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●日本教のレベルで考える予定説 日本人がキリスト者の洗礼を受け、聖書を勉強していく中で、多くの日本人キリスト者が最初に当惑するのは、何を隠そう、この予定説なのです。 かの内村鑑三ですら、この予定説には多いに当惑します。 内村の著わした『キリスト教問答』(講談社学術文庫)には、当惑に当惑を重ね、悶絶(もんぜつ)した足跡が如実に語られています。何故ならば彼は、彼なりに予定説を理解し、これを人に説明する場合、惨憺(さんたん)たる悶絶(もんぜつ)の跡が残されていたからです。 予定説は日本人の宗教レベルから考えると、キリスト教最大の難関です。そして、キリスト者なら、絶対に避(さ)けて通れない第一次関門なのです。 この関門に対して、内村は苦悶(くもん)と格闘を繰り返しながら、次のように吐露(とろ)します。 「予定とは何か、ということに対して、正直の申しますれば、読んで字の如く、神に救われる者と、そうでない者が予め定められたとするもので、これは天地創造の以前から決定されたものであります」 これに対して質問者(内村本では客)曰(いわ)く、「そのような事(途方もない)を信ずる者は居るのか」と詰め寄ります。 これに応えて内村曰(いわ)く、「決して多くはないが、居る」と力なげに答えます。 内村の苦悶は、この一言に滲(にじ)み出ています。 彼自身が、予定説まで到底理解しえないキリスト教の根本教義の恐ろしさに当惑するのです。 彼は「予定説の教義を信じます」という一方で、キリスト教に得体の知れない恐ろしさを抱き、それでも入信したからには無理やり予定説を理解し、受け入れようと足掻くのです。 結局『キリスト教問答』は、内村が聖書から引用した数節の言葉で、苦悶しながら説明するという内容で終止符が打たれています。 ●宿命論に始まる神の不公平 では、内村は何故苦悶を重ね、悶絶を繰り返したのでしょうか。 それはただ一つ。 神はいたって「不公平」であるからです。 但し、これは人間側から見た範疇(はんちゅう)に於いては、です。 日本人がキリスト教に接したのは、十六世紀、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルの布教活動の最中でした。 当時のキリスト教の得意技は「病気治し」であり、この点は日本の新興宗教とも共通しますが、キリスト教の病気治しとは、現実的で外科的手術を以て、あるいは外科的治療法を以て病人を治す病気治しでした。 これは直接的である為、効果は絶大でした。こうして病人の間には、瞬く間にキリスト教が布教しはじめ、次々に奇蹟が起こりました。奇蹟こそ、キリスト教の真髄とするところであり、得意技なのです。 一種のこれも予定説です。選ばれし者、救われし者がこの奇蹟の恩恵に預かったのです。 ザビエルは病気治しという奇蹟を日本人に見せつけながら、これによって人民の信用を勝ち取り、信者は一気に膨れ上がっていきました。これを知ってヨーロッパからは、ザビエルに続き、宣教師達が続々と日本にやってます。 しかしここで問題が起こりました。 それは聖書に書かれた「愛」の解釈においてです。これまでの日本語には、愛の概念がないのです。 日本で布教に当たる宣教師達は、日本人が因果応報によって因果律を信じる民族性に当惑を覚えます。抽象的な「愛」という言葉は、当時存在しなかった為、これを伝えるのに苦悶しているのです。 これをどう理解させるか。苦悶の末に導き出したのが、仏道の「慈悲」から引用した、「大切に」と言う、語源を濁し言葉でした。 そして、爆弾的な存在であった予定説は、表面に出さずに、懐(ふところ)の奥深くに仕舞い込み、明治に至るまでこの予定説は表面化しませんでした。 ところが明治になって、予定説は突如として表面化します。文明開化に代表されるような、西欧文化の流入が激化した為です。 明治と言う時代は、戦国時代末期と比較されるほど、極めてキリスト教が多く人民に受け入れられた時代です。またこの時期は、信者数がピークに達した全盛期でした。それでいて両時代とも、予定説に気付くものは皆無でした。 入信者の多くはキリスト教の説く「愛」を表皮的な情緒の観念として捉え、また「男女平等」すらも、実は神の「契約」から為(な)されていて、契約においてこれは堅く約束するものであるという、その行為すら知らなかったのです。 当時のキリスト者の多くは、心情的あるいは情緒的に神の愛に酔い痴(し)れて、この範疇(はんちゅう)のみにおいて神を信じ、神の御加護(ごかご)を唯々願うというものでした。 しかしキリスト教の根底に流れるものは「神の不公平」であり、選ばれし者が存在する予定説でした。 だが内村の『キリスト教問答』の中には、「神は不公平である」とは書かれていません。内村は慎重の言葉を選びながら、「神は不公平だが、大自然も不公平ではないか」と締め括り、その裏側には誰もが気付かない「だから仕方がないではないか」という嘆きが隠されています。 神の不公平は、因果応報を宗教観念に持つ、日本人には実に信じ難い言葉でした。 内村曰(いわ)く「もし不公平を以て、神を責めますならば、同じように天然(自然)も責めなければなりますまい。(中略)ある婦人は美人として生まれ、他の婦人は醜婦として生まれてきたか、(これを考えれば)生来何の罪ありて、蛇は人に嫌われて鳩(はと)は人に愛せられるか、これを思えば天然の不公平もまた甚だしいではありませんか」と居直り、捨て台詞(せりふ)的な、啖呵師(たんかし)のような啖呵を切り、「だから神が不公平であっても責めてはならない」としているのです。これこそが神への冒涜(ぼうとく)であると力説するのです。 こうした内村の言は「あいつから親族が殺されたので、その仇討ちとして俺はあいつに仕返しをする」と言うような、仇(あだ)討ち思想のハムラビ法典的なところがあり、神という創造主と、破壊指令を下す命令者とは、同一人物であるとも受け取れる言葉を発言するのです。 |