入門について 12



●同じ人間なのに、事件や事故に巻き込まれる人と、そうでない人

 人間は平等に造られていると言います。しかし果たしてそうでしょうか。
 日本は、今でも「平等神話」が駆け巡っています。生まれながらに人は平等であると言います。
 わたしたちは、戦後民主主義という欺瞞(ぎまん)の社会構造の中で、いつの間にか「人間は平等である」と信じ込み、長い間、この集団催眠術に掛けられてきました。そして現実に振り返りますと「平等」など、どこにも存在してない事に気付きます。

 民主主義というのは、基本的人権を基盤とした一種のエゴイズムであり、個人主義の傾向が強い社会システムです。そして、この民主主義・デモクラシーは時として暴走し、悪しき個人主義に変貌します。
 昨今の自己主張のシュプレヒコールは、まさに悪しき個人主義の具現化した最たるもので、エゴイズムと我田引水が世の中を撹乱しています。

 また一方において、日本人の多くは、日本社会に対する危機意識が疎く、これらの社会情勢に対しては、殆ど無関心に生活しています。

 テレビは娯楽番組が中心であり、それに続くものとしてスポーツ番組やクイズ番組、グルメ番組やショッピング番組ばかりであり、周囲に対しては「無関心」というのが、現在の日本の現実です。
 こうした無関心は、時として犯罪の温床になり、こうした場所に巣食っている不正な暴力も少なくありません。そしてこうした現実から逃避し、現実から眼を反らす国民が「愚民」であればあるほど、民主主義は「悪魔の道具」になりやすい特徴を持っています。

 わたしたちはこうした「悪魔の道具」の下で、日常生活を営んでいる事を忘れてはなりません。そしてこの現実を知らず、あるいは忘れた時に、思わぬ事件や事故が、わが身に降りかかります。
 幸運にも事件や事故に遭遇しなかった人と、遭遇した人の差は、普段の心構えにあります。普段からこの事を知り、危機意識を持っている人は、喩え事件や事故に遭遇したとしても軽傷で済みます。その格差は、自分自身の生き方に積極的であり、精神状態をコントロールするのが上手か否かが問題になります。
 つまりこうした普段からの心構えが、「一瞬の隙」を作らず、危害を加えようとする者に対して、隙を見せないからです。

 こうした心構えを以て、普段から道場で稽古に励んでいる人は、まず、その人自身に「勝つ為に稽古するのではなく、負けない為に稽古する」という意識を強く感じています。
 勝つ為でなく、負けない為に「切り札」を学んでいるのですから、この「切り札」が強い自己暗示となって、ある意味で危険から身を護る「影の力」となっているからです。
 これを身につけた人は、生き延びる幸運を掴みえた人であり、とにかく負ける事がないのですから、同じ人間でありながら、心構え一つで良い方にも、悪い方にも傾いてしまうのです。
 また、これが人間の持つ「不可思議な一面」と言えるでしょう。

 西郷派大東流合気武術は、勝つ事を教えるのではなく、負けない事を教える武術です。闘争やケンカの道具ではありません。またそんなものには役に立ちません。それは勝つ為に学ぶのではなく、負けない境地を得る為に学ぶ術だからです。
 今日の勝者は、明日の敗者である事を忘れてはなりません。



西郷派大東流合気武術総本部・尚道館 謹書