内弟子制度 3
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●武術家・武道家である前に、まず人間たれ こうしたチラシ宅配や広告テッシュを配る、直接の因果関係は、道場生獲得を目的にしたものであろうが、私はそれだけの目的ではなく、他に何か目的があるのではと思って、この事を訊いてみた。 そうすると、曽川宗家は、 「わが道場で二年間学び、その後、巣立って行くのであるから、職業武術家として、行く行くは何処かで開設しなければならない。それにあたって、技は学んだが、人を集める募集方法は知らないでは済まされない。 また道場を出すにも、その設定が必要であるし、あるいは自前でなく、体育館やその他の施設を借りる場合も、場所的なロケーションが出来ないでは、単に武道馬鹿であっても、真の人間として、あるいは社会人しては通用しないではないか。 昔は、武道馬鹿でも、いささか腕に覚えがあり、強ければ、それだけで人が集まった。辺鄙(へんぴ)な所でも、わざわざ人が訪ねて来た。 しかし今日は、それだけでは社会人として落ちこぼれだ。人の尊敬を集めない。テレビや新聞や雑誌に出るような、スポーツ・タレントなら未(まだ)だしも、無銘の一武術家の所に、誰がわざわざ教えを請いに来るものか。無銘は、無銘なりに方法論を学ばなければならない。 武術家は、武術家である前に、まず、人間であるべきで、人間を抜きにして、武術家は成り立たない。 その為には、経済や政治にも熟知していなければならず、適切に内外の情勢を見極め、今後、世の中がどう変化するか、それ位の見通しが効(き)かなければ、真の武人とは言えまい。道場生の増減は、世の中の景気にも左右されるものだ。 だがら武道馬鹿では、経営に失敗して、借金だけが膨れ上り、人間として生きて行けないのだ。道場がゴタゴタするのは、金に問題があるからだ。 したがって、しっかりと《貸借対照表》や《損益計算書》を把握して金銭哲学を学ぶ必要がある。 また税務関係にも強くならなくてはならず、道場経営は一種の利潤追求であるので、公益的な立場であっても、税務については知るべき事柄であり、これを蔑ろにしてはならない。昨今は、普段はサラリーマンや、商店等に勤務しながら、その余暇を利用して、一週間のうち一日か二日を指導に当てている素人道場主が多いが、彼等の殆どは自己収入以外に、こうした道場で上がった利益を無申告の儘、放置している。これは明かに脱税であり、脱税者が道場を経営しているのでは、話にならないではないか。 彼等には、どうも、自分が給与所得者である為、脱税しているという意識が薄いようだ。しかし、不況で税収の少ない財務省は、こうした副業をしている者にも触手を伸ばし、最終的に摘発されていくであろう。 こうした事態を想定すれば、道場の会計管理こそ、今から自分が武術家として修行をしていく、基本であり、この分野に疎くてはならない。 道場とは、単に儀法(技法)を教えるだけではなく、人造りもしていかなくてなはらない。これが出来なければ、幾ら強くても、せいぜい田舎のヤクザの用心棒か、乞食同然の生活しかできないではないか。 人徳を表面に打ち出し、威張らない、控えめで謙虚な、礼儀正しい、頭の低い人格者の態度こそ、これからの人間像に求められる姿であり、真に武道家の態度ではあるまいか。 また、地域の為にも貢献出来るような人間像でない限り、人々の尊敬は集めないものである」(以上収録テープの編集による)と、指摘された事である。 全く、その通りだと思う。 単なる強持て武芸者であるより、その前に「人間たれ」というのが、曽川宗家のお考えのようである。 そして大事なことは、集金力の無い者は指導者として、あるいは道場主としてその資格を失うのである。 バカの一つ覚えで、技だけやっていればとか、武家の商法では、どうしようもないのである。志を掲げた武術家であっても、まず武術家である前に人間でなければならないのである。 ●武人である前に社会人たれ!社会に生きる人間たれ! かつて滋賀県で、大ローンを組んで道場を建てた空手家の父子がいた。最初は順調な滑り出しであった。 ところが最初は払えると思った銀行ローンの返済が、次第に重くのしかかり、金策の工面に走り回った挙句、とうとう行き詰まって、幼児誘拐をこの父子は思いつき、これを計画・実行する。 そして計画を実行に移すが、直ぐに発覚し、警察の犯罪捜査技術と知恵にはかなわず、ついに御用となって、警察の留置所に48時間拘束され、厳しい取調を受けた。更に検察庁の訊問24時間拘束、裁判所の刑の執行、刑務所収監となる訳だが、父親の方は良心の呵責と心労で苛(さいな)まされ、心身を病み、厳しい訊問と取調に耐え切れず、獄死し、息子だけが刑務所送りになったという。実に哀れな空手家父子だった。 さぞかし道場が建って間もない頃、友人や知人、空手仲間や弟子たちから祝福され、多額な祝儀も受取り、有頂天に舞い上がり、一時の潤いに飛ぶ鳥を落とす勢いで、肩で風切るような羽振りであった事は、想像に難しくない。 しかし、門人募集や人造りに行き詰まり、金に窮すれば、情熱も冷めてくるのは当然だ。最初の予想とは反して、無計画で無謀な借金返済が、次第に重くのしかかったのである。 もともとローン返済計画というのは、最初の予想とは反するものである。当初は、安易な憶測で、容易に払えるような錯覚に陥るが、思わぬ他の出費も重なり、実際には返済計画通り行かないのが、借金をする側の常である。 金融構造の裏側には、こうした無謀な返済計画が衰運の陰を潜めているのである。 空手家父子は、こうした金融構造の裏側を知らなかった為に、一度何かの拍子で返済の歯車が狂うと、二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなり、ついに犯罪に手を染める愚行を犯してしまったのである。 これなどは典型的な、世間知らずの武道馬鹿で、社会人としては失格ではなかったかと思う。 「青少年育成」を全面に打ち出して、「社会教育」や「武道教育」を幾ら豪語してみても、経済的に困窮して、犯罪者になってしまえば、武道家としては最低であり、人生の落伍者でしかない。名誉も、二度と復活することはないだろう。 曽川宗家は大学教授として、数学と哲学を教えているが、金融構造学や歴史工学といったジャンルを、得意な理系の頭で考える特技を持っている。 特に金融構造を工学的に考え、利息が5%未満の場合と10%以上の場合は、各々を対比させて、それが返済ローンの長さにもよるが、平均すれば10%以上の場合は、5%未満の場合に比べて、約三倍になるという、凡夫が見逃してしまうような、利息と元本と対比を指摘している。 つまり10%以上の場合は、「元本の三倍となるという利息のトリック」を指摘しているのである。だから銀行や消費者金融は、利息の利鞘だけで儲かるのだと。 そして一度でも遅延すれば、その損害金は銀行やノンバンクやサラ金を問わず、利息制限法の最高比率である、29.2%が元本と遅延した日数に加算されて、これまた、利息が利息を生む構造になっていると、厳しく指摘するのである。 また、道場という建物は、一般住宅と異なり、その権利登記は「事務所」として登記しなければならない。事務所は固定資産税においても、一般住宅が2%の比率で固定資産税が課せられるのに対し、事務所は3%の固定資産税が課せられる。またこれは不動産を取得した場合も、同じ比率で徴収される。 そして更に悪い事は、一般住宅の売買の場合と、特殊な建物(天井が高い)としての道場は、容積が大きい分だけ、その売買において、誰もが飛びつかない欠点があり、引っ越ししようにも、資金に窮して手放すにも、非常に売り辛い。 したがって土地を買い、建物を建てて道場を構え、そこで門人を集め、指導するという事が、如何に難しいかという事を曽川宗家は指摘するのだ。 だから計画を建てる時は、慎重な長期を展望した返済計画が必要であり、最初から、家持ち、土地持ちの人でない限り、大ローンで道場を建てるなど、以ての外だと言うのである。 これは貸ビルを借りるにしても、同じである。交通の便がよく、繁華街になればなる程、家賃や敷金も高くなる。最初は、それでも家賃が払えるような気がするが、やがては遅延や滞納が起こり、最終的には強制執行の立退命令で追い出される破目になるので、こうした事も十分に考えて、最初は地道な「人造り」から始めるべきだと言う。道場は、人を以て修行の場が確保できるのである。 しかし道場開設に当たり、多くの道場主は、祝儀なども集まり、「開設すれば、後から何とかなるだろう」と安易な考えをする。 こうした計画の、数字的な立案と、数年先を見通した長期計画をやらずに、貸ビルを借りる事は破綻(はたん)に陥りやすい。それは道場生や生徒になるべき習う側が、経済力の無い若年者であったり、ハングリーであったりして、月謝を払うという意識に欠けているからである。こうした青少年に対しては、まず、「謝儀(しゃぎ)の何たるか」を教えることから始めなければならず、こうした「人造り」には大変な時間を要するものである。 最初の道場開設当初は「道場開き」の祝儀として、友人や知人や武道仲間からの祝儀で、一時的に潤った錯覚に陥るが、その後は潮が引いたようになる。やがて道場経営者である師範は、身分を隠して、夜の盛り場でバーテンダーやボーイをやったり、ホストクラブでホストをしたり、皿洗いのアルバイトをするというのが通り相場のようだ。 しかしこれらは、まだ良い方で、覚醒剤に手を出したり、運び屋になったり、売人になったり、カタギの世界とは言い難いような世界へ、足を踏み入れなければならなくなるような人もいる。 こうした世界に足を踏み入れながら、「青少年育成だ」「社会教育だ」と豪語しても、人は見向きもしないだろう。これが汚れた素顔を隠す為の仮面である事は、容易に勘づかれてしまう。最早こうなれば、人心を失い、人の尊敬と支持を受ける事は出来ない。 これなども「人造り」「組織造り」の根回しに失敗した例と言えよう。 したがって最初は地道な人造りと、それに併せて、公共施設の体育館や公民館や武道館などを、安価で曜日契約して借りる事を薦めている。 ただし金のある人は別である。一気に土地を確保して、道場建設に踏み切れば宜しいのである。しかし大半はそうもいかないだろう。 やはり最初は、地道な人造りと、公共施設を利用する等の方が利口である。 こうした手順を、尚道館ではマーケティングの展開法と共に、詳細に、具体的に教えてくれるのである。 ●一億総借金漬けの現実を知ろう 近代資本主義を築いた社会構造の基盤になったものは、キリスト教をベースとした欧米の契約社会であった。 キリスト教による社会契約論は、「信用」と「契約」という二つを、契約書の中心に据え、対立する複数の意思表示の合致によって成立する法律行為を決定した。贈与・売買・交換・貸借・請負・雇用・委任・寄託などがそのよき例で、これらは一方で、今日の「借金漬け」の現実を作り出した。 |
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▲銀行カードであろうと、体裁の良い借金地獄カードである。そして国民の多くは、借金漬けの現実の中で、このカードを借金地獄への通行手形に遣っている。 |
また「信用」と「契約」が、大衆を借金地獄に陥れた。今日の一億総中流の大衆社会における社会構造は、この総中流である大衆の「一億総借金漬け」に回帰すると言っても過言ではない。 近代資本主義は、近年に至って高度大衆社会の現実を作り出した。 高度大衆社会とは、一応は聞こえがいいが、要するにその他大勢である一般大衆を、「一億総借金漬け」にする要素を含んでいるのである。 こうした現実を、更に詳しく説明すると、次のようになる。 諸氏も、「リボルビング」という貸付制度がある事は、既にご存じであろう。 例えばリボルビング払いで50万円借りると、これを返すのに、元金返済額はリボルビング払いと形式に決められているので、元金の1万円と、利息を50回払いで返していくと、第一回目の支払いは元金10,000円に、利息の年率27.8%の月利分が11,424円となり、これは借り入れ金の元本の50%以上に匹敵する暴利(利息合計291,300円)を支払うという事になる。 ちなみに一ヵ月の利息を求める計算は、年利27.8(%)÷(365(日)×100)=日歩0.000761643……が出るので、日歩×元金×30(日)で一ヵ月の利息11,424円が出てくる。 したがって第一回目の支払いは、元金と併せて21,424円となる。2回目以降は元金から1万円づつ減らして50回で計算すれば、全利息は容易に計算できる。 ・500,000円の場合……年利27.8(%) 第01回目 元金10,000円 元本残500,000円 利息11,424円 第02回目 元金10,000円 元本残490,000円 利息11,196円 第03回目 元金10,000円 元本残480,000円 利息10,967円 第04回目 元金10,000円 元本残470,000円 利息10,739円 第05回目 元金10,000円 元本残460,000円 利息10,510円 第06回目 元金10,000円 元本残450,000円 利息10,282円 第07回目 元金10,000円 元本残440,000円 利息10,053円 第08回目 元金10,000円 元本残430,000円 利息9,825円 第09回目 元金10,000円 元本残420,000円 利息9,596円 第10回目 元金10,000円 元本残410,000円 利息9,368円 第11回目 元金10,000円 元本残400,000円 利息9,139円 第12回目 元金10,000円 元本残390,000円 利息8,911円 第13回目 元金10,000円 元本残380,000円 利息8,682円 第14回目 元金10,000円 元本残370,000円 利息8,454円 第15回目 元金10,000円 元本残360,000円 利息8,225円 第16回目 元金10,000円 元本残350,000円 利息7,997円 第17回目 元金10,000円 元本残340,000円 利息7,768円 第18回目 元金10,000円 元本残330,000円 利息7,540円 第19回目 元金10,000円 元本残320,000円 利息7,311円 第20回目 元金10,000円 元本残310,000円 利息7,083円 第21回目 元金10,000円 元本残300,000円 利息6,854円 第22回目 元金10,000円 元本残290,000円 利息6,626円 第23回目 元金10,000円 元本残280,000円 利息6,397円 第24回目 元金10,000円 元本残270,000円 利息6,169円 第25回目 元金10,000円 元本残260,000円 利息5,940円 第26回目 元金10,000円 元本残250,000円 利息5,712円 第27回目 元金10,000円 元本残240,000円 利息5,483円 第28回目 元金10,000円 元本残230,000円 利息5,255円 第29回目 元金10,000円 元本残220,000円 利息5,026円 第30回目 元金10,000円 元本残210,000円 利息4,798円 第31回目 元金10,000円 元本残200,000円 利息4,569円 第32回目 元金10,000円 元本残190,000円 利息4,341円 第33回目 元金10,000円 元本残180,000円 利息4,112円 第34回目 元金10,000円 元本残170,000円 利息3,884円 第35回目 元金10,000円 元本残160,000円 利息3,655円 第36回目 元金10,000円 元本残150,000円 利息3,427円 第37回目 元金10,000円 元本残140,000円 利息3,198円 第38回目 元金10,000円 元本残130,000円 利息2,970円 第39回目 元金10,000円 元本残120,000円 利息2,741円 第40回目 元金10,000円 元本残110,000円 利息2,513円 第41回目 元金10,000円 元本残100,000円 利息2,284円 第42回目 元金10,000円 元本残90,000円 利息2,056円 第43回目 元金10,000円 元本残80,000円 利息1,827円 第44回目 元金10,000円 元本残70,000円 利息1,599円 第45回目 元金10,000円 元本残60,000円 利息1,370円 第46回目 元金10,000円 元本残50,000円 利息1,142円 第47回目 元金10,000円 元本残40,000円 利息913円 第48回目 元金10,000円 元本残30,000円 利息685円 第49回目 元金10,000円 元本残20,000円 利息456円 第50回目 元金10,000円 元本残10,000円 利息228円…… 利息合計291,300円 例えば、100,000円借りた場合、利息合計は12,560円であるが、500,000円借りた場合、500,000円という金額は、単に100,000円の単に五倍という金額ではない。その実質年利においては約23倍以上(23.19267515倍)なのである。 ・リボ払いでのクレジットカードでの買物は、実質年利が13.2%であり、限度枠いっぱいに400,000万円の買物をしたとすると、元金は固定の10,000円であるので、第一回目の利息は、年利13.2%÷(365(日)×100)=日歩0.000361643……なので、日歩0.000361643×元金400,000×30(日)=(利息)4,339円となる。まったくもって高利だ。 ・400,000円の買物をした場合……年利13.2(%) 第11回目 元金10,000円 元本残300,000円 利息3,254円 第12回目 元金10,000円 元本残290,000円 利息3,146円 第13回目 元金10,000円 元本残280,000円 利息3,037円 第14回目 元金10,000円 元本残270,000円 利息2,929円 第15回目 元金10,000円 元本残260,000円 利息2,820円 第16回目 元金10,000円 元本残250,000円 利息2,712円 第17回目 元金10,000円 元本残240,000円 利息2,603円 第18回目 元金10,000円 元本残230,000円 利息2,495円 第19回目 元金10,000円 元本残220,000円 利息2,386円 第20回目 元金10,000円 元本残210,000円 利息2,278円 第21回目 元金10,000円 元本残200,000円 利息2,169円 第22回目 元金10,000円 元本残190,000円 利息2,061円 第23回目 元金10,000円 元本残180,000円 利息1,952円 第24回目 元金10,000円 元本残170,000円 利息1,844円 第25回目 元金10,000円 元本残160,000円 利息1,735円 第26回目 元金10,000円 元本残150,000円 利息1,627円 第27回目 元金10,000円 元本残140,000円 利息1,518円 第28回目 元金10,000円 元本残130,000円 利息1,410円 第29回目 元金10,000円 元本残120,000円 利息1,301円 第30回目 元金10,000円 元本残110,000円 利息1,193円 第31回目 元金10,000円 元本残100,000円 利息1,084円 第32回目 元金10,000円 元本残90,000円 利息976円 第33回目 元金10,000円 元本残80,000円 利息867円 第34回目 元金10,000円 元本残70,000円 利息759円 第35回目 元金10,000円 元本残60,000円 利息650円 第36回目 元金10,000円 元本残50,000円 利息542円 第37回目 元金10,000円 元本残40,000円 利息433円 第38回目 元金10,000円 元本残30,000円 利息325円 第39回目 元金10,000円 元本残20,000円 利息216円 第40回目 元金10,000円 元本残10,000円 利息108円…… 利息合計88,940円 この利息から損益計算を出すと、時価400,000円の商品を40回(40ヵ月)、一度も遅延する事もなく、無事に払い終わったとして二割増し強(22.235%増)の、488,940円で買った計算になる。クレジット・リボ払いは時価の商品を20%強の金額を払って購入する、信用取引における契約なのだ。つまり定価の二割増で物品を購入している事になる。 仮に「値引きして、負けて」もらっても、定価を上回る事は想像に難しくない。 ・サラ金29.2%の場合…… 年利29.2%÷(365(日)×100)=日歩0.0008 500,000万円を1ヵ月借りると利息は、日歩0.0008×元金500,000×30(日)=(利息)12,000円となる。 50万円を一ヵ月借りて、30日間での利息は12000円であるから、この期限に50万円を借りて返せば利息は12000円だけですみ、リボルビング払いのように固元金10000円づつ返し、50ヵ月に亙り、だらだらと払い続けて利息合計291,300円を取られるのとは大きく違っている。 計画性を以って、決まった返済期限に完納すればサラ金の方が得であるが、これはあくまで、一ヵ月後二ヵ月後に借入金相当額の入金の当ての見込みがある場合のみである。
サラクレ(サラ金とクレジットを併せてこう呼ぶ)は、双方ともに大きな落し穴があるのである。 こうした事も、曽川宗家はズバリ指摘し、豊かさと、快適さと、便利さを引き替えにして、多くの日本国民は、借金漬けになって、極めて不自由な、死ぬまで走らされる苛酷なラットレースを強いられていると言うのである。 曽川宗家の言によると、 「国民の多くは『国の貸借対照表』はおろか、自分個人の貸借対照表の『資産の部』や『負債の部』の読み方すら知らない。大ローンで買った自家用車や家電製品、マイホームを自分の資産と思い込み、苛酷なラットレース(借金の利息払い競争)に、必然的に与(く)されている事にも気付かない。 また、国民の多くは、ご都合主義で貪欲な資本家に利益を齎(もたら)す為に一生懸命に働き、無能な政府に多額な税金を取られる為に働き、銀行ローンやクレジットカードで買物をする為に働いている。 こうした人達は、独楽鼠(こま‐ねずみ)のような、働き者の優秀な労働者であるかも知れないが、優れた金銭哲学の持ち主ではない。 昨今激増しているサラ・クレ地獄は、《損益計算書》や《貸借対照表》の読み方を知らない国民の無知が招いた必然的な悲劇ではないだろうか。 また国民の多くは、資本家に利益を提供する為に一生懸命働き、余れば幾らも利息のつかない銀行に《自己責任》において預金し、不足すれば銀行系のクレジットカード(VISA)で借金をし、リボルビングと云う巧妙な手口の支払方法で、愚かにも必要以上に27.8%という暴利を取られ続け、その他にも税金や健康保険税(国民健康保険などで、一種の地方公共団体の財源になる税金)を払い続けている。 そしてこれが、即ち、自分自身で『中流階級』と思い込んでいる人達の実像である」(以上収録テープを編集)と言い放っているのである。 私は、曽川宗家を近代希にみる「戦略思想家」と思っている。したがってこうした、現代人に対する愚かな一面の指摘も、明確に即答出来るのだと思う。 現代社会における生活の糧の中心は金銭である。金銭を研究せずして、その根本に存在する金銭哲学は語れない。 人間は「衣食足りて礼節を知る」と云うが、現代社会における礼節は、常に金銭が何等かの形で関与している社会であり、これを無視して、タテマエだけの礼治主義ではどうにもならないのである。金銭至上主義に入れ揚げる必要はないが、正常な金銭感覚だけは失わないでいたいものだ。 |