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●免疫力を備えた体躯

 ハシカ(麻疹ウイルスによる急性伝染病。発熱と斑点様紅色の発疹、鼻・咽喉のカタル、結膜炎を伴う。5〜6歳までの幼児に多く、感染力が強いが、1度の罹患で殆ど一生免疫を得る)、天然痘(法定伝染病の一つで、痘瘡ウイルスが病原体で気道粘膜から感染)、お多福風(流行性耳下腺(じかせん)炎)に一度罹った人は、一生涯免疫力を持ち続けます。

 また動物の罹(かか)る、トリペストやブタコレラ等は人間には移りません。これは先天的免疫力であるからです。この先天的免疫力は、私たちの先祖が次の人体的な進化の段階で、これ等の病気を克服して勝ち取った免疫力なのです。人間は、進化を迫られる度に、病気や天変地異に遭遇し、その度に多くの犧牲を払いながら、病気を、運命を一つづつ克服して行くのです。

 太古の人類にとって、「生きる事」は即、「食べる事」であり、食べ物と生命維持は切ても切れない関係にありました。この時代の人類は、木の根や、葉、実、芽等は常食であり、他にもウジやシラミ、ミミズや昆虫までもを食べていました。魚介類等は、ごく限られた海辺の住民だけのものでした。

 江戸時代、大飢饉(1783年の天明の大飢饉、1833年の天保の大飢饉)がニ回起こっていますが、そのうち、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の最大地獄は「天明の大飢饉」でした。この天明年間で、全国で約112万人が餓死したと伝えられ、東北地方だけでも30万人以上が餓死したと伝えられています。

 史伝記録によると、どの藩でも多くの餓死者を出し、食糧は全く皆無の状態で、人々はそれを需(もと)めて逃げ彷徨ったとあります。そして地方から繁華街都市へと大移動が行われたのでした。
 「あそこに行けば何とかなるだろう」そう言う希望的観測が、人々を大移動へと駆り立て、地方から江戸に流れてくる者が多く出ました。その途中、乞食になったり、盗人になったりして、多くは江戸に向かって行進を続けました。これによってこの時、全国では約三万五千軒が空家になったと言われます。

 今まで、ともに田畑を耕した、家畜の牛馬を食べ、犬猫を食べ、死人を食べ、発狂し、やがて死んで、また人から食べられるというこの現実は、筆舌に尽くし難い生地獄であり、まさに阿鼻叫喚の世界そのもので、日本中、否、世界中が飢えに苦しんだ時代だったと言えましょう。

 しかし、こうした世界中の大飢饉の真っ只中で、上杉鷹山うえすぎようざん/江戸後期の米沢藩主で名は治憲。高鍋藩主秋月種美の次男で重定の養子。細井平洲を師とし、節倹を励行。更に行政の刷新、産業の奨励に努め、荒地開墾に尽力。1751〜1822)率いる米沢藩では、唯一人の餓死者も出さなかったと言います。また米沢藩では、藩中から逃げ出す者は一人もいなかったと言います。

 それは何故でしょうか。
 藩主・上杉鷹山が明君であったことは紛れもない事実ですが、単に明君の呼称だけでは、この急場は凌ぐことができなかったはずです。
 一人の餓死者も出さないその秘訣は、上杉家伝来の『米澤(よねざわ)かてもの』という秘蔵の古文書のお陰でした。

 この書物は、食べられる草・木・土の八十二種類を詳細に書き記したもので、この書物を元にして、藩民に食べられるものと食べられないものを示し、彼岸花は勿論のこと、民は藁(わら)を食べ、松の皮や土までも食べて、飢えを防いだと言います。
 特に「土」は食べられる食品として上げられ、「土粥(つちがゆ)」といって、土をこして土中の栄養物を取り出して食べていたのです。

彼岸花
彼岸花の葉
彼岸花は中国原産の植物で、別名、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも言われる。ヒガンバナ科の多年草で、田のあぜや墓地等人家近くに自生する。秋の彼岸頃、30cm内外の一茎を出し、頂端に赤色の花を多数開き、花被は六片で外側に反り、雌しべ・雄しべは長く突出させる。冬の初め頃から線状の葉を出し、翌年の春枯れる。アルカロイドを含む有毒植物だが、鱗茎は石蒜(せきさん)といい薬用・糊料とすることで知られている。 日本のヒガンバナは、三倍体という種類なので種子はできない。したがって、彼岸花の葉がどんなものか知らない人も多いはずである。葉は花散った後に出はじめ、冬の初め頃から線状の葉を伸ばし、冬にも枯れることはない。冬中、緑の葉を茂らせている。
 そして翌年の春になると、葉は枯れ、他の植物とは、全く違った自然環境の生活サイクルを持っている。


 天明三年(1783年)の当時の出来事を書き記す書物の中に、東北地方では「彼岸花の市」が立ったと記されています。実は彼岸花も食べられる食品なのです。
 彼岸花(学名:[Lycoris radiata])はヒガンバナ科の多年草で、この植物は有毒成分と薬用効能を持ち、鱗茎(球根部分)にアルカロイドを含む猛毒の有毒植物で、そのまま食べると下痢、嘔吐、痙攣(けいれん)等を起こす毒素を含んでいます。

 これはアルカロイドともに、リコリンと言う毒成分が嘔吐等を引き起こすのです。しかし一方、鱗茎は石蒜せきさん/ヒガンバナの漢名で球根部分)とも言われ、ここには薬用的な効能があり、煎汁を腫れ物等に塗ると効果があります。また糊料としても使われます。
 しかし全草には有毒成分を含み、その「花ことば」は「恐怖」です。

 さて彼岸花は、既に述べたように猛毒を持つ植物です。冬に、球根を掘り出してみると、丸々とした鱗茎が出てきます。これが有害であることは広く知られています。
 しかし戦中戦後の食糧難の時、この球根を真水に曝(さら)して、澱粉を採取する為に非常用食料になったこともあります。
 この方法は、まず真水に晒し、藁灰(わらばい)等でアクを抜けば上質の澱粉が採取できます。

 この採取法を秘かに伝えたのが道元(鎌倉初期の禅僧。日本曹洞宗の開祖。京都の人。内大臣久我(土御門)通親の子。号は希玄。比叡山で学び、のち栄西の法嗣に師事)です。
 彼岸花はシビトバナ、ホトケバナ等と称される関係上、墓地に植えられた花です。
 これは鎌倉期、道元が非常食として墓地に植えさせたものであると言われています。
 当時、仏教は末法の時代に入り、食糧危機を予言して道元が指導したものでした。

 末法の時代、特に、釈尊が入滅された沙羅双樹さらそうじゅ/釈尊が涅槃(ねはん)に入った臥床の四方に2本ずつあった娑羅樹。インド原産の常緑高木。フタバガキ科の植物で、幹高30メートルにも達する樹木。日本ではナツツバキという。種子から油を搾る)の実の種子は、インドの飢饉用非常食とされ、釈尊は身を以て末法到来を感知し、入滅後は、食糧危機が来ると予言しているのです。
 そして日本に伝来した、日本仏教の歴史は、飢饉と疫病、戦死と間引きの、悲しむべき歴史がその中に横たわっています。

 日本仏教は、多くの日本人が見逃している、葬式と戒名の歴史ではないのです。日本仏教と伴に歩いた庶民の歴史の中には、地震と台風、旱魃(かんばつ)と寒波、噴火と洪水の歴史でした。
 そうした中に、古人の智慧(ちえ)を生かし、冷静に逞(たくま)しく生きた偉人が、どんな時代にもいたようです。意志の強さと実行力を持ち、智慧を生かしきる人を、偉人と言います。
 上杉鷹山も明君としての名に違(たが)わず、智慧を生かしきる偉人だったのです。

 このように飢餓の時代を生き抜いた先祖の血は、現在私たちに受け継がれ、人類が体験したあらゆる病気に対して打ち勝った証拠として、「免疫力」が蓄えられているのです。



●「こだわり」を捨てて、心を解放する

 免疫力が充分の働く為には、毒物を処理する肝臓の力が強化されていなければなりません。
 肝臓の力が充分ならば、多少の毒や体内に存在する汚染物質は恐れる必要はなかったのですが、現代人は公害食品の影響で内臓機能は弱体化し、その上、暴食や美食が重なって、毒物を含んだ場合、速やかに嘔吐や、下痢などをして体外へ排泄する仕組みが弱まり、そのまま体内に溜め込むと言う兆候が顕われ、この最たるものが「成人病」です。

 人間の腸は、プログラムされた通りに、必要なものは体内に吸収し、不要なものは排泄するばかりでなく、腸内細菌の働きによって、野菜や穀類などをタンパク質の生える働きがあります。これを「異種同化作用」と言います。
 この為、菜食主義でも筋肉や血液を造るのには支障がなく、日本人が欧米人に比べて腸が長いのは、菜食を充分に消化する同化の為に、長い時間を要する為です。
 このように人体と言うのは、その生活習慣によって環境に適合する働きがあり、環境の変化を逸早く察知して、順応する特性を有しているのです。

 歴史の中で飢餓等を体験して、飢餓に対して強い抵抗力を持つ民族は、いざとなれば何を食べてでも、即座に栄養にしてしまう能力を持っています。この雑食性こそが、過酷な自然環境の中で生き延びさせる原動力となって来たのです。
 したがって非日常においては、日常とは違った環境に適応し、少々の有害有毒物質も栄養と共に吸収し、「清濁併せ呑む」(度量の大きい様)まさに善・悪の分け隔てをせず、来るがままに受け容れる心で生き抜いて来たのです。

 そしてこうした事が、人体の全機能をフル活動させる事になり、こうした環境から強い免疫力が生まれ、抵抗力を獲得したのでした。この結果、逞しい健康と同時に、霊長類の中では長寿を誇る生物へと進化したのでした。

 しかし現代人は、こうした飢えを経験する機会は殆ど無く、受け入れたものを正しく識別して、毒は外へ、栄養は内へと吸収する能力が失われ、毒を含んでもこれを捨て去る力がありません。こうした事が、精神的には「こだわり」となり、肉体的には「中毒症状」となっているのです。こうした中に、肝臓機能が軟弱化した現実があります。

 肝臓を丈夫にし、大事にするコツは、動蛋白を取らす、毒を食せず、強い刺激物を常用せず、常に血液を綺麗にする事を心掛けなければなりません。
 また心を養い、愛の想念を常に抱き続ける為には、偏見を持たず、妬みや恨みを一掃し、自分勝手な先入観や固定観念を持たず、激情等の感情に流されることなく、いつも新しいものに積極的に取り組む若さを失わない新鮮な感動が必要です。

 若さと言うのは、まず筋肉が柔軟でなければなりません。持久力を持ち、継続能力を身に付ける為には、日々の地道な呼吸法を附随させた躰動法(たいどうほう)を会得しなければなりません。また、心を養う為には、汚染された中毒症状から心を解放し、癒さなければなりません。

 
心を汚染された中毒症状から癒す為の八箇条
愚痴や不平・不満を言わないこと。未来に向けた希望に向かって。
過ぎたことについて、いつまでも「こだわらない」こと。さらりと流れる爽やかさ。
人を中傷誹謗したり、憎悪の念を発生させないこと。自他離別を排除する。
噂話しに熱を入れたり、他人の不幸を喜ばないこと。自他一心同体意識。
自分を善とし、他人を悪として、善悪二元論に囚われないこと。自己主張への慎み。
傲慢な態度をしたり、優越感を抱かないこと。愚行を冒せば、明日は我が身。
人に助言を求めたり、それを安易に頼らないこと。期待は消極的発想。
他人の世話はしても、他人の世話にならないこと。あなたが受け取ることのできるのは、あたたが他人に与えた同等の量だけ。

 現代人は、幼児期の学習において、正しく教育されず、甘やかされて殆どの人が過保護に育った為、前頭葉が意外にも未発達です。現代病と言われる「心」に連動した病気であるストレス病や心身症と言われる自律神経失調症、ノイローゼや鬱病(うつびょう)、神経症や日常生活の不摂生から起こる心身相関病は、哺乳類脳の辺縁系や爬虫類脳のR領域の制御がうまくいかず、そこに情愛や攻撃や縄張り意識が絡み付いている為です。

 しかし、近未来に霊長類としての最終進化が迫られている現代人は、爬虫類領域や哺乳類領域の支配を受ける事なく、自己変革する時代が来ているのです。そして知性に満ちた、穩やかで、健康体に支えられた体躯(たいく)を獲得する為には、食を正し、食への慎みを忘れず、新たな知性体へと変革しなければならないのです。



●黒魔術の巧みな霊能者アドルフ・ヒトラーの食養観

 ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)が、菜食主義者であったと言う事は余り知られておりません。ヒトラーは、菜食主義が霊能力を高めると言う事を知っていました。また、西洋ベジタリアニズムの元祖が、ピタゴラスであると言う事も知っていたのです。

黒魔術の霊能者アドルフ・ヒトラー。ナチス党の政治思想は黒魔術の神秘主義が加味され、一種の軍事的宗教集団でもあった。

 霊的高次元の存在者になる為には、動蛋白等の肉や乳製品や鶏卵等を一掃して、菜食主義に徹底しなければ、こうした霊的能力は身に付かないと言う事を、『薔薇十字団の告白』を通じて知っていたのです。
 ヒトラーは、神秘主義研究集団の『薔薇十字団』が、インドの伝統的なマハトマMohandas/偉大な魂)にも似た、「超能力者」の集まりであることを知り、彼等は目に見える世界の事を相手にするのではなく、霊的な世界の存在に気付いている集団だと解釈したのです。

 『薔薇十字団の告白』によりますと、「幾度となく無価値な人々が現れて、騒ぎ立てるかも知れない。しかし神は、彼等の言う事に耳を貸し手はならないと命じ、下僕(しもべ)たる我々に害が及ばないように雲で包んで下さった。その為に、鷲(わし)から力を借りない限り、我々は、人間の目には見える事はない」とあります。

 神秘主義者にとって「鷲」は、密儀参入の象徴であり、これは宇宙神の体躯(たいく)のうち、脊髄(せきずい)の「霊の火」を顕わすのです。
 したがって薔薇十字団は、霊的に目覚めている人でないかぎり、その存在を探し当てる事は出来ないとしたのです。
 西洋において、「霊の火」の象徴は、須(すべか)らくは「鷲」であり、ヒトラーのナチス党の象徴も、鷲がハーケンクロイツ(Hakenkreuz/右回りの拡散と膨張の思想。鉤(かぎ)十字であり、 卍(まんじ)と同起源で右鉤)を掴んでいる構図になっていますし、またフリーメーソンのよって構築された傀儡(かいらい)国家アメリカも、国璽(こくじ)の表は「鷲」を象徴したデザインになっており、その裏が「完成されないピラミッド」と「ルシファーの目」です。

 世界中の大方は、十八世紀以降、肉食文化(牛・豚・羊・馬その他の鳥獣や、マグロ等の高級魚の肉)や動タンパク食文化(チーズ・バター・白砂糖ベースの生クリーム類・練乳・粉乳など)の真っ只中にあって、益々こうした食文化に偏っていく傾向にあります。ところがこうした現実を横眼に、ベジタリアニズムあるいは穀物玄米菜食をかかげるには、何らかの有益な意味を含んでいなければなりません。

 西洋史を見てみますと、庶民の多くは動蛋白摂取が多かった事が窺(うかが)われます。それに比べて上流階級や王侯貴族は極めて動蛋白摂取が少なく、むしろ穀物の加工食品であるパン等を多く摂取し、後は根野菜や葉野菜や茎野菜が殆どで、その他は魚介類に及び、香辛料(ケシ・コショウ・ショウガ・サンショウ・シナモン・トウガラシの類)やそれ等をベースにした飲み物でした。
 これは庶民が動蛋白を狭い、偏った範囲で摂取する実情とは異なり、常に上流階級は、穀物菜食を実践しながら広範囲の食品を食べていたと言う事が解ります。
 そして、こうした食物菜食を実践する上で、益(えき)となる「テキスト」を持っていたと言う事です。

 彼等は、穀物菜食の齎(もたら)す利益が、直感的に物事の心理を悟ったり、生理的に正常な状態を維持する為には、「正食」の道に則した食体系を持たねばならないと言う原理を知っていたのです。こうして、食を改めていく為には、何が必要で、何が不要であるかのテキストが必要であり、その食理想のガイドブックが、自らの狂った食習慣を変えると言う、もう一つのバイブルを持っていたのです。

 しかし庶民はこんなものはありませんから、動蛋白摂取に何の疑いも抱かず、ただ決められた日々の食習慣に従って、明け暮れるだけの毎日を送っていたのです。その方が、ずっと楽であるし、何も考えなくて済むからです。愚衆政治のはじまりは、実はこうした食生活と密接に絡み、また為政者は庶民が愚民であればあるほど、政治は遣(や)り易く、いつまでも権力の座が独占出来たのです。

 したがって何時の時代も、為政者は策を好み、ひと握りのエリートは、今日に見るような食品産業と、巧妙に手を結び、政府奨励と言う形で、厚生労働省が現代栄養学者と手を組んで、動蛋白摂取を呼び掛けていけばよいのです。
 現代の肉食や、飽食三昧(ざんまい)の食道楽に明け暮らす食文化は、庶民に何も考える事をさせず、美食に首までどっぷりと浸からせて、愚昧化(ぐまいか)を図る一種の巧妙な政治工作と言えましょう。

 庶民の話題とするべき事は、今世界で起っている複雑な政治絡みの事件よりは、スポーツや芸能情報に焦点を合わせて次元を落としたものを提供すればよいのです。それによって、何の疑いも抱かれずに、日々の生活に明け暮れることを選択させるように仕向けた方が、より一層愚昧化できるからです。

アドルフ・ヒトラーとエバ・ブラウン。

 こうした考えてくりと、時の権力者は庶民をどのように扱おうとしているか、容易に見えて来るではありませんか。

 アドルフ・ヒトラーは自分専用の凄腕(すごうで)のコックを持っていました。それも、野菜料理専門の凄腕のコックだったのです。
 彼は内外から政治家や軍人を総統官邸に招待して、豪華な晩餐(ばんさん)会を夜な夜な開催しましたが、料理人の多くはフランス料理の専門家達でした。動蛋白たっぷりの、脂肪が重厚な豪華なフランス料理を振る舞いました。

 しかしヒトラーは、自分が招待者でありながら、一口もこれらは口にしなかったのです。招待者らと、にこやかに語らい、まめまめしく接待役を努めるのですが、豪華なフランス料理は一口も口にしなかったのです。そして晩餐会も終わり、ホッと一息ついた頃、ヒトラーはエバ・ブラウンと慎ましい穀物菜食の夕食が始まるのです。これはディナーと言うようなものではありませんでした。
 歴史に登場する多くの権力者と違って、ヒトラーは好んで、穀物菜食を摂っていたのです。

 では何故、彼はこうしたベジタリアニズムの信奉者になってしまったのでしょうか。
 大多数が肉を食べる文化では、人間の持つ直感が遮られて、愚昧かされ、烏合(うごう)の衆となって世の中が混沌(こんとん)とします。したがって人民を一つに纏(まと)めあげる為には、その中心になるものが必要になります。つまり中心とは、霊的能力を持ったカリスマ性です。ヒトラーはとう養子を研究する事で、このことをよく知っており、一方、自分以外の多くを愚昧化する事で権力の座を独占しようとしたのです。

 十八世紀から二十世紀初頭にかけて、生み出されたベジタリアニズムの関連書籍の中心となったテキストは、古代ギリシャの哲人でプラトン学派であったプルタルコスPlutarchos/古代ギリシャの哲学者でプラトン哲学の流れを汲みローマ・アレクサンドリア・ギリシア等を巡歴し講説した)らが主張した「直感と閃(ひらめ)きの能力を養成する為に、肉を人間の食餌(しょくじ)から排除する」という食思想でした。

 この食思想の基盤は、ピタゴラスPythagoras/古代ギリシャの哲学者・数学者・宗教家)の「全一者」であるモナドmonad/単子についての形而上学説)の概念でした。モナドは、宇宙のあらゆる部分に浸透している「最高の精神」を意味します。

 ライプニッツGottfried Wilhelm Leibniz/ドイツの数学者・哲学者・神学者。微積分学の形成者。1646〜1716)はピタゴラスのモナドを発展させて、「モナド論」(単子論)を展開させます。
 モナド論によれば、モナドは力と作用を実体化したもので、広がりも形もない単純な分割できない実体で、それが無数に集まって宇宙を形づくっているとする形而上学説です。
 また、この学説によれば、モナドの作用は表象作用で、それには明暗の程度があり、暗い表象作用を持つのが物質的なモナドであり、霊魂や理性的精神のモナドは明るい表象作用を持つが、その明暗の推移は連続的であると説きます。ライプニッツはこうしたものを「神」と名付け、この世の万物の事象は「最高の精神」である「神」の具現化であると説くのです。

 モナドは相互作用を欠く閉鎖的実体ですが、それぞれの明瞭度で宇宙を映し、相互間に《予定調和》(宇宙には神が予め定めた拮抗作用がって、左右いずれにも傾かない。例え傾いても、復元力があり元に戻ろうとする調和)があるとされます。ライプニッツはこの説によって、《目的論》teleology/自然的存在者は、自己自身のうちに自己自身の在り方を規定する原理と力を持っているという思想)と《機械論》mechanism/あらゆる現象を機械的運動に還元して説明しようとする立場、およびこの考えに立つ世界観)との対立を克服し、心身の対応関係を説明したのです。

 ライプニッツの「モナド論」の基礎を為(な)したピタゴラスの言によれば、この世の事象は万物の「原因」(あるいは派生)、万物の「叡智」、万物に内在する「力」の三つによって顕わされるとしているのです。神の運動は「円環的」であるとされ、神の肉体は「光」の実体からなり、その本性は「真理の実体」からなるとしているのです。つまり円、あるいは循環は途切れる事がなく、ピタゴラスの説くモナドには「輪廻転生」が説かれているのです。

 そしてピタゴラスは「哲学者(philosopher)」いう言葉を作り、哲学者は「真理を探究する人」と定義付けたのです。真理探究者は「中庸(ちゅうよう)」を維持するべきで、極端に左右いずれかに偏ってはいけないとしたのです。それは美徳の過剰が、すなわち悪徳の過剰であるとも説き、「我々は最大限に努力をして避けなければならない様々な事がある。それは肉体から病気を、魂から無知を、胃袋から美食を、国家から内乱を、家庭から不和を、そしてあらゆる過剰なものを、火や刀や、その他の手段を用いて切り離さねばならない」としたのです。

 その為には、まず死を迎えるまで、徹底的に穀物菜食と不飲酒を実践しなければならないと説いたのです。これがピタゴラスの「肉を人間の食餌から排除する」と言う思想でした。
 しかしこの食思想は、時の権力者や富豪の美食家から迫害を受けて、一端は葬り去られます。中世においてフランス料理がヨーロッパを代表して、国家間のレセプションreception/招待会)に持て囃(はや)され、国際上の饗宴(きょうえん)等に用いられることが多くなっていきます。
 一方、穀物菜食料理等は目もくれなくなります。

 高度な調理法と多様なソースを用いた、洗練された複雑な味が特徴のフランス料理は、権力者や富豪の間で引っ張りだことなり、特権階級や大富豪の上流階級の胃袋はこの味の虜(とりこ)になっていきます。
 かくして穀物菜食主義思想は、これで完全に潰(つい)えたかのように見えました。

 ところが穀物菜食主義思想は、霊的高次元との交流において、この食餌法こそ最も重要と考えたのが、『薔薇十字団』でした。
 薔薇十字団は、現在に至っても一体どういう組織であるか解明されていませんが、歴史的事実として、多くの著名人や知識人がこの集団と関わり、歴史に関わって来た事実があります。
 その潮流の中には、ベンジャミン・フランクリンBenjamin Franklin/アメリカの政治家・科学者。1706〜1790博士やフランシスコ・ベーコンFrancis Bacon/イギリスの政治家・哲学者。科学的方法と経験論との先駆者)卿やがおり、更にはトマス・モアThomas More/イギリスの政治家・思想家。1478〜1535)やトマッソ・カンパネラTommaso Campanella/イタリア、ルネサンス晩期の哲学者。1568〜1639)あるいはパラケルススAureolus Theophrastus Paracelsus/ルネサンス期のスイスの医学者・自然科学者・哲学者。1493〜1541)といった、当時一流と称された流脈で彩られていました。

 こうして薔薇十字団は、十八世紀から二十世紀初頭にかけて、その支流を受け継いだ団体が「薔薇十字」の名前を掲げます。特にドイツを中心に、多くの薔薇十字団が結成され、フリーメーソンとも微妙な関係を以て関わっていく事になります。そしてフリーメーソンは、薔薇十字団を吸収し、中枢に取り込む形で神秘主義教義を確立し、その教義をベースに、世界最大の秘密結社の後を継いだと言う見方もあります。

 こうした薔薇十字の儀式に大きな関心を抱いていたのが、アドルフ・ヒトラーでした。薔薇十字団の日々の実践は、穀物菜食の食事法を徹底して、宇宙の神秘に通暁(つうぎょう)するというのがその中心課題であり、ヒトラーの関心はもっぱらこの組織の密儀や秘儀、あるいは象徴体系という深層部を担うもので、これをナチズム(SAの「突撃隊」及びSSの「親衛隊」)の中に取り込み、自らは神秘研究家と称して、あるいは黒魔術の霊能者として、更にはナチス党とドイツ国家に独裁者として君臨しようとしたのです。ナチス党の儀式には、薔薇十字の儀式がかかわり合っていたことは間違いありません。

 そして霊的波調を高めていく為には、なぜ穀物菜食の食餌に徹底しなければならないか、ヒトラーは、それを知っていたのです。
 しかしヒトラーの求めたものは、ハーケン・クロイツという、鉤十字の拡散・膨張の右回りの暴力主義であり、黒魔術であり、人々を幸せにするものではありませんでした。