊を指揮する将軍達の取り替えの利(き)く消耗品であり、その根底に、将軍達の末端に対する人格無視の、無知を見るのは何とも残念な事である。

 しかし往古の武術家達の指導法は、これと異なっていた。人に対して「敬意」を払う事を忘れなかった。頭ごなしに罵倒したり、殴打を喰らわすということはなかった。
 本当に強い人間は、弱者に対して人情の機微があり、これこそが武士道で云う「強きを挫(くじ)き、弱きを助ける」という、温和で、優しい武人の態度ではないか。

 かつて武門では、その身分や家柄などには一切関係なく、登城の際には脇指を帯刀させ、また何等かの不都合があって、上意討ちに至った場合、討ち果たす相手に対しても、脇指の帯刀を許し、敢て刃向かわせる事を許していたのは、双方に対する敬意の現れであり、「相手の聖域は犯すべからず」という意識が働いていたからである。

 尚道館では、地位や年齢に関係なく、限度が超えるような無茶な暴言や暴力に対しては、例え相手が国家権力者や教師的立場にある者や、親であっても抗議せよと教えている。また、その場を危ないと思ったら、速やかに退避せよと教える。
 それは、無抵抗な、弱い立場にある者を、反撃を許さない一方的な攻撃手段で腕力を振るう事であり、これは、か弱き女性を力ずくで強姦(ごうかん)する行為と同様である。こうした行為は、古来の武門の作法を持ち出すまでもなく、変質者の遣(や)る事である。

 武術家の修行と精進は、スポーツ格闘家や競技武道家と異なり、試合に勝つ事や、勝つ事だけを目指してハード・トレーニングを行うものではない。究極の目的は、高い理想と、志を持ち、己が霊魂(たましい)の純粋性を鍛える為に、修行に明け暮れる事をその重要課題にしているのである。
 したがって「弱きを助ける」というのは、武人の持つ高い品位の現れである。

 だが現実問題として、巷間(こうかん)では、格闘技やスポーツ武道は、ケンカに強くなりたいとか、強くなる事で女にモテて、馬鹿にしている者を見返したと言う幼児的な目的で、叩き、突き、蹴り、投げ、倒すという事に、青少年の大事な時期を費やしている者も少なくない。もし、人を斬り殺し、突き殺し、蹴り殺す事に習熟するだけのことなら、それは武人の目的とは程遠い、屠殺人(とさつ‐にん)でしかないのである。

 武術家や武道家の中には、自分の師匠の正統性や、流儀の正統性ばかりを重んじ、系図のみを重んじて、これに誇張を加える者がいる。しかしこうした人間に限り、高い品位や風格を持ち得ない人間が多い。それはまるで「撃刺の技」を自慢するようなものである。
 武人は常に、学歴や学閥に左右されない「ナマの教養」を身につけるべきであり、同時に、名誉と恥辱に対する態度を磨くべきなのである。

 尚道館では、古人の培った西郷派大東流合気武術を、以上の事に照らし合わせ、再度、洗い直し、磨き直し、鍛え直して華を咲かせ、古人の理想と志を損なう事なく、次の世代に譲り渡すべく、内弟子達が中心となって、己の魂を研鑽(けんさん)する指導に力を注いでいるのである。