入門について 11



●堤防はカンカン照りの日に造られる

 旧約聖書の創世記六〜八章には「ノアの方舟」について語られています。
 これは、神が悪に満ちた世界を絶滅しようとして洪水を起した時、ノアが神の恩恵を得て製作し、家族や各動物種一つがいと共に乗って難を避け、アララト山に漂着したという方形の船の事を上げて、この章は記しています。

 わたしたち凡人は、カンカン照りの最中に、洪水を防ぐ堤防を築いたり、土石流を防ぐ砂防ダムを築く事に殆ど関心を寄せません。誰もが、こんなカンカン照りの日に大洪水が起こったり、大土石流が起こるなどと想像し難いからです。
 しかし現実は、こうしたカンカン照りの穏やかさを裏切って、大惨事を引き起こします。

 これは日常生活の中に、「非日常」という、戦時が存在する事を忘れた、「隙」(すき)に他なりません。人間は想像力が豊かでない人は、こうした「非日常」が安穏と暮らしている日常生活の中に、組み込まれている事に気付きません。
 「まさか」とか「ありえるわけがない」という言葉で簡単に片付けてしまいます。本当の悲劇は、こうした安易な思い込みと、言葉の中に禍根を持っています。
 何事につけ「備え」は非常に大事なことです。

 ときどき人は、自分を呼称する場合、
 「つまらん人間なのですが……」とか、
 「弱い人間なのですが……」と、言う人がいます。
 まさに自分がこの世に生まれてきた事を、否定し、遜(へりくだ)る意味で、こうした言葉が時として使われます。
 しかし理由なくして「つまらん人間」は生まれるはずがなく、また、人間は一見弱いようで、中々しぶとい処があります。否定は、消極性につながり、禍根を齎します。安易に自分を卑下する事は禁物です。

 堤防や砂防ダムは、カンカン照りの、極めて天候の良い日に建築される事を忘れてはなりません。