前文
「武士道実践者の心得」は、決して「規則」ではない。更に「律法」でもない。
ここに示す武士道実践者の心得は、これを実践し、求道者(ぐどうしゃ/真理探究の学徒)として、道を極めるには、どうしたらよいかという事を短直に述べたものである。
したがって求道者として、精神面においての心得であり、これは言うならば、「規則」という名で、門人を一方的に縛り付ける強制力を持ったものではない。まして軍隊における「軍律」などという、苛酷なものでもない。
道を求める求道者が、そして「武士道」を実践する志ある者が、修行するに当たって、厳守すべき「心得」、あるいは「たしなみ」が、これである。
強制されるべき厳罰主義に則った罰則事項は、人間性を疎外し、修行の妨げとなる。これは「有害あって、全くの一利なし」である。
しかしこれは、武士道を志す求道の士の「心得」であり、「たしなみ」であると理解するならば、これは外形的に、人間の身体を縛るものではないが、内面的には「道」と「心」というものを追求するのであるから、ある意味においては、今日の、社会に施行されている各法律よりも、あるいは軍隊における、軍人の命令違反を罰する軍律よりも、厳しい側面を持っている。
それは内面的には鋭く迫り、武術家として、その禁を犯してはならない神聖なものであり、深層部に感得しうる崇高(すうこう/普通の程度をはるかに超えて、驚異・畏敬・偉大・悲壮などの感を与えるさま)な道標と心得るべきものである。
求道者が武術の実践に合わせ、その精神的支柱をなす、名誉ある武士道を実践し、それを嗜(たしな)む人間修行を、究極の目的に掲げるならば、これは当然、武術家として厳守すべき重要な事柄になるであろう。
即ち、わが西郷派大東流合気武術の「道場憲章」とは、単に世俗に存在するありふれた事細かな規則ではなく、武術修行者の踏み行う道であり、この「武士道実践」の心得をもって、真の道場憲章の啓示に帰するものなのである。
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