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●心の清濁で総てが決まる

 心が諸葛亮孔明のように、清々(すがすが)しいと言うのは、つまり自他一体の意識があり、「愛する想念」によって、常に行動している人を「心が清い」と言います。
 逆に「心が穢(きたな)い」というのは、常に自己中心的であり、利己的な心を有した人を実は「穢い」と呼んでいるのです。肩書きや地位を、自分や自分の家族の為に利用し、夜郎自大な傲慢(ごうまん)な態度をして庶民を見下す人は、最低の部類に入ります。

 もともと高い地位や偉い肩書きを有する人は、大勢の圧倒的多数の庶民の上に、特定の権力をもって立っているのですから、その行動や生活は、大勢に影響を与えるリーダー的な立場にあるはずです。
 したがって、高い地位に就けば就く程、自分の事よりまず、他人の事を優先させて考えるべきであり、リーダーとしての自覚がなければなりません。

 それが、陰でこっそり賄賂(わいろ)を貰ったり、「天の声」と称して賄賂を要求したり、強盗擬(まが)いの事をしていては、そのリーダーも権力者としては形なしです。政治家としての顔を持ちながら、高級強盗になる為に、青雲に燃えて、政治家になったつもりではなかった筈(はず)です。
 
 一介の平凡な一市民と、社会的に地位の高い政府高官が、同程度の利己的行為をした場合、それに対する責任は、どちらが重いかと言うと、当然、後者の方が責任は重くなります。これは高い地位と責任は比例するからです。また、高い地位に就くには、常人を超越した良識が必要になるからです。良識なくして、高官の資格はありません。

 よく政府高官が、利己的な行為を働いて、賄賂等を着服した事がバレますと、今度は居直り、「私も人間だ。みんなと同じ事をして何処が悪い」と開き直る高級官僚がテレビや新聞に顔を出しますが、これはとんでもない誤りです。また、学歴詐称や経歴詐称を行って庶民を騙(だま)し、これが明るみに出ても、平然と国会議員を遣っている人が居ますが、これなども同じで、地位が高ければ高い程、リーダーとしての、お手本を示さなければならないのです。

 もし、リーダーシップがとれないのであれば、直ぐさまその指導権を放棄して、一介の庶民に戻ればいいのであって、高い地位や政府高官の座に就く資格はないのです。

 現代社会では「心の高低」と「地位の高低」が一致しません。
 また「道義の有無」と「知的能力の有無」が一致しません。キャリア官僚と言われる、東大法学部出身の知的能力が秀でた者の中にも、一定の割り合いで贈収賄事件に手を染めるクズはいるし、これは知的能力と道義が必ずしも一致しないと言う事を現しています。魂の進化が止まっていて、低級な心を持ちながら、高い地位に就いて、利己的な画策を企てる人は決して少なくありません。

 さて、「人」を心理分析上で分類すると、次のように分かれます。

想念
悪い想念を抱くのタイプ
想念的価値観
想念と関連した病気
憎悪侮蔑の想念
人一倍羨望(せんぼう)心が強く、他人が成功すると憎いと思ったり、意識転換を行なって、無実の罪を押し被せたり、表面的な憎しみを露(あらわ)にする人。また、裏切り行為に憎しみを抱く人。暴力を行使する人。 生まれながらに小児喘息や呼吸器系疾患等の病気を持ち、副腎皮質ホルモン剤等の愛用者。傷つける心をもって奔走することに価値観を見い出す。 呼吸器系の疾患を齎し、ぜんそく、耳鼻咽喉系、中耳炎、気管支炎、肺炎、風邪による重度の肺疾患。
惜しい想念
他人の事より自分や自分の家族を優先させる人。言う事と実行力が一致しない人。自分より弱い他人を軽く見て、平気で騙す人。思い悩み、躊躇(ちゅうちょ)心が大きく、二重人格の人。猜疑心の強い人。利己的な人。 自律神経失調症等で、神経症やノイローゼ等の、鬱(うつ)病を持っている。精神科や神経科にはこうした人で一杯である。今後、益々増えると予想される。 熱病、頭痛、頭重、偏頭痛、耳鳴り、肩凝り、腰痛、はしか、のぼせ、中風、半身不随、言葉のももつれ、立ちくらみ。
恨みの想念
庶民の無知に付け込んで金品を騙し取る人。適当な解決策で誤魔化す人。恫喝(どうかつ)して、他人の金品を奪い取る人。復讐心に燃える人。 表情は至って無表情で、皮膚科には、恨みの想念を持った人で溢れている。冷淡に物事を考える価値観。 疥癬(人から人に移る伝染病)や痒み、ソバカス、ニキビ、いんきん、そばかす、皮膚病、壊疽、その他の体毒疾患。
可愛いと思う想念
目先の情念に振り回されて溺愛したり、過保護愛から、恋人や、妻や、子供を心から溺愛し、「かわいい」と思う人。妻子を自慢する人。マイホーム主義者に多く見られる悪しきエゴイズムを剥(む)き出しにした人。また自分だけの幸せを願う人。好き嫌いが激しく、愛情表現が激しい人。 胃腸病を患っている人の多くは、自分の家族や、自分の所有する物品・物財を溺愛する心理が強い。また妻子を自慢する。所有するものを自慢する事に価値観を感じ家族及び内輪中心の思考。 大脳における哺乳類脳の辺縁系活動が野放しになっている為、消化器系の病疾患で、胃腸病、下痢、便秘、黄疸、胃痛、胃癌、口腔ないの疾患、食道癌、淋病、梅毒、黄吐。胃潰瘍や膵臓炎。
傲慢の想念
我を張って威張り、黒を白と言い出す人。地位を利用して夜郎自大を押し通す人。謙虚さや慎み深さが足らず、横柄な態度をとる人。人を侮る人。自分だけが正しいと思う人。資産家の土地成り金に多く、傲岸不遜(ごうがんふそん)な物腰の人。 権力の座について威張る事が大好きな人で、力は正義と確信し、これに情熱を燃やし、自分自身の権限に価値観を見い出す。あるいは金以外の値打を認めない居丈高的価値観を持つ。 リュウマチ、痛風、筋肉の病気や肉腫。子宮筋腫や睾丸癌、陰茎癌。
欲しい想念
本当は全体の利益を考えて行動すべきなのに、一部の悪と結託し、その仲間内だけの利益を求めようと画策する人。人の善意や、施しを受けても、感謝のない人。 強盗意識の願望が強く、パチンコ屋やギャンブル場などに出入りして、博打中毒依存症に罹(かか)っている。その想念は奪う心。 失明、眼病、白内障や緑内障、三白眼、やぶにらみ。そして精神的症状としては、パチンコ中毒依存症など。
野望出世欲想念
他人に与える迷惑や被害は顧みず、私腹を肥やす事に情熱を燃やす人。自分の出世だけを願い、あるいは倖(しあわせ)を願い、他人の痛みを分かろうとはしない人。「人より一歩先へ」の自信家で、出世欲旺盛な人。人間は野望を抱いた瞬間から豹変するものである。更に悪い事は、周囲の人達を巻き込み、陥れ、あるいは傷つけて、目的達成の為に自分の生きざまを際立たせる局面を想念した事になる。 常に「勝ち組意識」が強く、負け組グループをバカにする。痔疾や前立腺肥大症で苦しんでいる人は、野望や出世欲の旺盛な為、将来成功しても晩年は大病で苦しむ。これは陥れられ、傷つけられた者からの反動想念が、晩年になって自分に跳ね返るからである。 痔疾全般、息切れ、心筋梗塞、股関節脱臼と前立腺肥大症、腎臓障害、人工透析、糖尿病、高脂血症。そして内臓系ガン疾患など。
立腹する想念
前頭葉未発達の為、激怒する人。失敗を指摘されると、これに逆上して開き直る人。居直り強盗をする人。自分の非を恥じない人。自分に甘く他人に厳しい人。激し易い性格の人。闘争本能が表面化し、好戦的な人。 牛乳や乳製品の信奉者で、現代栄養学の信奉者。肉体信奉者。思考的にダーウィン進化論やニュートン以前の古典物理学を「科学」と信じている。 大脳の爬虫類脳のR領域の活動によるもので、肝臓病、肝臓癌、高血圧や動脈硬化、脚気、ヒステリー、激怒僻、骨粗鬆症、骨の異常、骨肉腫。
恐怖を抱く想念
《恐れるものは皆来る法則》を、地を行くような人。心の中に消極的かつ、石橋を叩いて渡る臆病さがあり、優柔不断な人。矛盾が多い人。いつも何かを恐れている人。悩みが多く不安を抱く人。 「こだわり」の発想から捻れて変型した価値観。思い込みと頑迷なところがあり、自分だけが優れ、人は皆劣ると言う、自他離別で物事を考える。 大脳の辺縁系やR領域の制御不能で、てんかん、ノイローゼ、神経症、ストレス病、自律神経失調症、鬱病、妄想、精神分裂病、成人病やガン疾患。

 人間は環境や想念によって人生を経験し、その経験の中から様々な教訓を学び取って行きます。教訓が不充分であれば、同じ事を何度も繰り返しやらされ、過酷なまでに痛めつけられます。しかしこうした経験とて、実体は非実在世界の「想念」が招いたもので、これは人間が患(わずら)う「病気」と非常に深い関係をがあります。

 喩(たと)えば、恐怖を抱く人は「恐れるものは皆来る」の例えから、人間に憑衣・憑霊現象である、精神分裂病を始めとする精神障害や、不治の病と言われる「ガン腫」という悪性腫瘍までもを取り憑かせ、肉体的かつ物理的には、取り除き難い病魔を押し付けられます。

 一度、こうした病魔に襲われれば、傲慢(ごうまん)極まる傲岸不遜(ごうがんふそん)の物腰の資産家も、見るも無惨な末路へと追い込まれます。そして不思議な事は、こうした資産家の家が数代で途絶えるか、あるいは次第に寂(さび)れて行くという、衰退の現実を見せつける事です。

 昨今は、日本人の死亡の原因の第一に挙げられるものが「ガン疾患」であり、次に高血圧と言う順に並んでいます。こうした実情を考えますと、日本も長寿大国と謂(い)れながら、文明の恩恵に預かりつつも、一方で憑衣・憑霊現象の悪想念に冒されている禍根(かこん)が横たわっています。
 そして、文明時代の目紛しさに押し流されて、これまで文明と思っていたこの社会は、「文迷(ぶんめい)」へと変貌(へんぼう)し、人の価値観も大きく変わってしまいました。

 自由・平等・人権を標榜(ひょうぼう)する民主主義は、既に形骸化した抜け殻(がら)に過ぎず、中身は何の値打もない虚構です。そうした虚構の中で、人は迷い、悩み、苦しんでいます。実に、苦悩の現実は、ここに由来します。そしてこうした苦悩は、自身の魂の進化の障げとなります。

 悪想念を抱く人は、やがて進化する魂の大事を見失います。
 このような人は、死後の事ばかりでなく、晩年の迎えて、やがて死に向かう、その最後の晩年期が悲惨です。様々な病気が襲って来て、二重三重の苦しみの輪を、自らの首に掛けてしまいます。こうした、晩年を迎えて、後は死ぬだけの人生を残した、傲慢(ごうまん)な輩(やから)は、「死にざま」という臨終(りんじゅう)で、相当な苦しみを味合いながら、この世と未練を引きずりつつ哀れな最期を遂げます。

 臨終にのぞみ、そこで問われるのは「丸裸の魂」だけです。かつての誇らし気な肩書きや地位は何の役にも立たず、《同類法則》によって、悪人は悪の束(たば)の中に押し込められ、善人は善人として昇華(しょうか)の帰途について行きます。人は闇の中から生まれ出て、また闇の彼方へと戻って行きます。

 かつては傲慢でならした名のある政治家や、横柄な裁判官が死後の世界の、自らが作り出した想念の地獄の中で藻掻き苦しんでいる樣子が、霊界通信で報告されています。
 この人達は、大勢の幸せの為に働く義務を負いながらもそれを怠り、出世や保身の為に奔走を企てた人でした。他人の為に尽くすべき責任を全うせず、私利私欲に走った罪は、地位の高い人ほど重い物になるのです。

 さて、下記は愛する想念群です。
 愛する想念は、人を愛する者は、やはり自分も愛されると言う事です。

想念
愛の想念を抱く人のタイプ
想念的価値観
還元される現象
美的想念
事物や事象の調和を考える事のできる人。釣り合いのとれる美のバランスを保てる人。 自他同一意識の価値観。人を同格・同等・同一価値観で捉えている。 慢性病と言われる内因性疾患の病気になりにく、また外傷を負っても、自然治癒力が強いので、すぐに完治する。輝き。
歓喜の想念
喜びと感謝を明確にする人。光明思想を持っている人。 感謝と天命を知る価値観。与える喜びや、分かち合う喜びの価値観。 自然治癒力の他、喜び。
悔いのない想念
潔い爽やかな人。清々しい人。自分を勘定に入れない無私な人。 現世の非実爽快の現象を知り、悟りを得る価値観。 自然治癒力の他、清潔。
弥栄の想念
自他共に栄える自他共栄の精神を持つ人。自他尊厳の意識を持つ人。 過去・現在・未来の流れを知る価値観で、背後には祝福する心を有する。 自然治癒力の他、末広がり的な発展と栄光。
誇りを持つ想念
恥を知る人であり、詫び方が非常に立派な人。人の眼を恐れない人。人から侮られない人。毅然とした人。困難に立ち向かう人。弁解や、言い訳をしない人。 人は皆、同格・同等・問う価値を知る価値観。 自然治癒力の他、尊敬。
許す想念
禁を解き、本当の自由を知る人。物象や事象を素直に認める人。労る心を持った人。信頼の心を持ち、人からも信頼される人。 人生の実体を知り、現世の仕組みを知る価値観。 自然治癒力の他、公的願望の実現。
謙虚な想念
「人は皆先生」という考え方を持っている人。控えめな人。人の話をよく聴く人。 他人の話をよく聴く事によって、自他を比較し、欠点を常に学び、補う価値観。 自然治癒力の他、学びの昂揚。
慎み深い想念
慎重で慈愛のあふれる人。利他的な人。人情の機微をもって他人に接する人。 狂乱する事を観察し、その欠点の要因を見定める観察眼的価値観。 自然治癒力の他、慈悲的な優しさ。
明るい想念
人生の光明と歓喜を司っている人。物事を前向きに考え、積極的に奮闘する人。過ぎた事に悩まない人。 想像力巧みな価値観で物を考え、他人への還元を第一と考える与える価値観。 自然治癒力の他、光明と歓喜。



●甘えた考え方は悪想念を招き寄せる

 さて、地位の高い政府高官や官僚等の、自分中心的な考えに匹敵するくらいの愚行を犯している人が、庶民の中にもいます。

 よく世間には、品物の定価を無視して、「負けろ」と詰め寄る人がいます。値切って、値切り倒し、自分の欲しい物や、自分の支払うべき金銭の額を少なくして、これを手に入れ、「得をした」と考える人がいます。果たしてこうした人は、人生全体から見て、本当に得をしたのでしょうか。

 また、相手の同情や善意を充(あ)てにして、言葉巧みに売り込んで割安で、何かを手に入れようとする人がいます。非常に多いのが「いま学生をしていて、お金が余りありませんから、負けてくれませんか」というタイプの切り出し方をする、苦学生を装おう若者です。つまり、こうした者の言い方をする人は、想念の中に「苦学生は大目に見られるべきである」という傲慢(ごうまん)な倫理が横たわっています。

 日本には明治以来から、「学生」と言えば、世間からちやほやされて、「末は博士か、大臣か」という事を囃(はや)されていました。こうした意識は、父・子・孫・曾孫の四代に亘って、染み付いた世俗的習慣であり、今日では「学割」という形で残っていますが、一見これは、「学生だから尤(もっと)もだ」と言う、学歴のない年配者に同情を求める見せ掛けの為の言い訳です。また学生と自称する方は、その同情や、好意に縋(すが)ろうとする気持ちが安易に窺(うかが)われ、これは狡(ずる)くて、卑怯で、半人前的な甘い考え方です。

 苦学しているのであれば、ギリギリ一杯の親からの仕送りを何とか工面して、上手に使い、お金を節約しなければならないのですから、相手の好意や善意に縋(すが)ろうとする事自体は決して悪い事ではないのですが、「相手の為に」ではなく、「自分の為に」だけの目的で、料金を値切ると言うのはよくありません。また、善意や好意を、相手から強引に引きずり出そうとするのもよくありません。

 本来、人の善意や好意と言うものは、全く他人の力を充(あ)てにせずに、真剣かつ必死になって物事に向かい合っている場合に、自然に湧いて来るものであって、自分からこうした事を促すものではありません。
 強引に、相手からこれ等の物を引き出そうとして、値切り倒せば、相手は強引に奪われまいとして、抵抗力を生じさせます。こうした抵抗力は奪われまいとする方と、奪おうとする方の争奪戦に変貌しますから、そこには力関係が働き、双方の唸(ねん)が悪想念に満たされてしまいます。念ずる唸は最初から食い違っているのですから、平行線を辿る事になり、最後はどちらかが、損をして「折れる」「諦める」と言う事に落ち着きます。
 しかし、一旦この味を覚えてしまったら、その後の人生は悲惨なものとなります。一時の得が、将来、それが起因してケチのつきはじめとなるからです。

 そして人間の「格」は、本来ならば、誰もが同格・同等・同価値でならねばならない筈(はず)なのですから、学生時代のこうした習慣が、その人の「人生の格」を決定してしまうのです。
 これは、稽古事等に、よく見られることです。

 例えば入門する時は、「自分は学生なので月謝を負けてくれませんか」と、同情や好意を煽(あお)る事を言って、入門してくる若者がいます。また指導する方は、その学生の苦学を察して、何割かを特別に割り引きます。
 しかし、この学生が晴れて学校を卒業し、就職して、一人前に給料を貰うようになっても、同じ学生時代のままで押し通そうとする人がいます。

 こうした人は、自分では「学生料金のままで得をしている」と思っているのでしょうが、実は、人には各々、身分や人格と言うものがあり、安い月謝で得をしていると思っているのは、世間を知らない自分だけの事であり、他人の目から見れば、「何だ、あの人間は、ああした種類の、ああいう程度の人間か」と、蔑(さげすみ)の目で判断されるようになります。
 そして、以降、余り人から相手にさせなくなると言うのが実情です。

 これは人生において、非常にマイナスであり、「ああした種類の、ああした程度の人間か」と判断され、これがまた悪想念を派生させます。この派生によって、かつての学生だったこの若者は、悪想念の非実在界の兇(わる)い影ばかりを見て、迷いと悩みの多い人生を歩く事になります。

 物事における「高いか」あるいは「安いか」は、自身の主観が判断することで、実際には、高い物を安く買ったり、安い物を高く買ったりしている場合が少なくありません。
 これを人生全体で見た場合、自分が、安かったと判断するのは、個人の主観であり、こうした主観的な判断ばかりに陥っていると、最後は木を見て、森を見ない局面に振り廻され、何処かでボタンの掛け違えをしてしまうことになります。
 世の中の不幸現象は、こうした背後にも隠れています。