|
||
●食材は季節ごとの旬のものを 野菜等は農薬を使わない、季節ごとの旬の食材であることが大切です。旬のもの以外の、ビニールハウスで育った、一年中出回っている野菜は禁物であり、これらの物は既に気候風土から自然に得られる「気」と、太陽からの直接エネルギーを消失しています。 したがって太陽エネルギーを、自然な形の、風土の中で育った、季節ごとの旬の野菜を摂取することが大切です。こうした旬の野菜は、体質の偏りを修正する役割があります。陰陽のバランスを取る事によって、体質を、限りなく中庸(ちゅうよう)に導こうとする働きがあるのです。また浄血作用を促します。 現代は、昔に比べて野菜の種類が豊富になりました。色も型も、あるいは収穫時期もまちまちです。そこで注意したいのが「身土不二の食思想」です。 昨今は、外国産の農作物が増えてきました。しかしこうした農作物を、身土不二の食思想から考えると、人間の躰は、自分の生まれた土地と密接な関係がありますから、 こうした食品を摂取するのは大きな間違いであり、外国産の野菜や果物は、農薬の危険があることを忘れてはなりません。 また魚介類を食べる上で、最も注意しなければならないことは、丸ごと食べられる「全体食」であるか、否か、と言う点にあります。 本来ならば、人間の食性は、穀物菜食の食性を持っているのですから、何も魚介を摂る必要はないのですが、地球誕生以来、陸地が雨に洗われ続けた結果、土壌の中のミネラルの多くが、海に流れてしまいました。 そうした事から、必要なミネラル源を補給するために、海産物である魚介類や海藻や塩が必要不可欠な食品となってくるのです。 つまり魚介類や海藻や塩は、ミネラル源の大事な役目を果たしていることになり、食品として大きな価値を持っていることになります。 さて、魚介(背中の青い小魚)も海藻も二次的な加工(天日で干したものならよいが、味醂等で二次的に味付けされたものは不可)がなされているもの以外は問題なしとして、問題になるのは「塩」です。 塩は絶対に「自然塩」でなければならず、スーパーや食料品店に出回っている食卓塩等は不可です。これ等の塩は99.99%が塩化ナトリウムであり、イオン交換樹脂法という方法で作られた精製塩であるからです。これは人体にとって非常に有害であり、高血圧や心筋梗塞の病因を孕(はら)んでいます。 厚生労働省などが「塩分は控えめに」と宣伝しているのは、実はイオン交換樹脂法で作り出された精製塩のことであり、自然塩が約20%のミネラル分を含んでいるのに対し、精製塩はミネラル分が殆ど皆無なのです。そして寧ろ、今日の日本人は「塩が不足している状態」にあるのです。 また、食肉中心の若者の食生活が、「切れやすい」人間的性格を作り出したのです。これは自然塩不足から起こった社会現象です。 【塩の種類】 |
塩 の 種 類
|
|
自然塩
|
自然塩とは「塩そのもの」を指すのではない。自然塩と言われるものの中には、味噌や醤油等からも摂取できる塩分で、こうしたものを多用することによって、塩分補給した方が好ましい。自然塩は、塾生と発酵によって得られた塩であり、塩のカドがとれ、躰にはより穩やかに働きかけをするのである。 食品としての塩は、ナトリウム分が80〜90%くらいで、10〜20%の多彩なミネラル分が共存しているものを自然塩と言うのである。 【註】奄美大島等で、海水から特別に生成される塩には自然塩と言う高級な塩がある。これは総て皇室御用達用である。 薄味指向は要注意で、疲れ易い等のスタミナ切れは、実は塩分不足が問題なのである。半健康体あるいは慢性病の人に共通して言えることは、脱塩症状を起こしていることだ。半健康体や慢性病が起こる病因は第一に上げられるのが血液の汚れであり、血液性状の混乱に問題がある。こうした人は血液検査をすると、コレステロールや血糖値が高すぎたり、逆に赤血球数やミネラルが足りなかったりと、異常所見が見られ、ナトリウムが異常に低地になっていることである。 その為、トイレが近い、寒がり、性的機能の減退、行動がのろく鈍感、鈍重な思考、倦怠的な疲れた顔付、険相のある顔付等で、本来人間の生命活動は「火を焦がす」のがその本義であるから、脱塩症状は冷たい水の感じであり、「末期(まつご)の水」を思わせて、火の消える状態を指している。こうした状態が脱塩症状なのである。 |
粗塩
|
未精製の塩で、苦汁(にがり/海水を煮つめて製塩した後に残る母液。また、粗塩の貯蔵中に空気中の湿気を吸い、とけて分離する液状苦味質をもいう。主成分は塩化マグネシウム)が多く、その為、しっとりしている。多くは調理用に使われ、特に魚の振り塩や漬物に使われる。 |
精製塩
|
原塩を水に溶かして電気分解したもので、更に再び再結晶させ、塩化ナトリウムを99.99%以上含むもの。ミネラル分はゼロ。主に中流以下の一般家庭の調理に使われる。イオン交換樹脂法という方法で作られた精製塩で人体には有害。 |
天塩
|
精製塩に海水のミネラル分を吸収させた塩で、うま味が多少あるが、食品店やスーパー等では「天然の塩」等で売られている。しかし中身は、精製塩と殆ど変わらない。多少海水を含んでいるので、「天然の塩」等と言う表示で、気休めにはなるだろう。天塩は「甘塩」とも言われ、塩気の薄いことを指し、「うしじお」ともいう |
漬物塩
|
原塩を洗って粉砕した塩で、発酵促進剤として林檎酸(りんごさん/有機酸の一つで、植物体に広く分布し、トリカルボン酸回路の一員。未熟なリンゴ・ウメ・モモの果実中に特に多い。無色の結晶で、快美な香気をもつ)やクエン酸(citric acid/柑橘類の果実中に遊離して存するほか、生物界に広く分布する水酸基を含むカルボン酸)が添加されたもの。 |
食卓塩
|
防湿の為に炭酸マグネシウム(マグネシウムの炭酸塩で、天然には菱苦土(りようくど)鉱として産出。化学上は塩基性炭酸マグネシウムを指す)などを添加させているサラサラの塩。水に溶けにくく、解けた液体は水に白く濁る。その為、料理には不向きで、食卓での使用に供する精製した食塩。湿りにくくする為に炭酸マグネシウムを添加しているが、医療では制酸剤・緩下剤とし、また化粧品・歯磨粉・磨粉の材料とする物質で、常食用としての食品にするには不向き。 |
調味塩
|
うま味成分として、グルタミン酸ナトリウム(アミノ酸の一種で、白色結晶を持ち、蛋白質中に広く分布しているが水に溶け、旨みがある化学調味料。グルタミン酸のナトリウム塩は、昆布の旨みを形成するもので、調味料としても製造)が添加されていて人体には非常に有害。昆布や鰹節等の天然の旨み成分を化学的にまたは酵素を用いて処理して得た調味料であり、調味塩においても、グルタミン酸ナトリウム・イノシン酸ナトリウム・グアニル酸ナトリウムの類が使われ、味覚を麻痺させる有害性がある。 |
塩代用食品
|
塩辛さだけをそのままにして、ナトリウムの大部分をカリウムに置き換え、「塩味調味料」として市販されているもの。一般には塩分制限のある人に、最適と言われているが、逆にナトリウムを全く摂らないと言うことは命に関わることで、むしろ日本人は「塩分不足」であり、ミネラル分を含む塩は毎日20〜30グラム程度は摂取するべきである。塩分で有害なのは、精製塩や食卓塩などの人体有害物質であり、自然塩は積極的に摂りたいものである。 |
減塩思想は、肉食の欧米で生まれた考え方です。肉類そのものがナトリウム食なのですから、肉食をしていればそれだけで塩分過多となってしまいます。したがって肉料理の場合、調味料としての塩分の使用量は極力控えないと塩分過多で弊害が起こってしまいます。 一方日本人は、欧米並みに肉食が普及したとは言え、基本的には白米のデンプンと菜食が中心のカリウム食ですから、ナトリウムを十分に摂取しておかないと「カリウムとナトリウムのバランス」が崩れてしまいます。 こうしたバランスを補う智慧(ちえ)は、日本伝統の漬物や塩干魚、天然塩を用いた胡麻塩や佃煮(つくだに)等になって、これを副食にすると言う必然的な智慧がありました。そもそも塩分摂取と言うナトリウム補給は、生命活動には必要不可欠な物質で、血液中のナトリウムイオンと、細胞内のカリウムイオンのバランスがとれて、はじめて人体の細胞や組織は活発に働けるのであって、ここには体細胞には海水が不可欠だったのです。 元々、生命細胞は海の中で発生したものであり、生き物は海水に浸されて生きるというのが基本原則ですから、常に塩分摂取については、「ちょうど良い」と感じる食事の塩加減が大事なのです。 しかし現代では、塩分の摂り過ぎは駄目、薄味が良いと言うおかしな食理論が展開され、健康に関心のある人など、薄味指向が堅固に守られ通されていますが、かなりの「薄味」を「ちょうど良い塩加減」と錯覚している混乱が起こっています。その為、非常に疲れ易い躰になってしまうのです。 さて、こうしたミネラル分は自然塩の他に、海藻類や貝類にも含まれていますし、魚では皮や頭、尾ビレや背ビレ、胸ビレや骨等に集中的に含まれています。 魚で問題になるのは、頭から尻尾まで丸ごと食べられる「全体食」であるか、否か、と言う点にあります魚の身は付属的なものなのです。こうした事を考えると、マグロの大トロも、高価な鯛刺も、河豚のてっちりも、総て付属品のカスを食べていることになります。 したがって、魚を食する場合、丸ごと食べられなければ、折角の魚食が無駄となり、無意味なものになってしまうからです。魚を選ぶポイントは、手のひら大の、小型のものがよく、いわし、ししゃも、小型の平あじ、わかさぎ、さより、えぼだい、小海老、小烏賊などが、魚介としては最適です。また旬のもので、さんま等も、頭から尻尾まで全部食べられれば合格です。 また貝類に至っては、銅や亜鉛などの微量元素のいうミネラル分が含まれ、人体の故障した細胞の修復に当たる自然治癒力を増強させるもので、精力強化に効果的で、こうした因子を多く含んでいますので積極的に利用したい食品です。かき、しじみ、あさり等は最良の食品であり、型の大小を問わず、自然治癒力を増強させるミネラル分が豊富です。 特に貝類は、生物進化上から見ても、下等な海中動物であり、これらの動物は躰全体が均質的な仕組になっており、バランス食であることは言うまでもなく、バナジウム(元素記号 Vで、 原子番号23。原子50.94。銀白色の金属。主要鉱物は褐鉛鉱)等の特異な微量元素を保有しているので御薦めの食品です。 更に、イクラ等の魚卵類、クサヤや烏賊の塩辛などのように、内臓を利用した食品も御薦めです。但しこうしたものは、塩化ナトリウムや化学調味料や食品添加物が混入されていないということが条件となります。 魚介類は体質を陽性化するもので、慢性病になったり、無気力になったりするのは、体質が陰性化したからに他ならず、魚介類はこうした病因を解消する、最も有効な食品と言えます。 ●食品公害について 食品公害と言う現象は「法則」に違反する事から起こります。殺虫剤や農薬を多量に散布された茄子(なす)や胡瓜(キュウリ)等の農作物は、スーパー等の店先に美しく並べられて売られていますが、その見た目が美しい野菜は、実は虫が一匹もつかないという有害食品であり、そこに漂っているものは、人間の手によってねじ曲げられた、人為的な人工美だげが表出されています。 まず、この事をよく考えて頂きたいのです。 虫がつかないと言うのは、虫が近付けない程の有害作物である為、虫がつかないこと事態が既に有害であり、私たちの目にはこうした人工的な不自然さに、目が慣らされてしまったいう観が否めません。そして現代人の多くは、こうした人工美に踊らされ、これに疑いを抱く目は失われ、現代社会の縮図の中で不感症になっていると言う現実が、何ともいえない恐ろしさを感じさせます。 味噌や醤油も防腐剤のお陰で腐らず、カビすらも生えません。また二日酔いで頭痛がするのは、防腐剤のパラホルムアルデヒド(paraform aldehyde/脱水素されたアルコールの意で、アルデヒド基をもつ化合物の総称。メチル‐アルコールを酸化して得られる。ホルムアルデヒド・アセトアルデヒドの類)の中毒の為です。 また、動物を殺して、直ぐ食べるのはよくないと言われますが、動物は殺される時の恐怖で、多量のアドレナリンを分泌します。その際、死後硬直や死毒(動物の死体が細菌などによって分解される時に発生する有毒物)が発生して、こうしたものを食すれば、間違いなく人体には有害なのですが、最近の食肉は、促成飼育のために、成長促進ホルモンや多量な抗生物質が投与されており、アドレナリンを分泌する前に頭部に屠殺の拳銃を打ち込みますから、更に動物達の死に方は非常に不自然になっています。 食肉になる飼育動物は、生産者の過保護飼育の為に虚弱肥満体質であり、このこと事態が不自然であり、病的な食肉であると言う事が言えます。こうした病的食肉を大量に常食すると、人体に何らかの悪影響が発生するのは必定であり、私たち人間と同じような哺乳類脳を持つ動物は、霊的に言っても、こうした食品を食べるべきではありません。 本来動物と言うのは、人間が保護すべき対象であり、これを殺して食べると言うのは、宇宙の摂理から言っても絶対に間違っています。 不運や不幸で悩まされる人の多くは、こうした食品を自覚症状の無いまま食べていると言う実情があります。 その他、人工着色料、人工調味料(昨今ではうま味調味料と言われる)、甘味料、人工添加物、医薬品なども、その殆どが石油を原料にするナフサ製品であり、したがってこうした食品を摂取しますと、肝臓癌に体細胞移行が働くのは当然であり、こうしたナフサ製品は、肝臓毒・発癌物質と考える事が出来ます。 そして、こうした食品の恐ろしいところは、一時期の少量使用に於ては、殆ど悪影響が隠されてしまい、長年に渡って使用しない限り、表面化しないと言うところにあり、少量使用では、全く問題がないとしているところにあります。 大量なら問題があるが、少量なら問題がないと言うこの発想は、一体何処から起こって来るのでしょうか。 こうして現状を見回してみると、私たちは日常生活の中で、人工的で不自然なものばかりを食べさせられていると言う事になります。自然に逆らった人為的に、人工的に造られたものばかりが、日常上至る処に溢れ、そればかりでなく、吸う空気や、身に付けている衣類まで、何処か不自然であり、洗剤の有害性や、住んでいる大地すら放射能やPCB(polychlorobiphenyl/人体に対する毒性が強く、自然物および生体の中に蓄積されやすい有害物質)で汚染されていると言う現実があります。 私たちの周りには無数の有害物質が溢れ、遠く南極に至ってもPCBが検出されると言う有様ですから、大気圏内ばかりでなく、大気圏外にも相当数の公害物質で汚染されていると言えます。 このまま行けば、現代人の健康に重大な支障を来すばかりでなく、子孫の保有する遺伝子にも悪影響を与える事は必定であり、近海に見られるような奇形種の魚介類が、やがては人類の子孫の姿となり、現代人と言う人類の種は、このまま絶滅してしまうかも知れません。 また昨今では、自然農法や自然食等がブームとなって有機栽培食品が持て囃(はや)されていますが、既に大気も汚染され、大地もPCBやダイオキシン(dioxin/トリクロロフェノキシ酢酸という除草剤の製造の際の副産物として、また焼却施設から検出される有害物質)で汚染されているのですから、ただ外部の汚染から身を護るだけではなく、内側からの免疫力も強化して行かなければなりません。 免疫力を持つ事こそ、長寿の秘訣であり、病気に罹(かか)らないと言う事よりも、病気に罹っても直ぐに治る力を持っている人が真当(ほんとう)の健康人なのです。 ●人類の大脳構造の中には美と創造の前頭葉が存在する 日本人が太平洋戦争の敗北で、軍国主義的な一面を捨て去ってしまったことは、非常によい事だと思います。しかし、軍国主義と共に、一緒に捨ててしまった中には、精神的な支柱になりうる「日本人の魂」までも捨ててしまったことは非常に残念なことです。 現代日本人が否定している、かつての日本の道徳性や日本武術等に見られる精神的な武士道精神等も、本来ならば時間を掛けて再発掘しなければならないのですが、明治時代の日本人の殆どが持っていた高い道徳感情や、武士道的気風は、もう一度見直す必要があるように思われます。 また、これまで日本人は持ち続けた食体系にしても、そこに重要な食への要素が含蓄されており、これを謙虚に学び取り、食への慎みを取り返すことが大変大きな食の課題だと思います。 私たち人間は、人間以外の哺乳動物と同じような構造を持った水冷式の動物であり、これは否定しようがありません。したがって、人間が行なう行動のうちで、動物も同じような行なう行動については、非常に注意してかからなければなりません。 人間には、動物的に振る舞う行動の、爬虫類脳のR領域や哺乳動物脳の辺縁系が、構造上、大脳の機能を形作っており、これはR領域の縄張り意識から闘争本能を呼び起こしたり、辺縁系の情愛の一部である溺愛と言う愛情に溺れる過保護状態をつくり出し、こうしたものが、屡々、動物的に行動する可能性を孕(はら)んでいるからです。 また日本的なものの一つとして、日本人の食体系がありました。 動物は食べなければ生きていかれません。動物達も食べ、また人間も生命維持として、某かの食品を口にします。 さて、問題はここにあります。 私たち人間は何を食べるかという事であり、手当たり次第に良質のアミノ酸を見つけ出し、それを食べるとするのは大きな間違いです。神と言う、人間を創造した創造主は、人間の歯型にその食べ物は何であるかを示されました。人間の歯型から、人間の食べ物を割り出しますと、大自然が人間に与えた食べ物は、穀物と野菜のみであり、またこれらが、人間にとって一番適した食べ物でした。 ところが、現代はこの禁が完全に敗られています。食肉をはじめとして、乳製品や鶏卵等が、食卓の至る所に溢れ、その多くは成人病を齎す欧米食です。 こうして、天地大自然から許された範囲外のものを食べた結果、多くの不幸現象が人間の頭上に降り注ぐ事になりました。これは明かに、宇宙の法則や秩序に反する行為を行なったことを如実に物語るものであり、種々の恢復不可能と思える難病や奇病、怪我や事故、争いや不和等の不幸現象を生み出す大きな要因になっています。 人間にとって必要な栄養バランスは、総て穀物や野菜や、近海の魚介類等で賄えるようになっています。しかしこうしたもの以外を食べる、グルメ指向が、一億総中流を挙げて大盛況であり、ここに日本人の総ての不幸現象が凝縮されているのです。そして、その結果食肉類等の動蛋白を摂取して、血液は汚れ、身体の調和は崩されて、日本人の持つ古来からの霊的神性まで破壊されてしまうのです。 食肉と言えば、この食材のベースになるのは、人間と同じ性(さが)を持つ哺乳動物の事であり、「動物性」というのは、人間の肉体を同じものと言う意味であり、したがって、これはまさに「共食い」であって、こうした事が様々な不幸現象を引き起こします。 だから日本人は、神道においても仏教においても、肉は食べてはならないとしていたのです。これは食養学から考えても正解であり、絶対に共食いは避けなければなりません。 食養道の世界でも、古来より肉類は禁物いでした。日本人は肉を食べてはならない食性を以ており、この食性を破ると、大きな不幸現象に嘖(さいな)まされます。こうした事を古来の日本人は、人類に先駆けてよく知っていたのです。しかし時代が下がり、現代に至ると、欧米の西洋科学で科学至上主義が猛威を振るい、動物には良質のアミノ酸が存在すると言う現代栄養学を作り上げてしまったのです。 更には、現代栄養学と現代医学が、食品産業と結託して、動蛋白摂取を推奬するような、権威筋の確立を、まんまとやってのけ、動蛋白の一種である「牛乳イコール健康」あるいは「牛乳イコール骨太」等と言う全く根拠のない神話までもつくり出してしまったのです。 そして日本の戦後とは何だったかと、振り返りますと、戦後の日本における影響教育は、一部の権威筋の捏造(ねつぞう)で日本人が食体系を狂わされ、マスコミに翻弄(ほんろう)された時代と言えます。 こうした翻弄が、日本人のあらゆる生活様式の中にも入り込み、その大きな汚点が、最近の日本人の考える「セックス観」です。 あらゆる動物はセックス行為を行ないます。しかし多くは生殖が目的です。人間の場合はその大半以上が生殖とは別の快楽や享楽の追求で、自己の性欲を満たす為にこれが行なわれます。 ところがこの構図をよく洞察してみますと、不思議なことが欠如していることに気付かされます。 もし人間が、ただ単に男女間で、その性を貪るのならば、それは哺乳類脳での辺縁系の肉欲の範疇を越えないと言うことに気付かされます。つまり現代人のセックス観は、哺乳動物のそれであり、人類のそれではないと言うことになります。この不思議は、人間は人類の人類脳の前頭葉を所有しながら、原人脳より下回る哺乳類脳で対処し、男女が性交遊戯を楽しむと言う、享楽に溺れる現実があります。 現代人の多様性は、その所有する脳は、言語や記憶は原人脳の外表系で対処し、セックスは哺乳類脳の辺縁系で対処し、資本主義の競争原理下では、爬虫類脳のR領域で攻撃をしたり、縄張りを防衛したりの闘争本能や防衛本能で格闘していると言う、不思議なくらいの遣い分けです。 そして人間は、最終進化の為に前頭葉と言う進化を促す、美と創造の意識を持ちながら、これを全く遣おうとしないことです。 この結果、現代人のセックス観は、人間的なものではなく、獣(けだもの)的であり、セックスの概念が余りにも低く、また男女相互間には、全く人格と言うものが存在していないと言う現実に驚かされます。 セックスを行なう場所は穢(けが)れた連れ込みホテルかラブホテルであり、大方正しい相手とは言い切れないような不倫の関係で性交渉をし、また、正しい交会(こうえ/密教房中術で言う性交の事であり、場所、時間、相手のと関係、想念等が総ての概念となる)の時間を無視して、ふしだらな快楽遊戯に明け暮れます。果たして、これは前頭葉を発達させ、美と創造をつくり出し得るものでしょうか。 むしろ、これこそが「不幸」や「不運」の、紛れもない元凶であり、こうした事を繰り返す男女に、永遠に幸福は訪れませんし、死して後の辛い地獄の生活が待っているのです。 人間の意識の中に横たわっているものは、過去と未来を結ぶ、現在と言う「今」の概念であり、この概念の中にはアカシャ・レコードに記憶される、記憶が過去らか現在を通して、未来へと、あらゆる人間の行動が記録され続けているのです。その記憶の中には、こうした「ふしだらな快楽遊戯」も、しっかりと記憶されてしまうのです。 |