会員の声と相談者の質問回答集5



ストーカーに狙われて困っています (無料相談室宛 26歳 女性)

 半年程前から、不審な男につけ廻され、精神に支障を来すようになりました。会社帰りの夕刻の帰路には、必ずと言っていい程、影が付きまとい、付かず離れず、いつも尾行されています。下車駅から自宅までの10分間くらいの道のりに、必ず背後に人がいるのです。
 マスクを掛けているので顔貌はハッキリ分かりませんが、不審な男であることは間違いありません。

 15~6m程の間隔で、後をつけられ、わたしが立ち止まったりすると、その男も立ち止まるのです。そして歩き始めると、またついてくるのです。
 その上、深夜の無言電話や、自宅の周囲を歩き変わっている物音や、窓から家の中を除く気配、更には雨戸をこじ開けようとする恐ろしい物音までするのです。

 何度か、警察にも以上の内容を訴えましたが、実際に事件が起らない限り、捜査は出来ないという事でした。これを聞いてその時に、こうしたストーカー犯も、事件を起こさない限り、法律に守られていると言う事を初めて知りました。だから、危険な人物だとは分かっていても、普段は警察力や法律の及ぶところではないというのです。
 最近は出勤するのもおっくうになり、欠勤が続いています。自宅から一歩もでられないようなところまで追い詰められました。何か有効な対策法があったら、是非ご教授下さい。



回 答

 ストーキング事件の元凶を作り出したのは、今日の情報化社会の個人情報の流出である。
 「売り出されたプライバシー」は、現在でも金で買う事が出来、個人生活情報は簡単に入手する事が出来る。その中には、経済状態や家族関係、出身大学や勤務先、敷地の広さや自家用車の所有の有無や車種、所有台数までが念入りに記録され、情報会社のコンピュータにアクセスする高度な技術があれば誰でも、これらの情報を入手する事が出来る。
 まずストーカーは、間抜けな、原始的な方法しか知らない人間を除けば、それ以外は、高度なコンピューターの知識を持った人間であると言う事が出来る。

 人間の征服意識には、一つは民衆を支配する権力を欲する人間と、もう一つは民衆の各々の詳細な情報を手に入れ、一般市民をターゲットにして、ある特定な個人の情報を貪る事によって、征服欲を満たそうと云う人間がいる。
 特に後者は、「他の誰かについて、総てを知り得る」というカードを手に入れた場合、それは麻薬にも似た快感を覚えるらしい。その快感を覚え、その興奮を一度覚えれば、ストーカーの行為は、以後ますますエスカレートしていく。これが歪(いびつ)で、狂った情熱となる。こうした狂気に掻き立てられた人間こそ、ストーカーstalker/忍び寄る異常な追跡者)の正体である。

 では、歪で、狂った情熱は、いったい何処から起るか。
 それは一種の情念であり、また愛に飢える渇愛かつあい/仏道では水を欲しがる咽喉の渇きに喩えて、凡夫が五欲に愛着することを指す)である。
 人は恋慕の唸(ねん)を従えて人生を放浪する。それは渇愛の念から起るものである。
 実際に一目惚れなり、隣人関係などに於いて、誰かを愛してしまった場合、恋をする対象は、相手の個人的な人柄だけではなく、自分がその人と今から作る恋愛のイメージを、その恋愛の中に組み込む事が多い。つまり、最も理想と思われる「愛の形」を想像し、そのイメージが恋愛の中に展開されるのである。

 その第一は、まず相手が「どういう人物か」を懸命に知ろうとする事である。次に、理想的な愛を将来に与えてくれそうな思い込みが発生し、これまでの現状とは一変するような転機を齎(もたら)すかも知れないと云う期待が、恋へと趨(はし)らせるのである。
 そこには恋する側の一方的な「期待」が横たわっている。一方的な「思い込み」が横たわっているのだ。期待し、思い込みを激しくする人間は、一種の現実逃避を企てる者に少なくない。

 現実逃避を企てる者の多くは、空虚で、虚(むな)しい生活を送っている人間に多い。ポッカリと穴の空いてしまった箇所を埋めようとして、「空想への恋」する感情が起る。ストーカーの多くは、こうした感情に取り憑(つ)かれた者達だ。そして一旦、こうした感情に取り憑かれれば、それはどんどん膨らみはじめる。

 空想が膨らむと、今、自分が夢中になっている相手に対し、自分が存在している理由が明確になったと錯覚を起こすのである。そして接し方も異常へと変貌する。これこそが狂気の要素であり、歪(いびつ)な情熱は此処から出発する。
 次に、激しい独占欲や執着心が起る。愛に飢えた、「咽喉(のど)の渇き」を覚える。
 咽喉の渇きを覚える者が、ひたすら水を求めてやまないように、その執念は燃える火柱となって、性愛や情愛、あるいは肉愛となって、このような感情に取り憑かれた者の、一種独特の情念になって、満たされる事の無い支配欲となり、あるいは異様な執着心として、逆恨みへと発展する場合もある。

 つまり無想と現実との混同が、現象界の現代社会を大きく覆(おお)っているのである。
 では、こうした元凶は、いつから始まったか。
 少なくとも、百年前には存在しなかった社会現象である。しかし現代社会を見渡せば、百年前には存在しなかった現象が起り、男女関係も、その考え方が大きく変わってしまったのである。

 男女関係に大きな影響を与える媒体は、今日では映画やテレビであり、これがすっかり男女間のモラルを一変させてしまっている。スクリーンやブラウン管の画面では、無数の恋愛劇があり、様々な、奇妙な形の恋愛模様が繰り広げられる。
 そして「押しの一手」という欧米的な恋愛術手法で、特に、男性が女性に迫れば、成功すると言う概念が植えつけられてしまった事である。
 「しつこく迫れば必ず成功する」と言う概念だ。

 これは歪(いびつ)な情熱を燃やす、ストーカーとて、例外ではない。空虚で虚しい生活を送っている彼等にとって、このような概念に振り廻されたとしても不思議ではあるまい。
 特にその男が、社会の、高速回転をする遠心分離器から弾(はじ)き出されて、見捨てられた人間のレッテルを貼られた者ならば、なおさらであろう。

 こうした手合いが、映画やテレビを模索して、自作自演の歪な情熱を繰り広げるのである。
 もう随分と前の事であるが、現代を生きる時代の象徴として、アメリカ映画の『卒業』を観(み)た人が多いと思う。映画の主人公のダスティン・ホフマンは、人々を欺(あざむ)きながら、多くの情報を集め、家族のふりをして騙(だま)したり、牧師のふりをして、愛を告白した女性に激しく迫る。しかし彼のこうした行為は、まさにストーカーのそれである。
 意中の女性の結婚式会場を知らべたりの彼の異常な行為は、まさに暴力と言うべきものである。結婚式の最中に、教会に駆け付け、そして騒ぎを起こす。

 しかしストーカー擬(まが)いの、彼のこうした行為に、かつて迫られた女性は、驚くべき事に、一端は断ったはずの彼の愛を、その場で受け入れ、自分の新しい良人(おっと)となるべき男性を教会に置き去りにして、彼の許(もと)に奔(はし)る事である。此処に女性の二面性が潜み、一方に於いて蹤(つ)け狙われる元凶を、女性自身が抱えていると言えよう。

 この内容に似た映画は日本でも、『男はつらいよ・ふうてんの寅』(山田洋次監督作品)の最終作品にも登場する。
 車寅次郎の甥ミツオの女友達だった、高校時代のブラスバンドの下級生・イズミは、金持ちの某男性と結婚に漕ぎ着けるが、結婚式の会場にミツオが駆け付け、周りの人間を巻き込んで騒ぎを起こす。そして筋書きは殆ど『卒業』と同じ形で、「彼女攫(さら)い」が行われる。

 そしてイズミは、自分の新しい良人を会場に残したまま、ミツオと手に手を取って逃げるのであるが、周囲を唖然(あぜん)とさせたまま、ミツオの車で逃走する。ミツオは意中のイズミを手に入れたので、最終的にはストーカーの汚名を被せられずにすんだが、一歩間違っていれば「誘拐犯」であり、まさにミツオの遣(や)った事はストーカー行為である。そして昨今は、大衆映画の中にも、こうした行為を美談化したり、英雄視する風潮が生まれた。

 もし、こうした「ストーカー」兼「女攫(さら)いの誘拐騒ぎ」が美談として正当化されるのであれば、 結納を交わし、結婚に漕ぎ着けた男性であっても、結婚後も、ぼやぼやしていれば自分の新婦を、他の男から力で奪い取られるという恐怖に怯えなければならない。まさに社会ルールを無視した、秩序の崩壊といわざるを得ない。
 そして、これがストーカーの横行する、「現代」という時代を象徴しているとも言える。

 だが時代の不詳事として、ストーカー問題は片付けられない。
 人間の行動律を再点検する必要がある。特に人間の脳の構造だ。
 人間の脳は右と左で異なる。その機能は違う。簡単に言えば、右脳は空間認識を司り、左脳は言語を司っている。そして左右の脳は、神経細胞と神経細胞または他の細胞との接続に関与するシナプスsynapse/脳や脊髄の灰白質や神経節に集中する接合部)という接合部を有している。
 またこれ等は、ニューロンneuron/神経細胞)という神経系を構成する細胞を持つ。そして左右の脳は、神経の束で繋(つな)がれている。

 この神経の束や、バランス感覚を見てみると、男よりも女の方が束が太く、またバランス感覚も優れている。この事は女の方が適応力があり、現実的な思考をすると言う事が分かる。それに比べ、男は神経の束が細く、理想的かつ観念的に物事を捉え、したがって「オタク」(特定の分野・物事にしか関心がなく、その事には異常なほどくわしいが、社会的な常識には欠ける者)になり易い。ストーカーは、以上の理由で、女より男の方が多い。魔物に取り憑かれたように女を蹤(つ)け廻し、偏った愛の妄想を、我が物顔で膨らませて行く。ために、オタク人種は、人生の虚しさを偏った愛の妄想で穴埋めし、自らの存在理由を、ストーカー行為で確認するのである。一種の精神障害である。
 こうしたストーキングを働くオタク人種は、春先になると悪化の一途を見せ、既に妄想型分裂症に罹(かか)っており、非常に攻撃的である。

 しかし精神を病んだ以上のようなストーカー犯は、法的には責任が問われない。刑務所に送る事も出来ない。人権保護の壁によって、彼等は手厚く擁護(ようご)され、名前は公表されず、再発の恐れがあろうとも、野放しの状態である。

 学校を卒業して、新入社員として入社したばかりの新人女性は、特にターゲットにされ易く、後を蹤(つ)けられる羽目になるが、その対策は殆ど出来ておらず、無防備と言うのが実情である。雇用する会社側には、こうした対策が不充分であり、未だに女子社員は「結婚までの腰掛け」という使い捨て素材の呪縛(じゅばく)から抜け出していないようだ。

 こうしたストーカーに狙われた女性の多くは、やがて逃げ場を失い、心を蝕まれていくのである。執拗(しつよう)なストーキングの為に、不安や恐怖から神経や精神を病み、治療をしなければ生きていけない女性も出て来る。
 この元凶の裏には、現代の情報管理の甘さが、こうした被害を招いている。心当たりのないところからダイレクトメールが届き、電話帳に載せていないのにも関わらず、名指して電話が掛かって来る時代である。個人情報の漏洩(ろうえい)も、ストーキングの片棒を担いでいるのである。

 今日のストーカー犯罪の取締は、単刀直入に言って、警察のパトロールは「申し訳程度」のものに過ぎない。警察は、何か事件が起らないと動いてくれない。また、現行犯でないと捕まえられないと言う実情がある。人権擁護(ようご)の立場から、「疑わしきは罰せず」なのである。被害者よりは加害者の人権が守られる時代なのだ。こうした事がストーカー犯をつけあがらせる。そして善良な市民のSOSの救援信号は殆ど無視され、権力筋はこれを杜撰(ずさん)に扱う。警察には民事不介入の原則があるからだ。

 警察のストーカー犯罪に対する防止対策は、全くの無力と言ってよい。権力筋から返って来る回答の多くは、「蹤(つ)け狙われるのが嫌なら、引っ越すしかない。侵入されるのが嫌なら、オートロックなどのセキュリティーがしっかりした備えをするしかない。深夜の無言電話で困っているなら、電話番号を変えるしかない」などの、幼稚で杜撰な回答であり、ストーカーと言う異常な世界を理解する権威筋は極めて少ない。

 だが、権威筋が考える程、ストーカー犯罪はそんなに甘いものではない。被害者の多くは、自分ではどれだけ電話番号を変えたか覚え切れないくらい変更しており、それでも無言電話は、正確に掛かって来る。引っ越しも二度や三度ではあるまい。鍵も何度のなく、丈夫なオートロックに交換した筈である。赤外線センサーや防犯カメラも備えた筈である。それでも、知能戦ではストーカー犯の方が一枚上手である。
 そして一度侵入され、レイプ事件など起ろうものなら、被害者が「加害者的な目」で見られると言うのが、世間の通り相場である。

 一枚のガラスが割られ、そこから何者かが侵入して来たとしても、更に凶悪な犯罪が頻発している昨今、権威筋にとっては、さしたる事件のうちに入らないと言うのが実情だ。
 ストーカー犯の多くは、偏った愛を、バーチャルゲームとして楽しんでいる。常に自分は安全圏に居て、犯罪にならないギリギリの所でゲームを楽しむオタク人種も少なくない。
 ターゲットの周囲を徘徊(はいかい)しても不審がられずに闊歩(かっぽ)し、あるいはハイテク機器を遣(つか)って、窓際や雨戸越しに、音声などを送信する技術も持っている。知能戦では彼等に太刀打ちできないのである。

 目紛しく変貌を遂げる現代社会にあって、時代の流れが激しくなれば、高速回転をする遠心分離器的な社会から、必ず弾き出される粗悪品が出て来るものである。それが社会と順応性を持たない性格粗暴者であったり、精神異常者であったり、変質者であったりする。

 警察庁(国家公安委員会の管理に属し、警察庁長官を長とする警察に関する中央の機関)の犯罪白書によれば、幼児や婦女子の社会的弱者に対し、強制猥褻(きょうせいわいせつ)事件や誘拐事件が増加の一途にあると言う。
 野生動物は、満腹になれば他のエサとなりうる草食動物が近くに接近しても、無闇に襲ったりはしない。また、犯罪はこれまで貧困層が起こすものだと考えられていた。

 ところが昨今は、貧困層が喰うに喰われぬ事情から起こす犯罪は激変し、これまで犯罪とは無縁と思われていたホワイトカラー層のチカンなどの強制猥褻行為が増え、これまで犯罪の原点と思われていた「貧困」からは、実に程遠いものとなっている。
 いっぱしの経済的上位階層でありながら、貧困とか環境の悪さとは無縁であり、それでいて、高い地位を占めている実業家や政界の名士と謳(うた)われる政治家が、上流の階級にありながら、刑事訴追をされるような犯罪を犯す事件が多発している。

 一般的に見て、犯罪は貧困と環境悪化によって、犯罪が引き起こされると考えられて来た。ところがサザランド(アメリカの犯罪学者エドウィン・H・サザランドが1939年に命名した「ホワイトカラー犯罪」は有名)は、こうした従来云われてきた犯罪人口の大部分の、経済的困窮者が起こすと言う、下層階級の環境悪化を原因とする犯罪心理を覆(くつがえ)して、善良なサラリーマンの仮面を被った、中流以上の階級の人間も、時として犯罪に身を染めると指摘したのである。

 並みの人間、普通と表される人間、「善良な市民」の一員などと、裁判所の定義事項にランクされるこうした善良な市民は、時として荒れ狂い、人間の欲望原理を逸脱した、「常識」を超える不可解な行動をとる事があるのだ。
 「中流」の人間にランクされるホワイトカラー族の特異性や意外性は、したがって、大悪党のそれを大きく上回る、凶悪犯罪を平然とやらかしてしまう点である。
 こうした犯罪の背景には、「心が満たされない」という現実がある。そして社会的弱者を傷つける傾向が増えているのである。これこそ動物にも劣る行為である。

 こうした犯罪の温床の背後には、物質的には豊かになりながら、心の貧困が増幅させる、現代社会そのものに問題があると言えよう。精神的価値観が見失われ、物質的価値観を尊重するあまり、誰もが目紛しく変化する現代社会の中で、心の不安を覚え、心の病んだ時代を、現代人は自ら招き寄せたとも言える。見方を変えれば、ストーカー犯罪は、その影に脅(おび)える被害者の心の影が、加害者を誘引しているとも言えるのだ。

 また過剰な動蛋白摂取の乱食は、性腺を異常刺激する病因を作り出し、青少年の排泄機能を狂わせるばかりでなく、早熟者をも増加させているのである。
 これらはピック病(初老期の40〜60歳にかけて好発する痴呆疾患の一つで、最初は人格変化が目立ち、日常生活活動に錯誤や困難が起こる)や脳血管障害を起こし、一時的に起る性欲の亢進(神経・脈搏などが高ぶる)や、大脳皮質の萎縮に伴い、下層の本能が剥(む)き出しになって抑圧力の低下が起り、これが人格の幼児化現象にもなっている。そしてこの背後には、日本社会が急速な勢いで欧米社会の後を追いかけ、食生活が欧米化したという元凶が横たわっている。


指向タイプ
ストーカー犯の行動律と動機 
詳細型
狙った相手の一切を事細かに知りたがる。
独占型
独占欲が強く、狙った相手を友人や家族から隔離したがる。
嫉妬型
嫉妬心が強く、自分以外の異性について関心を持ち、叱責と質問を浴びせる。自分の愛する者の愛情が他に向くのを恨み憎む。
社会不適合型
社会生活に馴染めず、無口で、友達が殆ど居ず、孤立している。
自尊心過剰型
やたらに自尊心が強く、また他人に対して劣等感を持っている。
メディア型
メディア関連異常な興味を示し、高度な技術を熟練している。
注目願望型
他人から注目されたい。世の中をあッと言わせたい。自分を認めて欲しい。有名人と同じように振る舞われたい。
虐待後遺症型
幼児期に親から暴力を受けて虐待されたり、小・中.高校で苛めにあっている。


 ストーカーは弱味に取り憑(つ)く型で、巧妙に取り憑いて来る事が多い。真っ向から、立ち向かっても叶わないと知っているからである。だから弱味に付け込もうとする。
 彼等の「読み」は、ターゲットの相手が、被害を自分で解決しようと、焦る事を期待する。相談者の出現以前に、初期的な措置や対策を取れないようにしてしまう。そして被害者が自らが墓穴を掘り、傷口を拡げてしまう事を期待している。先手必勝を封じて、雁字(がんじ)絡めにしてしまうのである。

 では、その禍根(かこん)は何処に始まったか。
 まず、女性側の断わり方が下手な場合が挙げられる。次に、別れ方が下手だったり、曖昧(あいまい)な宣告をしたり、「わたしよりも、もっと良い相手をみつけて」などというと、相手の感情を逆撫(さかな)でし、刺戟する事になる。それが、後々に禍根を残す事になる。

 蹤(つ)け廻す事に異常な執念を持つ。離れず近寄らず、一定の距離をおいて付き纏(まと)い、厭(いや)がらせをする。あるいは脅迫し、暴行に及ぶ。そして以上を執拗(しつよう)に繰り返す。遠くから尾行し、あるいは偶然を装って、突如、日常生活の中に顕われる。被害者の情報を得る為に、被害者の交友関係に目を付けたり、周囲の人間に接触し、プライバシーに介入しようとする。

 だが、こうした暴力と歪んだ愛に、ただ脅え、被害者の権利を主張するだけでは問題消滅にはならない。故意による、連続的な厭がらせや、強迫から身を護る為には、最後まで怯(ひ)るまずに戦うべきであろう。毅然(きぜん)とした態度を貫くべきであろう。こうした精神の支柱が出来てこそ、前向きの、問題消滅への第一歩となる。

 毅然とした態度が取れなければ、精神的支柱も威力の無いものになってしまう。お礼参りや仕返しなどの報復を怖れていては、泣寝入りしか手はなく、したがって悪事を黙認し、それを甘受しなければならなくなる。それが嫌なら、前向きに戦うべきであろう。
 ストーカー犯の、卑劣な行為に、忍従するだけでは意味がない。女性も、夜叉(やしゃ)と変化する必要があるのだ。

 ここで言う「戦う」という行為は、護身術などを駆使して、加害者と取っ組み合う事ではない。加害者を徹底的に無視する事も一つの手であろう。距離を置き、何処までも気付かぬふりをし、それでいながら、敵の動きをよく観察する事だ。
 ストーカー犯に付け狙われる被害者は、蹤(つ)け狙われるだけの必然が自分の裡側(うちがわ)にある。それは周囲を見回し、人を検(み)る観察眼がない場合、このタイプの女性は、その隙(すき)を狙われて蹤け廻される事が多い。ストーカーは無差別に襲って来ると言うものではない。ストーカー犯を少しでも増長させれば、そこから一気に雪崩れ込んで来る。彼等は、肉食獣的と同じく、隙があり、手軽で襲い易い相手しかターゲットにしないのである。

 したがって、こうした隙を作らず、被害の必然から解放されなければならない。同時に危険を回避する最低限度の術も、身に着けて置くべきだろう。しかしこれは、力で加害者と取っ組み合うものではない。
 安全を第一に考えなければならないが、安全圏にいて、脅えてばかりでは、問題の消滅には繋がらない。

 理論派の思考として、「前向きな戦い」が総てではないという意見があるが、これは「お礼参りや仕返しを派生させるかも知れない」と言う憶測で、こうした論理を掲げる事が多い。それは「原因」から「結果」という順序で物事を考えているからだ。
 だが現象界は、原因の次に結果が来るとは限らない。むしろ結果に応じた原因が派生し、これが因縁として、必然的に現象が起こっているという事である。

 だから、「裏目に出る」などと恐れるのはナンセンスであり、自分で出来うる限りの対策を考えて、それを実行し、「他力一乗(たりきいちじょう)」をもって、後は「出たとこ勝負」に出る事だ。対策を立てる前から、「裏目に出るのでは?」などと消極的な策を立てると、その策は、相手の思う壷になってしまうからだ。

 日本人は、戦後平和主義教育の中で、「無抵抗主義」を学んだ。
 だが、無抵抗でいれば、更に相手を増長させる事になるのは明白である。無抵抗主義では、無慙(むざん)に殺されてしまうのだ。これを肝に命ずるべきだ。
 例えば、家に、強盗に入られ、金品が奪われ、妻や娘が夫の前で強姦され、この夫が無抵抗主義に徹し、何もせずに暴力を好き放題にさせ、強盗が退却する際に「赦(ゆる)す」などと言ったら、この人は、親戚や近所の人から一生涯「笑い者」にされるだろう。戦うべき時機(とき)に戦わず、怒るべき時機に怒らなかったからである。
 昨今は、「無抵抗主義」を口先で口走り、「逆らわない手合い」の腰抜けが増え続けている。進歩的文化人もこれを後押しする。

 ストーカー常習者は、些細(ささい)な事で、直ぐ切れてしまう人種だ。爆発し易い現代人の性向を有している加害者なら、こちらだって怒るべき時機に、「怒るべき」である。怒る時は、無分別に義憤(ぎふん)を爆発させるべきである。消極的な加害者主導では、最後は命まで取れれかねないのである。

 警察庁の白書によれば、「最初から、暴力に対して、あくまで抵抗すると決心して、戦った人は、軽いケガくらいはしても、決して殺されたり、強姦されたりはしないものだ。また、どんな弱い人でも、自分自身を最後まで、命を賭けて護ると決意する人は、確かに刃物で襲われた場合、ケガはするが、命までを失う結果にはならない」と述べている。

 喩(たと)えば、街の路地裏で強盗に遭ったとしよう。
 その時、激しく抵抗し、大声を出す人と、全くの無抵抗で金品を奪われ、犯人の為(な)すがままに任せた人とでは、結果はおのずと違ったものになる。
 日本人は戦後の平和教育の中で「無抵抗主義」を学んだ。抵抗しない事が「第一だ」と学校で教わった。果たしてガンジーの非暴力に徹した無抵抗主義を模して、無抵抗に徹底する事で、強盗犯人は、これに感激して、何も奪わずに引き揚げて行くであろうか。

 むしろ、激しく抵抗し、犯人に傷つけるかも知れないが、その危険性を顧みず、あくまで抵抗する方が、逆に強盗に犯行を断念させ、何も奪われなかったという例の方が圧倒的に多いのである。

 これは強姦事件でも、同じことが言える。
 アメリカなどで起こる強姦事件を見てみると、ナイフやピストルを突きつけられて脅され、無抵抗のままで強姦された場合、その後は、必ず殺される結果を見ても明らかである。

 日本でもこの種の犯罪が多くなり、女子大生などが殺されて、山中に埋められるという事件が起こっているが、殺されるに至った経緯(いきさつ)は、余り知られていない。またニュースでも、こうした経緯を報道する事はない。
 しかしその背後には無抵抗のまま、犯人の暴力と脅迫に屈して、強姦をされ、貌(かお)を覚えられたから殺されたという真実があった。ただ殺されて、山中に埋められたという事ではない。
 まず、抵抗する事が先決であり、これなくして生還の道は閉ざされる。

 かつての別れた愛人が、執拗(しつよう)に女性を蹤け廻すストーカー行為も、実は無抵抗で、何もしないからであり、無抵抗に徹する事が、こうした最悪の事態を招くのである。
 したがって「抵抗する」訓練は、常日頃から身に付けるべきで、新聞などを見ても、無抵抗に徹した人は、殺される事が多く、あくまで抵抗したり、大声を上げたり、騒いで逃げ廻った人は殺されずに助かっている。
 まず、死なずに生き残る「生存術」を学ぶべきであろう。

 文明は科学的に高度になり、 時代の進み方のテンポが加速度的に早くなると、世の中の動きは「遠心分離機化」する。遠心分離機が加速度を上げて、高速回転を始めると、その中から、必ず弾(はじ)き出される性格粗暴者や精神異常者は、その数を急増してくる。
 今日の凶悪事件や青少年の犯罪低年齢化は、こうした、高速回転による遠心分離機化と、科学万能主義の皺(しわ)寄せの結果である。

 何故、人が荒れるのか。何故、人が切れるのか。
 精神異常者、性格粗暴者、変質者、ストーカー、その他の犯罪保菌者の急増。そして今日、多発する犯罪は、かつての貧困が全く原因でない。その原因は、別な次元の、心の悩みを抱えている。
 これら、世情を不安に陥れる、昨今の不穏な事件の連続的連鎖反応は、今日の科学万能主義の皺(しわ)寄せである。

 そして常習性を備えたストーカー犯は、些細(ささい)な事で爆発しやすい現代人の性向を有している。しかし彼等が爆発したからといって、素手で絞め殺したり、蹴りや突きの一撃で人間を殺す程の凄い術は身に着けていない。
 ストーカー・オタク群の専売特許は、バタフライ・ナイフなどを所持していて、弱者に刃物で脅し、自由を奪う事である。自由にならなければ、最後は刃物で殺傷する事が多い。

 ストーカー・オタク群が女性を襲うとしたら、素手ではなく、ナイフである。彼等が所持するのは、アウトドア・ショップや登山用品店や金物店で買えるナイフ類である。大型のスポーツ・ナイフも、殆どこうした店で買える。
 精神病院を出たばかりの退院者でも、金さえ出せば、こうしたナイフ類は簡単に手に入れる事ができる。したがって、刃物に対するガードを真剣に考えるべきであろう。
 ストーカー被害者が殺害される場合、その暴行は刃物によって行われているからだ。
 ストーカーの被害者として、もし、あなたが殺されれば、警察は犯人を捕まえるだろうが、それで死んだあなたは生き返るわけではない。

 また、犯人が検挙され、事件は一件落着を見ても、被害者としては何とも納得のいかない結末を迎えるだろう。殺害されれば、これに対して、最初は世間も同情してくれよう。ところが、殺人事件が日常茶飯事に起っている日本では、三ヵ月も経たないうちに忘れ去られるのがオチだ。そしてその後、あなたの家族は一家離散(いっかりさん)の運命を辿る事になる。

腕を逆に捕れば、相手を簡単に吊り上げる事が出来、大切な臟噐を収める腹部を刺される事はない。

手根骨には、8個の骨が並んでいる。犯罪者の、この骨を動かす事によって、暴力を封じる事が出来る。 刃物に対する防禦法だけは真剣に考えるべきである。刺されて殺されれば、文字通り、「殺され損」になる。
「素手」対「ナイフ」の技術

 そんな悲劇に見舞われるのが厭(いや)ならば、襲われたら、即、反撃出来るくらいの必要最小限の、「素手」対「ナイフ」の技術を身に着けておかねばならないのである。特に腹部は、大切な臟噐が収まっているので、この部位は非常に脆い。刺されれば、死亡するか、一命を取り留めても、重い後遺症が残る場所である。
 そしてストーカー犯は、生まれつきの先天的な素質を持っている者が少なくない。それが病理としての犯罪保菌者か、あるいは後天的な社会環境によって育てられ、潜伏していた陰性保菌が、ある刺戟を受けて反応し、それが表面化した場合、過去の習気(じっけ)の因縁に沿って、ストーカーに変貌すると《癒しの杜の会》では分析している。


 先天的な保菌要素は、その人間を形成している過去世(かこぜ)から引き継ぐ習気(じっけ)である。この習気は、性格の基盤を形成し、その枝葉として、習癖や性癖、気質や性質があり、これ等は「固有の性格」となって、心を構築しているのである。
 したがって、人間の「性格」というものは、絶対に変わらない。それは性格が、心を過去世から引き継いでいる為である。もし、ある人の性格が変わったと思えるのは、それは性格が変わったのではなく、考え方や物の見方が変わったに過ぎない。しかしこうした末尾を捉えて、「性格が変わった」と錯覚する場合が多い。しかし、性格は絶対に変わらないのである。

 人間の性格と言うものは、過去世からの古い習気で成り立っている。この性格に、矯正を施しても、教育を施しても、それは全く効果が無いのである。過去の様々なものを刻み込んだものが心であり、性格であるのだ。
 したがって、心が所有する性格は、ある時代から、次の時代へと受け継がれた、「連綿性」を有したもので、この連綿性こそ、有力な「心の性格」の証拠なのである。

 アメリカのある犯罪研究所では、凶悪事件に関わった有名な犯罪者の脳をホルマリン漬けにして、保存していると言う。これは犯罪者の脳を研究材料にして、「なぜ犯罪が起るか」と言う原因を調べる為であると言う。
 しかし、幾ら脳を調べても、犯罪に関わる物質は発見されるわけがない。何故ならば、人間が悪事を働く場合に、悪事に関与させるのは脳ではなく、人間の心が悪事に傾けるのである。つまり、その人間の過去世から引き継いだ「性格」である。

 脳は犯罪を犯さない。心が犯罪を犯すのである。勿論この時、脳のある一部が病変して、それが起因となって、犯罪を犯す場合はありうる。しかしこの場合は、犯罪者ではなく、精神異常者である。いわば精神を病んだ病人だ。
 もし、人間の脳に心が存在し、脳が犯罪を犯すのであるならば、犯罪を起因させる部位を外科手術で切除し、ついでに神に近い聖人の、善を為(な)す部位を移植すれば、その犯罪者は忽(たちま)ちのうちに、聖賢君子へと変貌するであろう。ところが脳は、何処を探しても犯罪者を作り出す部位は存在しない。脳は、単なる記憶装置であり、この記憶装置が、心の性格を司っているのではない。心は機能によって、動きを生じさせるのである。

 人間が「この世に生まれでる」と言う行為は、古い肉体を脱ぎ捨てて、新しい肉体を獲得し、その中で魂を磨き、育てる為である。したがって新しい肉体には、新しい脳が附随されている。しかし新しい脳に入る、心と言う性格は、過去世の古い経験を持ったまま、固有の性格となって刻み込まれる。したがって人間の本質である性格は、そう簡単に変わらないし、また、変わる事もない。心は機能だからだ。

 ストーカーと言うオタク人種が、生まれつきの素質をもって、この世に存在している事は、以上の事からも明白である。また警察白書にある通り、最近の犯罪は、年々凶悪化する傾向にある。最近の特長としては、バラバラ殺人事件、死体遺棄事件などであり、こうした凶悪な犯罪傾向は、脳の記憶装置が犯罪に関与しているのではなく、過去世からの心の性格が、犯罪に関与していると言う事を物語っているのである。