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●潰された自我 さて、世間的な常識において、その枠(わく)から食(は)み出した場合、感受性の強い人は、自分自身を自我防衛する為に、その矛先(ほこさき)を、自分以外のものに責任転換します。この場合、他人より劣っていると思い込む劣等感と、自我を防衛する自負心が根底に働いている時に、責任の所在を自分以外に求めます。 例えば、愚図(ぐず)で、動きが遅く、要領が悪い人が居たとしましょう。 この人は、これだけでは人間失格の要素は、まだ、持ち合わせてはいません。愚図と、動きが遅い面は、訓練することで機敏になるでしょうし、また迅速にもなるでしょう。そして最後は、要領の悪い面も、繰り返し訓練を重ねることによって、要領良く立ち回り、事を進めることができるようになります。ここに人間の学習能力の凄さがあります。 しかし、問題はここにあります。 こうした訓練を受け入れるか、否かは、その人の受け入れ容量の度合と、根性あるいは根気の有無にかかってきます。 もし、これを拒否して、現状を維持する場合、世間様はいつまでも悪態(あくたい)を吐き続けるのです。その結果、こうした人は「怠け者」あるいは「横着者」に映ります。こうした人に対して、世間様は「奮闘せよ」「諦めるな」「立ち上がれ」「やればできる」等と繰り返し、ファイト・コールをかけ、叱咤激励(しったげきれい)し続けます。 ところが怠け者に映るこの人は、このファイト・コールを苦痛に感じるようになります。心の中では「もう止めてくれ!」と大声で叫んでいます。そして自分を抑えて、最初のうちはファイト・コールに渋々応えるのですが、負担が大きくなると、もうついていけなくなります。あるいは従わずに、新たな言い訳を用意するか、自己弁護をするという行動に出ます。 精神分裂病の初期状態は、やたらと「言い訳が多い」のが特徴です。それに劣等感と自負心が入り混じっています。したがって自己弁護の為に「多弁」となります。分裂状態に陥る前に、多弁であるのはこの為です。よく喋るのです。自己の人格と自尊心を防衛する為に、空しい抵抗を繰り返えします。しかしやがて、自分の言い訳コールが通用しなくなった事を悟ります。 また、裏側には深層心理の中に劣等感(complex/精神分析用語で、心の中で抑圧されて意識されないまま、強い感情をになっている表象の複合体で、これは病的行動の原因となることがある)が隠れていて、この事が言い訳の全人格を代表するようになります。この劣等感は、幼児期や少年少女期に形成されたもので、大脳皮質の「前頭葉の未発達」が、こうした劣等感を作り上げます。この前頭葉未発達こそ、精神分裂病を招いた、もう一つの共犯者だったのです。 「世間様」あるいは「世間様の目」が主犯であるとするならば、共犯者は「前頭葉未発達」であり、この未発達に導いた全責任は両親によるところが多いのです。子供に過保護で、それでいて子供の我が儘(まま)を受け入れるように育てられた子供は、前頭葉の未発達が確認されます。 父母いずれかの両親が、自分の子供の幼児期から少年少女期に掛けて、家庭教育を怠り、充分に躾(しつけ)をしなかったと言う事が、共犯の要因を作ってしまったのです。 子供のこの時期に、親が放任主義であったり、自分自身が不倫に趨(はし)って子供をほったらかしにしたり、放浪癖やギャンブル狂やアル中状態にある場合は、幼児期から少年少女期に掛けて、親の行動を見て過ごす子供は、前頭葉の未発達のまま、思春期を迎え、これが精神分裂病の初期の発病になる事が少なくありません。 思春期から成人初期に於ては、前頭葉未発達が大きく精神分裂病と係(かか)わりを持つようになりますから、以上の上げたような親の後姿を満て育った子供は、人格形成の面において「拮抗(きっこう)」というバランスの取り方の意識が欠け落ちています。要するに左右のバランスを考え、それを復元させる為に、自身で拮抗をとる事が出来ないのです。左右いずれかに傾けば、傾いたままなのです。傾いたまま、沈んでしまうのです。これが欝(うつ)状態です。 その結果、自分を破壊する行動を思いついたり、何か他のものに憑衣される事を希望し、20歳前後の女子であれば、急に男関係にだらしなくなったり、同年代の男子であれば、妄想が膨らんで、分けの分からぬ行動(躁状態)を起こすか、更に病気が進行すると、無気力になり、無目標になり、無目的になり、生きることに張り合いをなくし、その躰(からだ)すら、面倒で動かそうとしなくなります。 呼びかけにも、返事をしなかったり、無表情で無気力(欝状態)を押し通します。ここで「世間様の目」は、こうした生活リズムの狂った人を「怠け者」と呼び、あるいは「横着者」と呼ぶのです。 そして「怠け者」とか「横着者」のレッテルを張られた人は、これを否定する為に、更に葛藤(かっとう)を繰り返し、奇想天外な巧妙な言い訳を用意し、自分が怠け者ではなく、躰の体調が悪くて、果たすべきことが果たせないことについて言い訳をします。これがブツブツと「独(ひと)り言」を言う現象です。必死で、誰彼構わず自己弁護しているのです。自分で周囲からプレッシャーを感じた時に、こうした症状が顕われ始めます。 現代人は、ストレスにおいても、十年前、二十年前のストレスと異なり、多くは学業や仕事から起るテクノ・ストレスの場合が多く、チームワークなどが大切にされる組織では、自分の落ち度で何か事故が発生した場合、ここに大きなストレスが加わります。特にこうした現象は、コンピュータ・スキルなどを仕事にしている人に見られます。そして、自分でも分けの分からぬ内に、「ぶつぶつ云っている」とか「何処か訝しい」と、異常に気付いた時には、精神科などで、「統合失調症」という診断が下されます。 この独り言が度重なると、総(すべ)て言い訳による解決法で、事の処理に当たる為、次第に禍根(かこん)の根を深め、そこに逃げ込むことばかりを考えます。こうした逃避壁が、更に深刻な、重度の精神分裂病へと誘(いざな)うのです。昨今では、精神分裂病と言う病名は、人権擁護の立場上もあって遣われませんが、実が統合失調症こそ、精神分裂病そのものの病名なのです。 一旦、この病名が付けられれば、ここから先は深みに嵌(はま)って行くばかりで、薬で押さえようとしても副作用が激しくなり、神経系や反射神経に異常が現われてきます。本来、鳴る筈のない骨をポキポキ鳴らしたり、アゴが開いてしまう等の神経系や反射神経に異常が現れて来ます。妄想からに進行とも考えられます。 一般にはこうした病気を、顎関節症(がくかんせつしょう/この病気は歯科外科の範囲なのか、整形外科の範囲なのか未だにはっきりしない病気)と言い、上顎(うわあご)と下顎(したあご)の噛(か)み合わせ部分にあるクッション代わりの軟骨が、元の位置からズレてしまうのです。これによって顎が外れたような状態になり、噛み合わせる度に顎の骨の音がします。 この噛み合わせがズレるという状態は、やがて全身の骨に及び、背骨の上半身や肩関節に、骨が外れてしまったような畸形(きけい)な関節音を発生させます。これも「世間様の目」を気にするあまりに、最終的に行き着いた「哀れみ」を請う意識の現れです。激しい劣等感が襲った場合、特に精神の異常が、骨格的な異常となって顕われます。まさに、脳の中で、意識が作り出した、架空の病気なのです。 しかし、実際には顎関節症以外に何ら異常は発見されず、これが精神的な仕業であることが、やがて発覚します。つまり、意識がそうさせ、思い込みから畸形(きけい)で、奇妙な音を発していたのです。 では、何故ここまでの事を発症者はやってのけるのでしょうか。 これはあくまで、潰れた自我への補修と、精神的な抵抗だと考えられます。勿論裏側には、自分の生(お)い立ちからの劣等感が働いているのですが、この劣等感を覆(くつがえ)す為に、何処かで優越感を味わう自己表現の心理が働き、何等かの神懸(かみがか)りのような憑衣状態になることによって、世間の束縛(そくばく)の総てから逃れられると言う願望を抱きます。 あまりの負荷に対し、発狂することで、現実逃避を企てるのです。そして最後は、本当に「狐憑き」等を模写して、憑衣の状態に至ります。こうした、移行願望の心理状態の深層部には、長い間、潜在させて来た憑衣の願望だけが表面化し、狂人と同じ願望で身を灼(や)きたいと言う、憑衣物(つきもの)へと身を染めていきます。 一種の現実逃避ですが、憑衣物を模写している為に、最も質(たち)の兇(わる)い現実逃避であることは間違いありません。しかし、こうした最悪の状態に行き着くには、ここに絡んでいる人間関係にも、種々のものが蹤(つ)いて回ります。 分裂病患者に特に多いのは、人からの恨みや誤解です。「自分の事を棚に上げて」という恨みを絡んでいますし、「口先ばかりで」不言実行の出来ない理想論ばかり、などと思われた場合、そこには恨みに絡むストレートな唸や、誤解から生じた逆恨みもありましょう。こうしたものが激しい唸となり、「生霊化」して、その人に伸(の)し掛かっている場合も少なくないのです。 特に、今日のように、競争原理の働く社会では、こうした人が増える傾向にあり、生きて行く為の生存競争や、能力の優劣が、精神分裂病を発生させたといえるでしょう。 また、昨今の社会現象としては、大人・子供を問わず「苛(いじ)め」が問題になっていますが、あれも形を変えた一つの生存競争であり、競争原理が激しくなると、こうした事がより一層深刻な問題となって浮き彫りになってくるのです。 そして「精神分裂病とは何か?」となると、ハッキリ言えば、想念が作り上げた「仮病」です。責任回避が仮病を作り出すのです。しかし、この仮病は、非常に厄介な病気です。 怠け者に映る、潰れた自我の被害者が自ら自作自演する「狂言」です。しかし患者自身は、病気とは自覚できない仮病なのです。逃避壁から逃れた避難民のような、まさに仮病なのです。ここに憑衣・憑霊の起因があります。それだけに治癒(ちゆ)を更に難しくします。それは病人自身が悟れる環境に居ないからです。 したがって、この仮病の根は深く、簡単には完治しない病気である事は確かです。想念と言う、非実在界の自分で作り上げた想念が絡(から)んでいる為、現代の医学では完治出来ません。毎日、不安をやわらげる薬をの飲み続け、一進一退を繰り返しながら、結局、徐々に悪化の一途を辿ります。 どこで終結するのかと言う危惧(きぐ)があります。あるいは完全に終結しないかも知れません。その確率の方が非常に高くなります。 本人は「気違いを装う」ことで現実逃避をします。気の流れの、気道(一般には「チャクラ」と言われる)を逆流させる事で、一方で病気であると思わず、ファイト・コールを拒否した最後の抵抗の姿が、まさに「分裂病の世界」だったのです。病気ではない病気なのです。 哀れなもので、こうした現実逃避は大小便までも、その場で平気で垂れ流し、何事も自分で遣(や)ろうとしなくなります。介護を必要とし、介護人の手を煩わせる事で、必死に抵抗し、形を変えた自己弁護を繰り返しているのです。 またこうした患者は、自覚症状が殆ど無く、自分でも「病気とは思っていない」とか「狂っていない」と本気で信じています。したがって、最も質(たち)が兇(わる)い病気だとも言えます。精神科の治療をしても、殆ど治る可能性がないのですから……。 そして病人本人よりも、こうした患者を抱えた家族の方が、もっと大変です。経済的にも圧迫し、病人以上に筆舌に尽くし難い体験を家族はさせられるのです。 最初は小さなボタンの掛け違いから始まりました。しかし、歳を重ねるに従って激しくなります。自我の潰れが激化します。 しかしこれは、「間接的に病気を煩った」というより、自分から招いてしまった想念の直接的な病因であるということが分かります。こうした人は、《運命自招の法則》を知らなかった為に、自らが起こした不運の被害者であると言えましょう。そして、その奥に隠れているのは、「前頭葉の未発達」です。 これも一種の不幸現象であり、本人の「悟り」が必要なのでしょうが、この「本人が、ああそうだったのか」と悟るということは、非常に難しく、精神病でないと思い込んでいるのですから、悟るという行為は難解であり、精神分裂病患者では、まさに絶望的です。 また、その家族も世間的に、精神的に、経済的に奈落の底へと突き落とされ、惨めな生活を強いられます。そして五年、十年が過ぎても、恢復(かいふく)の兆(kざ)しは見られず、十五年、二十年と、苦しんでいる家族も少なくありません。経済的には、一種の破綻(はたん)に追い込まれます。 しかしこうした家族に、唯一つの朗報があるとするならば、それは「悟らせる」「自覚させる」という事を中心に置いた方法においてのみ、細やかな希望を繋(つな)ぐことができ、少しばかりの希望と可能性が残っています。 それは精神分裂病患者を、「悟らせ」「浄化させる」という、魂の『霊導法』で、これを根気よく、術者(同じ霊的波動を持つ血縁者の一人)が愛情想念を以て実行することで、僅かながらに恢復(かいふく)に向かわせることができるのです。 ●霊導法によって分裂病を癒(なお)す術 霊魂は、その霊体をカバーするフィルターが貧弱だったり、故障していると、外圧からの外流や、雑音の軋轢(あつれき)に耐え切れなくなり、最後は疲れ果てて、分裂病の世界に逃げ込むことで、自己防衛しようとします。最後の、切ない足掻きが分裂病なのです。これは非常に重要な事なので、肝に銘ずる必要があります。そして、患者に対しては口喧しく、叱咤しない事が大事です。 さて、精神病とは、精神機能の障害のうち、主として内因性および器質性のものを言い、殊に精神分裂病と躁鬱病(そううつびょう)を二大精神病と言います。 精神障害者とは精神分裂病、アルコール依存や薬物等による中毒性精神病、精神遅滞、精神病質等の精神疾患を持つ者ので、また、より広く老年性痴呆症等も含みます。更に神経症も、これに含まれる場合があります。若い女性等は、こうした神経症に陥り易い年齢があり、十代後半から二十代後半に現れるようです。 二大精神病のうち精神分裂病は、多く二十歳前後の青年期に発病し、妄想や幻覚等の症状を呈し、屡々(しばしば)慢性的に経過して、人格の特有な変容を来す内因的精神病があります。そして、人格の自律性が障害され、周囲との自然な交流ができなくなります。その独特な変容には破瓜型・緊張型・妄想型等があります。もとは早発性痴呆(ちほう)と呼ばれました。 また躁鬱病とは、内因性精神病の一つで、精神の抑鬱と躁揚とが単独もしくは、交互に周期的に現れる病気です。 更に神経症は、心理的な原因によって起る精神の機能障害で、二大精神病と違うところは器質的病変はなく人格崩壊もないというところです。病感が強く、不安神経症・心気神経症・強迫神経症・離人神経症・抑鬱神経症・神経衰弱・ヒステリーなど種々の病型があります。ノイローゼもこれに含まれます。 しかし神経症は、分裂病のように人格破壊が現われない為、一般の精神病とは区別されています。 以上の病気を抑えるには精神安定剤や精神賦活剤が遣われ、これ等は中枢神経抑制剤の一種であり、催眠・鎮痛・解熱・麻酔等の作用がなく、専(もっぱ)ら精神的興奮を静める薬剤です。クロルプロマジン等が遣われています。 今日の精神分裂病の治療は、精神科では精神安定剤として多くの薬が遣われます。特に、初診に遣われるのはドクマチールとワイパックスで、他にもプリンペラン等があり、眠剤として、ベンザリンやユーロジン等が遣われます。しかし分裂病は、原因は何であるかは掴んだものの、その医学的メカニズムは、まだ解明されていません。 そして今日の精神医学では、脳内アミンの変動を正常化する為のリスペリドンを先頭にした薬等が開発されていますが、精神療法(作業療法も含む)的な治療法は大して効果を得ず、まだ、これといった治療法は明確にされていません。 であるならば別の方法で、その原因究明の糸口を探さなければなりません。 原因は「世間様」です。世間様とは、人間社会が伝統として築き上げた「常識」のことです。 では、常識とは何でしょうか。 常識は人間の伝統や文化の上に築かれ、その延長上に今日の常識があります。この常識を一言で言えば、社会的ルールであり、その中には教養や法律、教育や政治までが包含されています。これが世間様の母体を成しています。 世間様は常識を歓迎し、非常識や不常識を嫌う性質があります。 では非常識や不常識とはどういうものでしょうか。 例えば、ピカソの絵を取り上げてみましょう。あなたはこの絵が理解できるでしょうか。 絵画評論家は、ピカソ(Pablo Picasso/スペインの画家)の『ゲルニカ』(1937年作品)についてこう言います。 |
▲ピカソの描いたゲルニカ。世界的な名画と言われているが、あなたはこの絵に、何処まで芸術的な表現ならびに、評価が下せるだろうか。そして何処まで、本当に理解し得るだろうか。 |
「この絵は、ゲルニカ爆撃に衝撃を受けて描いたピカソの代表的絵画作品だ。戦争の惨禍をテーマにし、人類に激しく訴えるものがあり、素晴しい大作だ」と……。 ゲルニカはスペイン・バスク地方の町の名であり、1937年4月フランコ軍を支援するドイツ空軍の爆撃により、街は破壊され、多くの市民が非業の死を遂げました。こうした戦争の悲惨なさまを、ピカソは表現派の非凡な天分を以て描いたのでした。確かに大作であり、絶賛に値するでしょう。 しかし、常に斬新な境地から、時代事に変貌して作品を表現した為、一般素人は、この絵について行けないのが正直な実情です。 そして、その作風は「青の時代」(1901〜04年)、「赤の時代」(05〜07年)の古典調から、立体派(07年以降)、超現実派・抽象派(26〜36年)、表現派(37年以降)など変転を極め、非凡な天分は、実は素人には分かり辛いのです。 こうしたピカソの画家としての変転と、その過程が分からなければ、素人は突然『ゲルニカ』を見て理解できようもありません。抽象表現が目近に迫る為、一般的な写実絵画に比べて、言葉で言い表す評論法が見つかりません。 そのため上手と褒(ほ)めていいのか、下手と貶(けな)していいのか、その抽象的作風からは適切な答えが出てきません。素人の好む画像認識は、写実画のような、ある形を忠実に写取ったコピーのような絵であり、これは小学校低学年の子供が評する、絵に対する評価です。素人の画像認識は、一応この年齢頃に停滞していのです。 だからこうした作品に、いきなり感想を求められても、その答えには窮(きゅう)するは、ごく自然と言えましょう。 さて、あなたは『ゲルニカ』に、如何ほどの評論を加えることができるでしょうか。 世間様の目を恐れて、解った振りをして絵画評論家のようなことを言うのか、あるいは、実際に理解しようもないので、正直に「分からない」と答えるのでしょうか。 選択肢は二つでありますが、世間風かつ常識風に答えるならば、それは解った振りして評論家のような言葉になりましょうし、理解できなければ「分からない」と答えれば済む事です。 しかしこの、「分からない」と答えるには、それ成りの勇気が要り、自分を抑えて葛藤するところに、自我が傷つく原因が残こります。この原因こそが、精神分裂症の正体です。 したがって、傷ついた自我を修復すれば、この病気は癒(なお)るのです。 この癒し方が『霊導法』なのです。 自我の傷ついた患者の「神」の部分に訴えて、理解を求め、更に悟らせる事なのです。傷ついた心の傷口を浄化させ、傷口を想念の愛情で洗い流してやることなのです。そうすれば、分裂病患者の神(しん)の部分を支配した他霊(自分以外の霊魂で、多くは三代前くらいの先祖が憑衣した憑衣霊)は自覚し、還(かえ)るべきところに還って行くのです。 |