内弟子制度 2



 人の歩く人生は、その生き方に左右される。そして、武術の世界に生きる人も同じだろう。
 そこで、内弟子修行に関し、ただ武術をしたいのか、あるいは「武術家」になりたいのかが問われるところである。
 ただ武術をしたければ、何も内弟子修行などする必要はない。ただのアマチュア愛好のレベルで止まり、武術オタクを続けていればいい事である。

 しかし、武術家になるのなら、ただ武術をしたいというレベルに止まることは赦
(ゆる)されない。もっとその奥にあるものを、掴む必要があるからだ。
 それは人を集め、集まった人を纏
(まと)め、組織し、道場運営と言う「人間学」を学ばねばならないからである。そして、それを学び終えたら、「自前の足」で立って行く必要がある。 


入門金と月謝を払う意義

 道場活動を展開する集団は、一般の道場の場合も同じであるが、「人の道」を掲げているので、この活動は利潤追求の「営利目的」ではなく、また「商行為」でもない事はお分かりいただけるであろう。
 道場運営を将来に亙(わた)り維持する為には、それなりの経済基盤が必要なのであるが、西郷派大東流合気武術の運営は、これを政財界の有志に求めないというのが、曽川宗家の一貫したお考えである。

 武術は元々、自立独立・自主独歩の気概を尊ぶ求道者の道である、と私は信じている。つまり、「自前の足」で立つという事である。
 だから財政面の援助を政財界に求めず、自力で活動を展開するというのが、「奉仕」の真の姿であるし、これは「武の道」に邁進(まいしん)する者の、極めて健全な姿ではないかと思う次第であるようだ。

 さて「武術家とは何か」と問われれば、私は直ぐに「奉仕者である」と答えるようにしている。

 したがってこうした奉仕者が、政財界人に援助を求め、政治家の為の売名行為の手下として走狗した場合、言行不一致のそしりを受ける事は必定だ。しかし、世間にはこうした武道団体やスポーツ団体が多いようである。

 西郷派大東流合気武術は、政治家や財界人を人脈目当て、金金銭目当てに、「名誉総裁」にしたり、「最高顧問」にするなどの、武術の「武」の字も知らないド素人に、こうした職は与えていない。金銭の無心と、御機嫌伺いとして、太鼓持ちに成り下がる気持ちは全く無い。これが曽川宗家の、強い武術の基本理念である。

 西郷派大東流は、自立独立・自主独歩の気概を尊ぶ求道者の武士道集団であるので、他者の負担になって、「他人に借りを作る」ことはあってはならないと考える。
 武術の実践者は、「道を求める求道者」であり、企業の寄生する総会屋や暴力団の類とは根本的に異なるのである。
 他人に借りを作らないという心構えも、武術家としては、大切な心構えの一つだ。

 したがって人の世話をする事はあっても、なるべく他人の世話にならないように心がけることが大事ではないかと思う。
 そうした武術家の特異な思想を以て、活動を展開するのであるから、その運営の維持の源泉は、門人が毎月支払う月謝に委(ゆだ)ねられる。これを「自前主義」というのだ。

 そして月謝の納入については、幾ら納入すればすむのか、あるいは月謝を払うと、どういう特典が与えられるのかというような、対価的な考えはもっての他だと思う。

 むしろ考えねばならないことは、修行者が自分の通う道場に対して、どういう協力し、援助し、負担すべきかという事を模索するようでありたい。
 それが人格というべき、独立した一人前の「おとな」という態度であるまいか。

 道場における月謝の徴収とは、商行為としての徴収ではなく、自らが感謝の気持ちで自発的に差し出すものである。
 これを商行為と捉えれば、人格ならびに霊格ともランクの低い、幼児社会の有相無相と、種が一緒になってしまうのである。

 お家の事情はそれぞれの団体によって異なろうが、中には会費や月謝の類(たぐい)を要求しなかったり、講道館柔道のように、年間会費が、たったの三千円というスポーツ武道団体もあるようだ。
 しかしそいうい安い年間会費で、あれだけの大組織を動かし、維持・運営しているのであるから、当然そこには、収入の源泉が他にあると考えねばならない。背後に巨大なスポンサーを持ち、あるいは柔道を放映するなどの放映権があったり、政治的な圧力を懸けて学校教育の正課授業に、国民皆兵式【註】高校体育の授業に「柔道」があるのはこれを雄弁に物語っている)に体育に取り込み、これにより裾野(すその)を広げるという巨大組織が出来上がっている。

 即ち、何処かで、誰かが不足の分を負担しているのであり、これと引き替えに、当然何かが提供される筈(はず)である。果たして、こうしたものに寄りかかった態度が、好ましい姿であるかないか、あるいは正しく青少年健全の育成に貢献しているかどうか、その裏側を考えれば、どこか訝(おか)しなカラクリがあるのはと思うのが当然である。

 また、こうした団体の背後には、興行としてのテレビ局などの放映権も絡んでいるので、そこから多額の放映収入が入ったり、選手のコマーシャル出演で、出演料が入手出来るようになっていて、背後に強大な政治力があることも否定できない。
 そしてこうした巨大組織は、資金力も政治力も大きいから、組織の選手は次から次へと湧いて出て、怪我や負傷などで役に立たなくなれば、直ぐに捨てられれてしまい、消耗品として使い捨てされている現実を知らねばならない。一番得をしているのは、試合に全く参加しない連盟組織の幹部であることは、誰の目から見ても一目瞭然の筈だ。

 こうした裏を察すれば、柔道を、知育のそれに対峙(たいじ)させ、学校教育の中に持ち込み、これを生徒に強要して「体育」とした嘉納治五郎の考え方が、政治力と無関係であったかどうか、実に疑わしい限りである。
 ある意味で柔道連盟が、教育団体を自称する日教組と、五十歩百歩の団体である事は明白であり、教育を喰い物にした組織である事は、否めない観があるが、諸氏はどうお考えだろうか。
 その点においては、剣道を高等学校の体育課目に指定している日本剣道連盟も然(しか)りである。武術の実践者は政治家の集団ではなく、「道の求道者」だったのではあるまいか。



●月謝を払うという行為の大事

 月謝というのは理念の上では「謝礼」である。謝礼であるので、これはれっきとした「謝儀(しゃぎ)」であり、「月謝を払う」という行為は、自分自身の「身分確認の為」と「人間性の証(あかし)」を表現する行為である。

 毎月、威儀を正し、謝意を表わすのであるから、己の置かれた立場を忘れるにいるという行為でもある。したがって月謝という実態は、商行為の対価ではない。

謝儀を包んだ熨斗包(のしつつみ)の色々。

 かつて、古人は「のし袋」に瑞引(みずひき)を掛け、衣服を改めて、師匠の前に出(い)でて、両手で差し出すのが作法であった。そしてこうした事が「礼儀」に繋(つな)がり、この礼儀をもって「師弟関係」と称するのである。

 しかし今日は、こうしたかつての作法は今ではすっかり忘れ去られ、商行為の対価と成り下がっている。厳粛(げんしゅく)かつ神聖であった領域は、商人化され、武道家の世界でも、金銭の授受に奔走する現実が生まれた。

 月謝は商行為の対価でないが、では商(あきない)でないから、これを払わないでもいいのかというと、それは違う。あくまで身分の証として払うべきものである。
 ところが一方で、門人の中にも不心得者がいて、滞納したり遅延して平気な者がいる。
 このような者は、「礼儀知らず」で、既に身分と人格を失っている人間である。門人に値しない。

 また、毎月規則正しく支払わない者は、武術修業を商行為と看做(みな)すところがあり、二ヵ月も三ヵ月も不払いのまま、無届けで過ごす人もいるようである。
 しかしこうした人は、自らが人格の低い事を物語った人で、非礼なのは勿論の事であるが、心の中には感謝の意が存在せず、世の中の礼儀と常識を知らない、恥ずべき人間である。

 武術修行は、こうした事にも人格が現われるので、修行者自らが、自分の礼儀を正すべきである。

 少なくとも、こういう類にならないように、自分自身を戒め、思い上がらず、また武術と世界での謝礼というものは、商業取引における「対価」でないので、この部分を混乱しないようにしておかなければならない。
 そして、礼儀として、月々の月謝は月初め五日までに収めるのが、教えを受ける者の心得である。つまりこれが礼儀なのだ。



●二年間の修業で、その終了後には「奥伝師範」と「五段」の称号が授かる

 「内弟子制度」は、その修業年数が「二年間」である。
 まず、この「二年間」について説明しなければならない。
 多くの諸氏は、僅か二年間で何が出来、何が学べるだろうか、と不思議に思うかも知れない。

 ところがこの二年間が、濃縮の、密度の高い「人間の叡智(えいち)」と、意表を突いた恐るべきシステムなのだ。したがって、某柔術流派が標榜(ひょうぼう)している、単に「短期速習指導」というような付焼刃的ものではない。濃縮された、本物の武人を目指すのである。

 一般に武道を学ぶには、長年の歳月が必要ではないのか、というのが常識になっているようである。
 しかし曽川宗家は、
 「武道や武術を、二十年も三十年もかかって、それを日夜精進する態度は、表皮的には物凄いように思うが、実は、これこそムダ・ムラの最たるもので、実際に“○○道を何十年している”と豪語しても、実際には、せいぜい一週間に2回程度の、1時間半か2時間位の練習であろうと思う。

 こうした週一、週二の練習時間を総合計しても、仮にその期間が二十年・三十年であっても、中味の実質総合計練習時間は、せいぜい数時間程度でしかなく、実に内容の薄い、無駄な練習に終始した事くらいしかしてないのが実情だ。私は○○道を二十年した、三十年したという連中の、表皮的な傲慢を信じない」と一蹴する。
 考えて見れば、全くその通りである事に気付く。

 よく世間では○○道を二十年した、三十年した、あるいは今年で、もう四十年目になる等と豪語する人がいる。

 しかし例え、四十年没頭していても、その内の約三分の一は睡眠に使われ、その他は食事や休憩時間であったり、学習や就業時間であったり、こうした事をすべて含めれば、四十年間の豪語は、恐らく時間に換算しても、大した時間ではなくなるのである。要は、修行期間における集中と、没頭と、その濃厚さであり、その密度なのだ。

 そして最も大事な事は、武術の原点は人間殺生の為に「命をやり取りする」という事にあるので、この修業を週一・週二の単位で、「趣味」や「愛好」の範囲でやるのか、また「実戦を想定」して、毎日やるのとでは、その根底を支配する「命」というものを思慮する上で、おのずとその次元にレベル的な誤差が生じる。
 どうしても週一・週二の範囲では、根底にある「命」というものに対する観念に甘さが生まれ、その意識も曖昧で軽薄なものになる。おのが魂に、激しく迫るものが無い。
 週一は週一の甘さがあり、週二は週二の甘さがある。例え週三においても同じであろう。

 ところが毎日、朝晩・日夜を通じてこれを厳粛・厳格に行えば、その観念も覚悟的なものになり、その没頭度が趣味や愛好の範囲でやっている者とは異なって来る。要は信念の問題であり、信念を成就させる為には濃厚な密度が必要であり、その修業の原点をどこに置くかという事だ。

 こうした話をする時、曽川宗家は「アメリカ海兵隊」や「米陸軍特殊部隊(通称グリーンベレー)」の話をされる。
 「海兵隊や特殊部隊を志願した新兵が、戦闘訓練をするに当たり、二年も三年もかかっては、戦争に間に合わないではないか」というのである。

 戦争が勃発し、あるいは内戦を鎮圧するにしても、二年後三年後の計画で訓練に該(あた)れば、既に反対勢力に占領されているし、もしかしたら、内戦に勝利した勢力は独裁政権かも知れない。こうした政権が反対であり、自軍が負けられないのであれば、短期間に濃厚な、密度の高い、高等訓練をするしかないのである。
 だから、曽川宗家はこの、僅か二年間に、徹底的に稽古する修行期間を設け、成就する人間を探し求めているのである。つまり「内弟子制度」は、この高等訓練に相当するのである。

 今まで、四十年間の武道歴を持っていても、その中味は殆どが、週一・週二の低級練習である。四十年間も無駄に浪費した武道経験を持つ者と、僅か二年間で密度の高い短期集中の高等訓練を受けた者とでは、その伎倆的実力もさる事ながら、精神面においても、また霊的な面においても、格差が生じることは当然のことである。

 武術家や武道家にとって、「武術歴」(あるいは武道歴)という人生の浪費した記録など、何ら真価は認められないのである。
 そして「命をやり取りする」ことを感得する行為が、二十年、三十年かかるというのでは、それは実に鈍感を顕(あら)わした事になり、武道歴を誇る者は、自らが、鈍感の何ものでもない事を顕わした愚かな証拠と言えるのである。

 二年間の修業カリキュラムの中には「二十四節の行法」が映し出されている。これを基盤に、丹念に、慎重に、各課程を消化・吸収していくのである。

 言霊学の中には「御霊(みたま)は出息のミタマ、入息の御由(みよし)と与(く)みて呼吸をなす。その形は『謂大八嶋國』の是(こ)れの如きで即ち大八島おおやしま/一般には大八州で知られる)なり。天地日月(いき)を顕わし、人生(ひとう)まれて、呼吸を為(な)すことを伝えるなり。故にこの『謂大八嶋國』は天地なり、人なり、一天四海形を為すもの凡(すべ)て像に洩(のび)るることなし。亦(また)此の御霊の中より形假名(かたかな)を顕わすなり。人の八十歳を『祝賀』というのは此の大八島の形に備る故なり。御霊の御形米かくの如し。故に米寿とか八十八を祝するのである」という一節がある。

 『古事記』には「此の八島を先に生めるに因りて、大八嶋國と謂(い)ふ」という一節があり、これは日本が多くの島から成るという事を顕わしている。これが『謂大八嶋國』の由来である。

 そして正対化霊を顕(あら)わし、これを天真坤元霊符(てんしんこんげんれいふ)を真正としたのである。
 正対化霊とは、「天地は六気を合し、六節に分かれて萬物化生す、五行は列してその用を為す。支(えと)は十二支に分かれて、五行陰陽の気を以て八方に布施(ふせ)する。天の気は降(くだ)り、地の気は遷(すすみ)で昇る。凡(おおよそ)は五行の化気を備えてのち、その用を合す。萬物は天地の気に因(よ)って化生す。地の気は『静』を司り、天の気は『動』に変じて、此れを即ち『六気』と謂(い)う也。
 六気は終始、天の気によりて『少陰(しょういん)』に始まり、天の気故に『厥陰(けついん)』に終わる。
 地の気は『厥陰』の『木』に始まり、『太陽』の『水』に終わって六気を為す。天の六元の気は還って、地の十二支に合して五行正対して、その緒を為す時機(とき)は即ち、少陰は子午(ね・うま)を司り、太陽は丑未(うし・ひつじ)を司り、陽明は卯酉(う・とり)を司る。
 亦、太陽は辰戌(たつ・いぬ)を司り、厥陰は巳亥(み・い)を司る。天気始終の因(いん)かくの如きのみ、六気は上下し、左右を分けて天の命を行っている、十二支は節を分け、日時を分けて地の化を司っている……」(言霊学のくだりより)を謂(い)う。

 大八嶋は霊性の世界においては『理の象徴』を司り、法(宇宙の玄理)の世界の智慧(ちえ)の象徴である。
 これは宇宙創造ならびに大八島生成の象徴であり、天沼矛あめのぬぼこ/天瓊矛とも)ともいわれ、「沼」は「瓊(たま)」に置き換えられて、「瓊もて飾れる矛」の意味を持つ。これは即ち、矛の意味が、「神武の道」を顕わすのであって、矛はその象徴であり、「剣」を顕わす。
 天地開闢(かいびゃく)にあたっては天神から伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の二神に賜った天沼矛をもって天地の玄理(げんり)の則り、大八島を地上に生成した原動力になった。そしてこれは同時に「武徳」の象徴でもある。

 これは入門後に、曽川宗家から拝領刀を賜わる武徳の象徴でもあり、この剣(つるぎ)が、おのが生涯の御信刀ごしんとう/護身刀の意で、正しくは「御信刀」)になるのである。
 宇宙創造の中心的根源は「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」、「高御産巣日神(たかみむすびのかみ)」、「神産巣日神(かみむすびのかみ)」の三神である。
 その三柱(みはしら)の神は、各々に独立していて、然(しか)も、これが一体化しているのである。
 天之御中主神は宇宙の中心に座す神で、中心力を司る。また高御産巣日神は外に発する遠心力を司り、神産巣日神は裡側に内集する求心力を司る神である。こうした三柱の神の働きによって西郷派大東流合気武術は構築されているのである。

 西郷派大東流は、また「惟神(かんながら)」の合気武術である。その儀法(ぎほう)の技術体系は、明確に古神道との繋(つな)がりを明確にさせている。
 大宇宙、森羅万象を生成するこの天地は、古神道の秘儀にも合い通ずるものがあり、古人の智慧と秘法が包含されて今日へ伝承されているのである。

 二十四節の行法は、まさしく惟神に回帰される。中央に「玉座」を設け、螺旋的に循環して一順を為す。その一順の中に修業の一切が濃縮され、密度の高いものになっているのである。

 さて、ではいつからこの入門が始まるかというと、それは縁によって「四期」に準ずるのであるから、何月何日という固定したものはない。入門を志した「時機」がその縁の始まりであり、この四期の縁によって開始されるので、その人にとっては、その日が「結縁(けちいん)」となる。
 つまり入門は「随時」と言う分けだ。
 そして卒業の暁(あかつき)には、「奥伝師範」「五段位」が授与されるのである。



●二年間の修業カリキュラム

 さて、二年間で濃厚な、密度の高い高等訓練をするのであるから、さぞ猛練習で、恐ろしい稽古をするのではなかろうかと、恐怖を抱く諸氏も多い事だろう。
 そこでそのカリキュラムを紹介してみたい。

 「内弟子制度」の二年間のカリキュラムは、二年間を「24のセクション」に分け、この24を「前期過程」「後期過程」の二つに分けている。そして尚道館では、一年未満のものを「前期生」、一年を越え二年目にあるものを「後期生」と呼ぶようにしている。いわば後期生は前期生の先輩になるのである。

 この前期と後期を合わせて「二十四節」の行法が完成するのである。
 前期過程は一年次で「12の習得事項」をマスターするセクションがあり、これを順に熟(こな)して、次の後期過程である二年次の12のセクションに進級する。

 各セクションは各々に修行する重要事項が定められていて、その都度合格しなければ、次へ進む事が出来きない。かつては、次のセクションに進めず、多くの落伍者が出た。

 さて、西郷派大東流合気武術の内弟子制度であるが、これは平成三年頃から始まり、現在に至っているが、まだ、内弟子の中から卒業生が一人も出てないというのが実情である。
 覚悟と決心を固めて内弟子になり、その修行段階を踏んで行くのであるが、大半は入門後九ヵ月目位で挫折し、自滅していく人が多かったと言う。

 過去のデータを挙げると、最長修行記録者は一年二ヵ月、一番短かったのは一週間であった。しかし最長修行者でも卒業にまでこぎ着けていない。

 では何故、僅か二年間?の修行で、途中で挫折するのであろうか。
 私はこの疑問に対し、自らがこれを一日でも体験できないものかと、曽川宗家にお願いし、内弟子一日体験をやってみた。

 実際には、一日やそこらで、この体験は出来ようはずはないであろうが、それでも、「今回の内弟子制度について……」と依頼されたので、書くからには、自分がそれを少しでも体験し、自分なりに消化して、曽川宗家の話だけではなく、実際に、内弟子とはどういうものか、これを体験せずには筆を進められないので、内弟子一日体験を試みたという次第である。

 私が体験した結論から言うと、西郷派大東流合気武術の内弟子制度は、単に武術の範囲に止まらず、あらゆるジャンルをマスターする事が要求されるという感想を抱いた。

 私が体験した内弟子一日体験の中には、道場内の稽古以外に、野稽古や山稽古があり、そこで野草の知識や、食養になる野に咲く草花を学んだり、薬草や毒草等の知識を学ぶ事になっている。
 尚道館裏の畑には夥(おびただ)しいドクダミがプランタンに植えられているが、これは「真剣之申合(しんけんのもうしあわせ)」という組太刀をして、斬り傷を受けた場合、ドクダミの殺菌作用と、斬り傷を癒す効果から植えられたものであるという。

 昔は、剣術諸流派の道場の庭には必ず栽培されていて、真剣などを用いて修練する闇稽古に、ドクダミは欠かせない必需品であったという。そしてこの繁殖力の強い野草は、エネルギーが強いばかりでなく、食養にもなるというのである。


ドクダミの葉
食養とするドクダミの根

 またドクダミの根は、キンピラにして胡麻油で炒めれば非常に美味であり、また葉は胡麻油の天麩羅(てんぷら)で美味しく頂けるのである。
 最初は食べ慣れないと強烈な匂いに少し閉口するが、食べ慣れれば中々の珍味だという。私はこのドクダミに最後まで慣れる事が出来ず、宗家から薦められても、「はあ……」といって渋々口に運んだものだった。

 そして最も躊躇し、驚いた事は、駅前や繁華街の街頭に立って道場のチラシや、時間待ち等で止まっている車の運転士に、道場のアドレスの入った広告テッシュを配らされた事である。
 これはまさに、サラ金嬢のテッシュ配りにも、ひけを取らないものであった。

 「おはようございます。尚道館です」と声を出し、にこやかに笑顔を湛(たた)えて、通勤中や買物中の老若男女に手渡すのである。こうした経験は全くの初めてであり、一瞬面喰らい、躊躇(ちゅうちょ)を覚え、困惑している自分に気付かされた。

 つまり、全くもって、人ごみの中で、こうした行動をとること事態が恥ずかしいのである。人間の凝り固まった日頃の固定観念とは、実に恐ろしいものであると気付かされた次第である。
 ある意味で、こうした固定観念が誤りを導くものだとも考えさせられた次第である。人間は、人間として初心に戻り、もっと無垢にならなければと思う。

 無垢であり、無私でなければ愚かな「我(が)」に振り回されて、いつまでも人格が改善されないまま、自分の殻に閉じ篭る愚かな先入観の強い愚か者で、人生を終わる事になるのである。

 また、御子息の竜磨(当時弐段)指導員補とチラシの宅配をした事である。
 マンションの宅配では、早朝に起床し、高層マンションの上階まで階段を昇って、一戸一戸ドアの郵便口にチラシを差し込み、その差し込み方までもを指導された。これには配り方も、チラシの畳み方も、ちゃんとした法則があって、この方法でないと中々見てくれないという事であった。これもよく研究していると思った。

 御子息は、この宅配を随分長く経験しているらしく、高層マンションの上階でも、足早に意図も簡単に、軽やかに、階段を登っていく。天狗のような素早さだ。やはり武術家は足がこうでなければならない。
 彼の発達したガッシリと下半身と、競輪選手のような太腿の大きさは、こうした訓練によって鍛えられたものであるようだ。

 彼はこれまで一人で、六万枚以上のチラシ宅配をしたと自負するだけあって、さすが慣れたもので、手際よく、速やかにポストの中に投げ入れていく。後から私が、おろおろしながら蹤(つ)いて行くという無態な恰好だった。
 慣れているので、その配り方も要領を得ていて、早朝でも人に出会えば、にこやかな笑顔で「おはようございます」と、誰彼構わず声をかけ、こうしたところが今までの、恐持てで、威張り腐った武道家とは一味違うという印象を受けた。そして、その印象が実に爽やかなのだ。

 今にして思えば、先入観と固定観念に染まり、私の一番欠けている一面を、御子息が、無言で指摘したようにも思える。

 私は彼の、風のような素晴しいスピードでマンションの階段を駆け登っていく、足の素晴しさを褒めて、「随分と足が早いですね」と言うと、彼は「わし(関西で育った彼は自分の事を「わし」と言う)は、西郷派の中でも一番弱い、一番間抜けな黒帯なんです」と謙遜して、笑顔に白い歯を覗かせた。
 そして更に素晴しかった事は、何があっても心に根を持たず、意に介しないという事であった。

 チラシ宅配やテッシュ配りは往々にして、頑迷な人間に遭遇し、愚か者に遭遇し、時として嫌われ、時として敬遠される事がある。何をしているのだ、と言われそうで気恥ずかしい思いをする。そしてテッシュを差し出しても外事(そっぽ)を向かれる事がある。

 しかしこうした事に対して、彼は一々くらい気持ちになったりせず、意に介しないのである。行乞(ぎょうこつ)の雲水(うんすい)の如く、たんたんと流れ、風のように近づき、風のように何事も気にせず、去って行くのである。
 その姿が、また実に爽やかなのだ。
 彼より、三回りに近い年齢の私だが、実は教えられる事の方が多かったのである。人間は、いつの頃から、こうした暗い固定観念と、先入観に汚染されてしまったのだろか、と思う次第である。この一線を越えなければ、中々本当の自分は見い出せないようだ。