尚道館少年部 5
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●近い将来、誰にも等しく、大激変が待ち構えている アメリカがこれまで日本を助け、これからも日米安保条約を締結の踏台にして、日本を助けるかのようなポーズをするのは、朝鮮半島を入口として、中国という巨大国家が大きな黄禍を横存(よこた)えているアジアの構造を熟知しているからです。 巨大中国は中華思想を原動力として、世界制覇を狙う野望を着実に完成させつつあります。アメリカはこうした中国の野望を挫き、阻止するための、防波堤として日本を利用しているに過ぎないのです。アメリカの狙いは、日米安保条約の裏に、こうした中国の世界征服を阻止するという動機が、根底に働いているのです。 したがってそれは、決して日本が好きだからではなく、日本列島という土地の持っている位置が重要なのであり、日本人がどんな悲惨な目に遭おうと、知ったことではないのです。 彼等アメリカ人にとって、日本人と平等などという意識は毛頭ありません。アングロサクソンの白豪主義思想は、何が何でも、自分達が頂点に位置して君臨しなければならないと言う意識が働いています。平等などという気持ちは全く存在しません。ただ彼等の意識の中には、アングロサクソン系の白人が常に頂点にいなければならないとする考え方です。 アメリカと言う国家の社会構造は、建国以来、階級国家・階級社会であると言うことを忘れてはなりません。また対等という意識もなければ、同格という意識もありません。 私達日本人は、この現実をハッキリと認識しなければなりません。 そして明白なことは、「人間は平等ではない」ということです。 戦後の民主主義教育下で、多くの日本国民は平等教育で、「平等主義思想」を培養され、これが世界で最も正しい考え方であると盲信してきました。 ところが現実は、「平等」など何処にも存在しません。 人は皆顔が違うし、性別も異なり、その両者は体力も異なります。現に美男美女と醜男醜女の現実も、無視することが出来ません。才能も、素質も、人各々であり、また能力も、適性も、各々に異なり、この差は歴然としています。貧富の差も歴然であり、金持もいれば貧乏人もいます。こうした現実を無視して、「平等」など、絶対に在(あ)り得ないのです。 時代は確実に変わろうとしています。この変化に気付かずにいると、未来は絶望的なものになります。 「歴史は繰り返す」という諺があります。その諺通り、歴史は繰り返し、今まさにその過度期にあります。 歴史を振り返り、研究して見れば解ることなのですが、偉大なる文明は、今日の社会のように、「平等」と標榜しつつ、その裏側には歴然とした事実として、金持と貧乏人の格差があり、この両者のギャップが、極大状態に近づき、これが最大値の臨界点に達した時、その文明は滅亡しているということです。 よく理解して頂きたいことは、親も無教養で入られないと言う時代なのです。 ヨーロッパ大陸の文明や国家のみならず、ユーラシア大陸においても想像を絶する、闘争が繰り返され、文明と国家の浮沈がありました。 マケドニア、ペルシャ帝国、サラセン帝国、蒙古、清朝などがそれにあたります。 そしてアメリカも、そうした国家や文明が滅びたように、滅びの道を突き進んでいます。資本主義社会の総本山であったアメリカは、その屋台骨がぐらつき始め、高度に発達した金融経済を母体にした近代資本主義も、そろそろ翳(かげ)りが見え始めて来ました。 私達は、教育や学問というものを、一種の暗記事項に対する記憶力と考え、長い間、誤解し続けてきました。 喩えば、「歴史」という課目を、歴史に記されていることから学ばず、単に歴史の授業で、年号や日付、人の名前や事件名ばかりを暗記してきましたが、そこに書かれた教訓は、何一つ学ぼうとしませんでした。 こうした、教訓を学ばないという現代の社会構造が、実は、金持と貧乏人の格差を広げ、諸物価高騰の現実を作り、更に、税金引き上げの現実を作りました。 税金は年を追って益々高くなり、年金給付の年齢は徐々に引き揚げられ、企業年金や国民年金も、充てにならないという、政治と社会を作り出しました。 この実社会では、学問や、学校での教育が全く生きていないのです。 本来ならば、政治が正しく機能して、政府がしっかりしていて、社会を構成する仕組と、それに携わる構成員の教育程度が高くなればなるほど、物価は上がらなくてすむはずなのですが、政治の老朽化に伴い、民主主義は大衆の声が反映されなくなってしまいました。大衆の声が反映されれば、税金にしても上がらなくてすむはずなのです。むしろこれらは、下がるべきであって、上がるべきものではありません。 しかし学校教育で教えたことは、教訓を学ぶというものではなく、年号や日付、人の名前や事件名ばかりを暗記する暗記教育だったのです。この暗記力に優れた人が、実は、政治を行い、あるいは高級官僚として、日本を益々駄目にしているのです。 ●己を知ること 天叢雲剣(刀)は「力」を象徴し、八尺瓊曲玉(玉で作った勾玉)は「人の和」を象徴し、そして八咫鏡は「己を知ること」を象徴しています。 「己を知ること」は、自分を瞶(みつ)め直して、「これでいいのだろうか?」と自問自答を繰り返す切っ掛け与えてくれるものです。 今しているしていることが正しいかどうか、あるいは初心を忘れてないかどうか等の、反省を与えてくれるものなのです。古人は鏡に自分の顔を映し、自分に自問自答しました。 私達は、時には鏡を見て、自問自答し、もう一人の自分の声に、耳を傾ける必要があるのです。 |