大東流霊的食養道を全うして食改革
旬の味覚を玄米雑穀ご飯に炊き込んだ椎茸ご飯。

 食が乱れ、食に慎みがなくなると、世の中は自ずと乱れます。
 人類の歴史は、欲望の歴史ですが、その側面に飢餓の歴史があり、食える者と食えざる者が居たことを忘れてはなりません。

 政権争いや、戦争による領土の争奪は、一方において、食える者と食えざる者の戦いでした。こうした飢えからの解放に向けて、人類は奔走したという歴史を持っています。豊かな、農作物が実る、緑の大地を求めて、人類は争奪戦を繰り返したと言っても過言ではありません。

 主導権争いに先駆けて、君主は自国民を食わせてこそ、王たる資格を得たのです。
 「衣食住そなわって礼節を知る」とは、この事を如実に現わしています。
 しかしこの「衣食住」のうち、神から本当に授けられたものは、衣食住のうち、「食」だけであり、衣類も土地も家も、神からの預かりものであるということを忘れてはなりません。

 いつの頃からか、人々は衣類も土地も家も私有財産の一部と思い込み、食だけが神から授かったものであるということを忘れてしまいました。
 この事は、親子孫三代に亙(わた)って同じ土地、同じ家を維持している人が極めて少ないと言う理由からも窺えます。

 かつて祖父の代は大地主であった。ところが子の代になって、子は放蕩息子に成り下がり、孫の代に至っては、売に出され、一家が離散したと言う話は全国津々浦々ゴマンとあります。一時期住み着いた先祖からの土地も家も、永遠なものでないということが分かります。

 また、衣類にしても、子供の時に着ていたものは、年齢と共に着られなくなり、衣類すら、自分自身には永遠のものでないことが分かります。
 したがって「食」だけが人間に与えられている、「今の食べ物」であるということが分かります。少なくとも主食においては、同じものが与えられます。

 そして「食の原点」を振り返った時、食は節食し、捧げてこそ、開運に至り、病気が治るという事が分かります。それは人間界が、神の庭の上に展開されているからです。
 太古の日本人は山を見て神を感じ、川を見て神を感じ、海を見て神を感じました。そして風も神、雨も神、天地悉々(ことごと)くが神であり、草木も神でありました。

出雲大社社殿
巨大注連縄(しめなわ)。神と人を結ぶ接点で、左捻よりを定式とする。

 だからこそ日本民族は神を祀(まつ)る民族で、五穀豊穰(ごくほうじょう)の儀式は神を祀った、神への感謝と供えの儀式でした。大地から採れた農作物をまず、神のお供えし、それを頂いたのが人間に与えられた食べ物でした。
 「腹八分」とは、こうした神への供物が「二分」で、残りの「八分」を臣民が頂くという事だったのです。
 臣民腹八分とは、実は二分を神の感謝に捧げるという事だったのです。そしてこれは同時に、「節食」を現わしたものでもありました。

 また太古の日本人は、今日の現代日本人よりも、遥かに優れた自然観を持ち、その魂は正しく、清らかに、濁りなく、澄み渡っていたものと推測できます。
 特に縄文期の日本人は、生まれながらにして自然の至る所に神の居ることを感受でき、人間本来の「霊的能力」を十二分に発揮していたと考えられます。自然の一部始終を捕えて、神を見、そこに「畏敬の念」を抱き続けたのでした。

 彼等は神と共に在(あ)り、神と擦れ違う今日とは大きな隔たりがありました。
 私達日本人は、もう一度こうした太古の日本人の精神に立ち帰る必要があります。玄米穀物菜食ならびに小魚介・貝類・海草類によって、食改革を推進する意義がここにあります。そしてそれは粗食に回帰されます。

 さて、「粗食」とは、如何なるものを云うのでしょうか。まず、このことについて考えてみたいと思います。
 それはまず、ご飯を中心とした食餌法を心掛けることです。そして「ご飯」はできるだけ未精白の「米」を用いるようにします。

 米には、胚芽の部分と糠(ぬか)の部分があり、そこには沢山の食物繊維やビタミン、ミネラル類が微量栄養素として含有されています。
 此処に含有されている微量栄養素は、それがほんの僅かなものだとしても、一日、此処から摂取する量を、365日食べるわけですから、これを摂取せずに精白米として食べるのと、未精白米として食べるのとは大きな差が生まれてきます。

 私はちは普段から、よく「バランスのとれた食生活」などという言葉を口走りますが、この「バランスがよい」というのは、決して今日の現代栄養学が豪語する、“何でも食べる”という総花主義とは訳が違います。

 バランスがよいとは、一つの食材を「無駄無く、丸ごと食べることが可能である」ということをいうのです。
 その意味からすると、未精白米の場合、「米を丸ごと食べる」ということになり、精白して、胚芽や糠を除去したものとは違います。

 こうした未精白米に、雑穀と云われる「五穀以上のものを加え、「玄米雑穀ご飯」にして、これを主食にするのです。
 玄米雑穀ご飯を基本にして、それに副食としてのおかずを加えます。そのおかずは、出来るだけ季節の「旬」のものを加えます。

主食は、ご飯として、これをきちんと食べる。
味噌、醤油、納豆その他の発酵食品をおかずとして常食する。
パン、菓子パン、ケーキ類、インスタント食品の常食をやめる。
液体で、カロリー摂取をしない。また流動食等の流し込む食事をやめる。よく噛んで「租借」することが大事。
玄米等の未精白ご飯に、五穀等を加え「玄米雑穀ご飯」を食べる。
副食は季節ごとの「旬」の野菜を食べる。
動物性タンパク質は、人間の同じ性(さが)を持つ“四ツ足動物”をやめ、小魚介や貝類を中心にする。
油脂類、砂糖類の摂り過ぎに注意する。
出来るだけ自然食に近い、無農薬の安全な食品を選ぶ。
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食事はゆっくりと時間をとり、よく噛んで食べる。

 粗食としての食事内容は、玄米雑穀ご飯からも分かるように、五穀や野菜類や海草類を中心に、これに若干の小魚介や貝類を基本とします。

 私たちの「栄養学観」は、現代に近付くほど栄養状態が良くなり、過去の遡(さかのぼ)るほど栄養状態が悪いと考えがちです。
 多くの日本人は、現代栄養学の論理を疑いも抱かず信じている為に、過去に遡るほど栄養状態は劣悪と考えてしまいます。このように現代栄養学の理論でもそう教えますし、教科書にもそう書いてあります。

 ところが、必ずしもそうではないようです。
 その一例を挙げると、眼窩篩(がんかし)に関するデータを『食の考古学』(佐原真著、東京大学出版会)では、縄文人は理想的な食生活をしていたことを上げています。

 頭蓋骨の眼球が納まっている窪みの部分を「眼窩」といいます。この眼窩には、栄養不良などの病的条件により、上壁に小さな孔(あな)があきます。この病変を医学用語では「眼窩篩」と云います。

 眼窩篩になる要因として考えられるのは、主に食糧不足から起る「鉄分」の不足により、貧血が最も多いと云われます。
 また、非衛生的な環境下では、子供の場合、直ぐに下痢を起こし、これが大きな痛手となって、眼窩篩の病因を起こします。

時代別
(%)
(%)
性別不明(%)
合計(%)
縄文人
2/18 11.1
2/26 7.7
─  
4/44 9.1
室町人
6/23 26.1
7/21 33.3
─  
14/57 24.6
江戸人
26/72 36.1
11/30 36.7
1/13 7.7
37/102 36.3
現代人
4/28 14.3
1/10 10.0
─  
5/38 13.2
眼窩篩の頻度の年代差/聖マリアンナ医科大学、平田和明氏の「Hirata 1990」より。

時代別
軽症(%)
中程度(%)
重傷(%)
合計
縄文人
3 75.0
─  
1 25.0
4
室町人
12 85.7
2 14.3
─  
14
江戸人
19 51.4
7 18.9
11 29.7
37
現代人
5 100
─  
─  
5
眼窩篩の程度/聖マリアンナ医科大学、平田和明氏の「Hirata 1990」より。

上記の比較サンプルは、次の通り。
 
縄文人:後・晩期(千葉県西広貝塚人、菊間手永貝塚人、古作貝塚人の男18体、女26体)
 
室町人:(鎌倉市由比ヶ浜の男23体、女21体、性別不明13体)
 
江戸人:初期〜中期(東京都千代田区一橋高校内遺跡の男72体、女30体)
 
現代人:(男28体、女10体)

 上記の表から注目すべきことは、原始時代の古代に棲(す)んでいた縄文人よりも、東京都千代田区に棲んでいた江戸人の方が、栄養状態も悪く、必ずしも後の時代の方が、栄養状態は良かったとは言い切れないのである。
 つまり、「粗食」という事から考えれば、毎日が「ご馳走」の現代よりも、遥か昔の「粗食」に徹した古代人の方が、食体系は正しいものを持っていたものと思われる。

 また一般人の思い込みの思考に、時代が下がれば下がるほど、段々文化的になっていき、文明度は向上していると考えがちだが、縄文時代より遥か後の江戸時代には未精白米と云う玄米を精白して食べる「白米」が江戸庶民の間に大流行して、その結果、“江戸やまい”という現代で云う「脚気」の患者が急増し、また、現代では欧米型のパンを主食にし、肉を食べる食生活から、成人病と云う生活習慣から来る病気が急増している。
 果たして、時代が下がれば、それだけ食環境も良くなり、衛生環境も向上したのだろうか。

 こうして考えてくると、時代が遡(さかのぼ)れば遡るほど、古代人は現代人よりも食事が劣っていたと云うことにはならないのです。
 そして特記するべきことは、何をどのように食べていたか、という事が問題になってくるのです。

 そして今もなお、信じられている迷信に、「肉はスタミナの元」とか「牛乳骨太神話」があります。
 現代人は「肉はスタミナ源」とか「牛乳は完全栄養食品」という迷信に振り回され、それを頑迷に信奉しています。こうした背景には、“現代栄養学”の仮説に振り回され、翻弄(ほんろう)される現代人の訝(おか)しな“欧米食一辺倒”の食肉ならびに牛乳信仰が横たわっているからです。

 現代人に助長的な形として信仰されている代表的なものに、「肉」と「牛乳」があります。これこそ「栄養素信仰」の現代栄養学が、現代人に植え付けた先入観でした。
 またこの信仰は、戦後の日本人に急速に食生活の中に入り込み、「豊かな食生活」を象徴するものでした。
 そしてこの象徴は、今日でも不動の地位を占め、食卓の王者として君臨しています。

 此処でお断りしておきますが、筆者の云わんとすることは、肉や牛乳が一切駄目で、人間の食べる食品としては不適切と云っているのではありません。食べたい人は、好きなだけ食べればいいのです。
 問題なのは、「肉を食べればスタミナが付く」とか「牛乳を飲めば骨太になり、カルシウムが万全な完全栄養食品」ということが、迷信の最たるものであると言いたいのです。

 人間の躰は、“人間の口”から出る言動などと違って、一切「矛盾なる働き」をしません。
 人体と言うのは、矛盾無く、一つの秩序だった働きによって運用されています。肉食をして、コレステロール値を上げ、血液を酸毒化させておいて、動脈硬化を起こす一方で、躰にスタミナをつけると言う、相矛盾した作業は出来ないのです。

肉のスタミナ源と言うウソに騙されるな。

 躰にスタミナが付く条件としては、まず血液がサラサラで、動脈がしなやかで、然(しか)も血液が弱アルカリ性(生理的中性)のときに限り、この時に初めてスタミナアップが図られるのです。
 また、牛乳しても、骨太神話は全くの“まやかし”であり、カルシウムが万全な完全食品ではありません。

 昨今急増しているアレルギー体質や白血病は、牛乳の実害です。
 牛乳に含まれる蛋白質の多くは、人体に不必要なカゼインであり、これがアレルギー反応を引き起こします。また、牛乳に含まれるミネラル組成も人体向きではありません。

 この牛乳を例えば乳幼児が飲むと、水分・電解質代謝が起こり、生理機能に混乱が生じます。水ぶくれとなり、歯や骨が逆に脆(もろ)くなります。学校給食等にも、牛乳が出され、これを半ば強制的に飲用させる教育指導がなされていますが、これこそ虚弱体質の児童を急増させる元凶となっているのです。

 その上、牛乳は製品として作り出す過程の中に、ウルトラプロセス法という高熱滅菌処理が施される為に、蛋白質変性が起こり、乳糖はもはや乳酸菌を繁殖させる能力を失っているのです。

 カルシウム摂取なら、ひじき等の海草類や、掌サイズの骨ごと食べられる小魚介の方が良質で、含有量も多いのです。
 この意味からすれば、牛乳は飲まなければならない理由は全くなく、むしろ欧米食の食形体を辞めて、「粗食」に徹した方が、人体には最も自然な形であると言えます。

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