現代精神医学では、酒乱もアルコール中毒(alcoholism)も同じテーブルの上に乗せられて、同じような診断が下されているようである。しかし、この両者は厳密に言えば、本質的に異なる。
アルコール中毒は肉体的な現象であり、酒乱は紛(まぎ)れもなく霊魂が関わる現象である。
人体における肉体は、肉体を正常に保つ為に、その自衛手段として自然治癒力が働く。肉体そのものが自律神経を通じて、肉体の波動を正常に保とうとするからである。したがってアルコール等の、肉体波動に異常を与えようとする異物が入り込んで来ると、これを排除しようとして、反対側の物質を体内で作り出し、中和しようとする。
少量のアルコールでも、朝昼晩と切れ目なくこれを飲用すると、体内には微量のアルコール分が残留する。《類は類を呼ぶ法則》から、残留したアルコールは、その量自体が希薄になって切れかかると、脳を媒介して、アルコールを再び呼び込む作用を促す。これがアルコール中毒に至るメカニズムであり、次第にその量は多くなっていく。多量の飲酒によって、やがて制御中枢が破壊され、中毒を起こす。
アルコール中毒は、急性中毒の軽いものは酩酊(めいてい)であるが、重いものは、人事不省や血管拡張や呼吸および心不全を来す。
更に、慢性中毒では人格の退行、肝障害、神経炎、精神の異常等を招く。こうした状態に至るプロセスは、肉体と言うものは、毒素が入って来た時だけに、毒素を分解する抗毒素を生産して、これを中和しようとするのであるが、こうした状態が長期間続くと、抗毒素を作り出す臟噐も肥大化し、常に大量に生産される事になる。
アルコール中毒の病因はここにあり、アルコールと言う毒素が体内に流し込まれた時、抗毒素を作り出す機能を持つのは当然であるが、アルコールがない時も、抗毒素を生産する為に、肉体的な症状として、手が震(ふる)える等の肉体的な拮抗(きっこう)が失われた現象が現らわれるのである。
しかしこれはあくまで、遺伝に纏(まつわ)る体質的なものであり、同じ量を飲んでもアル中になる人と、そうでない人に分かれる。
さて、酒乱は、その人と霊魂が相似形の波動を持ち、霊的波調の周波数が、ほぼ同じである人に起こるようだ。
霊魂が生前、酒乱かアル中で、酒が飲みたいと言う願望を死した後にも持っている場合は、その憑衣・憑霊した人の意思に関わりなく、酒を飲まずにいられなくなるような状態を作り出し、無理矢理飲ませてしまうのである。
酒乱の人は、アル中患者と異なり、酒を飲まない時は非常に大人しく、その性格は温厚で内気な人が多いようである。それだけに、逆にストレスが溜まると言う欠点を持っている。
酒乱は、この欠点が、逆手に取られて利用され、憂(う)さ晴らし的に、アルコール類の飛びつくのである。
脳の記憶中枢には、酒が一定量をこえると、ある種の酩酊(めいてい)に陥り、肉体的なこれまでの緊張が解けると言う事を記憶しているから、こうした酩酊が続くと、関与した霊魂によって、その人の思考が大きく乱される。それに加えて、酩酊が更に進むと、これまでのプレッシャーになっていたストレスから解放され、本能に任せて、異常行為に及んだり、乱暴を働く事になる。
酒乱は、そのもの自体では遺伝しないが、体質に関係があるので、死んだ祖父や父親に、こうした人が居て、酒で人生を失敗した人がいるような場合、その子孫には、やはり酒乱になる事例が多いようである。そして酒乱は、アルコール中毒等の精神病と同じように、本人の波調と、憑衣・憑霊の憑衣物(つきもの)の波調が相似形である場合、肉親の血族でなくても影響を受けていることが多いようである。
また、酒乱とアルコール中毒の合併症があり、アルコール中毒でありながら、憑衣・憑霊の憑衣物に苦しめられている人もいる。
こうした人の多くは家族構造に問題があり、親子断絶で崩壊している家族や、夫婦不和で家長不在の家族では、やはりこうした霊的病魔に襲われ易く、また自分自身の意志力も希薄ですから、一度飲み始めると、もう止まる事がない。益々深みに嵌(はま)って行く。これはまさに、酒乱が不成仏霊の仕業(しわざ)であると言う事を如実に物語った現象であろう。
人間の脳の進化は前頭葉に回帰される。我々人間は、霊長類と言う「種」に属し、その進化の途上にある。そしてその一方では、爬虫類時代の記憶に悩まされ、哺乳類時代の感情に振り廻されながら、現代という時代を生きているのである。自分を見つめる目と、自分を成長させる意志力を用いて、霊長類の領域である前頭葉の正常な働きをトレーニングすることが、まさに「人生そのもの」と言えるであろう。
しかしこうしたトレーニングを拒む現代人が増えて来た。この増加に伴って、精神障害が平衡して増えると言う実情を招いている。その意味で、酒乱やアルコール中毒は益々エスカレートして行く事であろう。 |
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