会員の声と相談者の質問回答集4



暴力を奮う夫をどう救えばいいか (無料相談室宛 29歳 主婦)

 一歳上の、主人の酒癖の悪さと、暴力に泣かされています。
 しかし以前は、近所の人も羨(うらや)むような、蜜月の時があり、わたしたちは恋愛によって結ばれ、幸せでした。そして念願のマイホームも、2年前に手に入れました。
 その時も、とても幸せでした。その頃の主人は、ほれ直すくらいに溌溂(はつらつ)としていました。仕事が順調にいっているようで、生き生きと輝いていたのです。

 ところが、半年ほど前から「勝ち組から外された」といって愚痴(くち)をこぼし始め、仕事への意欲も失い、お酒の度が過ぎて、度々暴力を奮うようになったのです。
 でも、暴力を奮ったからといって、主人への愛は醒(さ)めたわけではありません。今でも本当に愛しているのです。

 普段はおとなしくて優しい主人なのですが、一旦酒が入り、酩酊(めいてい)が始まる頃から、徐々に愚痴ぽくなり、わたしを前に坐らせて、難癖をつけはじめるのです。

 坐る事を拒否したり、反抗すれば、「その目は何だ!」「その態度は何だ!」と、更に怒鳴り、やがてはわたしに向けて物を投げ付け、暴力を奮うのです。

 わたしには五歳の幼稚園に通う女の子と、二歳の男の子がいるのですが、最近は子どもの前でも暴力を奮うようになり、どうしたらよいか、思案に暮れています。

 それと言うのも、半年くらい前から、主人は会社から出向を命ぜられ、出向先で大変厭(いや)な事が起っているそうで、家庭を支える事と、仕事との板挟みになっているようです。こうした話を時々話しますが、主人にも同情する点があり、一概に主人を責めるわけにもいかないというのが今の実情なのです。

 そして出向を命ぜられて以来、これまでは嗜(たしな)む程度に飲んでいたお酒も、最近では量が度を過ごす事もあり、このままでは酒乱になるのではと心配しています。
 この状態から、何とか主人を立ち直らせてやりたいのです。
 今の、こうした状態をどうすればよいか、教えて頂きたいのです。



回 答

 まず、回答する前に、ズバリ言えば、あなたの御主人は小心者である。
 非常に「気の小さな男」であるという事が分かる。暴力を奮う事そのものが、小心者の証(あかし)のだ。

 強い男は、絶対に酒で現実逃避はしない。一時的にはそうあっても、直ぐに自分の非に気づく。直ぐに立ち直る。
 しかしあなたの御主人は、こうした強い男ではない。単に、ベビーブーマー(団塊の世代)の母親から、過保護に、甘やかされて育った脆弱(ぜいじゃく)な男性とお見受けする。そしてあなた達、団塊の世代ジュニアは、当時、新人類として持て囃(は)され、軽いフィーリングで相思相愛の恋愛結婚に至ったとお見受けする。これも当時の時代背景かも知れない。
 そのため団塊の世代のジュニアの夫役に「甘ちゃん」は多い。

 要するに、あなたの御主人は「内弁慶」なのだ。「ヤワ」なのだ。
 逆に、良い点を挙げれば、小心なだけに、一般的には可もなく不可もなく、マイホームを愛する「裁判所の定義する善良な市民」という事であろう。
 だが、最近はこの「善良な市民」が、思い掛けない事件を起こし、殺人事件や傷害事件に発展するケースも増えいるという。

 そこで現在のあなたがた夫婦間では、この本題に向かうかも知れない「序曲」というか、「つゆ払い」というか、こうした現象が表面化して来たともいえるのである。

 では、これは何が原因かと言うと、「夫の暴力」と「酒乱傾向」は、一種の憑衣現象と考えられる。つまり、あなたの御主人には、別の唸(ねん)をもった意識体が憑衣しており、これが酒に趨(はし)らせ、暴力を奮うと言う現象を起こしているのだと思われる。
 小心者の人間には、時として憑衣現象がよく起る。小心なる性格が故に、非常に取り憑き易いのである。

 さて、人間の性格と言うものは、過去世(かこぜ)の因縁と、過去世の性格をそのまま背負い込んで、現世に生まれてくる。過去世から引き継いだ性格を習気じっけ/性格や性癖、嗜好や気質などの固有の性格)という。この性格は決して変わらぬし、これから逃れる事も出来ない。これこそが魂の本体とも言える。

 人間が酒乱になり、暴力を奮うと言う現象は、過去世の心の性格の上に、何等かの霊が憑衣したものである。

 もう何年の前の事であるが、普段は酒が飲めない青年が、同僚に誘われて、何の気無しに居酒屋へ行き、普段は全く酒が飲めない体質の「下戸(げこ)」でありながら、ある時間が来ると、無性に酒を呷(あお)りたくなるという状態になったのである。それから居酒屋やスナックへ出入する毎日が続いた。

 人間現象界では、下戸で酒が飲めない人が、何か厭(いや)な事があって、無理矢理、酒を呷(あお)ると、「酒乱」へと変貌(へんぼう)する現象が起る。あなたの御主人も、こうした現象が始まったのかも知れない。

 さて、その青年は、夕方のある時間になると、急に酒が飲みたくなり、居酒屋へと足を運ぶのである。こうした毎日が続いていた、ある日の事である。
 この青年と、来店した客が、自分の肩を触(さわ)った、触らぬと口論になり、殴り合いの喧嘩(けんか)が始まり、乱闘騒ぎを引き起こしたのである。そして普段は酒が飲めず、非常に大人(おとな)しい青年が、腹いせに、調理場から刺身包丁を持ち出し、肩を触ったという相手を刺し殺してしまったのである。

 普段は穏和で、大人しい青年が、ある時間になると大酒呑みになって、突然、切れてしまい、相手を刺してしまったという事件は、最近よく耳にする事である。余りにも、殺人事件が多過ぎて、新聞やテレビで報道しないだけである。こうした事件が、日常茶飯事化されていると言う事だ。

 この場合、この青年の命令系統は、二つあったと考えられる。
 一つは憑衣されて「飲め飲め」と促した霊と、もう一つは霊と対峙(たいじ)して「本当は飲めないんだけれど」と断わり続ける本来の「自分の本体」との葛藤(かっとう)である。両者は相反する行動で、結局、どちらかの命令系統が強くなり、自分は「やはり飲めない」と本体の意志が強ければ、飲まない方に傾くであろうし、「飲め飲め」と薦める霊の命令が強くなれば酒乱に走り、殺人事件まで起こしてしまうのである。
 これが酒乱の典型的な憑衣現象である。そしてこうした場所に出て来た霊は、やはり「アル中で死んだ人の霊である」と考えられる。

 だが、こうした霊が憑(つ)いているからといって、安易な選択をしてはならない。
 特に、浄霊・除霊を謳(うた)った祈祷(きとう)などは以ての外である。アル中の霊は、三流祈祷師が祈祷したくらいで、簡単に落ちてしまう程、ヤワではないのだ。

 世の中には、自称「霊能者」と名乗る連中が、そこら中に居る。
 あるいは「祈祷師」と自称する新興宗教崩れの商売人も少なくない。こうした輩(やから)に依頼して、祈祷したところで、全く効果が無いという事である。仮にそうした能力者が居ても、酒乱から離れられる持続期間は、せいぜい2、3ヵ月足らずで、結局は旧(もと)の木阿弥(もくあみ)に戻るのである。

 しかし、忘れてはならない事は、取り憑いたアル中者の霊は、祈祷が「完全消滅」を祈願したものでない為、祈祷が行われた当時は大人(おとな)しくするが、その威力が徐々に薄れて来ると、抵抗力を増して、増大化するのである。

 現象界は、圧力を受け、抵抗し、圧力の力に耐える事ができれば、その耐えた方の力は、より強力になると言う現象が顕われる。これは殺虫剤を見れば一目瞭然である。30年前、20年前の殺虫剤の殺虫能力は、今日使用しても殆ど効かないのである。

 農薬にしてもそうだ。30年前、20年前の農薬は、現代の農業では害虫駆除が全く通用しないのである。だから、現代は30年前、20年前より、もっと強力な農薬が遣われている。実に大地の土壤汚染は、こうした処に自然破壊の元凶が横たわっているのである。

 薬にしてもそうだ。
 いま、医療現場では、「薬が効かない」という現象が起こっている。
 また、細菌性の感染症では、細菌が抗生物質によって、耐性(たいせい)を造る為、薬は効力を失うのである。
 耐性は、環境条件や化学物質などに対する抵抗性を指し、特に、薬物などに対して、生物が示す抵抗性である。昨今は抗生物質に対する細菌の抵抗力が増大し、今までの薬が全く効かないと言う現象を起こしている。そしてその張本人は耐性菌である。
 耐性菌は、ある薬物に対して強い耐性を有する細菌である。

 また、薬の耐性は精神分裂病患者の投薬にも顕われ始めた。統合失調症の病名で呼ばれるこの患者は、多くの慢性病に見られるような一進一退を繰り返しながら、段々悪化して行く病気であるが、発病して初期状態で効いていた段々効かなくなってくるのである。次第に強い薬に変わっていき、最後は殆ど効かない状態になって、「自宅療養」の名を以て、退院させられてしまうのである。
 既に、薬が効かないと言う状態が起り始めているのである。

 これと同じ事は、霊現象でも起っている。職業祈祷師が祈祷し、浄霊・除霊した霊は、一時的には大人しくなるが、その後は、これまで以上に強力化するのである。こうして強力になった憑衣霊は三流霊能者では手に負えなくなり、自称霊能者自身が憑衣されて、精神障害を起こしている、この手の商売人も少なくない。また彼等も、精神病院直行なのである。

 さて、性格の大人しい、穏和な人間ほど、こうした霊は取り憑き易く、痴呆症などに罹(かか)る人も、圧倒的に穏和な性格の持ち主で、こうした小心者に取り憑くのである。
 では、なぜ取り憑くのか。

 それは小心者や、気の小さな者や、大人しい性格の持ち主は、押し並(な)べて、精神と肉体活動にアンバランスがあり、本来は一体であるものが分離し易い傾向にあるからだ。
 何か、ちょっとした外圧が掛かると、それに敏感に反応し、困惑し、緊張し、心身ともにアンバランスが発生する。

 正確には、本体を柱として、それに様々な指令を下す、霊体・幽体・肉体の合計四体が分裂状態になるのである。この分裂状態になった隙(すき)に、憑衣霊は隙間の生じた箇所から侵入して来るのである。

 仕事か何かで厭(いや)な事があり、酒で現実逃避して背中を丸め、手酌(てじゃく)でチビリチビリやっていると、外邪がいじゃ/多くは水死霊や横死霊でしかも生前に大酒呑みだった)が、この人の体内に潜り込もうとするのである。
 背中の真中寄りの「風門」ふうもん/足之太陽膀胱経の経絡線上にある経穴)より、スウーッと体内に侵入する。潜り込むと、まず本人は「何か、背中がゾクゾクとする」ような悪寒が疾(はし)り、その後、外邪は唖門宮あもんきゅう/この宮は精気を呼び込む場所として行法者に知られ、閉じたり開いたりする)へと上昇する。


外邪の憑衣・憑霊が起る「風門」と「唖門」

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 唖門宮は東洋医術では「唖門(あもん)」と言う名前で知られ、督脈(とくみゃく)の経絡線上の経穴で、ここは後頭部の温中枢(おんちゅうすう)や冷中枢(れいちゅうすう)を司さどる処である。ここに邪気・外邪(がいじゃ)が侵入すると、体内の温度調節をするサーモスタットthermostat/温度に応じて熱源を制御し、自動的に調節する装置)を破壊してしまう。

 ここが壊されると、まず反射的に毛穴の立毛筋りつもうきん/皮膚の中にあり、毛根に付着する筋肉。収縮すれば皮脂腺(ひしせん)を圧して分泌を促進し、また、毛髪を直立させ、粟肌を生じさせる)が収縮して、鳥肌が立つような状態が起こり、体内より気が逃げる阻止する。命の門が「命門」めいもん/《督脈》の経絡上にある経穴で、まさに命の門であり、腰冷え現象をを起こす。これはやがて頑固な腰痛となる。腰の悪い人は憑衣されていると観(み)て差し支えない)、外邪の風の門が「風門」ふうもん/東洋医術で言う《足之太陽膀胱経》の経絡上にある経穴)、毛穴の門が「気門」きもん/毛穴を開いたり閉じたりする「門」で、自律神経系の支配下に入る)なのである。

 外邪が侵入すると、これらの三つの門の中枢機能が破壊されて、バランスを失う。初期の状態であれば自律神経失調症であるが、深刻な状態になると神経症から「鬱病(うつびょう)」へと病変する。体内の温度調節をするサーモスタットを破壊されているから、体温がどんどん上昇したり、あるいはどんどん下がったりもして、体温調節が出来なくなるのである。精神分裂患者が、暑い日に毛皮のコートを着込んだり、寒い日に半袖一枚でいるというのは、体温調節が出来ないからである。

 酒乱の人間も、酒が入ると衣服を脱ぎ人間が多い。特に日本酒を飲む人間に、この類(たぐい)が多い。本来日本酒は、陰性の食品である。だから燗(かん)をつける。しかし燗なしで飲めば、躰は冷えて体温はどんどん下がる。それなのに、暑いといって服を脱ぐ。これは体温調節が出来ない為で、サーモスタットが破壊されているからである。憑衣され、これが酒乱に至るメカニズムである。

 したがって憑衣霊は、何かに苛立(いらだ)ちを覚え、焦りを覚え、不満を覚え、不服を申し立てて、切羽詰まった小心者に取り憑く現象である。あなたの御主人は、まずこのタイプの憑衣である事は間違いない。

 しかし、未(ま)だ救われるところは、喰うや喰わずで、夫婦関係が繋(つな)がっていると言うところに、その「やり直しのチャンス」が残っている。悪く言えば、「中途半端」であり、ドン底にも堕(お)ちていないし、かといって、浮き上がる気配も見えない。要するに「曖昧の真っ只中」に置かれているのである。

 そこで善後策だが、思い切って御主人を突き放す事だ。
 会社の命令で出向させられたくらいで、不満を並べ立てて、めそめそし、それで軋轢(あつれき)を感じるのなら、出向命令を出されるグループにも洩れてしまった、リストラされた人はどうなるのか。彼等の苦悩の方が、遥かに大きい筈だ。出向と言う形で、馘(くび)が繋がっている方が、まだ増しではないか。

 あなたの小心者の御主人を、「真っ当」にさせる為には、あなたが「離婚をほのめかす」か、思い切って子供さんを連れ、実家などに戻り、「別居する」ことだ。
 まず、こうした小心者の人間の性根を叩き直すには、一度突き放し、ドン底に落してしまう事だ。

 現在、酒癖が悪いと感じるのは、要するに「あなたに甘えている」のであって、自分の気持ちを、あなたに暴力を奮う事で、紛らわそうとしているのである。また、本人もこのような事をしても、どうにもならないと分かっている筈だ。遣る瀬ないのである。そこが小心者の所以。
 小心者は、こうした幼児並みの反抗をして、母親に甘えるように、実は中途半端な現実逃避を行っているのである。

 こうした小心者に、本当の勇気を与えようとするのならば、先ずあなたが、可哀相などと絶対に思わない事だ。未練を引き摺ずった同情は禁物である。きっぱりと撥ねつけ、丸裸にし、ドン底に叩き落とす事だ。
 追い詰められて、二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなったところで、本当の希望が見えて来る。
 だが、御主人の酒癖の悪さに、途方に暮れながらも、これに甘受すると言う中途半端な態度は絶対に宜しくない。

 御主人の酒癖の悪さを甘受し、殴られても、蹴られても、これに我慢すると言ったあなたの態度は、決して褒(ほ)められたものではない。あなたはこれが、愛する者への「従順な愛」と思っているかも知れないが、これは間違いだ。
 また今の心境を、ただ「忍従すれば」というような甘い愛情を、御主人に抱いているかも知れないが、こうした愛は、愚かな溺愛(できあい)でしかない。
 したがって、一度は御主人を捨ててみるべきだ。捨てなければ、本物の御主人を掴むことができない。

 世の中で、自分の物は何一つないのである。
 あなたの御主人も、あなたの二人の子どもも、実はあなたのものではない。あなた達夫婦で建てたマイホームも、マイカーも、今の地位や境遇も、住空間も、生活環境も、決して自分の物ではない。自分の物だと錯覚しているだけである。

 その証拠を提示しよう。
 例えば、あなたがた夫婦が2年前に建てたと言う、マイホームだ。
 これすら実際には、「登記済権利証書」の名義は御主人か、あなた達夫婦の共同名義になっているかも知れないが、大ローンを払い続けている間は、決してあなた達のマイホームではない。

 では、誰のものか。
 それはあなた方のマイホームを建てる為に、住宅公庫から金を貸し出した銀行のもの、あるいは根抵当権(ねていとうけん)を付けた、一番抵当設定権や二番抵当設定権をもった債権者のものだ。

 債務者にはマイホームと言う、「自分の物」という権利は何処にもない。固定資産税を払っているからといって、自分の物ではない。完全に、最後の一円まで払わなければ、法律上あなた達もものにはならないのである。
 したがって大ローンで建てたマイホームは、あなた達夫婦の「資産の部」に入るのではなく、「負債の部」に、借金として計上されるべきものである。

 しかし、此処(ここ)にも落とし穴がある。
 最後の一円まで、全額払い終り、晴れて抵当設定権が抜け、もう何処の債権者にも一円も支払わなくて済むようになったとしよう。しかし、完全に自分名義のマイホームにも固定資産税が掛かり、こうした税金は、土地面積と建物の容積に応じて毎年徴集されるのである。
 そして、もし固定資産税が払えなくなったらどうなるか。

 競売(けいばい)物件として売却されてしまうのである。
 固定資産税の支払先は、土地・家屋・償却資産の所有者に対し、その価格(評価額)を課税標準として、固定資産所在の市町村が課する地方税であるが、有事(わが国は、有事の際、有事立法と言う法律が適用される。事態に迅速かつ強力に対処するために、通常、権力の集中と広範な人権制限を伴う)の際には、マイホームの敷地や建物は国家が管理するようになっている。

 有事の緊急事態が起こり、外国の侵略を受けた場合、そこに作戦司令部などを臨時に置かなければならなくなった時、もしあなたのマイホームが、作戦司令部域に含まれれば、立退を余儀されてしまうのである。これが「有事立法(日本では、特定の緊急事態に対処するための制度は警察法・自衛隊法・災害対策基本法などに定められている)」という法律だ。

 この世に、自分の物など何処にもない事が分かるであろう。
 更に言えば、自分自身の肉体すら、自分のものでないのである。名誉も地位も自分の物ではないのだ。
 しかし人間は、自分の物が全く無いことに気付き、落ちるところまで堕(お)ち、もう自分には捨てるものが何もないと思った時、自然界の根源を動かす可能力dynamis/デュナミスで、発展して形相を実現しうる可能性)が突然、動き出す仕組みとなっている。どんな人間でもドン底に墜ちれば、そのドン底から、何か新しい「希望の光」を見つけるものだ。

 希望に溢れ、歓喜を伴い、「出直しを決心した人間」程、憑衣霊がもっとも苦手とする人間なのである。

 以上の事をよく理解し、御主人を突き放してみるべきだ。
 この小心者が、その殻(から)を脱ぎ捨てて、勇者になるか、あるいは益々小心者の殻に閉じ籠(こも)って、戦々兢々(せんせんきょうきょう)とし、酒浸りの人生を選択するか、あなたの愛している御主人が一体何者なのか、その正体を見極める義務がある。

 もし、あなたが一旦捨てて、益々酒浸りになり、アル中になって精神病院でも入院する羽目になれば、結局あなたはその程度の人間を「人生の伴侶(はんりょ)」に選んだと言う罪が免れない。あなたの「先見の明」がなかった事に責任を取るべきであろう。
 霊的世界では、夫婦の責任とは、かくも厳しいものなのである。責任を取らなければ、それは来世へと継続され、罪業(ざいごう)として残る。

 また、「男のダイナミズムdynamism/可能性や力強さ)」を、当時のファッションに流されて、姿形(すがたかたち)で判断し、マスクに魅了されてハンサムだからとか、スマートで背が高いからとかの理由で、御主人を選び、外見から入って、御主人に恋心を抱いたのならば、これも実体を正しく見据える事が出来なかったとして、あなた自身、その責任を追求されなければならない。現行法での責任は全く皆無であったとしても、あなたにその責任が、霊的に発生する事だけは覚悟しておかなければならない。霊的には間違いなく処罰されるのだ。

 だから一度「捨てれ」とアドバイスしている。
 人間は、何もかも捨てて、何も捨てるものが無くなった時、臆病者でも勇者に変わる。小心者でも、真の勇者になる事が出来る。
 だが、捨てるものがありながら、それを後生大事に持っていては、永遠に小心者の殻から抜け出す事は出来ない。捨てて、出直す事だ。

 幼子の前で、妻に手を挙げるような弱い男は、男でない。人間のクズだ。即刻別れるべし。ここまでの覚悟がいる。この決断こそ大事だ。
 そして御主人が本当にその程度の男だったら、あなたも、小心者の正体が見抜けなかった罪で、即刻責任を取るべし。罰されるべし。
 今私が、声を大にして言えるアドバイスは、それだけである。