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●便秘と宿便

 便秘はやがて宿便になり、宿便は大腸癌、または蜘蛛膜下(くもまっか)出血を招き寄せます。その最初は動物性脂肪過剰でニキビや吹き出物が表面に現われますが、これを薬等で抑えると、表面的には治ったように見えて、実は内部では宿便の悪因が進行しているのです。殊に、若い女性に多く、偏頭痛等が発作的に起こします。これは血管の収縮が起こっている為で、酷くなると視野の異常、後頭葉部分に周期的群発的に痛みが現れます。
 これは血管が収縮と拡張を繰り返している為の異常な状態です。
 原因は動物性脂肪の過剰摂取ですが、カルシウム不足(治療としてはカルシウム拮抗剤を用いる)からも起因しています。この症状に罹(かか)っている人は、目の回りに痙攣(けいれん)が起こっており、その部分がキリキリと痛みます。これは両方起こることは稀(まれ)で、どちらか一方に起こります。しかし、この痛みは血管のむくみがおさまると一週間程で消えてしまい、また、一年後くらいに血管がむくんでに再びやってきます。癌、もしくは蜘蛛膜下出血が進行した為です。

 肉類、乳製品、卵類等は腸内に停滞する時間が長いので、食欲中枢を屡々(しばしば)狂わせることがあります。人体には生物時計(一般には人体時計といわれる)というものが備わっていて、食事の時間帯になると自動的に作動するようになっていますが、酸毒化しやすい動物性蛋白質を摂ると、同時に動物性脂肪も一緒に持ち込まれ、摂取中枢の神経網に正常な指令が伝わらず、食事の時間帯を狂わせることがあります。
 これは夜食症候群といわれるもので、朝も昼も食事をせずに、夜だけに一日分を食べるという病気で、インシュリンの分泌に狂いが生じるのです。
 正常な食事時に食事をするということは、インシュリンの分泌も正常に行われ多量に分泌されますが、食事するべき時間に食事をせず、夜だけの時間に食事をするとインシュリンの分泌は起こりにくくなります。インシュリンは、ブドウ糖を利用する大切なホルモンですが、また、同時に体内で蛋白質や脂肪をつくる重要な役目も担っています。

 食事時に食事をすると、インシュリンは効率よく分泌されますが、この現象を「同時性」といい、生物時計の重要な役割です。しかし、この生物時計を狂わせてしまうと、一日のうちに一回だけを大食いをするという病気を招きます。この病気に罹っている人は、概ねが肥満体で、筋肉に締まりがなく、水膨れで、精神的には集中力や持続力が失われれています。



●大禊祓

 年間を通じての断食行は、春秋の大禊祓(おおみそぎ‐はらい)でクライマックスを迎え、この断食行には次のステップでおこなわれます。

 断食の日程は次の通りであり、「十四日断食」「二十八日断食」「三十五日断食」、そして最後の「四十五日断食」で大禊祓が達成されます。そして「十四日断食」「二十八日断食」「三十五日断食」は、クライマックスの「四十五日断食」の大禊祓へと、入って行く為の「目安」となる断食行で、これが克服で出来れば、体内の毒素を排出するばかりではなく、霊的な感覚も向上し、霊的神性が高まっていきます。釈迦やキリストは大禊祓を達成して、霊的神性を高めたのです。
 《霊的食養道》はまた、道元禅師の名著『正法眼蔵』の中に、「一茎艸量(いっきょう‐しょうりょう)あきらかに仏祖心量」という、一本の草にも絶対的な価値観を追求していく道でもあるのです。
 一茎艸量とは、一本の草にも智慧徳相が個別に現われていると見るのではなく、その草も自分と同根であるという考え方です。つまり、何事にも垣根を造らず、名もない雑草すら仏の分身であって、それは自分との分身であると説いているのです。

 人間が生きていくということは、他の食物を食べて生きて行かなければなりません。植物性にしても、動物性にしても、その尊い命を人間が貰うわけですから、これを感謝していくことが、人としての大切な道になるのです。人間の繁栄は、他の生命あるものを犠牲にして成り立っているのです。
 生きて行く為に、毎日何らかの生命を犠牲にし、殺生しているわけです。したがって、食事をする前に箸(はし)を置いて合掌するのは生命を犠牲にしてくれた、穀物や野菜や小魚の為の、自らの罪へのお詫びと感謝の印なのです。だからこれらの食物を少量で止めるという「腹六分」の考え方が必要になり、殺生の数を最小限度に抑えるという努力を、当然人間側が払わねばならないのです。

 道元禅師は「仏遺教経」の中に、「諸々の飲食(おんじき)を受けては、まさに薬を服するが如くすべし。良きにおいても悪しきにおいても、増減を生ずること毋(なかれ)。僅かに身を支えることを得て以て饑渇を除け」と厳しく戒めています。
 永平寺の開祖・道元禅師の厳格な教えは、その後も厳格な伝統として、以降七百五十年以上も続き、食事作法が典座(てんぞう)教訓として「赴粥飯法(ふじゅく‐はんほう)」の中に凝縮されています。
 赴粥飯法の真髄は、その作法の厳格であることもさることながら、その根底に流れる、「殺生の戒め」を道心としており、それは人間が「業」の深さに落ちることを戒めたものです。つまり、卑しさの戒めでもあるのです。

 富者は乞食に比べて、社会的には卑しい貧賤(ひんせん)のものとされていますが、血に滴るようなステーキを食らいつき、三度三度美食に明け暮れる富者と、日々を慎み、過食や飽食の愚を冒さないしない、乞食(こつじき)とでは、果たしてどちらが本当に卑しい存在でしょうか。
 また富者ならずとも、喩(たと)え高位の位を持つ「高僧」や「名僧」の善知識者と雖(いえど)も、美食や飽食を重ね、多量の命を奪っていれば、その罰は、やはり自分自身に跳ね返ってるのは必定です。そして、彼等が如何に熱心に念仏を唱えようと、如何に題目を唱えようと、その報いからは免れず、結局最後は自らが撒いた種を刈り取らねばならなくなるのです。

 因果の糸を手繰(たぐり)り寄せて行けば、結局この世に生きていること自体が、衆生に課せられた時節因縁(じせつ‐いんねん)であり、遠因的には誰もが「殺し」をやっているのです。マクロ的に見れば、全ての人間は五十歩、百歩の差でしかありません。「身」が起こす業(ごう)は「殺生(せっしょう)、偸盗(ちゅうとう)、邪淫(じゃいん)」であり、また口が起こす業が悪口や嘘です。また、意が起こす業が享楽や欲望です。したがって、仏法では、身密、口密、意密を以て現世を解脱し、人の行動の基本である音と躰と意識の全てをかけて祈念しなければならないと説きます。それが仏と交わって、結局命を育むのだと説いているのです。仏を直観すれば、貪(どん・瞋・痴から解放され、悪業(殺し)や愚痴(仏の悪口を謂う)、仏を倒そうとする修羅(しゅら)から解放され、そして命を育みながら、仏と一体となると説くのです。
 仏法が教えるように、他の命を大切にするということは、つまり、己の命を大切にするということであり、それは自らの健康法に寄与するということなのです。ここに粗食・少食の真髄があります。

 さて、人間は日に日に食事を無意識に繰り返しています。
 腹が空けば某かの店に入り、あるいは弁当を開いて腹を作ろうとします。無意識には習慣的に、それを繰り返していることと、解らずに遣らかしてしまったことの二通りがあります。人間はこのように無意識からなる殺生を、人生の中で繰り返しているのです。それがまた、罪を重ねる原因になるのです。その罪を少しでも軽くして、日々を過ごそうとするのが、「食事即仏道」の考え方です。しかし罪は、それだけで穢れを祓うことは出来ません。年に二回の「大禊祓」が必要なのです。



●断食行としての大禊祓

 大禊祓は、本断食十四日を一ト(ひと)区切りに行う「断食行」です。
 この十四日の本断食をするには、その前後に復食(補食)期間が必要であり、本断食前の十四日間の三倍の復食日数(重湯から始まって五分粥、三分粥と段階を経て断食に至る)、及び、断食終了後の十四日間の二倍の復食日数(三分粥から始まって五分粥、重湯と段階を経て常食に至る)が必要です。この復食期間を設けずに自分勝手な断食を行うと、取り替えしの付かないことになるのです。所謂「揺り戻し」が起こり、一気に大食漢に成り下がることすらあります。これは復食期間が不充分であった為です。

 さて、諸々の条件をクリアーして少食主義が身につけば、次のことが現われます。

断食の結果、少食主義が身につき、暫くすると便通が極めてよくなっているのに気付く。これは腸の蠕動運動が、少食の結果活発になってきたことを物語るものである。毎日明け方には、必ず便通を催すのである。
少食が実行出来れば、朝食抜きの一日二食主義が徹底されて、躰が軽くなり、全身の脱力感が薄らぎ、手足に力が入って、歩行や走行、階段の上り下りが楽になる。また、穀物菜食を食べる場合の咀嚼運動が楽になり、更によく噛むことが出来る。
断食のよって胃の位置が元の位置に復元され、また、胃自体が小さくなって、少食で満足出来るようになり、更に胃腸の負担が軽くなる。胃腸の負担が軽くなれば、それだけ機能は完全に働き、消化吸収も排泄能力も高まってくる。
 また、少食の習慣は身につけば、食べ物本来の味
(薄味)をじっくりと味あうことが出来、噛まずに飲み込む等の愚行が避けられることになる。咀嚼回数も当然のことながら増えてきて、米噛部分の筋肉を活発にさせる。断食によって宿便がとれて、今まで鈍っている脳が正常に戻り、同時に、海綿静脈洞の血行がよくなって頭脳の働きもよくなる。
睡眠時間が短時間で済むようになる。約四〜五時間で熟睡し、また、目覚めと共にすっきりとした覚醒が現われる。更に、疲れ知らずの躰になる。
肌が綺麗になる。これは血液が「みそぎ」によって浄血された為であり、宿便から起こっていた腸内の有毒ガスや腐敗菌が一掃された為である。
 また、体内に蓄積されていた有害な、農薬、酸化防止剤、食品漂白剤、食品添加物、慢性毒性剤、ダイオキシン等に含まれている発癌性や催奇形性等の毒素が体外に排出する作用が強まる。更に、体液が弱アルカリ性になって、玄米との相性が高まり、フィチン酸の活動が最高潮になる。
霊的感覚が高まる。それは体内の毛細血管の働きが活発になり、気の回路が開く為である。
 この働きは、脱毛予防となると同時に、腸マヒが治る為に脱毛症が治り、禿げ頭から羽毛が生え、次に羽毛が細い毛に変わり、白髪だった毛も黒くなり、細い毛は太くなって若さを取り戻し始める。躰は柔軟性を帯び、伸縮が楽になる。そして、霊的エネルギーが旺盛となる。

 昨今は、食糧メジャーの画策で食糧危機が叫ばれ始めました。DNA技術食品も、これに応えるような形で開発が進められています。
 日本の食糧自給率は、カロリー換算で50%を割るような状態になっています。このような食糧事情の中で、もし食糧生産の異変や戦争勃発に至って食糧不足が深刻化し、更に、慢性化する事態が起こったら、私たち日本人は、好むと好まざるとに関わらず、食糧が制限され、食糧流通に何らかの操作が加わって、減食を余儀なくされます。このような不測の事態に備えて、私たちは普段から「少食や粗食」に徹する訓練をしておかなければならないのです。そうすれば、仮に食糧が半分になっても、パニックに陥ることはなく、落ち着いて現状を見つめることが出来ます。
 しかしそれに反して、今日のような食通指向に明け暮れ、贅沢三昧を繰り返す、飽食の悪習に染まった国民の姿は、一旦事が起これば、その集団的なパニックは想像を絶するものがあると思われます。

 この衝撃は慄然(りつぜん)としたものであり、太平の世の眠りを貪(むさぼ)る日本人にとって、辛い地獄を暗示するものとなります。今日の物余り現象、食物が粗末に扱われている実情は、まさに警鐘(けいしょう)の極みを示していると謂(い)えるのではないでしょうか。
 もしここ儘(まま)、飽食に終焉を迎える日が目近に迫っているとするならば、私たちはそれに耐えうるだけの躰、つまり少食でエネルギーを賄えるような、身軽な《半身半霊体》を完成させておかねばならないのです。



●空腹トレーニング

 長生きをする秘訣は、人体に備わっている諸々のホルモン分泌の回数を出来るだけ少なくすることです。インシュリンもその一つであり、食事回数を減らし、食事の量を減らせば、分泌する量は多いが、分泌する回数が少ない為、それだけ老化が遅くなります。
 老化の原因は、活性酸素である酸毒化が進み、この結果がアミンやアンモニアや硫化硫黄等の腐敗物質を発生させ、それが体内に取り残されて新陳代謝が悪くしまうのです。

 摂取した食べ物が、効率よく運用される為には、少食に徹し、食事回数が一日二回の食事原則を守れば、「空腹トレーニング」になって、老廃物を体外へ排出する効果が高まります。
 喩えば、一日二回の「昼・夜型」の食事を実行すれば、一日のうち、16時間前後の断食をしていることになります。つまり、「空腹トレーニング」をしているわけです。
 それは精液の分泌も同様であり、精液を度々分泌させるのと、それだけ躰が弱くなってしまいます。精液は骨盤で製造されている為、精液の浪費は腰骨自体も弱める結果となり、また腎の精気を弱めて亡陽ぼうよう/陰圧が高まり、陽気が少なくなる)を招きます。精液の垂れ流しは、まさに命取りとなるのです。精液を洩(もら)すことを、半年か一年程止めると、大抵の病気は治ってしまうように、それが精嚢(せいのう)に溜まらないような食事と、「房中術躰操(男女の交会であり、陰陽のエネルギーを交会によって各々が吸収する)」をすることも大切です。

 ちなみに肉食をすれば、精液は大量に作り出され、菜食をすると精液の量は少なくなります。
 今日に見るような、青少年が早熟であり、早くから性情報に興味を持ったり必要以上に聡(さと)いのは、肉食や乳製品の食生活が原因です。当然、排泄や射精という現象が起こる為、それを放つ度に年齢以上に老け込むことになります。これらの人の精液は、肉食主義者の血液と同じく、粘りが強いものであり、ドロッとしていて、尿管が詰まり易く、中高年期から極度の残尿感の残る前立腺肥大症を煩います。

 逸話として、『法華経』に帰依して『日本改造法案大綱』を著わした、思想家・北一輝(きた‐いっき)は「性欲(精液)の乱費は自殺だよ。いい仕事はできない」と語り、日蓮の著書『四恩抄』をその教訓としたという話が伝わっています。

 「食」もこれと同じであり、度々食べれば、それだけインシュリンの分泌回数が多くなり、老化が早まるということです。まさに、北一輝の指摘した「自殺」行為なのです。肉食や乳製品の食生活が原因で、男は精液が盛んに製造され、女はその為に月経不順が起こるとすれば、生殖機能に狂いが生じ、その乱費も命取りであるが、それらの食品を摂ることも命取りとなるのです。
 此処に、玄米菜食の粗食小食主義の真理とする根源があります。乱費も去る事ながら、食べ過ぎてはならないのです。

 昨今の痩身のキャッチフレーズに、「少食で辛抱して痩せるよりは、好きなものを好きなだけ食べて痩せられる」という、エアロビクス的な痩身法を耳にすることがあるが、「好きなだけ食べる」ということは、やがて大食漢に陥る傾向にあり、また、カロリーの少ない生野菜や海藻類等、あるいはこんにゃくや寒天で出来た食品等を腹一杯食べて、空腹感を紛らすという、痩せる食事法が流行しています。
 しかし、これらの危険性は、いつまでも大食漢的な悪癖が残る傾向があり、一時的に痩せても、再び元の肥満症に戻るということです。つまり、美容飽食をしている人達は、結局死に急ぎをしているということになります。
 人間は、生まれたから二十歳までで、大体その人の「喰い縁(く‐い‐ぶち)」が決まるといわれています。これを「食禄」といいます。
 喩えば、その人が二十歳を迎え、6000キログラムの食糧が与えられたとします。その人は一年間で150キログラムずつ食べるとするならば、この6000キログラムの食糧は、四十年で食べ尽くしてしまうことになります。したがって、その人の寿命は六十歳で尽きるということになります。
 横眼で繁華街に居並ぶ食通料理を見ながら、それを羨ましいと思うか、否かで、自分の寿命が伸び縮みするのです。