内弟子制度 7
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●短眠術の会得 さてこうして「内弟子制度」を、いささか論文調に長々と述べたが、次は「短眠術」を紹介しよう。 内弟子制度のもう一つの課題は「短眠術」の会得である。 短眠術は、普通医学上では、人間は一日8時間睡眠が常識のように考えられている。しかし目紛しく動き廻り、激動する現代、医学者が言うように馬鹿正直に8時間もの睡眠をとっていたのでは、修業し、学ぶ時間が無くなってしまう。そこで登場するのが短眠術である。 発明王トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison)の睡眠時間は一日に4時間、戦争の芸術家ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)の睡眠時間は一日僅か3時間であった。こうした彼等も、実は「短眠術」なるものを会得していたのである。 普通、睡眠には「深いノンレム睡眠」「ノンレム睡眠」「レム睡眠」の三つのパターンがある。 ノンレム睡眠(non-REM sleep)とは、ゆるやかな振動数の脳波が現れる睡眠で、レム睡眠以外の睡眠を指し、成人では一夜の睡眠の約80パーセントを占める睡眠である。 そしてこの睡眠の中にも「深いノンレム睡眠」と「ノンレム睡眠」の二つがあり、「深いノンレム睡眠」はメラトニン(melatonin)を分泌し、これは脊椎動物の松果体で作られ分泌されるホルモンである。 外界の光周期情報を体内に伝えると考えられ、人間では深いノンレム睡眠中にメラトニンが分泌され、乳酸などの疲労物質を取り除き、記憶や体力の回復に促進する効果などがあるとされている。 しかし単にノンレム睡眠中には、疲労物質を取り除く作用はなく、また、一般に記憶の定着を促すとされているレム睡眠は殆ど疲労回復効果は皆無だといわれている。 したがって深いノンレム睡眠を行うにはどうしたら良いか、というのが短眠術の指導並びに会得であり、これを三ヵ月以内に睡眠時間を5時間にするのが狙いである。 最初は8時間睡眠の人であっても、粗食・少食に心がけ、これを実行すると昼寝はしなくとも、日中に眠たくならず、また睡眠時間も4〜5時間で済むという短眠術が会得でき、一日24時間のうち、例えば睡眠時間が5時間とすれば、一日の活動範囲は19時間になり、一日8時間睡眠の人に比べれば、一日当たり3時間も活動時間が増え、一週間では21時間、一ヵ月では84時間、一年では1008時間、二年では2016時間となり、日数に換算すれば84日も多く活動する事が出来る。 同じ修業をするにも、84日間長く行えるというものである。 さて、短眠術の会得であるが、起床時間は同じであるが、睡眠に就く就寝時間を段々遅くしていき、最後は一日4〜5時間睡眠にもっていくのである。 この指導については、深いノンレム睡眠にはいる為に、就寝前に30分間の素振り(【註】1200グラムの素振り木刀)が課せられ、また身体を暖めるなどの保温運動が課せられる。また食事は就寝4時間前に終了する事が義務づけられ、豆腐や大豆類の植物性蛋白質を十分に摂取する事を指導している。 また身体を軽快にし、身軽にする為に短眠術と合わせて、一週間に一度の空腹トレーニングの日時を設け、これによって一週間に一度の割合で24時間断食を行っている。 つまり一ヵ月に四日の断食を行い一年では48日断食、二年では96日断食となる。これまで断食の世界記録は、90日が最高なので、この世界記録よりトータルすれば6日も長く断食したことになる。そして食事をする時間が浮くので、また、それだけ活動時間が多くなるという事である。 こうした事を合計した数字で考えれば、気の遠くなるような訓練に思われがちだが、これを少しずつ分けて実行するので、体力的には殆ど影響がなく、断食においても短眠においても、これまでと変わらない日常生活を送る事が出来る。その上、これによって弛みきった身体がスッキとなるので、今以上に健康になり、身軽になり、軽快になって頑張りの利く身体になるのである。 ●礼儀作法について 尚道館で指導する西郷派大東流合気武術の儀法の根底には、武門の「礼儀作法」が脈々(みゃくみゃく)と息づいている。 武門の礼儀作法というのは、現実主義的かつ機能美を尊ぶ作法と共に、「礼儀を重んじる」という、人間として最も大事なものが含まれる。 武門の「礼儀作法」には簡素で素朴なものが要求され、その根底には現実主義的なものを示す道理が含まれている。そして最重要課題は「絶対に隙(すき)を作らぬ」ということである。 現代生活の日常生活を、常に「非日常」に置き換えて、「常在戦場」を旨としなければならない。 普通、格闘技などは試合が終われば、いかに風雪に鍛えた拳であっても戈(ほこ)を収め、元の、常人の手と同じようになってしまいがちだが、武門の心得を嗜む者であれば、決して隙(すき)をつくる事なく、いつ、いかなる時機(とき)にも、あるいは突然不測の事態が襲っても、これに対応できる態勢をつくっておかなければならない。 武術は武技を練るばかりでなく、常日頃から「能(よ)く整えよ」という。防備の備えを怠るなという。 こうした原点には、公事や有事はもとより、日常を非日常に置き換えて、瑣末(さまつ)な、一つ一つの所業にも、神経を通わせ、気配を観じる感覚を養うべきである。 武門の嗜(たしな)みの中には、様々な古人の智慧が集積されている。 一般に、何気なくグラスや酒盃を、左手に取るが、これは殆どの人が右利きであるため、物を持つのは左手であり、遣うのは右手なのであるからだ。 こうした何気ない、日常茶飯事な行動の中にも、武門の智慧(ちえ)は活かされているのである。そして右手の言うのは、利き腕であるので、常に、自由にしておいて、イザという時機(とき)に温存させておくというのが武門の嗜みなのだ。 更に、「礼儀正しさ」あるいは「礼儀を知る」という根底には「恥を知る」という精神的な支柱が働いている。これは武門の行動律であり、「恥辱に対する感覚」である。また名誉意識にも繋がる。 つまり「武の道」を志す者は、「恥辱」に対する感覚が敏感で、他人から侮辱を受ける、他人から笑われるという行動を、何よりも恥としなければならないのである。 こうしたことを安易に見過ごし、他人に迷惑を掛けても知らぬ顔、恥知らずなことをしても知らぬ顔では、人から後ろ指を差されて笑われるばかりであり、恥辱に対するこうした一切を否定することは、即、自身の人格の否定にも繋がるのである。 武人にとって名誉意識とは、武技の向上以上に大切なものであり、即ちこれは自らの命にも匹敵するものなのである。そして「礼儀を正す」ことは、人格を表面に打ち出すことであり、その態度を明確にしたのが、「毅然(きぜん)とする」という態度だったのである。こうした立派な態度を、尚道館では徹底的に指導し、人格の養成と品位を保つことの大事を教えているのである。 そして尚道館の道場訓にもあるように、善を進め、悪を戒め、節約や倹約をして無駄遣いをせず、奢りを制して、遊興に流れずの、人間としての慎みと謙虚を体得することが、曽川宗家の言わんとする「礼節を知る」ということであろうと考える。 ●拝師の礼について 武術と、他のスポーツ武道の決定的な違いを挙げるならば、それは「拝師(はいし)の礼」において、大きく異なっている点であろう。 どこまでも子弟関係を重んじ、その関係において、「礼」が尽くされるのは当り前のことである。したがってそこには「礼儀正しさ」が要求される。 さて、人が道を学ぶという過程の中には、まず最初に「師が在(あ)り」、続いて「青雲の志に燃えた求道の士」が居なければならない。そこではじめて、入門を希望するという意思が起こり、許可が下りれば「入門」が成立する。 学ぼうとする学徒が在り、学徒が自分の見識によって、師を吟味し、自分の師と認め、また師も学徒に対し、学ぶことを許し、それが成立すれば、入門となるが、その後の意思表示は「拝師の礼」に随(したが)い、「薪水(しんすい)の労を取る」という形で進められる。 これは道場に寄宿しない一般門人でも同じであるが、内弟子については、こうした「拝師の礼」が二年間毎日続くことになり、「薪水の労を取る」という形が日常となる。これは決して楽なことではないであろう。 人間は物事を正確に、基本通り、詳細に学ぶという気持ちは、偏(ひとえ)に「薪水の労を取る」という形に回帰される。これなくして儀法(技法)の進歩も、人間性の向上もあり得ない。 内弟子の一日を簡単に紹介すると、朝起きれば、師に対しての洗面の準備から始まり、洗面具の用意、手拭きの用意と介助、朝の薬草茶の用意、配膳や給仕、着替えの手助け、外出時の御供、身辺警備、随伴する時の心得は常に左後方に位置し、歩き方や乗り物に乗っても随所にその気配りを忘れてはならない。 また帰宅してからも、昼食などを準備する諸事があり、それが終わって各部所の掃除(【註】便所、風呂、各室、道場の内外、その他の修理や修繕の一切)、そして夕刻になれば道場の稽古日に参加し、一般門人にまじって稽古を行い、その後、道場の掃除、風呂の湯沸かし(【註】お湯の温度が難しい)、入浴の背中流し等の介助、風呂上がりの着替え、床延べ、肩揉み足揉みなどのマッサージ、そして自分自身の学習と研究。こうして一日が終わるのである。決して楽ではなく、緊張の連続である。 こうした訓練を経て、日常生活の行動規範を学び、更に有事の場合を想定して非日常も計算に入れながら、すべての局面に亙って、細心な注意を払い、気配りと、その意念を用いて、「師に奉仕するとは、一体何か」ということを徹底的に学ぶのである。 師に近侍(きんじ)するということは、内弟子に与えられた唯一の特権でもあり、義務でもあり、こうした緊張状態の中で、己を磨くのである。これが出来なければ、武技が優れていても、一人前として扱って貰えないのである。 曽川宗家も、かつて先代の山下芳衛先生に仕え、高校・大学時代の休みの度に、一切の身廻の世話をしたとおっしゃるが、毎日気疲れと緊張で大変だったという。また、先代の山下芳衛先生は非常に気難しい人で、変屈で、変人で、天邪鬼の処があり、気遣(きづか)いが大変だったという。 こうしたエピソードは曽川宗家の小説『旅の衣』にも、一部紹介されているので、興味のお有りの方は是非一読を御薦めしたい。 「あの先生に半年仕えることが出来たら、絶対に名人になれるよ。うっかり粗相(そそう)をしたり、居眠りなどをして隙を作れば、何が飛んで来るか分からないので、寝込んでしまうこともできないのだが、それでも眠いときには眠いので、うっかり寝てしまうと、その後が大変だった。よく、囲炉裏にくべる薪で随分と頭を殴られたものだよ。今日の、おれの頭が異様に変形しているのは、薪で殴られたことが原因しているだ」と、冗談を交えて言っておられたが、私は生前の山下芳衛先生を御存じないので、何とも言いようがないが、それでもその厳しかった側面は、何となく伝わってくるような感じがする。表面は笑い話で誤魔化しているが、やはり凄いことだったと思うし、「名人は、名人を知る」というが、まさにそんな気持ちすら窺えるのである。 そこで私が「何故、気難しくて、変屈で、変人で、天邪鬼の人を師に仰いだのですか?」と訊くと、 曽川宗家は、「これも生まれつきの因縁だった。何しろ、うちのオヤジの上官だったから、仕方がないと思っていたし、軍隊では命令には逆らえない。とはいっても当時はそう言う時代でもなかった。 実はね。子供の頃、死にかかって、おれは山下先生に担がれて病院(現在の八幡製鉄記念病院)に飛び込み、一命を拾わせてもらったことがあったんだ。いわば命の恩人であり、命の恩人を、そう簡単に裏切ることもできない。 それでも毎日毎日、いつ辞めようかと言う事ばかりを考えて、機会を窺っていたんだ。今日こそ、辞めよう。今日こそ絶対に辞めてやる。そんな気持ちだった。そして絶対に辞めて遣ると思って、決断すると、その日に限って、人の心を読んだのか、いつになく機嫌がよくて、にこにこしている。そして面喰らうんだ。何を思ったのか、おい、お前、これをやろうと一振りの脇指を腰から貫いて眼の前にスッーと突き出すんだ。 こっちはその、時々腰に差される脇指に、以前から興味があったから、いつかは呉れるのではないかと安易に思っていたが、本当に呉れるなどとは思っていなかった。こうした、辞めようとした時に、こちらの気持ちを見抜いて、こういう物を下さるのだと思い、ついに辞めます、と言えず終(じま)いだった。この後も、そうした物を、ちょこちょこ呉れたね。まるで幼子に飴玉か何かを呉れるようにね。こうしたペテンには随分引っかかったよ。 そして気付いたら、自分がその宗家の後釜に座っていた。全く不思議な因縁だよ」(【註】以上録音テープの収録を編集)と笑われたが、現実は決して笑い話でなく、毎日毎日、口には語り尽くせない真剣勝負が繰り返されていたのであろう。 曽川宗家はいつも冗談混じりで、 「おれは凡夫(ぼんぷ)だから、大したことはない。しかし山下先生は凄かった。おれは正直言って宗家の器なんかじゃないんだ。今のところ、おれに代わる者が居ないから仕方なくやっているが、誰か適当な者がいたら、この道場ごとやってもいいと思っているんだ」と言っておられたが、私はそうは思わない。 私はこうした言葉をさえぎって、 「でも、坊ちゃん達がおられるじゃありませんか」 こう切り出すと、 「あいつらは駄目だね。長男は仕事が忙しい忙しいの連発で、技といっても第一子供の頃、少しやっただけで、後はやらず終いだ。あれではどうにもならんね」 「では、一番下の坊ちゃんはどうですか。毎日朝から晩まで、内弟子と同じことをしているじゃありませんか」 「あいつも駄目だね。第一頭が悪い」 「御冗談を……」 「いや本当だ。おれ以上に宗家の器じゃない」(【註】以上、録音テープを編集) こう言っておられたが、これが果たして我が息子(竜磨指導員補)に対して謙遜なのか、どうなのか、その真意は計り兼ねるが、御子息は確かに私以上に変なところで物知りだし、漢詩の朗読は驚くものがあり、一体あの記憶力の凄さは、どこからくるのか驚かされる。 また小学校一年から極真会館滋賀支部長・河西泰宏先生(実は河西先生は、平成5年に曽川宗家が滋賀県在住の時に入門されている)の門に入門されて六年間、極真空手をやり、中学では柔道をやって、試合で黒帯を投げた経験も持っているという。 中学を卒業されて、神奈川県の陸上自衛隊少年自衛官を目指し二度挑戦したが、結局願い叶わず、現在は道場で稽古一筋に打ち込んでいると聞く。今は、内弟子修行をしているということだった。 御子息は随分と並の人間に比べ、脚も達者だし、握力も腕力も強い。既に、手首を抑えられれば、これを合気揚げで揚げる門人が、尚道館には居ないという。実は私も、抑えられて揚げることが出来なかった。 毎日、コツコツと稽古を積み、チラシの宅配、ティッシュの街頭配り、それに道場の一切を賄い、食事の買物と料理、お茶の入れ方や起居振る舞いなどの作法、炊事、掃除、洗濯、植木の水遣り、畑の水汲み、風呂の湯沸かし、マッサージ等までの一通りをしているという。 「宗家(彼は自分の父親をこう呼ぶ)は『同じことを二度言わせるな』と言いますが、わしは頭が悪いから同じことを三度も四度もして、いつも罰で、腕立て千回ずつやらされています」と忌憚(きたん)なく答えた。 誰にでも挨拶を交し、礼儀が正しくて将来が楽しみである。 まさに「薪水の労を取る」とは、この少年のやっていることを言うのであるまいか。 私が一日内弟子体験入門をして、強い印象を受けたことは、尚道館という道場は、何か現代には既に失われてしまった、古き良き時代の武家の慣例(しきたり)が歴然と残り、未来への気宇壮大な夢を掲げているような雰囲気があるように思えた。 それは明治維新を決行した幕末の志士達が、明日の日本を熱っぽく語り、その夢に向かって邁進した時のような、新しい旋風の、何かがあるように思われた。 ●年中裸足で居る事の大事 尚道館の内弟子に対して、厳格な掟(おきて)がある。それは年中裸足で過ごすと言う、厳格な掟である。 寒さに対して、まず足を手のように強くする。次に手を顔のように強くする。 人間が直接外気と触れるのは、顔・手・足の三箇所である。 そして人間の躰の中で、寒さに接して一番強いのは顔である。また暑さに対しても、一番強いのは顔である。 したがって全身を顔のように、強くできれば、それは至って健康であると言う事にもなるのである。 どんなに寒くても、朝から晩まで手袋をして生活する人はいない筈だ。第一、食事の、箸をとる時に、手袋をしていては、上手に箸を動かす事は出来ない。 また外出する時に、手袋はしても、顔に袋のような物で、覆いを掛ける人は居ないであろう。 足を顔と同じ、寒さに対しての強度を養う事ができれば、歳をとっても躰はいたって丈夫であると言う事が出来るのである。つまり足を鍛えると言う事は、ただ単に長距離を歩いたり、あるいは走ったりするばかりではないのである。 人間の退化年齢は、足からやってくる。足の弱い事が年齢を感じさせるのである。 人間は、初老と言われる四十歳を過ぎると、躰の至る処に故障が生じてくる。そしてこうした躰(たからだ)の故障は、自分でも確認する事が出来る。 ところがこうした故障が生じてくる年齢になると、同時に頭も鈍くなって、頭自体が弱くなっていると言う現象が起こっているのである。これは暗記力などに、直接顕われてくる。 躰の故障は、自分でも何となく不調であると、気付く事はあるが、頭が鈍くなり、弱っている事は中々気付かないものである。 ではこの、頭の鈍さや弱さが何処ならくるかと言えば、足からなのである。 足が弱いと言う事は、同時に頭も鈍くなり、弱くなっている事を証明しているようなものなのである。 現代人は、交通機関の発達やマイカーの普及によって、益々足が弱くなっている。足を直接的に鍛えるチャンスが失われているのである。そして寒ければ靴下を履き、寒さにたえると言う、足の役割を、多くの現代人は忘れてしまっているのである。 現代の生存競争の社会で、「弱い人間」を挙げた場合、競争に負け、試合に負けて、こうした者を「弱い人間」と決めつけているようであるが、本当に弱いと言うのは、こうした社会の表面的なものではなく、ズバリ言って、躰の弱い人間を、実は「本当に弱い人間」というのである。 ではその弱さは何処から来るのか。 それは、足を鍛えない現代人の、自然に対する抵抗力のなさを、実は弱さの根源に求める事が出来るのである。 つまり、足を鍛える事は、歩いたり、走ったりする以外に、寒さに対しても、夏の暑さに対しても、こうした自然温度の変化に対し、それに順応できると言うのが、本当に足を強くすると言う事であり、寒ければ防寒具でそれを補うと言うのは、二次的なものであり、二次的なものを最初から用いていたのでは、本当に鍛える事は出来ないのである。 その意味で、尚道館では年から年中、裸足で過ごすという厳格な掟を定義付け、修行期間の内弟子に対して、これを厳しく課せているのである。 こう言う、一般には殆ど目を向けない、箇所にも、尚道館では目を向け、宗家を中心として、本当に使い物になる、強い内弟子の養成にあたっているのである。 ●食餌法の大事とその作法 尚道館の内弟子制度の最大の課題は「食餌法(しょくじ‐ほう)」である。この食餌法は、軽快で丈夫で頑丈な躰を造る為に実践される。血液を酸毒化し、血を汚してしまう食肉や乳製品や卵類は一切口にしないのである。 一般に錯覚されている事柄に、サーロインステーキや焼き肉などを食べると、スタミナアップされて、体力増強に繋がると思われている。しかしこれは大間違いである。 また牛乳ガブ飲みは、カルシウム補給に大いに役立つと思われている。その為に骨は、骨太になり、丈夫な骨組織が出来上がると錯覚されているが、これも大間違いである。人間の飲む牛乳で、牛の仔は育たない。 その上、滅菌する為にウルトラプロセスと言う高熱処理が施され、乳酸菌などが総て死滅してしまった人間の飲む牛乳が、果たしてどれだけ健康に寄与しているか、大いに疑わしいところである。卵類も然りである。とにかく動物性蛋白食品は血液を酸毒化させるのである。 人間は歯型を見れば、何を食べたら容易に検討がつくはずである。人間の歯は食肉をする為には作られていない。総て穀物や野菜を擂り潰す為に作られている。 人間の歯の構造は、門歯と言われる八本の歯(前歯)は、野菜を包丁のように噛み切る歯であり、残り四本は犬歯と言う尖った歯である。この犬歯をもって、これを食肉に適した牙と表現する現代栄養学者がいるが、これは違う。あくまで人間の犬歯は、木の実などの食物の固い殻を割る為に遣われるものなのである。 つまり人間の歯の三十二本の総ては、穀物菜食をする為に造られているという事である。 また人間の腸の長さを考えて見ても、この長さは穀物菜食の為に合わされた腸の長さである。肉食である犬や猫は、体長と腸の長さの関係が1:3〜1:5である。それに比べて穀物菜食の人間は1:10であり、草食の牛や羊は1:21〜1:24の比率になっている。肉食から菜食になるに従って、腸は次第に長くなるのである。 その上、古来より肉食の習慣がなかった日本人は、欧米人に比べて2メートルも長いのである。これは日本人が農耕民族の先祖の血統を受け継ぎ、伝統的に穀物菜食主義を連綿と伝承してきた民族であると言う証(あかし)である。そして肉食に比べて、穀物菜食の方が、はるかに力が出るのである。 またその作法については咀嚼法(そしゃく‐ほう)という、よく噛むことに併せた、「一二三(ひふみ)の祝詞」を実践するのである。これは「一二三祝詞」を心で唱えながら、五十音のうちの重複音を除いた四十七音をとなえるのである。
と「一二三祝詞」を唱え、「ん」で食べ物を呑み込むのである。
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