人類淘汰の時代が始まった
現代人のブドウ糖維持回路は退化してしまっている
 強靭な体躯とは、一体どういう躰でしょうか。
 大東流霊的食養道研究グループは、この定義に対して、まず「半身半霊体」的な人体構造を持つ事が、「強靭な体躯」ではないかと考えます。
 したがって幾ら肉体だけを、筋肉トレーニングによって鍛えても、無駄だという事が解ります。筋肉の強化だけでは、体質を向上させる事が出来ないからです。
 つまり「体質」を鍛えなければ、何の意味もないのです。

 体質の向上の違いと筋肉の向上の違いは、「またぎ」によって明白となるところです。
 「またぎ」は東北地方の山間に居住する古い伝統を持った狩人の群を、こう呼びます。その中でも「秋田またぎ」は有名で、その起源としては「磐次(ばんじ)磐三郎の伝説」があります。
 彼等狩猟集団は「まとぎ」と呼ばれ、また一方で「山立(やまだち)」とも呼ばれました。何日も食事をせずに、あるいは僅かな食糧で山の中を歩き続け、月輪熊(ヒマラヤグマの亜種で体長約1.5メートルで、全身光沢のある真黒色、喉の下に三日月形の白斑があり、アジアに分布し、日本では本州・四国・九州の山に生息)などを得物にして追い続けます。

 もし、こうした「またぎ」に対し、筋肉を鍛え、瞬発力を養成した柔道、レスリング、空手、拳法などの格闘技家が、彼等に挑戦したところで、一度山に入れば、僅か15分も経たないうちに撹乱され、振り回されれしまう事は目に見えています。
 この事からしても、筋肉を鍛えた体力と、体質そのものを鍛えた「強靭な体躯」とでは、自ずから全く違うという事が解ります。

 「またぎ」の彼等は、ダンベルを持ったり、トレーニング・マシーンを使って筋肉を鍛えたりはしません。筋肉を鍛えないので、体格的には重量が増さず、必要最低限度の筋肉だけで、長時間の苛酷な山歩きにも耐えられる体躯を有しています。また彼等は「省エネ体質」でもあったのです。

 筋肉養成のダンベル体操や、トレーニング・マシーンを使って筋トレを行いますと、確かに筋肉が隆々となり、緩んだ処も引き締まり、表面的には強健になったような感じを受けます。
 またスポーツや格闘技をすると、筋肉的に鍛えられたり、肉体を動かす反射神経や、若さから発する運動神経が養われますが、これは格闘スポーツを行う上で、テクニックに過ぎません。したがって体質を鍛える事には、通じないのです。

 体質を鍛えるという事は、粗食・少食状態で、しかも元気であり、また何日間も絶食しながら、精神力を失わず、元気であるという状態を指します。
 僅かな食糧で、数ヵ月間も生き抜き、それでしかも「元気」で、「丈夫」でという状態を造るには、単に鉄唖鈴や重いバーベルを動かして、肉体を酷使して反復運動したり、またトレーニング・マシーンを使って、肉体の各々の筋肉を鍛えても、こうした能力は養う事が出来ません。差し当たり、筋肉を鍛えて、肉体美を自慢するのは、都会生活においての、一時期の若い時期だけであり、中年の下り坂に差し掛かると、こうした筋肉は無慙に崩れ去っていきます。筋肉は永遠のものではなく、それは動蛋白摂取と密接な関係を持っているからです。

 さて、人体構造の仕組みは、血中のブドウ糖を維持する回路が、実は二つあります。
 太古の先祖達は、食べ物が口に入った時も、あるいは口に入らなかった時も、時と場合に応じて、そのブドウ糖維持回路は、いずれの方向にも自由に切り替わっていたのです。
 私達現代人は、飽食の時代にあって、省エネ体質が完成していない為、僅か三日間でも断食や絶食をしますと、直ぐに血糖値が下がり、ブドウ糖の維持が不活発になります。したがって、激しい貧血に襲われたり、思考する事が、殆どゼロのような状態に陥ります。

 これは、昨今のように食糧が豊富になり、朝から晩まで肉体維持の為に、あるいは性欲維持の為に、三度も四度も食事して、栄養分補給は、常に「口から」という事だけを実行した結果です。この為、もともと人体の機能に付いていた、体内に蓄えていた蛋白質や脂肪を分解して、これを血糖に変えるという、回路切り替えのスイッチが錆び付いてしまったのです。
 こうした結果から、血糖値の維持は、食べ物が口から入った時だけに働くようになり、食べ物が口から入らない時は、体内から蛋白質や脂肪を取り込んで、これを血糖造りに出来ないという、退化の仕組みに、人体機能が変えられてしまったのです。
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