会員の声と相談者の質問回答集8




《癒しの杜の会》の主旨について (37歳 無料相談室宛 会社員)

 《癒しの杜の会》の主旨や活動についてお尋ねします。
 貴会は、単に人生相談や霊性を高める食事法だけを指導する会なのでしょうか。
 あるいは、人生相談や霊的食養道を通じて、何か他のことを展開しているのでしょうか。もっと大きな目標があり、単なる経済相互扶助の会とも思われないのですが……



回 答

 《癒しの杜の会》は、単なる食養道や養生法を実践するだけではなく、その裏に人間の生活や、生活の為の食糧確保が、現代人の食生活に大きく関わり、同時にこれ等の「誤れる現代社会の構造の仕組み」が、少なからず様々な不幸現象を起こしていると捉え、これ等の短所や盲点を改善すべき啓蒙運動を展開しているのである。

 特に、人間の生存していく為の食事を誤れば、間違いなく不幸現象が発生する。
 動蛋白摂取過剰や美食主義が招くガン疾患は、その最たるものであろう。
 また一方で、食の慎(つつし)みを忘れた事から、血液の汚染が始まり、血の濁りが過去の因縁から引き摺(ず)っている精神病因保菌者の陽性化を招き、これが深刻な社会現象となって表面化しているのである。

 それを背景に、いま精神障害は増加の一途にある。そして精神機能の障害のうち、主として、内因性および器質性のものが増加し、殊(とく)に精神分裂病(多く青年期に発病し、妄想や幻覚などの症状を呈し、しばしば慢性に経過して人格の特有な変化を来す内因的精神病で、現在は人権擁護の関係から「精神分裂病」という病名は用いられなくなり、「統合失調症」と呼ぶ)と躁鬱病そううつびょう/内因性精神病の一つで、精神の抑鬱と躁揚とが単独もしくは交互に周期的に現れる厄介な病気)という二大精神病が、現在、猛烈な勢いで増加しているという現実が、社会を混乱させ、様々な犯罪が起り始めているのである。

 これ等の病気は、人格を形成する自律性が阻害され、周囲との自然な交流ができなくなる事から起る病気である。
 かつて精神病は、早発性痴呆(ちほう)ともよばれたが、今日の精神医療現場では、破瓜型・緊張型・妄想型などに分類され、それぞれに投薬がなされ、治療がなされているが、一進一退を繰り替えしながら、徐々に悪くなると言うのが今日の精神医療技術の実情であり、投薬を繰り返していけば、精神障害の因子には「耐性」ができると言うのが、この病気の盲点となっている。
 つまり薬に対して耐性が出来、効かなくなるという現象が起る事だ。

 したがって、予防精神医学として、初期状態での食事療法的な正しい食生活が必要であり、少年少女期に食事の仕方に誤りがあったり、動蛋白摂取の過剰などになると、これが思春期を境にして、精神病の兆候が顕われ始め、30歳から40歳の初老期にかけて、発生率が集中・急増すると言う現象が起こっている。そして一旦罹(かか)れば、生涯完治しないと謂(い)う事だ。

 また《癒しの杜の会》では、怪我や事故なども、単に偶発的に起った現象ではなく、霊的な要因が絡み、また過去からの悪因縁が、こうした不幸現象を起こしていると捉えている。
 人間が、「霊的神性」を低下される起因は、食生活の誤りと、その食し方の乱れであると捉える。そして現代は、食生活の乱れが起こす代表格が、「ガン疾患」である。
 つまり「100%の食事の誤り」から起る病因こそ、ガンの正体なのだ。この裏には「血液の汚染」が存在している。霊的にこうした病気を捉えれば、ガンは間違いなく一種の「憑衣現象」と言えるのである。

 では、こうした憑衣現象から脱するには、どうしたらよいか。
 まず、食生活を心機一転する事であり、穀物菜食に徹する事だ。これを世界の全人類が実践すれば、いま人類が必要とする食事量は「二分の一」に減らす事が出来、生産エネルギーの徒労努力も、ぐんと低くなり、収穫効率が上がり、現代人の眼の前に横たわっている「食糧危機」が一度に解決出来るのである。
 これを《癒しの杜の会》では、「現食事量の1/2運動」とよび、また「穀物菜食運動」とよんでいる。

 現代人は、単刀直入に言うと、非常に効率の兇(わる)い、無駄遣いをしている人種であるという事だ。そして、相対的な主観の迷路に迷い込んだ人種であるとも言える。
 こうした人種を評して、《癒しの杜の会》では、これを「亜人類あじんるい/食の間違いによって、最終進化をすることができない近未来の絶滅種)」とよんだり、「獣人けだものびと/食肉や乳製品を好み、動蛋白摂取によって、華やかな夜の喧騒に繰り出して、浮かれ、騷ぐことに喜びを感じる人種)」とよんでいる。

 このての人種の霊的波調は非常に粗(あら)く、憑衣され易い体質にある。「体質が悪い」という事は、則(すなわ)ち、憑衣体質であり、邪気(じゃき)や外邪(がいじゃ)に犯され易いと言う欠点を持っている事だ。

 では、次に「現食事量の1/2運動」「穀物菜食運動」について説明していく事にしよう。
 あなたは、肉牛が大地を滅ぼし、養殖魚が海を汚染している現実を御存じだろうか。
 いま地球は死滅へと向かって動いているのである。

 近代畜産業も近代漁業も、根本的な欠陥を持っている。
 現代人は「現代【註】歴史の時代区分の一つで、太平洋戦争の敗戦以後または保守合同の1955年以降を「現代」という)」と言う時代に至って、畜産を盛んにして家禽かきん/特に、肉・卵をとる目的で飼うもの。ニワトリやアヒルなどを指し、養殖され、殺された彼等の霊は邪気や外邪となって、「鳥インフルエンザ」という形となって、人間に猛威を振るい続けている)や家畜を飼い、養殖魚で食生活は豊かになると信じていた。その反面、「近代科学」という手段を用いる事で、現代人は、食肉が大地を汚染させ、養殖魚が海を汚染させる事までは全く考えていなかった。

 また、かつてアメリカから伝わり、現在アメリカでは既に下火になってしまった「現代栄養学」と言う学問は、日本では、今でも非常に持て囃(はや)されているが、この学問は食成分の分析に終始し、ケミカルスコアなどからも分かるように、肉や牛乳、卵などが最初から「良質の食物」と固定され、これを基準に他の食品成分を比較するといった、極めて馬鹿げた基準値を設け、食体系の理想を欧米スタイルに置くと言う、日本人には不都合な大きな欠陥を抱えていたのである。

 カロリーの生産ならびに消費量から見ると、人間が卵やミルクを欲しがれば、穀物や野菜を食べるのに比べて、2倍の労力と苦労を要すると言う現実である。また、牛肉を食べる為には、7倍の苦労をしなければならない。これは、現在の畜産が根本的に見て、生産活動とは言えない無駄なエネルギーを浪費しているという実情がある事だ。

 その上、こうした牛などの大型優良品種を飼って、生産効率を高めようとすれば、本当の生産効率は悪化し、人間の労力と苦労は倍増し、それに反して大自然は衰えると言う皮肉な現実を抱えている。そして生産する家畜が、大型化すればするほど、その効率は更に悪くなるのである。
 投下された労力や苦労などのエネルギーに対し、回収されたエネルギーの見返り量は、鶏のブロイラーで50%、豚肉で20%、牛乳で15%、牛肉で8%に過ぎない。

 牛を飼う場合には、地上のエネルギーを十分の一に減産する徒労労働であり、肉を食べる人は、米などの穀物を食べる人に比べて、10倍の消費をしている計算になる。
 そして、この背景には、わざわざアメリカ大陸で収穫されたトウモロコシを大型貨物船で運んで来て、これを餌とし、ゲージ飼いをして、人間が朝から晩まで付きっきりで、給餌、糞尿の処理、牛舎の掃除、健康管理、また質の良い牛肉をとる為の薬物投与などにキリキリするような畜産が、その背後で、どんなにアメリカの大地を痩(や)せさせているか、という実情があるという事を、あなたは御存じだろうか。
 これは非常に不経済であり、しかも地球規模の破壊活動をやっている愚行に等しい。

 畜産によって大地が衰亡している事は明白である。地球の緑が消え、その凄まじい自然破壊は、欧米を見れば歴然とした事実であることが分かる。
 しかし、地球破壊は畜産だけではない。近代漁業にも同じ事が言えるのだ。
 豊富な漁場であった海を汚染し、死の海に作り替えている愚行な漁業は、何倍量かの小魚を餌にする高級魚の養殖(水養殖ではタイ・ハマチなどの魚類、カキ・真珠貝などの貝類、ノリ・ワカメなどの海藻類、クルマエビなどの甲殻類)である。高級魚を養殖し、魚が豊富になったと喜んでいるのが現代の漁業である。錯覚も甚だしいのである。

 近代漁業は、どうしたら魚をより多く獲れるかとか、どうしたら殖(ふ)やせるかと言う事ばかりを研究して、高値で取り引きされる高級魚を養殖すれば、漁民やよう食産業従事者は高収入が得られ、生活が楽になるという事から始まった。つまり漁師が金銭至上主義に傾いたのだ。
 この現実は地球規模で海洋汚染と言う立場から考えれば、これ等の手段は、結局、漁民や養殖業者が、自分で自分の頸(くび)を絞めている事になるのである。また地球をマクロ規模で見た場合、漁獲量に年々拍車が掛かり、減少していると言う実情がある事だ。優れた近代的漁獲法を開発するより、もっと自然に、魚介類が手づかみで捕れる海を守るべきではなかったか。

 自然を破壊する事は、いとも易しい。しかし自然を守る事ほど、易しい事ではない。一度、破壊された自然を、復元する事は不可能であると言う事を、果たして、どれ程の現代人が知っているだろうか。
 人間の食生活を豊かにする道は、多くを作り、多くを収穫するという事ではない。人間がこうした知識を退け、その身を退け、自然が豊かになる事によって、容易に達成されると言う事を知らなければならない。

 人間と言う、もともと穀物菜食を主体としていた動物は、美食の欲望から、地獄の精肉工場を作り出し、本来、人間が保護する動物を、殺し、食べ始めた。その結果、大地は痩せ、自然は破壊され、世界の食糧事情を複雑化し、食糧危機が起る誘因を引き寄せた。
 しかし、もし政治の英断によって、今日の食糧を、穀物菜食に改めれば、おおよそこの問題は解決する。
 世界の約六十億の人間が生きて行く為には、年間6億トンの穀物があれば事足りることである。現在、世界の穀物総生産量は、年間約18億トンであるから、この計算からすれば300%も過剰生産している事になる。それでいて、あの目を覆(おお)いたくなるようなソマリアの餓鬼難民の現実は、いったい何なのであろうか。

 「餓鬼」は天災では、断じてない。紛れもなく「人災」である。ソマリアなどの世界の貧困層が生息する民族を救済しようと考えるならば、彼等に食糧や生活物資と云った、末端的なモノの援助をしてもダメだ。もっと抜本的な、中流階級以上の人間が、効率の悪い食肉生活を止め、穀物菜食に切り替える事だ。海外援助隊やボランティア団体が、こうした国に出かけて行って、生活援助しても、中流階級以上の人間が、牛肉や牛乳、卵や高級魚などから取れる口当たりのいい動蛋白と言ったものを欲しがれば、こうした援助もまた、徒労に終るのである。

 結局、愚かな中流以上の飽食層が、あくなく食肉への欲望を走らせ、また、美食を追いかけた結果から派生した現象ではなかったのだろうか。
 自分自身で蒔(ま)いた種の責任は、日本人にもあると言えるのではないか。美食主義がこうした元凶を招いたのではないか。
 そして、私たち日本人は、今少し、慎み深く、更には思慮深くなる必要があるのではないだろうか。

 一匹のハナチを増やすのに、10倍量のイワシを必要とする養殖ハナチも愚行であるが、それを更に輪を掛ける愚行が、牛肉を生産する為の現代の畜産である。
 肉食動物の銀狐を飼う為には、その狐(きつね)が食べる10倍の兎(うさぎ)の肉を必要とし、兎を飼う為には、その10倍の草を必要とする。銀狐の皮一枚を生産する為には、人力の恐ろしいエネルギーを必要とする。
 穀物の収穫で、穀物を食べるだけに満足する事の無い人間は、牛肉を食べようとして、人間自体が10倍の苦労が必要になる。ミルクが飲みたければ、あるいは卵が食べたければ、5倍以上の苦労を覚悟しなければならない。

 以上を考えると、近代的有畜農業というのは、基本的に言えば、人間の思考と欲望は満足させるが、本質的には、人間の苦労と手間を倍加させる農業だったのである。
 今日の日本人が、エコノミックアニマルという侮蔑(ぶべつ)と揶揄(やゆ)と、飽食の時代と誹謗中傷されるのは、人間の物欲拡大の物質的遠心力が拡散され、一方、科学暴走主義を容認した結果であり、これが食思想の誤りを招いたのである。食思想の誤りは、衣・食・住を誤らせしめ、食の乱れが各々の収穫の分野での農業、漁業までもを誤らさせ、こうした誤りが大自然をも破壊させたのである。そしてこうした破壊の現実は、結局、個々の経済生活に反映され、不幸現象が派生すると言うのも頷(うなず)ける事であろう。

 いま世界の半分以上の人民は、貧困と飢餓に喘(あえ)いでいると言われる。貧困や飢餓と言うのは、天災ではなく人災である。こうした人々に、安易に食糧を与えたり、金銭や物資を一時的に与えても、彼等は決して貧困や飢餓から抜け出す事は出来ない。安易な善意は、再び同じ物を欲しがらせる結果を招くからである。貧困や飢餓から抜け出す手助をするには、共同募金や慈善事業で集めた金銭で援助物資を提供しても、それは再び次の援助物資を欲しがる原因を招くばかりである。
 彼等を抜本的に救うのは、まず、労働する喜びと、働く事の意義を教え、また穀物を栽培する土地や、仕事を提供する事だ。自分の事が、自分自身で出来るように理解させる事だ。
 これを理解させれば、世界に飢餓と貧困は半減するであろう。そして、次に南北問題については、先進国の中流階級以上の国民が、以上に述べたような非能率な生産をする肉食や乳製品の食生活を止め、穀物菜食に切り替える事だ。

 アメリカの食生活を見てみるがいい。アメリカでは肉食主体である為、この国での農業は牧畜主体の農業にならざるを得ない。牧畜が主体になれば、自然の雑草の生態系を狂わす導火線になり、やがて大地は荒廃していく。こうして痩せてしまった大地は、自然の力が働く事はない。その為に、止むを得ず、石油エネルギーに頼る近代農業が発達せざるを得なかった。
 この発達は何を意味したか。

 土地の生産性が低いから、大規模経営をせざるを得ない、巨大化した機械化農業を展開したのである。そして巨大化した機械が、益々大地を荒廃させる構造を作り出し、自然破壊の悪循環をつくり出したのである。自然の力を借りないで、人知と作為と科学でつくり出したこれ等の農法は、実は非常に生産性の低いものであった。

 2〜300ヘクタールを工作するアメリカ農民の収益性は、日本の1〜2ヘクタール耕す農民よりも劣り、彼等の生活ぶりの質素であると言う事実は、商社農業の下請け的単作、および大規模農法の脆弱性を暴露したものと言えよう。これこそが、近代農法と言う、科学的な論理で展開されている、西洋科学の根本的な錯誤に基づく問題を、大きく暴露しているのである。
 結局、こうした根本的錯誤は、現代人の衣・食・住を誤らせしめたと言う事だ。

 禍根は、「現代人の食の乱れ」にあった。その食の乱れが、科学的と称する近代農業の乱れに通じ、この乱れが自然破壊を招き寄せた。こうして、破壊に至る足跡を追求していけば、自然破壊が民族や人民を衰えさせ、南北問題で両者の地域の経済格差を派生させ、貧困と飢餓で世界を混乱させていると言う現実が浮かび上がってくるのである。

 したがって《癒しの杜の会》では、この現実を真摯(しんし)に受け止め、「現食事量の1/2運動」「穀物菜食運動」を展開し、かつ心ある人々に啓蒙しているのである。そして《癒しの杜の会》では、単に地球規模の現象人間界の変革に止まるだけではなく、霊界に及ぶまでの大変革を目指しているのである。
 現代という時代は、現象人間界ばかりで大異変が起っているのではない。霊界も同じ現象が起っているのである。霊的磁場が、人知による「科学」という思考法で狂わされたからだ。
 私たち人間は、いま天地始まって以来の、大難に遭遇しているのである。

 来るべき未来の、大変革は想像を絶するものであろう。現象人間界を襲う、大型台風や大地震や大津波は霊界でも起っている。霊的波動の低い者や霊的波調の粗い者は相当な苦しみを受けている。この苦しみは、現世の現象人間界にも、時空的にズレて、後を追うような形で、反映されているのである。いま現象人間界で起っている事故や、事件や、異変は、過去に霊界でも起っていたのである。
 霊的昇華に追いつけない者、霊性に低い者、体質が悪くて病気になり易い肉体を有している者は、肉体的に滅び、相当な身体的苦しみを受けながら淘汰されていくであろう。
 今こそ、現代人は集団催眠術から目を覚まして、正邪を見抜く「第三の眼」を取り取り戻すべきである。




弟の統合失調症について解決策はないか (25歳 会員 OL)

 私には三歳下の弟(大学受験に二度失敗し、現在は受験を諦め無職)がいるのですが、弟は十代後半から現在に至るまで、精神科での入退院を繰り返し、現在も自宅から外来通院で、二週間に一度精神科に通っていますが、これまでの入院歴からしても、このままでは治る見込みがないのでは?と言う不安を抱いています。

 私の眼に停まったのは、《癒しの杜の会》で、特別な、精神障害に有効な《霊導法》なる方法があると知り、これを弟に施してみようと思っています。
 《癒しの杜の会》HPでは、統合失調症の多くは三代前くらいに遡り、その血縁に、非業の死を遂げた者がいて、その影響があるとしていますが、《霊導法》を含めて、この説明ならびに指導をして頂けないでしょうか。
 また注意点などがあれば、お示し下さい。



回 答

 今日で言う、統合失調症は精神分裂病という二大精神病の一つである。しかし、多くの日本国民は、その発病の突然である事と、この病気が年々増加に一途にある言う現実を、殆ど知らないようだ。
 数十年ほど前には、精神病者は「気狂い」と言われて、人々から非常に恐(こわ)がられ、周囲からも蔑まれた人である。そして交通事故や怪我などの外科疾患と比べて、総合病院内では大いに差別され、家族の中から、一人でもこうした発病者が出れば、「気狂いの家」といわれて後ろ指を差され、近所付き合いは断たれて、村八分にもされかねなかった。

 これまで、この病気の発生率は、日本では1%未満であり、100人中1人以下であったが、今日では、この発生率が完全に1%以上を上回り、アメリカ並の発病率とも言われている。現在アメリカでは、1.6%前後であると言われるが、日本もその後を急速に追い駆けている。
 これを調べるには、電話帳の病院欄を見れば一目瞭然である。神経科や精神科の病院数が、他の医療科を抜いて断トツであるからだ。広告も大きく、多色刷りで羽手である。

 どこの神経・精神科に行っても、あらかじめ予約をし、順番待ちをして、順番を待つのは歯科医院以上の込み合いぶりであり、これが入院病棟を有する医療法人格の精神病院ともなれば、入院事態も予約待ちで、「予約してから、一年以上待たないと入院できない」と言う病院も増えている。つまり、今日の霊的現象の不思議は、神経科や精神科の大繁盛という現実を作り上げた事だ。

 精神病全般において、精神病事態、「遺伝しない」と言う、一部の精神科医の仮説が罷(まか)り通っているが、実は霊的に見れば、非業(ひごう)の死を遂(と)げた三代前までの先祖と、現在の精神病患者は、霊的に言って、波調(はちょう)の形は非常に似ている為、どうしても先祖の霊の意志と波調が合ってしまい、この憂鬱(ゆううつ)な憑衣現象と交流してしまうのである。これが邪気や外邪との交流である。霊的波調が粗く、霊的神性が曇らされ、霊性が低下している為に、体質自体が兇(わる)くなり、その為に憑衣されるのである。
 これは遺伝ではないにしても、霊的波調が似ていれば、血統(肉体的波調の同型の生体意識)以外の霊統(霊体的波調の同型の命体意識)で、こうした憂鬱(ゆううつ)を、「先祖」という保菌者から引き継いだ事になる。

 また、今日の憑衣現象は、食生活の欧米化に伴い、日本人の霊的神性が低下している為、霊性が失われ、誰もが「憑衣され易い体質」になっているという事である。動蛋白の摂取は、血液を汚染させ、霊的波調を粗(あら)くする。これが粗くなれば、霊的神性は曇らされ、よって、時空に漂う電離層(大気の上層にあって電波を反射する層。太陽からの紫外線によって大気の分子が電離した結果生じたもので、長距離無線電信はこのため可能になるが、肉体を持たない意識体も此処に浮遊する)からの浮遊霊は、全く先祖とは無関係な意識体が、体質の悪い現代人に取り憑(つ)いて、新たな憑衣現象の因縁を背負う事もあり得る。
 今日の精神病院の満員御礼は、こうした事に起因している。

 さて、《癒しの杜の会》が勧める《霊導法》に迫ろう。
 最初に断っておくが、非常に「根気がいる作業」である事を覚悟しなければならない。また、現在精神科に掛かっている人は、精神科から、2週間に一度、問診の結果、出される薬を併用しながら、《霊導法》を行わなければならない。
 最初は、双方は相乗効果によって患者は恢復(かいふく)に向かうが、ある程度、良くなったからといって《霊導法》を止め、薬だけに頼ると、これまで良くなっていた患者は急に悪化するので、《霊導法》を試みる人は、患者に対し、愛情と根気が不可欠である事を付け添えておく。
 《霊導法》の詳細は、《癒しの杜の会》HPの「精神思考編」を繰り返し読んで熟読し、これを十分に理解した上で、《霊導法》を行わなければならない。詳細については「霊導法、その霊導へ向けての術前」の項に上がっているので、これに随(したが)う事である。

 《霊導法》を行うに当たりの注意点は次の通りである。

注意項目
注 意 内 容 
霊的構造の理解
術者ならびに被術者は、霊的世界の事を充分に理解する。霊的世界の構造や、人間ならびに、人体の精神的構造を被術者に語って聞かせる。図解などを示せば、その理解はもっと早まるだろう。
慈しみと愛情
術者は、被術者に対して深い慈しみと愛情をもって、「必ず自分が治してやる」という信念を持つ事。投薬で口の周りが白くなっていても、涎を垂らしていても、言葉の呂律が廻らなくても、問いかけても返事をしなくても、しっかりとした意識はあるので、一個の霊体を備えた人間であるという事を尊重し、決して「怖い」とか「気持ちが悪い」等と思わない事。こうした自他離別の想念は、そのまま、そう想った者へ反映され、来世への因縁として必ず自分に返って来る。
精神科との併用
ある程度の良き兆候が見られるまで、精神科の指示に従い、日々の定期的な投薬を被術者に飲用させ、日々の生活態度が規則正しくある事。被術者への軽い運動や、簡単な作業は一緒にやると、良き兆候が早く顕われる。これは憑衣者が理解をし始めたからである。
日々自他共に精進の信念と根気
一旦《霊導法》を始めると途中で止める事は出来ない。一日でも止めてしまえば、悪化は必定。但し、この《霊導法》は本人の前に置かなくても、遠隔からでも「良き想念」は送る事が出来る。被術者が入院している場合は、術者は自宅からでも、出張先からでも、旅行先からでも、被術者に唸(死者の名前を声を出して言う。呼び掛ける、悟らせる、憑衣者が死んだ事を知らせるなど)を送る事が出来る。決まった時間に、定期的に一日朝晩二回程度行うのがよい。回数が多くても良いが、《霊導法》を行なう場合に制約が加わる人は、最初から欲張らない事。
静坐して心の平安を保つ 術者は精神統一する必要がある。静坐したり目を半眼にして、静坐法を行い深呼吸すれば、心は平安となり、静寂が保たれる。呉々も、騒音の激しいところや、ロック音楽が掛かっている喧騒の中では絶対に行わない事。これは術者への逆憑衣現象が起るからだ。但し、静かな琴や尺八の音や、静寂を想わせるクラシック、あるいはα波が増幅される音を絞り込んだ音楽は良いであろう。
場の清め
術者は、《霊導法》を始めるに当たり、自分の静坐する、「場の清め(霊的磁場の浄化)」を行わねばならい。是非「九字を切る」ことを御薦めする。九字は宗教とは無関係。
食生活を改める
霊性を低下させる動蛋白摂取を出来るだけ控える事である。頑迷であったり、物分かりが悪かったり、こだわりに興じる人間は、食肉や乳製品によって、血液の汚染が原因であり、これにより霊的波調が粗くなり、また霊的神性が曇らされて、正しい気の交流が出来ない事が起因している。精神病者も、邪気や外邪の交流によって憑衣され、その病因は体質の悪さにある。玄米菜食を徹底する事である。
 「肉(じし)喰った報い」が災いをしている事も少なくない。
自他共に礼儀を知り、恥を知る 人間が精神障害を起こす様々理由は、《癒しの杜の会》HPに揚げているが、三代前の先祖の血縁者の何(いず)れかが、また精神病を煩った被術者に当たる人が、全般的に言って「礼儀知らず」であり、「恥知らず」の人生を送って来た人が多い。更に被術者の精神障害には、特に母親の躾の状態が深く因縁と関わり、被術者自身の持つ、パーソナリティー自体も、どこか歪(いびつ)で、狂っている場合が少なくなく、劣等感などが憑衣に輪を掛けて、複雑化した憑衣現象である場合が少なくない。こうした事への反省と、悔悟の念は必要だろう。
 「礼儀を知る」「恥を知る」という事も合わせて、被術者と、被術者に憑衣する死者の意識体にも理解させる必要がある。
鈴と香炉
被術者と被術者に憑衣した先祖の非業の死を遂げた霊を供養するには、鈴(りん)の音(ね)と、香炉の香が必要である。鈴は、被術者と憑衣者の静寂なる心が顕われる事への効果が大きい。また香は、組香(くみこう)から香道(こうどう)に成長した過程を考えると、此処には人間の荒れ狂う精神を鎮めるという役割がある。その為に、香道は香合(こうあわせ)・薫物合(たきものあわせ)・たき継ぎ香などの「香の世界」が興った。「香を聞く」とは、則ち、香の「かおりをかぐ」のが人間の脳に沈静化を齎す働きがあると言う事を物語っている。
 《霊導法》を行う際は、「鈴の音」と「香の薫(かおり)」は必需品なのである。

外邪の憑衣・憑霊を祓い、悟りに導く鈴(りん)と香炉(こうろ)

 二大精神病と言われる統合失調症は、病因がはっきりしない。ある日、ある時間を切っ掛けとして、突然襲って来る病気である。その犧牲になるのは血縁者が多く、先祖に、非業の死を遂げた人の唸が、時空を彷徨(さまよ)っているからだ。これが、一番波調の近い血縁者へと霊的に憑衣していくのである。

 現象人間界の電離層(この層には、夜間に発生する高さ約60kmにあるD層、夏に発生し易い高さ約100kmにあるE層、太陽の黒点指数に左右されるスポラデックE層、200〜400kmにあるF層があり、その生体波動や霊体波動などの唸もこの層に残留する。しかし、これ等の層を突き抜ける「断末魔(だんまつま)の唸」も存在する。こうした唸こそ、不成仏霊の正体である)には、あらゆる電波が飛び交い、また、死霊や生霊の意識唸(いしきねん)も飛び交っている。その意識唸を受け易い、現世の人間は、まず、こうした人の唸を憑衣し易い現実の中で、日常生活を送っていると言う事だ。
 送受信器は、赤外線以上の波長を持つ電磁波(電磁場の周期的な変化が真空中や物質中を伝わる横波)の電気通信によって、電離層間を媒介する事で送受信の遣(や)り取りを行っている。しかし、電離層には電気通信の電気信号ばかりでなく、人の唸が残した意識体が、食用動物が殺される時の悲しみや、人間に対する「恨みの念」などの唸が、意識唸としても溜まっているのである。

 肉食や乳製品偏重の食生活をしたり、不摂生な生活をしたり、心をロック音楽に掻き乱されて、華やかな夜の喧騒を好むような生活ばかりをしていると、憑衣の確率は増してくる。現代人は、いつでも、どこでも、憑衣される体質の悪さと、憑衣される磁場を背負っているのである。
 もう一度、太陽と共に目覚め、太陽と共に就寝する、生活の規則正しさを、現代人は考え直してみなければならない。

 最後に申し添えておくが、職業祈祷師や職業霊能者を頼って「除霊?」などという訝(お)しな手段をとらない事である。その理由は、高額な除霊代をとる彼等に、最早、除霊能力はなく、彼等自身もまた、悪霊に憑衣された憑衣者であるからだ。
 彼等に大難を小難に変える能力はない。
 何故ならば、「神の啓示を受けた」と自称していても、それに値しない人種であるからだ。彼等を観察すれば直ぐに分かる事である。傲慢、横柄、死者を声帯模写する声色(こわいろ)などなど。

 また彼等は、依頼者や信者から集めた法外な金で、社会に一円の金も還元する事なく、あるいは書籍などの発行で稼いだ印税や原稿料を個人的な収入にしてしまい、社会に鐚(びた)一文(いちもん)還元する事なく、高級乗用車を乗り回し、高級食肉や高級魚肉などの美食に狂い、乳製品を喰らい、酒を呷り、タバコを蒸かし、女に目がなく、妾(めかけ)と作り、色に狂い、不摂生な生活をして、どうして彼等に「神の啓示」が降りたと言うのか。
 これを雄弁に物語るものは、祈祷師、呪術師、占い師、霊能者、霊媒師、霊断師、巫女、くちよせ、神官、僧侶などの「拝み屋」を職業とする者の「無慙(むざん)な最期」である。つまり彼等の多くは、臨終に際し「断末魔」を経験する事だ。

 断末魔は、身体中に痛みが走り、身体中が火の中に投げ込まれたように熱くなり、あるいは氷の中に閉じ込められたように酷寒に襲われ、風が吹いては骨がバラバラになるような感覚に陥り、蚊(か)の羽音にも、肉体がズタズタに切り裂かれるような、幻覚から起る激しい痛みを感じる事である。彼等も、また不成仏の意識体であり、その唸(ねん)は電離層の残留して、浮遊化し、次の憑衣先を見つけて、隙(すき)のある人間に憑衣を窺(うかが)うのである。

 したがって彼等も、自分の想念で作り上げた地獄へと直行するのである。彼等の断末魔の唸は、電離層を突き抜け、その意識唸は、永久に宇宙の闇の中を彷徨(さまよ)う事になる。また彼等も、不成仏霊の因縁をまき散らしているのである。後世に災いを遺(のこ)している人種は、かつての職業「拝み屋」であり、この場合、「拝み屋」に依頼した人間も、同じような憂き目に合う事だ。
 彼等の末路は断末魔に知覚する「狂い死」にであり、この唸を依頼者も持ち帰る事になる。

 人間の断末魔での唸は、「非業の死」を遂(と)げる時機(とき)に発生する。猛烈な痛みが襲う時だ。こうした唸は、成仏しないまま、血縁者へと暗い影を投げかけるのである。こうした事への理解も、《霊導法》を行う場合は、自覚していなければならない。
 とにかく「拝み屋」任せで、血縁に関わる生死を、金で他人任せにしてはならない。自分が、慈しみと愛情をもって行えば、一円の金も掛かる事はない。
 但し、一円の金も掛からない変わりに、根気と信念は、最後まで一貫していなければならない。神は、あなたの態度の「こうした所」を見ているのである。