人類淘汰の時代が始まった
原子力運営シンジケートの実態
 電力大手会社五社は、原子力発電所の安全性を力説し、原子力の平和利用こそ、今後の人類に課せられたテーマであり、電力会社はこれに貢献する準備があると言います。また電気こそ、二十一世紀の人類に輝かしい、超文明を齎す鍵だと強調します。
 そしてその根幹を為すものは、原子力による電力供給である事は明白です。しかし人類が果たして、原子力エネルギーをコントロールするまでに至っているだろうか、と言う事になると、それは甚だ疑問なのです。

 原子力関係者は、国民の大きな動揺を隠す為にその安全性を、口が酸っぱくなるまで強調しています。学者という権威の象徴である有識者を、論議の矢表に立たせて、彼等にものを云わせて、国民を騙しているようにも見受けられます。
 彼等はその意向を受けて、矢継早に、機関銃のように「安全だ!」と力説します。しかしそれを聞く大衆は、学者の安全の論理が理解できません。理解できないというより、直感では、「これはどこかおかしいぞ……」「物理用語を持ち出して巧妙に騙しているのでは……?」と思います。

 では安全の代弁者として、学者達がこうも力説する目的に、何か隠されたものがあるのでしょうか……?
 こうした結論に行き着くと、それは大きな利害関係が背後に隠されているようにも思えます。
 権威の象徴である、東大を頂点とする各有名大学の工学部並びに理学部の著名な教授陣が、原子力を運営するシンジケートの構造の枠組に組み込まれ、彼等は平和利用を謳い文句に、国民を騙し続けている実態があるようです。

 では、その原動力は何でしょうか。
 それは彼等の、うちに秘めたエリート意識から起こる欲望というものでしょう。
 その第一は、学識者で構成する日本学士院と、学術会議での学術的名声であり、第二に原発シンジケートから齎される報酬額が法外な事です。

 またそれに付録として付く、常識外れの研究資金(一部は贅沢な生活資金に取って代わる)と、謝礼に送られる贅沢な物財などです。こうした誘惑が彼等を動かす原動力になっているようです。こうした流れを示すルートは非常に複雑であり、賄賂性のものであるにもかかわらず、一般国民の目には糾弾不可能な巧妙さで偽装されている為、その裏側を覗く事は出来ません。

 アメリカ合衆国第三十四代大統領アイゼンハワーは、原子力の平和利用の為、歴史に名高い大演説(アトムズ・フォー・ピース)を行ったのは、1961年の事でした。それから約九年程が過ぎ、先進国は、その平和利用を目的に、原子力の開発を行って来ました。
 そしてそれは各国で結実され、最早原子力は安全で豊富なクリーン・エネルギーとして、火力発電に代わる次の時代を担おうとしているかのような錯覚を抱かせました。
 恐らく、今後二十年もすれば、世界の発電所の形式は総て原子力発電に取って代わるとも言われています。

 しかし放射能物質は、大自然の気象条件に任せるというのが実情であり、これを完全に処理している国家は、まだ何処もありません。そして日本とて同じであり、これをチェックしている原子力委員会の秘密主義は、未だにその裡側(うちがわ)を窺(うかが)い知る事が出来ないのが実情です。彼等は学術会議を包含して、利益の漏洩を防ごうとしているからです。

 以上の事を察すれば、近未来における放射能汚染は人類にとって、避け難い課題となるのは明白のようです。
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