清貧と求道の発想
 日本精神はその昔、何が本当の事か、何が正しいのかという事を追い求める求道者の道がありました。そうした道を進む事によって、今までの間違いを軌道修正し、そこを歩む事によって、美意識を感じ取ったのが「日本人の心」でした。
 こうすることで、人生の中に美が追求され、美の中に人生が追求されました。

 ところが今日の現実社会はどうでしょう。
 何処にも「道」と言ったものは感じられず、人生は、安易な金儲けの人生であったり、企業家に利益奉納で働き詰めの献身的人生であったり、税金を払う為や、ローンの支払いをする借金漬けのような人生が展開されています。
 そしてこうした事も、今は当り前のようになり、常識化されたというのが率直な現実です。

 私達はこうした現実社会の現状を振り返って見て、人がどう生きるのが美しいか、人がどう美しく生きるかという、人間の根本を見逃してしまったという観が否めません。
 単に、争いを好み、権力抗争に明け暮れて、保身のための走狗となり、黄金の奴隷と成り下がって、落ち着く事の無い世界に、足を踏み入れてしまったという事も否定できません。

 今や、肉食主義の肯定によって、性欲は異常と思えるほど露(あらわ)になり、美食を求めて巷を徘徊する食欲は、味覚をマヒさせて食傷を患い、精神と肉体を破壊に導こうとしています。
 そして日本国民の大半が、食生活の間違いから、食を乱し、食への慎みを忘れてしまいました。暴飲暴食で、強引にうまいものを貪り、貪欲にうまいものなら何でも喰らうという動物的な生き方をしている人も少なくありません。
 したがってこうした間違いは、異常性欲という哀れな人間の性(さが)を剥き出しにする選択をしてしまった現実があります。

 こうした現実を踏まえて、森下敬一医学博士は、次のように指摘しています。
 「肉及び動物性蛋白食品は、腐敗物の主役である。もともと穀物菜食型の動物である人間は、肉食獣と違って、動物性蛋白質を還元する酵素は殆ど無く、したがって腸内の異常発酵を招いてしまう。
 肉食者が概して短命なのは、内臓機能の老化が早いからである。肉の分解によって生じた強酸類は血液も酸毒化し、新陳代謝を根底から狂わせる結果、性的な病的興奮や深刻な排泄障害を引き起こす。
 慢性化すると心筋梗塞、狭心症、肝炎、腎炎、ガンなどの疾病に掛かり易くなる」と述べています。

 そして食肉の害作用として、血液中の過剰な酸類の有害性を上げています。
 それは性腺を刺激して、異常な性的興奮状態となることの指摘です。
 血液中に停滞する異常老廃物は、粘膜を刺激して異常な粘液分泌(例えば痰)を引き起こしたり、組織細胞における血行不良(炎症)や破壊(壊疽)が起こりやすくなります。多くの病気は血液性状の異常から起こると、同医学博士は指摘しています。
 こうしたことから、心身ともにバテやすくなり、酸毒思考(こと勿れ主義と無気力)に陥るのです。

 昨今の青少年が傲慢で、無礼で、横柄な態度をとったり、直ぐに「切れる」という衝動的な発作は、全てこうした食肉などの動蛋白の摂取過多によるもので、若者の多くが思慮深さを失っているのは酸毒思考に蝕まれているということに他なりません。
 また、老廃物の充満は肉体的にも精神的にも疲労しやすくなり、考え方が単純になります。そして皮相的な物の見方しか出来なくなります。白か黒か、右か左か、○か×か、こうした単純な答えのみで物事を割り切り、安直な挙動に出てしまうのです。

 しかし現代栄養学者達はこれに対して、次のように反論します。
 彼等の言は一様に「肉が悪いのではなく、肉に含まれる動物性蛋白質が悪いのであって、蛋白質は必要である。したがって肉は良質な蛋白源である」と言っています。何処か、矛盾していないでしょうか。
 実際には食肉は脂肪と同じく、あるいはそれ以上に蛋白質自体が私達の躰にマイナスの影響を与えているというのは事実であり、食肉という食品自体が有害なのです。
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