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●動物は虐待したり虐殺する神の被造物ではない

 動物を食べる為に屠殺(とさつ)したり、人間の人体実験の代用として、動物実験を行うのは間違いです。また動物達を、「奉仕」という名目で、人間に仕えさせ、それを食糧にするべきではありません。

 更に、神の被造物である動物に対して、苦痛を与えるのは間違いです。
 ただこうした、宇宙の玄理(げんり)を知らずに、無智の為、自分が与えた苦痛に気付かず、人々を病気から救うという事を目的とし、切なる動機に駆られて、動物虐待実験をする医学者が居りますが、やはり彼等も宇宙の玄理を破る者として、その代価と償いは、当然課せられるのです。

 また、こうした場合、もし医学者にあって、こういう事をすれば、動物は傷つく、あるいは大変な苦痛を感じると解りながら、これを行うのは、こうした医学者自身が、既に責任を認識している事になります。
 つまり動機は「善」によるものですが、「苦痛」を与えている認識においては、「悪」を行っている事になります。特に哺乳動物は、人間と同じ「性(さが)」を有し、その神経系や感覚器官は人間と酷似しています。

 神の被造物としての動物は、神から人類を助ける為に地上に遣(つ)かわされました。また人類も、彼等を保護し、助ける為に使命を追わされています。
 したがって、幾ら動機が「善」であっても、生体解剖は間違いであり、また、こうした事が、どうして正しいと言えましょうか。

 動物の持つ性と、人間の持つ性は、その哺乳動物という数直線上で、同じ位置に並びます。彼等を苦しめ、悩まし、更に、抵抗できない状態にしていおいて、実験台で生体解剖の末、そのデータを拾い集めるというような動物実験は、総(すべ)てにおいて間違っているのです。

 人間が、神から許された穀物菜食を蔑(ないがし)ろにして、仏典でも禁止されて、保護されている動物の肉を食らい、そうした宇宙の玄理に背いておきながら、自分自らが引き起こした病気を治療する為に、動物に肩代りさせて、治療法を探るという行為は、人間の我が儘(まま)という他ありません。



●血の汚れが病質を齎す

 病気の根源は「血の汚れ」です。
 血の汚れや穢れは、「腸造血説」に由来し、血が汚れるから、炎症や腫瘍を発生させるのです。人体の基本構造は、食→血→という流れになっており、食物が消化される事によって、腸壁内の腸絨毛で赤血球母細胞に造り変えられ、その赤血球母細胞内から放出されて血管内に送り込まれた赤血球が全身を巡り、総ての体細胞へと変化発展していくのです。

 こうした食→血→というメカニズムが理解できれば、まず「血液の浄化」に心がけねばなりません。こうした流れの中で、動物を屠殺して、動蛋白食品を摂る必要な全くないのです。動蛋白を止めて、玄米穀物菜食にして、食を正し、「浄血」をすれば、病気は治るものなのです。

 動蛋白摂取過剰による現代の奇病や難病の病気の治療法は、動物実験では発見されないのです。種々の抗生物質が動物実験によって発見されたとしていますが、その多くは激しい副作用をともなう、「薬害」に指定されるもので、こうした動物実験の結果から導き出された薬では、正しい治療法が発見される分けもありません。

 また「薬害」において、不必要な薬を患者に投与した為に、病気が更に悪化するという薬害が現われ始めているのです。
 また動物愛好家が、自分のペットとして飼う、犬や猫に、牛肉等の食用肉を餌として与えていますが、これも甚(はなは)だしい矛盾といわねばなりません。



●動物達のアウシュビッツ

 さて、死者の世界、感情の世界というのは、基本的には動物の世界です。
 これは霊界より、一等も、二等も低い霊幽界の世界(霊界と幽界の中間に位置する、悲しさと寂寥に満ちた世界)です。そしてこの事は、非常に重要な意味を持ちます。
 というのは、今日の動物虐待(ぎゃくたい)の現実と、この霊幽界が直結されているからです。

 喩(たと)えば、今、一匹のモルモットが、脳を剥(む)き出しにされて、そこに電気を流され、脳へ刺戟を与えられつつ、何日その苦しみに耐える事が出来るか、という実験を生きたまましたとします。
 モルモットにとっては、しごく迷惑な事のみならず、併せて相当な苦しみが強いられます。そしてこうした事を考えると、人間は気持ちの悪くなる位の実験を、動物に対して何の感情も抱かず、残酷に何回も、何十回も、何百回もやってのけているという事です。

 また、医科大学の整形外科の実験室等では、一つのテーマ(喩えば異種骨移植で、兎の骨を犬に植え付けた場合)の実験に、数百羽の兎が殺され、実験材料にされます。
 ここでは痛みを和らげる措置は一切とられず、一番お金のかからない方法として、兎の心臓に直接、約20cc程の空気を入れるという方法がとられます。

 研究者の医師は、兎を抱え、指先で心臓の位置を確認して、心臓に対し、ほぼ直角に注射針を突き立てます。注射器の中には忽ち血液が逆流してきますが、ピストンを強引に圧して、一気に注射器内の空気を心臓に押し込みます。

 兎は、「キッ!」と短い悲鳴を発して暴れ、全部の空気が入った時点で、床に放たれ、全身を震わせ、次にまるで鼠花火(ねずみはなび)のように左右に回転しながら、引きつったように痙攣(けいれん)し、最後の藻掻きで這い廻り、30〜50秒程で動かなくなり、息絶えます。こうして1分と経たないうちに、次々に実験材料として、何十羽かの兎が同じ方法で殺されていきます。

 人間は今、科学の為、医学の為という大義名分で、動物に対して残酷な事を遣っています。
 太古の時代の古代人達が、部族間で戦争を繰り返し、残酷に殺し合っていた以上に、今、現代人は動物に対して同じ事を遣っています。
 これは、かつてのアウシュビッツ(この強制収容所は、収容人員は約一万人程度だったので注意)の看守と代わらない、あるいはそれ以上の、残酷さかも知れません。

 強制収容所に看守として働く彼等は、夥しいユダヤ人達(アシュケナジーユダヤで、白人の肌を持つユダヤ教徒)の金品を奪い取った挙句、今度は衣服を剥ぎ取り、髪を剥ぎ取り、皮膚を剥ぎ取り、死に追いやった悪名高き人体実験室の穏坊(おんぼう)でした。そしてこれに関わったのが、医師と言う名の理性豊かな研究者達でした。

 かつての日中戦争当時、旧陸軍の七三一部隊(石井一郎軍医少将麾下)はアウシュビッツに勝るとも劣らない、やはり同等の恐怖の人体実験室でした。こうした実験室の同等の事を、今、現代人は動物に対し行っています。
 七三一部隊が中国大陸において、極秘裏に陸軍首脳の依頼を受け、中国人民やマルタと言われる一部の混血白系ロシア人を強制収監し、人体実験室で種々の生体医学実験をした悪魔的軍事組織でした。

 しかし彼等もこうした生体実験行為を医者の良心として憚り、これを非合法なものとして水面下に隠したものでした。ところが今日では、これが「合法的」に堂々と行われています。
 相手が人間とは一等も、二等も低い、訴える事を知らない動物とはいえ、言語(ごんご)に絶する淫ら虐待が動物に繰り返されています。これはまさに「淫ら」であり、虐待し、殺す事で、その快感を得ているというのが、今を生きる現代の医療関係者の実態です。

 さて、こうして殺され、実験材料にされた動物達は、その後、一体どうなったのでしょうか。単に、死と同時に、無に帰したのでしょうか。
 勿論、要済みになった彼等の肉体は、焼却処分されるわけですが、問題は、肉体と対峙した霊体のその後の行方です。彼等の霊体は、果たして安らかな眠りに就くのでしょうか。

 まず、これを眠りについて探って見ましょう。



●人間は動物と眠りを共有する

 まず、人間(大方の哺乳動物を含む)は眠りに就きますと、まず、ゆるやかな振動数の脳波が現れる睡眠である徐波睡眠(ノンレム睡眠/non-REM sleep)に入ります。
 これはレム睡眠(急速眼球運動/rapid eye movement, REMに見られる睡眠で、脳波は覚醒時に似るので、逆説睡眠ともいわれ、パラ睡眠とも)以外の睡眠で、成人では一夜の睡眠の約80%を占めます。
 またレム睡眠における急速眼球運動は、転(うた)た寝状態や暁方(あげがた)近くの眠りの中で起こります。

 さて人間の場合、ノンレム睡眠(この中には深いノンレム睡眠と、通常のノンレム睡眠がある)によって、前日のストレスや疲れを癒しているのです。そしてこれは人間と同じ性(さが)を持つ、哺乳動物とて同様で、彼等も深いノンレム睡眠のみによって、前日の疲れを癒します。
 その為、深いノンレム睡眠域では人間の霊体も、動物の霊体もこの域で同じように共有して、レム睡眠を約90分周期で繰り返します。

 そして深いノンレム睡眠に入りますと、まず自身の霊体は、自我意識の本体を構成する神体域を伴って、肉体を抜け出し、肉体と幽体を残したまま、動物の魂界と共有する霊幽界に入っていきます。動物も霊体(魂域)がありますから、霊幽界は動物の霊体で充満しています。
 つまり人間の霊体は、眠りという脱魂状態の時、肉体から抜け出し、霊体は、今地上で苦しんでいる動物の苦しみを顕わす霊幽界に至ります。そこは動物の悲しみと苦しみの世界でもあり、またそうした動物の魂で満ち溢れれた世界です。

 悲しみと苦しみで満ち溢れている動物の魂が、充満していればいる程、かつての死者の魂も、現代に生きる私たちの魂も、その苦しみと悲しみをまともに受けていかざるをえないという次元に追い込まれます。
 この次元が魂における、哺乳動物に与えられた霊幽界の土台を構成しているのです。
 人類の歴史は、この土台の上に、今までいろいろな「行い」をしてきたのです。ここには、その時々の、喜びも悲しみも苦しみも総て記憶されていて、霊幽界の中で大きな時間の流れとなって存在してきたのです。アカシャ・レコードは、これを雄弁に物語っています。

 私たちが感情を通して、喜怒哀楽を表現する世界は、こうした霊幽界の、時間の中に参入して行く時の表現法で、この世界はまさに苦しく、冷たく、暗く、悲しく、寂しい世界なのです。
 そしてどうしようもない位、こうした苦悩に満ちた世界ですので、これが苦悩に満ちていればいる程、これより高次元の存在である、神々との出会いが切実な願いとなって、やがては彼岸(ひがん)と向かうのです。

 霊幽界はまさに此岸であり、涅槃(ねはん)の世界を、彼岸というのに対し、こちらの岸の事で、苦悩に満ちた生死を繰り返す、迷いの世界が「現世」です。
 これに対して彼岸は、向う岸であり、生死の海を渡って到達する事のできる、終局の世界、理想の世界、悟りの世界であり、こうした次元を「涅槃」と言います。

 そして波羅蜜(はらみた)は、完成・熟達・通暁(つうぎょう)の意味ですが、現実界(生死輪廻)の此岸から、理想界(涅槃)の彼岸(ひがん)に到達すると解釈し、到彼岸・度彼岸・度と漢訳します。
 特に大乗仏教で、菩薩の修行法として強調され、通常、布施(ふせ)・持戒・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧の六波羅蜜(ろくはらみつ)を立てますが、十波羅蜜を立てる事もあります。

 つまり要約すれば、神々との出会いが一層切実になものになり、眠りの中で夢を体験し、そうした体験を、痛切に繰り返して、眼が覚めた次の朝、またそこから新たな活力を得て覚醒するというのが、私達の毎日の繰り返しなのです。この感覚は動物においても、同じ様なものであり、彼等もまた、目覚めと同時に新たな活力を得て覚醒するのです。

 これによって人間と動物は、性(さが)が非常に近く、霊幽界では、同じ次元で共有している事が解ります。



●不満と不安を材料にして革命を夢見る集団がいる

 不安材料を大衆に投げかけることによって、世の中を混沌とさせる、そんな現実がこの現世の裏側にはあります。
 「矛盾」は多くの不安材料と不満材料を包含します。また不満材料を連鎖的に波及し、持たざる者は、持てる者への羨望を露(あらわ)にします。

 資本主義社会は市場経済にシステムが高度になればなるほど、貧富の格差は広がり始め、やがて不安・不平・不満が底辺(下層階級)から上層部(上流階級)に向かって吹き上げることになります。酷使されている、あるいは搾取(さくしゅ)されているという被害妄想が連鎖性を帯びます。
 暴動事件は、こうした事が起因して発生する事件です。

 不満を持つ人間の心理状態に暗示をかけ、繰り返し洗脳を行うと、思考だけに異常を来し、集団催眠に掛かり易くなります。左翼集団が徒党を組んでシュプレヒコールの大声を上げたり、集会に集結して講演者の意見に気勢を上げ、賛成・同調の拳を振り上げたり、あるいは惜しまない拍手を送ったりするこうした心理状態は、一種の同胞相哀れむの集団催眠であると見ていいと思います。

 これは一種の巧妙な洗脳であり、唯物弁証法materialistische Dialektik/マルクス主義の中枢をなす弁証法で、もともと弁証法がヘーゲルにおいて精神や理念を基礎としているのに対して、マルクスは逆に物質的なものの弁証法的自己展開を基本とした。特に否定と実践との契機を重視し、「否定の否定」というような連鎖性を導き出した)を理論詰めで追求していくと、誰もが陥る、麻薬を用いない麻薬的洗脳法が容易になります。

 これは知的レベルが低くなれば物事を観念論的に考え、知的レベルが高くなれば物事を具体論的に考える人間の思考能力の格差を利用した洗脳法です。
 日本人大衆が郷愁(きょうしゅう)を感じたり、あるいは情緒的に考える思考は、微視的であり、構造的に平面であり、逆に物事を空間的に立体的に考える思考は欧米人が得意とするもので、事象を見る観察眼が高度になればなるほど、観察し、それに修正を加える場合、より具体的な改造を施すことができます。

 また全体の流れを把握している場合、一局面における破壊活動は、その実行犯にとって小事の何ものでもないのです。したがってこれこそが確信の原点っであり、信念の為せる技となります。
 そして地下組織で培養された革命集団は、秩序ある世の中を混沌とさせる為に、精神異常者を精神病院から解き放つ手段に出ました。精神異常者の解き放ちは、物事を情緒的に考える日本人には、またとない恐怖感を植え付けたのでした。この作業を率先して行っているのが「日本精神科医師連合会」です。

 「開かれた精神病院」という名目で精神病患者を病院から次々に解き放ち、自由に外出や外泊させたり、驚くべきは車の運転まで自由に認めるという、精神異常者の「解き放ち作戦」に出たのです。 昨今多発する精神異常者や覚醒剤患者の暴挙や犯罪は、こうした事が起因で次々と連鎖反応を起こしています。こうして世の中は、不穏な重たい空気を含んで、混沌とし始めるのです。



●革命集団に暗示を掛けられて操られる精神異常者達

 今日は秩序が逆転した時代です。
 白が黒になり、黒が白になった時代です。天地が逆さまになり、加害者が被害者として世間から同情を受けるという珍現象が起こっています。

 この切っ掛けを作ったのは、1970年代に猛威を奮った東大全共闘の、以後の行動に新左翼の実体を見る事が出来ます。
 当時大学のキャンパスで無法な暴力を奮い、法と秩序を踏みにじった左翼学生達はその後、何の咎(とが)めもなく、壮年期に至って学会や医学会で実権を握り、また大学や研究施設(教授職)、法曹界や政界(左翼系政治家)、官庁(キャリア官僚)や、大手一部上場企業の管理職として出世街道を驀進しています。

 また、何かにつけ当時の若かりし頃の事を回想して、自身が全共闘であった事を、鬼の首でもとったかのように自慢げに語る者すらいる始末です。
 そしてマルクスやエンゲルスの唯物主観で建国されたソ連や、東欧の社会主義国が崩壊すると、彼等は今度は、ブルジョア的思考を相半ばにした「新左翼」(一部はシンパサイダーに落ち着いた)に早変わりしました。

 日弁連や精医連、或いは朝日新聞系やテレビ朝系のジャーナリズムの一部の集団は、かつての全共闘であった左翼学生出身者で占められています。
 彼等は政治や経済、あるいは医療面から革命を企て、新たな角度から市民社会の転覆を狙っているのです。
 またマスメディアに潜り込み、「犯罪者擁護」の立場をとり、実権を握り、権力の座に居座って、社会の安寧を根底から脅かそうと企てているのです。これ等は朝日新聞系列や岩波書店系列の左翼的有識者等のジャーナリズムに見ることができます。

 喩えば当然加害者であるべき筈の暴走族が、被害者となって報道されたり、また新左翼系の進歩的文化人が、彼等の擁護の立場をとり、これを保護し、無罪放免に導こうとする運動を起こしているのです。犯罪や狂信や狂気を擁護し、応援して、社会を裡側から混乱に陥れ、現体制を崩壊させるという事が新左翼の狙いです。
 現に、精神障害者が野放しになり、至る所で殺人事件が起こっているというのが、実情あり、この野放し状態を作ったのは全共闘の医学部出身で組織された「精医連」(精神科医師連合会)の医師達(左翼系医療法人の精神科医が多い)です。

 この団体は、中枢に徹底した左翼思想を掲げ、一部の片寄ったジャーナリズム(中味は全共闘出身者)を味方につけて、現体制の裡側から、崩壊を狙って奔走しています。
 この精医連は、精神病院の開かれた在り方と称して、精神障害者対策を打ち出し、精神病患者に、自由に外泊出来るような制度を作り、警察で認定する措置入院の制度を廃止する方向に持ってい行こうとしています。そして善良な市民が、安心して住める地域社会を崩壊しようと目論んでいるのです。

 現在、精神病院には精神障害病である精神分裂症、妄想型精神分裂病、脳血管性痴呆症、アルツハイマー痴呆症、新興宗教によるマインド・コントロール妄想病、麻酔分析被害者(拷問によって薬物被害者になった)、強度な自閉症、躁鬱病、赤面症や夜尿症、神経症、異常性欲症、シンナーや麻薬や覚醒剤の薬物依存症、アルコール依存症、麻薬で精神障害を起こした外国人のゲリラ・コマンド訓練者の薬物依存症等の幅広い、多くの患者が入院し、開かれた治療を受けている関係上、外出や外泊が自由で、運転免許取得者も居れば、車も自由に運転する事ができます。所謂、全くの野放し状態です。

 このような自由な精神病者の環境の中から、1990年10月21日、元労働大臣の丹羽兵助自民党代議士が、名古屋陸上自衛隊守山駐屯地での、自衛隊創立記念式典の会場に於て、名古屋市の精神病院に入院していた精神分裂症患者から刺殺された事件は、まだ私たちの記憶に新しいと思います。その他にも、公明党全委員長の竹入義勝代議士も妄想患者から刺傷されています。また昨今は、低年齢化されて、小学生児童や中学生生徒にまで、精神異常状態が波及しています。

 これらの精神障害者は、どのようなテロリスト組織や犯罪組織にも属さず、妄想から起こる被害意識で、単独行動を行なうというのが特徴です。
 また、このような行動や入院患者が、どういう前歴を持っているかという事も、人権擁護(ようご)の立場から、警察自体も把握できておらず、野放し状態であり、日本の精神保健体制の甘さが浮き彫りになっています。

 万一、これらの精神分裂症患者に、何者かが強い暗示を与え、被害妄想と敵愾心を植え付けたとしたら、この患者は万難を排いしても、狙撃兵のように、得物を付け狙い、殺傷することでしょう。
 昨今、横行しているストーカーは、このタイプの一種の精神分裂症患者です。しかし人権擁護委員会はこの事を、絶対に認めようとしません。
 今日はこの脅迫観念と、加害者になるであろうはずの、被害妄想と敵愾心とで、一層不安な世の中が出現し、意の儘にならない人間を、このような手段で脅しているのです。