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●人体構造を構成する三つの要素

 さて、人体構造のメカニズムは、三つの要素からなり、霊(命体あるいは霊体とも)・心(感情や心情で命体と生体の各々の心)・肉体(生体)の三要素の複合体あるいは合成体です。そして、これに意識である「本体」が加わります。この事が理解できないと、《霊導法》の効果は上がりません。まず術者が、この人体構造を何度も頭の中に叩き入れて、充分に把握しておく事です。

 順に説明を加えると、霊は「日」と結び付き、「太陽」を棲家(すみか)とします。
 心は「月」と結び付き、月を棲家とします。
 また肉体は「地」の結び付き、地球を棲家とします。
 これが「天・人・地」の関係です。
 そして各々は「三宝」(さんぽう/三つの宝)を所有し、天に日・月・星(惑星)があり、地に火・水・風があり、人に神・気・精が存在します。

 したがって、私たちの人体は生物学上で言う、単なる水冷式の哺乳動物ではありません。
 更に、霊は「神」と結び付き魂(言葉などの念であり天意)を司り、心は「気」と結び付き玄気(げんき/宇宙からのエネルギー体で、宇宙の「元」の気、あるいは「天の気」を指す)を司り、肉体は「精」と結び付き形(物資体)を司ります。

 また、人体の「人」は天地に挟まれながら生きていかねばならない宿命を背負っており、気が聚(あつ)って命(めい)が宿り、これが人生の終わりに至ると、散じて「死」に至ります。その為に、人は宇宙から玄気だけを授かるのではなく、天から霊魂を、地から肉体を授かったのです。これを総じて「三宝」と呼びます。

精・気・神(しん)の表。人間は期の形態を顕わすのに、精気、元気、神気の三つがある。

 精とは精力で肉体の力であり、気とは玄気で宇宙の波動エネルギー、そして神とは意識で霊魂を各々に授かる構造になっています。また、各々に脳波を持ち、精はβ波、気はα波、神はθ波という波形を持ちます。

 不幸現象は、人の三宝に異常が生じた時機(一瞬)に起こります。
 つまり三者のバランスが崩れ、拮抗が失われた時機(とき)に、まず、精を通じて現われてきます。筋骨の調整が順調にいかなくなり、これが不定愁訴(ふていしゅうそ/明白な器質的疾患が見られないのに、さまざまな自覚症状を訴える状態で、一般には自律神経失調症と言う)の原因です。病気ではない病気とは、こうした状態で起こり、これが運を衰退させる要因となります。

 次に波動エネルギーをキャッチする気に異常が生じ、この結果、玄気が失われて気持ちは滅入り、心に迷いや不安が生じます。これが感情の、悪い意味での「表出」です。感受性が強ければ強い人ほど、激しく表出されることになります。これが躁鬱(そううつ)交互に繰り返される躁状態であり、欝状態です。
 こうした異常が度重なるとα波が急速に失われ、β波のみとなり経絡(気が流れる十四の通路)の調整がうまくいかなくなります。
 そして最後には神に異常が生じ、勘(霊感)が失われて「先見の明」が停止し、「見通し」が利かなくなります。これを「混迷状態」と言います。

 また、精神状態が乱れてコントロールが利(き)かなくなり、妄想状態に陥って精神分裂病となります。こうしたメカニズムによって、精神分裂病を発病するのです。

精・気・神なる人間の構造と霊・魂・体の自律神経系の構造。人間は頭部の神経感覚系と、胸部の循環系と、腹部の代謝運動系の三分構成の自律作用で結びついた結合体である。

 ではこれを、どう癒(なお)すのでしょうか。
 問題は、精・気・神と連鎖した結果によって起こった過程を、今度は神・気・精という順に遡(さかのぼ)って神(しん)が冒(おか)される前の状態に戻すことです。
 結果から原因に迫ります。想念は結果を抱く事によって原因が発生するのです。この事を繰り返し理解しなければなりません。これは神(かみ)が予め予定した、《予定説》を解明する事にも繋(つな)がるのです。

 分裂病になったという結果を、不運と取るか、幸運と捉えるか、それはあなた次第なのです。家族に分裂病を持つことは現実問題として、不運であるには違いありませんが、不運は幸運と背中合わせであるという事も、また「真」なのです。

 分裂病患者の多くは、自己が押し潰されることで、目標を見失い、道に迷った人なのです。
 こうした人に生きることの目的意識を持たせ、その道の方向を示し、再び元の道に戻ってもらう為には、「愛する想念」をもって、時間と根気と愛情をかけて道標を示さなければなりません。そして、何よりも大事なことは、先達者の工夫と智慧(ちえ)を拝借することが必要です。



●霊導法の実践

 市場原理が働く生存競争の現実には、「出る杭(くい)は打たれる」という他からの圧力が掛かります。マイペースで進んでいても、「出すぎた杭」は打たれるのです。だから打たれれば、自我は傷つきます。
 こうした状態はまず、情動面において襲い掛かり、言葉で以て、鋭く心をえぐります。したがって、マイペースで進んでいる人でも、人から妬まれて、必ず叩かれる対象となります。精神分裂病の病因は、ここに発生します。潰れた自我状態が、此処(ここ)から始まるのです。

 精神分裂病の発生率は、世界共通して0.7〜1%と言われます。
 この数字は、全体を100とすると、分裂病でない人は99.3〜99.0%ということになり、大まかに言うと、凡(おおよ)そ百人中一人の割合で分裂病の人が居るということになります。

 となれば、現実社会は99人が、1人の分裂病患者を取り囲んでいるということになります。分裂病の人は、本来性格的に争いを好まず、至って平和主義であり、人との抗争を拒む人です。一方で、融通(ゆうずう)か利(き)かず、また妥協を許さぬ正直者の性格が強いのです。こうしたことが人から妬まれ、あるいは譏(そしり)を受ける分けです。そしてこの結果、妄想が趨り、躁状態(仮装積極性)の時は攻撃的に、欝状態(仮装消極性)の時には沈んでしまうことになります。

 霊導法を実践するに当たり、これを試みる人は、こうした被術者(患者)の性格と、これまでの経緯を把握しておかなければなりません。
 また、三宝の構造及び、肉体(生体)と霊体(命体)の違いも把握しておかなければなりません。

 肉体は霊魂の波動に一致(霊魂の鋳型構造により合致)するように造られている為、肉体と霊魂の波調は一体であり、肉体の波動活動の一つに心が存在します。心は元々肉体を基盤にして造られたものですから、本能があり、肉体を維持継続させる為に欲望を持っています。

 一方、霊体は肉体並びに物質を媒介しないので、欲望を満たすということがありません。本来は本能が無いから、迷いも苦しみも悩みも存在せず、衣食住も存在しません。したがって霊体は、その意思に欲望の心を伴わせないのですから性善説的なることが主体であり、肉体は心の欲望を伴わせるのであるから性悪説的なるものが主体なのです。
 この肉体のみを表現すれば、まさに「パウロの黙示録」そのままの状態になります。

 これは人間が肉体を使い、物質的な物欲によって行動する為です。そして「肉体」対「霊体」の支配比率は、肉体が「9」に対して、霊体は僅かに「1」であり、非常に不安定な傾きの「9対1」の関係が成り立ちます。
 肉体は、物質的な90%という強い形のエネルギーによって支えられています。したがって、心も本能欲求により、これに準じようとします。

 しかし、霊体は僅か10%に過ぎない存在なのですから、霊体の形象はあくまで意志であり、唸(祈念)なのです。そして各々は「心」を従えています。

 生きている時は、この二つの波動が重なり合って、各々を区別でません。肉体の波動は霊体の波動に比べて僅かに十分の一なので、常人は肉体の心に、なすがまなに引きずられて、本来の生命活動から逸脱し、肉体の心の悩みがやがて霊体の心に及び、神(しん/霊魂)が冒されると言う状態になるのです。これが人体メカニズム上の「自我が潰された」状態なのです。

 そして《霊導法》を行う上で、何よりも大事なことは、肉体に対して霊体が存在するのか?、あるいは霊魂は存在するのか?等の明瞭(めいりょう)でない状態、もしくは悪しき唯物論に陥って、可視現象のみしか信じることのできない人、死後の生活のあることを信じきれない人は、現実の問題である「自我の潰れた霊魂」の悩みを救う方法は生まれてきません。

 イエス・キリストは霊魂を明確にしませんでした。明確にしたのは「永遠の命」です。
 また釈迦も、霊魂が有るとも無いとも言いませんでした。しかし「輪廻転生」は認めています。こうして考えていくと、在来の宗教は、霊魂を明確にしないばかりか、一切認めてないことになります。

 一方、新興宗教は霊魂を積極的に認め、「病気治し」を売り物にし、これを専売特許にしています。しかし、これ等の教団の多くは、貧者からお金を集める集金集団に成り下がっている為、集金が先で、人助けは後回しになります。あるいはお金だけを騙(だま)し取って、永遠に行わないかも知れません。あるいは、「病気治し」等と言う、大それた能力は持ち合わせないかも知れません。何故なら、宗教はビジネスだからです。それも、最もタチの兇(わる)い、集金集団に成り下がっている場合が少なくありません。

 こうして考えると、現在ある新興宗教を熱心に信仰していて、その教義を中心に物事を考える人も、こうした、自我が潰れて苦しんでいる霊魂を救うことはできないようです。
 これは如何なる宗教を以てしても、分裂病や、その他の酒乱を始めとする精神病が癒(なお)せないのは、一方で霊的な存在を尤(もっと)もらしく口にしながら、その一方で唯物論的な金銭至上主義に趨(はし)り、信者を自宗(じしゅう)の枠に閉じ込めて、逃がさない事を企て、なだめたりすかしたりの得意な話術を繰り返しているだけだからです。自らを神と偽り、神の名を語っている教団も少なくありません。

 教祖や教団幹部は、頭ごなしに信者を叱り、脅し、恐怖に陥れて、寄進させ、お金を巻上げる集金集団の現実があります。特に新興宗教といわれる集団は、「病気治し」を口にしながら、一向に病人を治しえないのは、この為です。
 こうした以上の事柄を把握した上で、私たちは宗教に関係なく真摯(しんし)に《霊導法》を実践していくのです。

 さて次に、誰が行うかということになります。
 それは親族か、家族となります。恐らく、そうした人から選抜する方が好ましいでしょう。
 但し実践に当たり、最初は患者には知らせずに、患者の横に座り「音声を出して語りかける」という方法を用います。
 「音声を出して……」とは、波動に訴える為であり、「語りかける……」とは、その波動を霊に聞き届けてもらい為です。

 また「語りかける」ということは沈んだ霊、潰れた霊、苦しんでいる霊の浄霊であり、救うことであり、感覚器官を駆使して発声を催し、扉を閉じてしまった脳組織を活性化させ働きがあるからです。
 更に「語りかけ」は、物理的には音声エネルギーとなって空気中を伝播(でんぱん)し、次にその語りは想念エネルギーになって、眠ってしまった霊魂を呼び起こす働きを持ちます。したがって「語りかける」ということは、不可欠な作業となります。この語りかけには、愛情が伴い、情熱が伴い、「癒(なお)す」という心からの想念の発信が必要です。

 語りは朗読調では効果がなく、あくまで観念エネルギーが波動となって出ていき、これによって霊魂が感応するという構図をとることが大切です。