内弟子制度 24



●尚道館・陵武学舎での内弟子の食事

 人が食事をする時、その姿には、その人の育った家庭環境や、父母の躾(しつけ)が如実に顕(あら)われるものである。
 食事をする時の作法においても、あるいは食思想に関しても、これまでの一切の環境が克明に顕われるものである。

 一般に食事の作法と云えば、西洋流のナイフにフォーク、スプーンにナプキンの扱い方と云った事を連想する向きが多いが、料理学校や食事マナーの研修会などでは、その多くが西洋料理、特にフランス料理に関しての洋食文化のマナーであり、日本人が古来より連綿と培って来た食養道については、殆ど指導されることはないようだ。

 洋食マナーは不必要とは言わないが、食思想と食体系の順序から云って、まず日本古来の食養道を学ぶ事が急がれるのではないかと思う。したがって尚道館・陵武学舎では、こうした日本の食思想と食体系を、まず勉強する為にも、食養道の則った「正しい食餌法(しょくじ‐ほう)」を指導しているのである。

 食事と言うのは、三度三度の食事の中で、日常やっているのであるから、改めてこれを稽古する必要がないように思われるが、昨今の実情を見ると、既に若者を中心にして、「正しく箸(はし)が遣えない男女」が多くなり、その不正確さは、日本贔屓(びいき)の外国人より酷いものになっている。現に、箸をスプーンのようにしか使えない成人女性は幾らでもいる。教養のほどが疑われても仕方がない若い女性は、実に多い。食事の作法の中には、これまでの自分の教養が顕われるので、注意したいものである。一点豪華主義の高級ブランドで身を包むよりは、こうした教養面を高めるべきであろう。

 さて、食餌法は四季折々の旬(しゅん)の物を摂り、この食事こそ、味覚的にも、感覚的にも世界に冠たる健康食と言えるのである。薄味にし、添加物や化学調味料の入らない自然食を目指し、正しい食餌法を学ぶべきである。こうすれば体質の悪さからの脱出が出来、伝染病下でも感染せず、健康な体躯を取り戻し、これを死ぬまで維持する事が出来る。

 人が、どういう育ち方をし、また、どの程度の文化的内容を持っているか、健康か、不健康か、偏食の有無や、間食の習慣の有無が有るか無いかは、一度食事をさせてみれば分かる事である。そして、その人の思考や、頭の中の程度まで一挙に分かってしまうものである。そして食事は教養と表裏一体の関係にある。

 食事の仕方など、習わないでも分かっていると豪語する人に限り、箸の先の、どの位の部分を遣っているか、あるいは口運びしているか、また、その咀嚼法(そしゃく‐ほう)等を見てみると、こういう手合いが、如何にいい加減な食事をしているか、一目瞭然となる。また、教養に乏しく、食事の摂り方の手順を追うと、動物のそれに近いものがある。

 食餌法には、武門の作法の心得があり、往古の武人と云われた多くは、箸を「五分先」で遣っていたと言う記録がある。五分先とは、約1.5cmのことで、この部分で食物を掴み、皿に載せ、あるいは茶碗に運び、更には口へ運ぶと云う事を遣っていたのである。また、これは相当な指の力がいることも事実であり、鍛練によってこの状態に至る。
 そして箸遣いのタブーは、回し箸、迷い箸、こみ箸、探り箸、移り箸、ねぶり箸と云って、いずれも見苦しい箸遣いであり、武門ではこうした箸遣いをする者は、非常に賎しまれ、蔑まれたのである。

 武士の食事の、主食の基本は玄米であり、町家のように白米は食べなかった。武士にあって白米は「泥腐る」ものであり、同時には白米摂取などは、「江戸煩(わずら)い」という言葉にもあるように、脚気かっけ/ビタミンB1の欠乏症で、末梢神経を冒して下肢の倦怠、知覚麻痺、右心肥大、浮腫を来し、甚しい場合は心不全により死亡する。衝心(しようしん)とも云った。白米を主食とする地方に多発し、「江戸やまい」という呼び名の他に、乱脚の気、脚疾、脚病、乱脚病、あしのけ等と云われた)と言う病気にかかっていたのである。
 また江戸に在住する武士は、脚気予防に、玄米を主食とし、日本橋を出発点として鎌倉まで歩き、それを一日で往復したとある。今から考えれば、凄い行軍力を持っていた事になる。そしてこれだけの行軍力の裏には、玄米を主食にした脚の強さがあった。

玄米・胚芽米・白米の栄養価比較

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(ふすま)を付けた玄米
武士の食事・玄米粥の膳

 現代人が深く認識しなければならない事柄は、「食事は単なる栄養補給」ではないことだ。
 霊的食養道から云えば、人が食事をする行為は、「自分と天地を結び付ける行為」であり、古神道の神事である神結(かみむす)びの「結びの行為」なのである。
 古神道的に云うならば、「祀(まつ)り事」であり、一粒の米、一片の野菜、一滴の水などは、天と地の恵みが凝縮されたものであり、この恵みによって、人間は「天命によって生かされている」という現実があるのだ。

 いやしくも「武」を口にするのであれば、食事の作法の中にも、「道」が存在する事を気付いて欲しいものだ。
 殺伐とした喧嘩三昧に明け暮れ、ストリート・ファイターを気取ったり、喧嘩師のレベルで、武道や格闘技に明け暮れているのでは、何とも無味乾燥であり、こうした屠殺人の類(たぐい)には、輝かしい未来などあろう筈がない。やがて喧嘩師も齢をとるのだ。晩年の「みじめ」を考えれば、「今」何をしなければならないか、当然、見当がつく筈であろう。
 普段の「当たり前」を安易に見逃さず、これを再点検するべきである。

 好戦的で傲慢(ごうまん)な人間ほど、食事の時の態度は非常に悪く、膝を崩して胡座(あぐら)をかいたり、中には、立て膝で食事をする横着者もいる。
 特に、競技武道やスポーツ格闘技を愛好する輩(やから)に多く、その勝者ともなると、その態度は横柄で、姿勢は前屈みで行儀が悪く、実に無態(ぶざま)で、礼儀知らずである。また、無理に作って、そうした態度をとる者もいる。
 そして、こうした愛好者の誰一人として、きちんと正坐して食事をしている姿は、未だに、一度も見た事がない。

 食べた跡(あと)を凝視すれば、食べ方も汚く、箸の戻しも乱雑で、食事を通じて養った教養など何処にも感じられない。ただ乱暴に、喰(く)い廻(まわ)した跡だけが克明に残っている。そして本人は、その食べ跡が、鋭く観察されている事も知らないのである。
 テレビ等にスポーツ・タレントとして、よく登場するお茶の間の人気者の「あの選手は、たった、あれだけの人間か」と失望させることがある。料理を作り、料理を出し、そして引き上げた跡の状態を、料理人からじっくりと観察されているのである。
 世の中の、自分の知らない処で、こうした点検をされる、これ程、恐ろしいものはないのではあるまいか。あるいは、こうした事を軽視し、見られている事にも気付かない程、彼等は鈍感なのであろうか。

 さて、尚道館・陵武学舎の食事は、総(すべ)て一汁一菜で、非常にシンプルな食餌法(しょくじ‐ほう)を実戦している。味も、四季折々の季節の旬(しゅん)の味を活かした薄味であり、素材の持つ本来の風味を活かし、質素・倹約に徹した自然食を第一義とする。食品添加物や化学調味料等は一切遣わず、また油を使う場合は、胡麻油(ごま‐あぶら)のみと定められている。人体に有益な油は、動物性の油ではなく、植物油であり、特にその中でも胡麻油と紫蘇油(しそ‐あぶら)のみである。

 したがって尚道館での自然食に徹すれば、如何なる病気も自然に恢復(かいふく)して行く。しかし当道場は、病気治しを遣っているのではないから、不健康な人の入門は固くお断りしている。武術を真剣に求道し、それを模索する者のみが、内弟子人門資格者なのだ。


玄米に味噌汁というシンプルな「一汁一菜」が、尚道館の食餌法の基本だ。質素を第一義とする。玄米六割に、小豆・大豆・粟・黍・稗・丸麦・押麦・ハト麦・赤米・黒米などの雑穀四割が混ざった玄米雑穀ご飯に黒胡麻がかかり、それと味噌汁が、一日二度(昼食と夕食)の食事の基本となる。
 玄米雑穀ご飯と云う、主食さえ正しければ、御数は味噌汁に沢庵、梅干に野菜の煮っころがしという簡単なメニューでも、決して栄養失調になる事はない。
 血液浄化や内臓機能健全化を図るならば、食肉や乳製品等の動蛋白摂取を一切やめ、御数は野菜を主体に、発酵食品と小魚や貝類といった物が適性であると言う結論が出る。


 健康は食次第である。しかし、厚生労働省が云うように「一日30種以上の御数を何でも食べよう」では、真の健康体を作る事は出来ない。また現代栄養学が云うように、「何でも食べよう」の総花主義では、数字を持ち出す事によって、その間違った考え方が固定化され、過食気味になって人間の食性を見落とすと言う現実がある。
 人体を構成する基本構造は、食→血→体という変化・発展が絶え間無く展開されて人体が構成される。
 つまり食物が消化される事により、腸壁内の腸絨毛で、赤血球母細胞が食物より造り変えられ、その赤血球母細胞内から放出された赤血球は、血管内に送り込まれて、全身を巡り、躰(からだ)の総ての細胞に変化・発展していくと云う「分化」が起る。

 こうして細胞組織に辿り着いた赤血球や白血球は、その周辺の体細胞から強い影響を受け、誘導され、その場が、肝臓ならば肝細胞へ、脳ならば脳細胞へと分化を遂げるのである。そしてこうした「分化」の始まりは「食」によって齎される。【註】体細胞は赤血球が変化したものであり、その組織付近では、生物学が云うような細胞分裂は起っていないし、それを確認した医学者も居ない。また、白血球と云うと、一般には病原菌を食べてしまう働きがあると思われているが、これは断片的な観察結果を短絡させた間違いである。白血球の働きは、もっと別の所にあり、体細胞に変化・発展すると言うのも、白血球の役割である。事実、先学者達は、白血球は筋肉や軟骨、上皮、腺、骨などの各組織に変化・発展すると言う証明を実験結果として遺している)

 食べ物は、まず口から入り、消化管の主要部である胃で、胃液を分泌し食物の消化にあたる箇所から、躰の中心部である腸内に入る。それが腸内に取り込まれる事によって、血管内を駆け巡る赤血球に変化する。それが更に本体である、内臓、筋肉、骨、皮膚等の総ての組織器官を構成する体細胞へと発展して行く。
 ここに食が血になり、躰に変化する実態があり、躰の大本は「食」である事が分かる。

 現代医学は、しかしこうした考え方をとらない。「骨髓造血説」を生物学上の根拠として表面に打ち出し、骨髓造血説(「骨髓バンク」という現代医学的な発想も、ここから生まれた)と云う一つの仮説の元に、現代の医療を押し進めている。しかし、骨髓で赤血球が発見されたと言う事実を、医学者は誰一人のして見た者は居ないのである。
 これまでの事実は、腸管内で赤血球母細胞が確認されており、これが「腸造血説」(千島学説)であるが、この医学的な斬新な論理は、未だに否定されたままである。医学界からは認められないままの異端の説なのである。

 しかし、現代医学の論理は死体解剖より組み立てられた仮説に基づき、それが構成されている。そして現代医学の治療の中心は骨髓造血説に基づく、検査の結果によって提出された数字への診断だ。
 主治医はその数字だけを見て診断を下す。患者の脈など、触りはしない。聴診器で心音なども聴きはしない。現代医学は生きている生体を診察するのではなく、提出された数字を診察しているのである。現代医学の矛盾点は、こうしたところにも克明に顕われている。この結果から誘発される事は、健康な人であっても、検査の結果からは病人になりかねないと言う事実だ。
 生きている、生体としての人間を見ようとせず、生体を一種の機械的に見るメカニズム理論が働いている。

 そして現代医学を顧みる時、赤血球は骨髓で補充されると言う仮説を定説として掲げ、人間の血液は骨髓で造血されると言う、「骨髓造血説」が正しいと言う事を提言している。しかしそれには誤謬(ごびゅう)があり、生きている健康体の人間の骨髓には脂肪が充満していて、ここで造血している状態を正確に把握できず、発見できないと言うのが実情なのだ。その意味で、「骨髓造血説は仮説の域を出るものではない。

 科学における定説は、時代と共に覆(くつがえ)るものである。
 もし、骨髓造血説が、幾時代かを経て、間違いであると新たな発見があれば、今日の現代医学の治療法は、その根底から覆され、間違った医療思想で患者を診(み)ている事になる。



人間は食の化身である。

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 尚道館・陵武学舎では、食事の際、「姿勢」について、緩慢(かんまん)になったり、だらしなくならないように厳重注意を促している。食事作法は正坐によって行われる。万物に対して、傲慢や横柄を嫌い、礼儀を糺(ただ)す為だ。

 人間は「食の化身」である、と霊的食養道では定義されている。
 食事とは、他の動・植物から、その命を頂く行為に他ならない。命を頂くからこそ、食事の前には手を合わせて合掌(がっしょう)をし、慎んで「頂きます」というのだ。

食事の作法は静坐が基本で、上体の背筋を伸ばし、食事の際は、最初から最後まで静坐である。

 自分が生きる為に、その犧牲(ぎせい)になってくれた動植物の命に、感謝し、何ものにも、慈悲の念を送る事こそ、人間が、食に対して抱かねばならない思想であり、これまで、日本人はこうした食思想によって食養道を育(はぐく)んで来た。したがって、ここには礼儀が備わっていなければならない。ただ、食べ物に喰らい付き、貪(むさぼ)り付き、噛(か)み砕き、呑み込んで腹に納めればいいと言うものではない。

 食事の姿勢は、上体を垂直に起こし、食道の軌道・器官が垂直になる事が好ましい。また、箸を口に運ぶ時は、箸先に、自分の口が喰らい付くのではなく、食物を載せた箸先の方が口許(くちもと)に向かうように心掛ける。したがって、口の方が料理に近付くのでは、非常に見苦しくなり、みっともない姿になる。

 人間は食にありつく時、案外と無防備になるものである。隙も作り易くなる。そして、その無防備と隙は、無態(ぶざま)に、人前に曝(さら)し出す結果となり、人に、我が姿の醜さを見せている事でもあるのだ。
 だからこそ、食事の姿は非常に怖い姿であり、こうした事に恐れを感じない者は、非常の鈍感な人間であると言えよう。
 戦争で命を落とすのは、古今東西、食事時間の時が、圧倒的に多い事も、歴史の中から学ぶべきである。次に就寝時間だ。
 これは最も隙が出来易い時間帯であるからだ。隙が出来るとは、要するに「見苦しい」のであって、この見苦しさが、敵に付け込まれる要因を作るのである。

 武門の食事では、例えば、魚については「せせり箸」というのが、一番見苦しい箸遣いであると謂(いわ)れ、片面を食した後、裏面を食べるのであって、片面から、裏面を「せせる」のは、食事の作法に反するのである。また、返して箸をつける場合は、魚の頭が右頭にならないように気をつける事である。
 多くの人は右利きであり、魚の頭が右側を向くと、鱗の下に箸を進める事が出来ないのである。そして食べ難い。

 更に、“一汁一菜”で出される沢庵(たくあん)などの漬物類(一般には香の物といわれる)は、西洋食で云えば、一番最後に食べるデザートのようなもので、これを最初からボリボリと喰らい付くのは蔑まれる食事行為である。
 次に汁物は、一椀限りのものであり、二の椀は意地汚く、三の椀は「バカの三杯汁」といわれて嘲笑され、四の椀は論外となる。


イカの塩辛と青紫蘇

(かぶら)大根酢漬け

ミツバと豆腐と麩(ふ)の味噌汁

もやしと胡瓜

フキと蒟蒻の煮付け

醤油漬けニンニク

竹の子きんぴら

ミツバと豆腐の冷ややっこ

(ねぎ)ぬた

食後のお茶受け胡桃菓子

菠薐草のおひたし

黒大豆の納豆

玄米と蒟蒻と玄米雑炊
菠薐草と蒟蒻の白あえ
旬の味覚の筑前煮

尚道館で出される「一汁一菜」に付けられる副食のメニューや茶菓子例


 尚道館・陵武学舎での食事の際は、「常在戦場」の思想から、この時間を利用して、宗家の講話などを聴く事があるが、この講話を聴く時は、一々箸を置いて聞く必要はない。箸を動かしたまま、これを聴き、「同時に思考する」と言う「二つの作業」を訓練するのである。指揮官は、同時に幾つもの事をこなせなければならない。一つの事で精一杯と云うのでは、指揮官の器(うつわ)ではない。指揮官の器でない者が、指揮をすると結果は惨めなものになる。こうした事は、歴史が如実に物語っている。

 かつて大正の頃、旧日本陸軍では、士官学校出身者の中から、陸軍大学校入学者応募について、「やっとこさ大尉」「貧乏中尉」という下級将校の中から、優先的に受験をさせ、戦場で役立つ参謀を教育しようと試みた事があった。

 なぜ「やっとこさ大尉」「貧乏中尉」なのかと云うと、「やっとこさ大尉」は家に戻れば、嫁さんを貰ったばかりか、あるいは赤子が生まれたばかりで、その子守りの為に、赤子を背中に背負い、夕食の準備や洗濯をしていたと言う。それと同時に、戦術を考えたり、戦略を練ったりもしたと言う。

 また、「貧乏中尉」は、いつも安月給にピーピー云って、貧乏の苦労を一手に引き受けたような事を遣り、それでいて戦術や戦略を考えるのである。そうした日常を非日常に置き換えて、物事を考える生活次元を、陸軍大学校では高く評価し、彼等を優先的に受験させ、参謀教育を施したのである。
 日常を非日常に置き換えて、物事を思考する事こそ、常在戦場の思想であり、この思想は安穏とした日常生活の中には存在しない。こうした思想を根底の置いて、陸軍大学校ではモルトケHermuth Carl Graf von Moltke/プロイセンの軍人で元帥。1855〜88年参謀総長の任に付き、普墺戦争・普仏戦争に大勝し、ドイツ帝国の統一に貢献した。大モルトケといわれる。1800〜1891)以来の参謀教育を重視し、戦場とは如何なるものか、よく認識していたのである。

 しかし、これが昭和となると、こうした「二つ以上の作業」を同時にこなす人間から、学力重視主義に偏って行き、暗記の得意な者を陸大では採用する事になった。暗記力のいい人間は、答えのある者に対しては非常に強いと言う特徴を持っているが、答えが常に変化し、一定の回答が無い、戦場などの図上演習等は、あまり得意でなかった。
 こうして二つ以上の事を、戦場で同時に考える事のできる人間は退き、ペーパーテストの点数が良い者だけが、出世し、高級軍隊官僚になるという現実が生まれ、彼等は参謀本部と云う後方の安全地帯に身を置き、机上の空論で作戦を練り上げると言う愚行を働いて、日本を敗戦に導き、日本本土を焦土と化したのである。
 そして太平洋戦争に於ては、最後まで、彼等の頭から「奇手」とか「奇襲」といった、奇抜なアイディアは、とうとう一度も出て来なかったのである。

 だから、尚道館・陵武学舎の内弟子については、常日頃から、同時に「二つ以上の物事」に対処できるように、食事中にも、無言で食事をするのではなく、一時間と云う食事時間の有効利用として、宗家の講話を聴きながら食事をするのである。

 ある流派の食事作法では、食事の際の談話は、好まれないとする流派もあるようであるが、これは食事中に口を開けて、バカ笑いするような会話を慎(つつし)めと云う事であって、食事中、黙りこくって、話してはいけないという事ではない。

 しかし食事中に、喫煙する者がいるが、これは以ての外であり、直ちに改めなければならない行為である。
 また、尚道館では道場の内外において、喫煙は一切許されていない。普段から喫煙の習慣のある者は、入門審査前に、これを機会に完全に止めるべきである。
 タバコは他人に迷惑をかけるばかりのものではなく、料理の味を狂わせる元凶である。また、料理をしてくれた人に対し、「非礼」にも作(な)るのである。しかし、こうした礼儀作法を知る武道家や格闘家は、意外にも少ないのである。
 武道や格闘技の愛好者の中には、喫煙を非礼であると思わない愚者が多いようだ。

 タバコ一つ止める事が出来ない意志薄弱な者に、我が流の儀法や戦闘思想は、簡単に学べるほど生易しいものではない。
 そして、意志薄弱者は、同時に不作法であり、無態(ぶざま)な醜態(しゅうたい)を曝(さら)しても、これを顧みる事が出来ない無能者だ。

 また、戦後の民主主義教育の特徴の一つに、一家団欒(いっか‐だんらん)と云う、マイホーム的な思考が蔓延(はび)こったが、この家族全員が居間等に集まり、一家族が集まって、なごみ、楽しむという行為の中心は、テレビを見ながら食事をすると言う事であり、「テレビを見ながら食事をする」という行為は、同時に、日本の家庭崩壊を招いた。
 親も子も、お笑いタレントの登場する番組を見ながら、あるいはグルメやクイズ番組を見ながら、一時の娯楽と慰安の時を過ごすが、こうした行為が急速に日本の家庭を崩壊に導き、家長制度を突き崩した元凶になった事は明白である。
 そして、テレビに子守りされた子供達が大人になった時、どういう人間が出来上がるか、想像に難しくない。

 日本の食体系や食思想から考えて、かつては「テレビを見ながら」という食事の作法は存在しなかった。しかし、昭和30年代の高度成長を切っ掛けに、テレビの普及が急速に進み、テレビによって、親も子も共通の「テレビによる子守り現象」が起きた。
 そして、この中から、ある種の人間像が出来上がった。
 この人間像は、今や広く社会の裾野(すその)に分布し、体制側の搾取(さくしゅ)される種類に置かれているのである。
 また広く分布する、この階層が、食事の時、どのような親からの躾(しつけ)を受けたか、それを考えても想像に難しくない。

 尚道館・陵武学舎での入門審査の際は、入門志願者と必ず一緒に昼食を摂り、正坐厳守を審査条件して、その人間の一切を審査してしまうのである。この方法は、ペーパー・テストで、頭の中身を測定するよりも、実に効果的なのである。食事には、教養も頭の程度も総て顕われるのである。

 食事作法の基準に照らし合わせて行けば、箸遣い、茶碗や椀物の握り方、茶碗への手の添え方、汁椀への手の添え方、姿勢や食事態度、これまでの親の躾(しつけ)や、育った環境、目配りや隙が生まれているか否か、食事の展開の手順などを検(み)て、何を好んで中心に箸をつけるか、そして“香(こう)の物”といわれる漬物類を、どこの場面で遣うか等の、その人間の教養や、思考力までもを読み取ってしまうのである。