暴力を奮う夫をどう救えばいいか (無料相談室宛 29歳 主婦)
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まず、回答する前に、ズバリ言えば、あなたの御主人は小心者である。
非常に「気の小さな男」であるという事が分かる。暴力を奮う事そのものが、小心者の証(あかし)のだ。 強い男は、絶対に酒で現実逃避はしない。一時的にはそうあっても、直ぐに自分の非に気づく。直ぐに立ち直る。 現象界は、圧力を受け、抵抗し、圧力の力に耐える事ができれば、その耐えた方の力は、より強力になると言う現象が顕われる。これは殺虫剤を見れば一目瞭然である。30年前、20年前の殺虫剤の殺虫能力は、今日使用しても殆ど効かないのである。 |
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唖門宮は東洋医術では「唖門(あもん)」と言う名前で知られ、督脈(とくみゃく)の経絡線上の経穴で、ここは後頭部の温中枢(おんちゅうすう)や冷中枢(れいちゅうすう)を司さどる処である。ここに邪気・外邪(がいじゃ)が侵入すると、体内の温度調節をするサーモスタット(thermostat/温度に応じて熱源を制御し、自動的に調節する装置)を破壊してしまう。 ここが壊されると、まず反射的に毛穴の立毛筋(りつもうきん/皮膚の中にあり、毛根に付着する筋肉。収縮すれば皮脂腺(ひしせん)を圧して分泌を促進し、また、毛髪を直立させ、粟肌を生じさせる)が収縮して、鳥肌が立つような状態が起こり、体内より気が逃げる阻止する。命の門が「命門」(めいもん/《督脈》の経絡上にある経穴で、まさに命の門であり、腰冷え現象をを起こす。これはやがて頑固な腰痛となる。腰の悪い人は憑衣されていると観(み)て差し支えない)、外邪の風の門が「風門」(ふうもん/東洋医術で言う《足之太陽膀胱経》の経絡上にある経穴)、毛穴の門が「気門」(きもん/毛穴を開いたり閉じたりする「門」で、自律神経系の支配下に入る)なのである。 外邪が侵入すると、これらの三つの門の中枢機能が破壊されて、バランスを失う。初期の状態であれば自律神経失調症であるが、深刻な状態になると神経症から「鬱病(うつびょう)」へと病変する。体内の温度調節をするサーモスタットを破壊されているから、体温がどんどん上昇したり、あるいはどんどん下がったりもして、体温調節が出来なくなるのである。精神分裂患者が、暑い日に毛皮のコートを着込んだり、寒い日に半袖一枚でいるというのは、体温調節が出来ないからである。 酒乱の人間も、酒が入ると衣服を脱ぎ人間が多い。特に日本酒を飲む人間に、この類(たぐい)が多い。本来日本酒は、陰性の食品である。だから燗(かん)をつける。しかし燗なしで飲めば、躰は冷えて体温はどんどん下がる。それなのに、暑いといって服を脱ぐ。これは体温調節が出来ない為で、サーモスタットが破壊されているからである。憑衣され、これが酒乱に至るメカニズムである。 したがって憑衣霊は、何かに苛立(いらだ)ちを覚え、焦りを覚え、不満を覚え、不服を申し立てて、切羽詰まった小心者に取り憑く現象である。あなたの御主人は、まずこのタイプの憑衣である事は間違いない。 しかし、未(ま)だ救われるところは、喰うや喰わずで、夫婦関係が繋(つな)がっていると言うところに、その「やり直しのチャンス」が残っている。悪く言えば、「中途半端」であり、ドン底にも堕(お)ちていないし、かといって、浮き上がる気配も見えない。要するに「曖昧の真っ只中」に置かれているのである。 そこで善後策だが、思い切って御主人を突き放す事だ。 会社の命令で出向させられたくらいで、不満を並べ立てて、めそめそし、それで軋轢(あつれき)を感じるのなら、出向命令を出されるグループにも洩れてしまった、リストラされた人はどうなるのか。彼等の苦悩の方が、遥かに大きい筈だ。出向と言う形で、馘(くび)が繋がっている方が、まだ増しではないか。 あなたの小心者の御主人を、「真っ当」にさせる為には、あなたが「離婚をほのめかす」か、思い切って子供さんを連れ、実家などに戻り、「別居する」ことだ。 まず、こうした小心者の人間の性根を叩き直すには、一度突き放し、ドン底に落してしまう事だ。 現在、酒癖が悪いと感じるのは、要するに「あなたに甘えている」のであって、自分の気持ちを、あなたに暴力を奮う事で、紛らわそうとしているのである。また、本人もこのような事をしても、どうにもならないと分かっている筈だ。遣る瀬ないのである。そこが小心者の所以。 小心者は、こうした幼児並みの反抗をして、母親に甘えるように、実は中途半端な現実逃避を行っているのである。 こうした小心者に、本当の勇気を与えようとするのならば、先ずあなたが、可哀相などと絶対に思わない事だ。未練を引き摺ずった同情は禁物である。きっぱりと撥ねつけ、丸裸にし、ドン底に叩き落とす事だ。 追い詰められて、二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなったところで、本当の希望が見えて来る。 だが、御主人の酒癖の悪さに、途方に暮れながらも、これに甘受すると言う中途半端な態度は絶対に宜しくない。 御主人の酒癖の悪さを甘受し、殴られても、蹴られても、これに我慢すると言ったあなたの態度は、決して褒(ほ)められたものではない。あなたはこれが、愛する者への「従順な愛」と思っているかも知れないが、これは間違いだ。 また今の心境を、ただ「忍従すれば」というような甘い愛情を、御主人に抱いているかも知れないが、こうした愛は、愚かな溺愛(できあい)でしかない。 したがって、一度は御主人を捨ててみるべきだ。捨てなければ、本物の御主人を掴むことができない。 世の中で、自分の物は何一つないのである。 あなたの御主人も、あなたの二人の子どもも、実はあなたのものではない。あなた達夫婦で建てたマイホームも、マイカーも、今の地位や境遇も、住空間も、生活環境も、決して自分の物ではない。自分の物だと錯覚しているだけである。 その証拠を提示しよう。 例えば、あなたがた夫婦が2年前に建てたと言う、マイホームだ。 これすら実際には、「登記済権利証書」の名義は御主人か、あなた達夫婦の共同名義になっているかも知れないが、大ローンを払い続けている間は、決してあなた達のマイホームではない。 では、誰のものか。 それはあなた方のマイホームを建てる為に、住宅公庫から金を貸し出した銀行のもの、あるいは根抵当権(ねていとうけん)を付けた、一番抵当設定権や二番抵当設定権をもった債権者のものだ。 債務者にはマイホームと言う、「自分の物」という権利は何処にもない。固定資産税を払っているからといって、自分の物ではない。完全に、最後の一円まで払わなければ、法律上あなた達もものにはならないのである。 したがって大ローンで建てたマイホームは、あなた達夫婦の「資産の部」に入るのではなく、「負債の部」に、借金として計上されるべきものである。 しかし、此処(ここ)にも落とし穴がある。 最後の一円まで、全額払い終り、晴れて抵当設定権が抜け、もう何処の債権者にも一円も支払わなくて済むようになったとしよう。しかし、完全に自分名義のマイホームにも固定資産税が掛かり、こうした税金は、土地面積と建物の容積に応じて毎年徴集されるのである。 そして、もし固定資産税が払えなくなったらどうなるか。 競売(けいばい)物件として売却されてしまうのである。 固定資産税の支払先は、土地・家屋・償却資産の所有者に対し、その価格(評価額)を課税標準として、固定資産所在の市町村が課する地方税であるが、有事(わが国は、有事の際、有事立法と言う法律が適用される。事態に迅速かつ強力に対処するために、通常、権力の集中と広範な人権制限を伴う)の際には、マイホームの敷地や建物は国家が管理するようになっている。 有事の緊急事態が起こり、外国の侵略を受けた場合、そこに作戦司令部などを臨時に置かなければならなくなった時、もしあなたのマイホームが、作戦司令部域に含まれれば、立退を余儀されてしまうのである。これが「有事立法(日本では、特定の緊急事態に対処するための制度は警察法・自衛隊法・災害対策基本法などに定められている)」という法律だ。 この世に、自分の物など何処にもない事が分かるであろう。 更に言えば、自分自身の肉体すら、自分のものでないのである。名誉も地位も自分の物ではないのだ。 しかし人間は、自分の物が全く無いことに気付き、落ちるところまで堕(お)ち、もう自分には捨てるものが何もないと思った時、自然界の根源を動かす可能力(dynamis/デュナミスで、発展して形相を実現しうる可能性)が突然、動き出す仕組みとなっている。どんな人間でもドン底に墜ちれば、そのドン底から、何か新しい「希望の光」を見つけるものだ。 希望に溢れ、歓喜を伴い、「出直しを決心した人間」程、憑衣霊がもっとも苦手とする人間なのである。 以上の事をよく理解し、御主人を突き放してみるべきだ。 この小心者が、その殻(から)を脱ぎ捨てて、勇者になるか、あるいは益々小心者の殻に閉じ籠(こも)って、戦々兢々(せんせんきょうきょう)とし、酒浸りの人生を選択するか、あなたの愛している御主人が一体何者なのか、その正体を見極める義務がある。 もし、あなたが一旦捨てて、益々酒浸りになり、アル中になって精神病院でも入院する羽目になれば、結局あなたはその程度の人間を「人生の伴侶(はんりょ)」に選んだと言う罪が免れない。あなたの「先見の明」がなかった事に責任を取るべきであろう。 霊的世界では、夫婦の責任とは、かくも厳しいものなのである。責任を取らなければ、それは来世へと継続され、罪業(ざいごう)として残る。 また、「男のダイナミズム(dynamism/可能性や力強さ)」を、当時のファッションに流されて、姿形(すがたかたち)で判断し、マスクに魅了されてハンサムだからとか、スマートで背が高いからとかの理由で、御主人を選び、外見から入って、御主人に恋心を抱いたのならば、これも実体を正しく見据える事が出来なかったとして、あなた自身、その責任を追求されなければならない。現行法での責任は全く皆無であったとしても、あなたにその責任が、霊的に発生する事だけは覚悟しておかなければならない。霊的には間違いなく処罰されるのだ。 だから一度「捨てれ」とアドバイスしている。 人間は、何もかも捨てて、何も捨てるものが無くなった時、臆病者でも勇者に変わる。小心者でも、真の勇者になる事が出来る。 だが、捨てるものがありながら、それを後生大事に持っていては、永遠に小心者の殻から抜け出す事は出来ない。捨てて、出直す事だ。 幼子の前で、妻に手を挙げるような弱い男は、男でない。人間のクズだ。即刻別れるべし。ここまでの覚悟がいる。この決断こそ大事だ。 そして御主人が本当にその程度の男だったら、あなたも、小心者の正体が見抜けなかった罪で、即刻責任を取るべし。罰されるべし。 今私が、声を大にして言えるアドバイスは、それだけである。 |