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●金銭を知らぬ無知から、欲望や恐怖が膨張する

 文明の崩壊は、金持ちと貧乏人の格差が拡大した時機(とき)に起こります。
 実に、日本人は近代においてこの経験を二回経験しています。父子四代程前を振り返れば、それは幕末から明治維新であり、もう一つは真珠湾攻撃から太平洋戦争の敗戦でした。

 文明社会が崩壊するメカニズムは、多民族国家の文明が雪崩込んだ時に起こるのではなく、多く持つ者と、持たざる者の格差が大きくなった時機に起こるのです。
 これは徳川幕府崩壊に見る事が出来ますし、また、戦前戦中では三井・三菱・住友・安田等の大財閥の崩壊に見る事が出来ました。

 それ迄の文明崩壊が起こる時、これに深く関与しているのは、中産階級といわれる中流程度の生活をしている階層です。
 階層には大きく分けて三種類に分けられ、上から順に上流階級、中流階級、下層階級となります。そのうち、景気の動向に大きく左右されるのは中流階級であり、この階層に動揺が趨(はし)った場合、欲望と恐怖が膨張するという現象を起こします。そして、この階層の殆どは、自称中流階級と思っている層も含めて、金銭に対する無知が存在しているといえます。

28:72のユダヤ黄金率の階層分布

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 まず、文明崩壊のメカニズムを説明しましょう。
 例えば、中堅的な、案外よくはやっているレストランの経営者が、自分の家族に、今より更に良い活計(くらし)をさせようと思い、自分の店の一番のヒット・メニューの代金を値上げたとしましょう。その店で常食のように、これを食べていた常連客は、料金が上がった為に店を変えます。客達は同じ程度の内容の店を探して食べ歩きます。

 漸(ようや)く店を探し出し、そこに落ち着くのですが、この店の経営者も右へ習って料金を上げます。次々に常連客は更に店を代え、こうした事が連鎖反応が次々に起こります。こうした連鎖が社会全体に蔓延すれば、便乗値上げで物価が段々高くなって行きます。

 そして常連客の中にも、各々に格差があります。金持ちは物価が上がっても美食家として、何処の店でも堪能できますが、中間層は物価が上がることによって、ある種の限界が生じてきます。
 彼等はお金に合わせた生活をするか、あるいはVISAカードや、サラ金カードを利用して生活をし、買物も、旅行も、レジャーも、こうした借金によって賄(まかな)うことしか選択肢がなくなります。しかし多くの人は、今以上に生活を切り下げる勇気が無い為、結局後者を選択します。そして物価は益々つり上がっていきます。

 気付いたら総ての業種に値上げ攻勢がかけられ、魚屋も八百屋も、開業医の診察料までも上がり、商工業は総て値上がりをする結果を齎(もた)らします。
 この物価高の為、政府も国税を上げ、地方公共団体も県民税を上げ、市民税を上げてきます。こうやって物の値段が全般的に高騰(こうとう)し、こうなった時点で、最初は28%の金持ちと、72%の貧乏人(本来は中産階級以下を言う)の格差が大きく開き始め、更に金持ちも次第に絞り込まれ、逆に、かつて金持ちだった人が中間層へと転落して行きます。

 そして金持ちは益々金持ちに、貧乏人は益々貧乏人へと偏(かたよ)り始めます。かつて中間層だった人が、下層階級へと転落して行きます。この格差が大きくなればなるほど、社会には混沌とした暗雲が垂れ込め、混乱が生じてきます。富裕層が僅かに数千人を切り始めた時から、世の中の動向は不穏な動きを見せ始め、陰では革命が囁(ささや)かれるようになります。
 ここにきて、一つの歴史を作り上げた文明は揺らぎ始め、その時代に終焉(しゅうえん)を告げるのです。

 偉大な文明は、持てる者と持たざる者の格差が大きくなったときに滅んでいます。これはアメリカを見た場合、その中に資本主義の縮図があり、この国は今、滅びに向かって突き進んでいるのです。そして、アメリカを追随する日本も例外ではありません。

 聡明(そうめい)なる人は、「歴史は繰り返される」という言葉を知り、それを能(よ)く理解しています。
 しかしそうでない人は、歴史について理解力が欠如している為、自らそれを検証しようという道を選ばず、自覚症状の無いまま、安易な方を選択してしまうのです。

 世の中の構造は、富豪の生まれで、知的レベルが高く、法に長(た)け、行動力があって野心があり、人より一歩先に行く人が、知的レベルは平均的で、安易に流行を追い求め、物事に熱狂しやすく、虚飾や見栄を張る事が好きな人を「自在に操作する」というのが、資本主義の社会であり、ひと握りの支配層と、その他大勢の庶民から構成されています。
 そして歴史には、常に庶民がコントロールされ、「支配する側」と「支配される側」で相尅関係を繰り返して来た事が記録されています。

 歴史を解さない人は、歴史から教訓を学ぶより、歴史の授業で学んだ、年号や日付の暗記が重要であり、歴史のテストで人より良い点数を取ることが重要であったのです。だから、物価の高騰という現象にも疎(うと)いし、その現象に自分が関わっていることにも気付きません。また彼等は、物価は自然体的に上がるものだと信じています。政治が悪いと思うより、政治に無関心なのです。

 人は、この社会において、間接的には、自ら不幸を手繰(たぐ)り寄せる生き物なのです。不幸が、災いという文字で置き換えられるならば、「人間は災いである」と定義したパウロの言葉は、まさに的中していたと言う事になります。

●金銭を知る哲学

 世紀末1990年初頭に起こった、平成バブルに踊った狂乱の時代は終焉(しゅうえん)し、デフレ到来に慌(あわ)てた日本政府は、この打開策として、愚かにも財政投融資や公共事業資金をばらまく愚策を打ち立てました。以降、十数年に亙り、公的資金がばらまかかれることになります。

 また一方で、破綻銀行や破綻企業を公的資金で救済するという、資本主義のルールを無視した愚行に出て、国民の血と汗の結晶であった郵貯や簡保の資産を目減り、かつてローマ帝国が破綻した最大の原因を齎した、「超インフレ」に導こうとしています。しかし、こうした現実の未来像を予測するアナリストや政治家は、殆ど見当りません。

 では「超インフレ」とは何でしょうか。
 それは物価高から生じた税率の跳ね上がりで、税率を年々上げて行くことで、国家的借金を支払って行くということです。これはやがて税率100%という恐ろしい数字に跳ね上がってしまう暗示を含んでいます。それに伴って、経済全体が大混乱を来すという現象が現われてくるのです。

 これは国民にとっては大惨事であり、国民生活は悉々(ことごと)く破壊されるのです。今、その途上にあるということを国民の殆どが気付いていません。
 そして多くの国民は、「国の貸借対照表」はおろか、自分個人の貸借対照表の「資産の部」と「負債の部」の読み方すら知りません。

 大ローンで買ったマイホームや高級自家用車を自分の資産と思い込み、苛酷な競争社会において、飽くなき「ラットレース」(独楽鼠競争)を演じています。また、こうしたレースに与(くみ)させられていることの自覚症状すらありません。

 国民の大半は、企業家や資本家に利益を齎(もたら)す為に働き、無能な政府に多額な税金を払う為に働いています。
 また、昨今の借金漬け現象は、銀行ローンやクレジットやサラ金の利息返済の為に働き、ローンで旅行したり、買物をしたり、レジャーを楽しむ為に働いています。こうした国民中流意識を察すると、彼等は良い労働者であるかも知れませんが、ある意味で金銭哲学の無い、無知な、微生物の一種であるかも知れません。

 最近の傾向としては、消費国家のアメリカ並に「買物症候群」という症状が、先進国の若い女性を中心に広がり始めました。ショッピング街に並ぶ商品を見ていると、あれもこれもと欲しくなり、つい衝動買いするケースがこれです。この背景には、高度な消費文化におけるイメージだけが先行して、都市型社会の持つ病理が希薄になれば、虚空な消費を繰り返してカード地獄の罠(わな)に嵌っていきます。これは自己破産者の急増を見ても明らかです。
 1995年には、自己破産者が4万件程度であったものが、2001年には12万件となり、2004年12月では25万1011件となって、加速度的に増えていっていると言う事が分かります。

 現代人は、自分達の知らない所で、お金を基盤とする巨大で、不可解なシステムに縛り付けられています。それは、好むと好まざるとに関わらず、人間はお金と切ても切れない関係にあり、お金に関与せずに生きていく事は到底不可能です。そして世の中は、総(すべ)てが経済によって成り立ち、経済こそが人間の生活の土台となっています。

 一見、人間の歴史は、お金とは無関係のように錯覚しがちです。また、お金の基盤をなす経済行為と歴史は、何ら接点を持たず、両者は関係なさそうに映ります。しかし人間の営みの中で、崇高と信じられている《愛》(いつくしみ合う心で、広くは人間や生物への思いやり等であり、また男女間の、相手を慕う情等を指す)だって、実際には経済を抜きにして考えられません。
 《愛》は、金銭とは無縁の人間の持つ感情であるかも知れませんが、男女がお互いに愛を育み、円満な人間生活を営む為には、やはり経済的な基盤が必要になります。

 人生にはどうしても金銭が付き纏い、生活の基盤は経済力の有無で評価されてしまいます。そして人間にとって、「お金が無い」と云う事は、不幸であるばかりでなく、実に悲惨です。
 経済的な困窮は同時に、人生が暗礁に乗り上げ他悲惨な状態であり、人生は暗闇の中に埋没して、将来は希望すら持てず、他人から侮蔑されるだけでなく、自分自身でも卑下する絶望感を抱いてしまいます。

 人生と言うものは、お金がなければ、悲惨な苦労が付き纏います。金銭的に困窮し、借金を重ねれば、それに伴って利息も増え、そこから人生の苦悩がはじまります。お金の事で悩みが生じ、それによって困惑し、やがて狼狽(ろうばい)や煩悶(はんもん)が起って、神経は擦り切れて疲弊(ひへい)し、消耗して、ついには犯罪や自殺にまで発展してしまいます。この現実は、現代にはじまったのではなく、人間は歴史の中で、何千年もの昔から胡散(うざん)臭い、永遠不滅の、経済的な格闘劇を繰り返してきたのです。そしてお金の世の中と云うのは、至る所に破滅的な盲点が存在します。

 バブルが弾けた現在、その余韻(よいん)は意外に長く、依然と不況が続き、あらゆる世代が借金漬けの中へと追い込まれて行っています。不動産や株式の投機に失敗して自転車操業に追い込まれる人。住宅ローンやマイカーローンが払いきれずに、サラ金等のキャッシング(年利29.2%)や銀行系のVISAカード(年利27.8%)に手を出して、首が回らなくなった人。あるいは、特に大きな買物をしたわけではないのに、毎月に支払いが嵩(かさ)み、自転車操業に陥るサラリーマン、主婦、学生たちは、負債の額が大きくなるまで頑張って自転車操業すると言う愚かさがあり、こうして、あらゆる世代が借金漬けにされる現実があります。

 こうした彼等の多くは、マネー経済での実生活を経験しながらも、消費癖が旺盛であり、倹約や節約という事を知りません。昨今、激増しているサラ・クレ地獄は、《損益計算書》《貸借対照表》を知らない、国民の無知が招いた、必然的な結果から出た悲劇と言えましょう。

 また国民の多くは、少しでも良い生活がしたいが為に、一生懸命に働き、余れば銀行預金をします。これは決して悪いことではありませんが、不足すれば、サラ・クレカードから借金して生活し、必要以上に税金を払い続けています。こうした現実が不幸現象を齎す引き金になっていることも忘れてはなりません。総べて「中流」と信じ込んでいる虚飾と見栄が齎した元凶です。

 日本国民の多くは、感覚的には「中流」という意識を持ち、この中で平和な生活をしているかのような錯覚に陥っています。今や一億総中流は動かし難い、常識となり、この意識を以て人生を全うしようとしています。
 しかし現実はそういう意識とは関係なしに、中産階級層を含めた階層に対して、身包(みぐる)み剥(は)ぎ取り、借金漬けで搾取(さくしゅ)する仕掛けが、すぐ私たちの周りに横たわっていることを忘れてはなりません。
 もし、不幸があるとするならば、こうした所に身を潜めて、あなたの躓きに手ぐすねを引いて、破綻を待ち構えているのです。



●日本人は決して中流ではない

 現代の日本人に、強力に蔓延(はび)こっている意識は、「一億総中流意識」です。しかしこの意識は、単に甘い幻想に過ぎません。そして現実は、日本国民は決して中流に属する階級にランクされないと云う事です。

 これを裏付けるのは、日本社会がスーパーリッチに対し、非常に都合の好(い)いような社会構造を成しているからです。本来金持ちと云うのは、働かなくても、金利や不動産収入で自分の資産がどんどん増えていく財閥構造を一族で形成していて、独占的な資本体制を整えた、ひと握りの階級を云います。
 今日の世の中において、億単位のお金を所有するスーパーリッチやその子孫は、よほどバカでない限り、自分の財産を目減りさせる事はありません。資産は資産を呼び、益々増えていくばかりなのです。

 ところがその裏で、金持ちの犧牲となって、貧乏を強(し)いられる下層階級がいます。この階級は、金持ちが益々資産を増やすのに反比例して、更に、どんどん貧乏になっていきます。これこそが資本主義を形成する日本社会のシステム構造の現実です。
 しかしこうした現実に、「何処かで搾取が働いている」という現実を知る日本国民は殆どいません。その自覚症状すらないのです。そして最悪な事は、誰もが「自分は中流である」と思って疑わない事です。
 この日本人の意識は、アンケート調査からでも明らかです。
 しかし、ここにこそ現代日本人の大きな間違いがあります。

 果たして、中流と自負するほど、日本人は資産を所有しているのでしょうか。また、その他大勢の日本人の何処が、一体中流なのでしょうか。
 多くの勤勉な日本人が一生懸命に働いて、自分の満足するような家すら、自己資金で買えないと言うのが現実であり、喩(たと)え買えたとしても、それは自己資金の全額で賄(まかな)ったものではなく、約90%〜50%については銀行からの住宅ローンの借入金であり、借金によって金利の掛かる負債を手に入れているのです。そして大ローンで買ったマイホームを、自分の資産と思い込んでいる愚かさがあります。

 日本のサラリーマンの平均年収は、政府筋の発表で約七百万円と云う事になってます。しかし実質的には五百万円以下であり、手取りとなると四百万円程はないでしょうか。
 政府発表で七百万円と云われているのは、三千万円以上の高額所得者や、億単位の資産を所有するスーパーリッチ層がその平均値を引き揚げているからです。

 マイホームを所持する場合、無理せずに買える家は、年間所得の約五倍までと言われていますが、喩えば平均的サラリーマンが無理せずに住宅ローンを払っていく限度は、年間所得四百万の人では、25〜30年ローンで二千万円前後までの家しか買えない事になります。そうすると、果たしてこの階層が、中流であると言えるかどうかと云う事は、甚だ疑わしくなります。
 即ち、少しでも良いマイホームを持とうとすれば、かなり背伸びをして、夫婦共働きで無理をし、日々倹約を旨とし、節約生活を実行して、お金に縛られる生活を覚悟しなければ、マイホームは買えないと言う事になります。

 その上、「自己現実」という恐怖が襲ってきます。
 自己現実と云うのは、「自分がなりたい人間になる」という事で、その足掛かりとして、「自分がなりたい職業に就く」あるいは「自分が住みたい家に住む」という事ですが、これは心理学上では、人間の欲望の最終段階に来るものであると云われています。

 「衣食足りて礼節を知る」と云う言葉がありますが、食糧を確保する生存欲求が満たされると、次は良い服や高級の装飾品を身に付け、性欲を満たす為の行動が起ります。更に性欲が満たされれば、次は外敵から身を護る安全な住まいが欲しくなり、最終的には自己現実に向かう事になります。つまり「自分がなりたい人間になる」という事です。
 しかし自己現実は、現実が成就する側と、成就されない側に分かれます。そして成就されなかった場合、人間は絶望感に嘖(さいな)まされます。

 また自己現実に向かう途中に、資本主義社会の餌食(えいじき)になるのが、CMに踊らされる下層階級の消費者です。
 喩えば、英会話学校等のコマーシャルに見る事が出来ます。若い消費者の多くは、英会話学校のコマーシャルの意味をどれくらい真剣に受け止めているのでしょうか。また、英会話が、実社会でどれくらい役に立つと思い込んでいるのでしょうか。

 現実社会の中で、少々の英語の日常会話が出来たくらいでは、決して就職に有利には働きません。就職に有利に働き、企業が求める英会話の量と質は、最低でもビジネス英会話であり、日常会話ではありません。
 上級のビジネス会話が出来、同時通訳ができるくらいの語学力がなければ、英語は話せるとは言えません。即ち同時通訳とは、欧米の歴史や文化、地方地方の習慣や方言、更には、通訳するビジネス的な専門知識を徹底的に勉強し、これを修得したひと握りの才能ある人に限られます。(本当に語学に才能のある人は、高額な費用を必要とする英会話学校や語学学校には行かず、安価な学費の大学院のビジネス学科で学んでいる)
 それを、猫も杓子もと云う感覚で、片手間で、少しくらいの日常会話が出来たとしても、企業が欲しがる人材とは違います。ここに自己現実が崩壊する実情があります。そして多額なローンだけが残ります。

 コマーシャルは人間の欲望を擽(くすぐ)り、自己現実の夢に向かって想像力を掻き立てますが、これによって膨らんだ甘い夢は、現実のギャップに、直ぐに打ちのめされてしまいます。そして何よりも恐ろしい事は、自己現実を実現させる為に、大枚の投資を余儀無くされると云う事です。

 投資とは、将来を見込んで金銭を投入することを指しますが、元本の保全とそれに対する一定の利回りの保障は何処にもありません。更に、もし自己現実を目的として自分に投資をしたのならば、数年後の将来において、これがどの程度の利回りで回収できるか、その事も考えておかなければなりません。一定期間における実物資本の増加分の見通しを立てる事が出来てこそ、自己現実への投資した意味があり、資本形成を考えておく必要があります。
 しかし多くの場合、むしろ無駄金を払った結果に終わり、理想的な自分とは逆方向に向かってしまうのがオチなのです。

 資本主義の原理の中では、人間の購買意欲を掻き立てる為に、人間の欲望を擽る様々な仕掛けが、資本家である金持ちの手先の仕掛人によって仕掛けられ、下層階級の消費者をコマーシャルで踊らす流行を続々と打ち出します。そしてこれに踊らされるのは、金持ちではなく、自分が中流と思い込んでいる下層階級の消費者達なのです。

 こうした消費者層が、果たして中流であるか否か、それを論ずるまでもありません。
 またエステサロンや美容整形も同じ事です。こうした所で大枚のお金を払う女性の心理としては、「美人になって多くの男を振り向かせたい」あるいは「あわよくば、モデルや芸能タレントに潜り込みたい」という欲望が働いています。
 ところがこうした欲望は、自己現実を喰い物にするビジネスの仕掛人達の、恰好の餌食(えじき)となります。

 資本主義経済はその構造が「ねずみ講」である為、永遠に新しい流行を作り出して、底辺に波及させて、それを回転させなければなりません。その「ねずみ講」宣伝の為に、コマーシャルが作り出され、その商品を手に入れた場合に、消費者がどんな素晴らしい日常が訪れるかと言う甘い夢を餌にして踊らせ、商品を数カ月から数年単位の流行に載せて売ろうとする販売システムです。

 マイホームにしても、マイカーにしても、総ては購入後、どんなに素晴らしい生活が出来るかという甘い幻想を売り物にしています。つまり中流と思い込んでいる下層階級の消費者から、大ローン契約をさせて、お金を巻き上げる為に作られたものなのです。これによって消費者は永久に、生きている限り、働き続けなければなりません。「働く」あるいは「働き続ける」というのは、良き労働者を指すのですが、換言すれば資本主義体制下の体裁のよい高級奴隷に他なりません。

 また資本主義経済の本質構造は、永遠に「ねずみ講」を動かしていく為に、企業と消費者の、騙すか騙されるかの知恵比べですから、そこには搾取する側と搾取される側の戦いが生じます。
 消費者自身に商品の裏側を見抜く知恵がない場合、多額な借金生活に首までドップリ浸かる事になります。コマーシャルの甘い幻想に魅了されるか否かで、あなたの階級意識は決定されてしまうのです。
 資本主義社会の金利と言う巧妙なマジックに対する知恵を身に付け、流行に踊らされない、本質を見抜く眼を養っておかなければなりません。