精神障害と霊障
霊長類としての領域を確保する為の
前頭葉の発達トレーニング
 現代病の多くは、前頭葉の発達度と大きなかかわりがある。前頭葉の発達度は知性に見る事が出来、知性の成熟段階によって、病気をある程度分類する事が出来るようだ。
 高血圧や動脈硬化等を煩う怒りっぽい人が罹(かか)り易い病気は、爬虫類脳のR領域の仕業であり、また、胃潰瘍や膵臓炎等の消化器疾患は、哺乳類脳の辺縁系活動が野放しになっているのが原因である。

 特に現代病と言われる、ストレス障害や心身症と言われる自律神経失調症は、幼児時期に放任されたか、甘やかされて育った事に原因があり、神経症であるノイローゼや、鬱病と言った精神分裂病は、親から正しく躾(しつけ)されず、前頭葉の発育が阻害されて辺縁系やR領域の制御が出来ないと言う能力不足にその起因がある。

 我々が経験した二十世紀社会は地球規模で大変革が行われた時代であった。資本主義の対抗する社会構造として共産主義の虚構理論が展開され、そして人類は二つの世界大戦を経験した。

 かつての視界階級と封建時代のシンボルであった奴隸ならびに国家的制約の無知による中世の遺物は、二十世紀に入って消滅したが、先進国と後進国あるいは発展途上国は、貧富の差による南北問題を派生させ、あるいは民族的優劣を浮上させて、これが内紛や戦争の火種となった。そして第二次世界大戦が終結したとは言え、高度に発達した近代資本主義は今後とも、益々物質至上主義や文明科学を更に煽り立て、人類をバベルの塔の真下に据え、自らの重さと、歪みによって崩れ去る直下崩落の犧牲の生贄(いけにえ)にしているように思える。

 今これと同じ事が、人間の躰(からだ)の中でも起っている。物質や制度に依存する事の愚かさが理解されはじめる一方、自らも進んでこの愚かの中に紛れ込み、権威や名誉と言った欲望によって人類をコントロールしようとする意図的な画策が人類の頭上に降り掛かろうとしている。
 人間個人の前頭葉未発達は、世界最高のシステムと信じられている民主主義社会構造の中では正しく機能しないのと同様、前頭葉未発達は様々な現代病を誘発させ、病気を一層治りにくくしている。

 一人一人が各々の責任を背負わされて居る一方、自己責任だけが厳しく求められ、最早人間の大脳は、前頭葉を意識的に進化させるだけの働きを失っている。多くは爬虫類脳の、進化の見られない前頭葉で抗争を繰り広げ、あるいは哺乳類脳の領域に支配されて愛欲に溺れ、快楽を貪っている。自己変革をする事無く、憎悪と愛憎と感情の中に没しようとしている。

 まさに今日の人類は前頭葉未発達の儘(まま)、亜人類としてやがては淘汰される運命にあるようだ。
 前頭葉未発達は、自らの大脳や神経系をコントロールする事が出来ず、R領域や辺縁系からの侵略によって、現代人は野獣化する運命を辿ると暗示されている。
 こうした重視が表面化し、神経系をコントロールできなくなると、外に対しては戦闘や私的トラブルによって訴訟社会の現実が生まれて来る。今アメリカが訴訟社会で汚染され始めているのは、こうした戦闘用の未熟な人間が多くなっている事を物語っている。
 また内に対してはガン疾患や精神障害が起り、これらに代表される奇怪な難病・奇病に悩まされ始めた。

 現代医療の最先端技術は、僅かに、抗生物質等の物質の持つ威力を活用して、一時的に対外関係の均衡を保ち、健康に寄与する効果があったかもしれないが、その反動として激しい副作用が猛威を振るい、副作用の猛威で、一見治ったように見えた病魔からの開放も、やがては再びそれ以上の病魔に襲われ、亜人類の道を突き進む現代人は霊長類まで成熟する途中で、未来を失ってしまうであろう。

 前頭葉の未発達は、現代人をして、未だに成熟以前の過度的存在であると言う位置に押し止めている。
 それはまさに聖書に示されている、ハルマゲドンの世界大戦争が、人類各々の大脳の各領域に葛藤として表現されている所の苦悶や苦悩、あるいは難病や奇病の病巣を抱え込んでいると言う次元のものである。
 要するに現代人は、苦しみと悩みと迷いを抱え、一方に於いて借金苦と病巣を抱えた「種」の存在でしかないのである。
 しかし、こうした苦悩と疾患から真に開放される為には、前頭葉を進化させて行く他道はないのである。

 では、前頭葉を進化させる為には、どうしたらよいか。
 まず、粗食小食(玄米を中心とした穀物雑穀菜食と、一汁一菜の小食)をして躰(かだら)自体を充分に粗食小食トレーニングする事であろう。このトレーニングは、心の面に置き換えれば、自分の苦手とする問題や困難に立ち向かい、厭(いや)がらずに、すんなりと受け入れる消化吸収能力を養う事である。充分に消化する事で、智慧(ちえ)と言う、人類が進化を果たす上での得難い養分を補給する事になるのである。

 健康で長生きでき、しかも頭脳明晰(めいせき)であると言う状態を維持する為には、「身体が柔らかい」という事である。これは「柔軟性がある」と言う事であり、この柔軟性は思考力にも及ぶという事だ。つまり「躰が柔らかい」ということは、その他に脳の働きも柔軟で、新しい事柄を抵抗感なく受け入れると言う「同化力」を意味するからだ。
 嘆きと愚痴(ぐち)ばかりでは、知性体としての進転が見られないのである。一つの事にいつまでも拘(こだ)わって執着していては、精神が生き生きと働くことができないのである。

 同時に自律神経の調節できなくなり、調節不能に陥ってしまうのである。
 本来、人間の精神活動は、自律神経の上位にあって、身体の諸条件には影響されないものであった。ところが昨今は食事の誤りから、内臓や身体の各部位から、その情報がそのまま脳に伝達され、病気や不幸と言う現象をそのまま身体の症状として受け入れるようになってしまったのである。
 元々は、大脳の活動と神経作用は分離したものであったのである。

 神経は、精神の伝わる回路であったのであるが、恐怖や嫌悪や劣等感等の感情が強くなると、自己防衛本能が過剰となり、神経の伝える情報に振り回されて、精神活動の「場」を失ってしまったのである。
 したがって知性体として進化を続けるのならば、大脳の働きと、自律神経の作用は意識的に分離する事が前頭葉の発達において必要不可欠であったのである。

 この目的において、呼吸の調節、脈拍(みゃくはく)の調律、血圧の制御等の訓練が必要であったのである。自律神経の制御が自由になると、必要に応じて血圧を下げたり、呼吸や脈拍の乱れを調律して、血液や体温を変化させる事も出来るのである。これが出来るようになると、胃腸の運動を早めたり遅らせたり、食べ物の消化を助けて、便秘を解消させることも可能なのである。そしてこの自律神経の制御が同時に、内臓の各部位の働きを点検したり、あるいは変化させ正しい調律ができるのである。

 肉食や乳製品を食すると、必ず便秘を起こし、それ等の食べ物は腸内で腐敗し、酸毒化する。病気の病因は、この、食べ物が腸内で腐敗して酸毒化する事から起る。そして便秘は、やがて宿便へと変貌する。これが病気や不幸現象の禍根だったのである。
 だから自律神経の制御すた狂わし、肉体ばかりでなく精神領域まで狂わせてしまうのである。そこで自律神経の制御能力が問われる事になる。

 自律神経を自由にコントロールする事がdヶいれば、必要に応じて、心を、神経の悪影響から離脱分離させ、精神活動を生き生きと働かせる事が出来るのである。
 しかし反対に、不安や心配で心が満たされたならば、それは病気や事故や怪我等の不幸現象が準備を完了したことになり、やがて悲しい日々を迎えなければならなくなるのである。現代人は欲望に対して歯止めが効かず、次々と欲しいモノを手に入れた挙げ句。段々と身の程知らずになって、いつも心が欲求不満で波立っている。自分の思い通りにならない事に、苛立っている。これにより自律神経が制御不能となる。

 欲求不満から起る固執や執着、こだわり等を一切捨てれば良いのであるが、人間は不思議な生き物で、欲求は捨てられず、さりとて苦しむのは厭(いや)だと言う事で、その禍根(かこん)をそのままにしておいて、他に解決方法や手段を転化していくのである。そればかりか、こうした自分の間違いにも気付かないのである。自分の不運を占い師に頼ったり、職業祈祷師に頼ると言う愚行である。

 では、何故この間違いに気付かないのか。
 要するに前頭葉の未発達から来る禍根を抱えているのである。解決策を第三者の他力によって解決すると言う、愚かしい行為だ。この愚かしさが、また次のの因縁を作る。解決あるいは解消する方法は自分自身の中に備わっているのである。前頭葉を強化し、発達させればよいのである。

 人類の病気の多くは、前頭葉未発達からその病因を発している。前頭葉の発育度は、知性体としての人類が、未(いま)だ成熟段階に至っていないと言う進化途上の過程を指している。

 高血圧や動脈硬化は怒りっぽい人が罹り易く、これは爬虫類脳のR領域の活動によるものである。消化器疾患の胃潰瘍や膵臓炎に罹り易い人は、哺乳類脳の辺縁系の活動によるものである。
 また現代病と言われる、ストレス病や生活習慣病、自律神経失調症やノイローゼ、躁鬱病(そううつびょう)は、その人の幼児期時代に正しい教育と躾(しつけ)がなされていない事が病因の発端となり、これは前頭葉の発育が阻害されて辺縁系とR領域の制御が充分に出来ない事から起った病気である。
 こうして考えて来ると、前頭葉の発達の度合いと、自律神経の制御の調節が精神病に大きく関わっている事が分かる。
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