西郷派大東流の儀法 2



●敵に回すとタダでは済まぬという気概

 武術を志す者は、敵に回すと、「厄介な相手」というイメージを、相手に植え付けることが大事である。
 概ね、競技武道やスポーツ格闘技は、過去の試合成績から強弱の序列が決められ、それに従って順位が、無言の了解のうちに定着してしまっている。ために序列順位の低い者が、上位にある者に対して、試合や格闘において、逆転勝ちを収めるということは殆ど有りえない。また固定観念が、そうした方向に順応化する。

 大方は予想された通りの試合展開になり、予想された通りの結果が出る。試合形式を採用する競技武道や格闘技は、上位から一通りの序列順位が決められ、この序列順位に従って出場選手が選定される。また候補選手は、成績の上下善し悪しが序列順位によって決定され、いわばこれは一種の番付表である。そしてスポーツや格闘技の多くは、こうした番付表に頼らなければ、出場選手を選定できない欠陥があり、そこそもこうしたものは、IOC(国際オリンピック委員会)やJIOC(日本オリンピック委員会)の出場基準に飼い馴らされたスポーツ競技であるからだ。

 したがって「小が大を倒す」という逆転は殆ど皆無である。
 しかし実戦武術の場合、これが有り得る。それは想像を絶する、思いも拠らぬ、奇想天外な術を知っている場合に、これが有り得る。こうしたものには、場所が左右するし、天候が左右するし、時間や禁じ手の無制限などが左右する。

 さて、人間が実戦において、戦わねばならない場面に遭遇した場合、どういう行動を示すかは、その人の人間的なこれなでの稽古量と伎倆(ぎりょう)と力量にかかる。
 敵から襲われる場合、大きく分けて二通りの被害者パターンがある。

 喩えば、街の路地裏で強盗に遭遇し、その場合において、激しく抵抗する人間と、他方は全く抵抗しない人間の居ることである。この両者を考えた場合、結果はおのずと違ってくる。
 そして危険なのは、無抵抗の場合である。
 果たして強盗を実行する加害者が、無抵抗な人間を見て感動し、何も奪わずに引き揚げて行くだろうか。それこそ実行犯の思う壺(つぼ)でないか。

 激しく抵抗すれば、我が身を傷つけられることもあるが、刃物で傷つけられ、あるいは拳銃弾(38口径拳銃の命中確率距離は5〜6メートルである)を受ける危険性があるが、この一線を越えて、傷つくのを覚悟に、抵抗を露(あらわ)にすればどうなるか。そしてこうした局面に於て、現状を保つ限界を越えた行動に出れば、逆に強盗を断念させる可能性は大になることが多い。即ち、傷つくのを覚悟に抵抗すれば、何も奪われずに済んだという実例の方が圧倒的に多いのである。

 敵のいいようにされ、無抵抗な現状の保身に身を委ねれば、結果は悲劇的である。
 ストリートファイトを含む実戦は、試合とは異なる。何か特異な「切り札」としての術を知っている者が、以外と急場を切り抜けているのである。
 逆に、何も抵抗せず、加害者の好き勝手にさせれば、金品を奪われるだけではなく、女性であれば強姦された挙句、顔を見られたために殺されたり、殺されなくても、肉体的精神的に生涯致命傷となる傷を負わされる場合が少なくない。

 法治国家の法は、裁判などでは有効であるが、受難現場では一向に威力を発揮しないのである。また社会秩序は、警察や司法機関の監視下のみに保たれるのであって、一度監視下を外れれば、秩序は崩壊すると言っても過言ではない。
 法や秩序は、それが守られて効力を発揮するのであって、無法谷(きわ)まる加害者に効力を発揮するものではない。

 したがって不穏な世の中に生きる私達は、何らかの「切り札」を身に付けることが必要である。「切り札」を身に付けることは、即ち、自らの人生を防御することに通じるのである。

 私達日本人は、戦後教育の中で平和主義という、崇高を錯覚させる謳い文句に酔い痴れた。日教組体制下の、左翼思想の教育現場で平和主義が指導され、いつ敵が攻めて来ても、殆ど無抵抗で、闘わず、言い成りになることを教えられて来た。戦争放棄もその一つである。

 日本国の戦争放棄は、現憲法下で、敗戦の年の昭和20年9月上旬からG・H・Q(占領軍総司令部)の意向の下で創案され、昭和21年11月3日公布され、翌年の5月3日に実施された。現日本国憲法はこうした経緯の中で、一方的に創案され、アメリカから白人主導型の民主主義を押し付けられた。この憲法内容は、徹底した平和主義が唱えられ、それに続いて、国民主権や基本的人権が高らかに謳われている。エゴイズムと平等意識。どこまでいっても、相容れない、二つの大きな矛盾を抱えている。
 そして恐るべきは、日本人の潜在意識に侵入しつつある、憲法第九条の戦争放棄の一コマだ。

 日本人は先の大戦の反省から、憲法第九条によって、武装も戦争も放棄したという瞞(まやか)しを、一方的に信じ込まされた。
 しかし日本人が戦争放棄しても、現実世界には戦争が存在する。日本人が戦争を放棄しても、世界は日本に戦争を放棄させないのである。
 世界には依然として、黄な臭い戦争の火種が消える事なく、各地の至る所で燻(くすぶ)っている。これらは日本人の戦争放棄と無関係であり、私達が戦後教え込まれた平和主義の中に、アメリカの政治政策が見て取れる。そして戦争放棄と交錯するように、ガンジーを賛え、彼の説いた「無抵抗服従主義」(正しくは「非暴力不服従主義」というそうだが)という美辞麗句がある。

 日本人ほど、この美辞麗句に酔わされた民族は、世界に例がないであろう。
 そしてこの無抵抗服従主義は、いつの間にかガンジーの崇高な態度が、インドの、イギリスからの植民地解放政策を断念させ、インドの独立が成ったと、日本人に先入観を抱かせる結果を招いた。

 したがって進歩的文化人達は口を揃えて、我々は如何なる有事に遭遇しても、絶対に戦争はしてはならないのだと力説する。諸手(もろて)を挙げて万歳しろと説くのだ。
 そしてこうした文化的権威の、国民意識の誘導が、無抵抗服従主義の虚構を作り上げ、この主義さえ貫いていれば、喩え北朝鮮であっても、日本を攻撃することはないと断定しているのである。果たして彼等は、こうした無抵抗主義に感動するだろうか。あるいはこの崇高?な意識が理解できるだろうか。

 家に、強盗に入られ、金品が奪われ、妻や娘が夫の眼の前で強姦され、この夫が無抵抗主義に徹し、何もせずに暴力を好き放題にさせ、金品を奪われて、強盗が退却する際に「あなたを赦(ゆる)す」などと言ったら、お笑い者である。

 戦後の平和主義は、日教組を背景に、徹底した戦争放棄と、それに準ずる平和教育が、小・中学校の教育現場で実施された。また高等学校では、当時の全学連予備軍であった「民青」(民主青年同盟)指導の下に、ソ同盟礼賛と正義性、そして自由主義国家の帝国主義論がぶちまかれた。世は、上から下まで、自覚症状のない赤化工作に嵌(は)められ、平和教育の渦に呑み込まれて行った。その、赤く染まるのも知らずに。
 そしてこの平和教育の正義理論が、米国のでっち上げた「ガンジーの非暴力不服従主義」であった。

 そこで日本人に等しく教えられたことは、非暴力であり、裏を返せば無抵抗の精神だった。ガンジーの無抵抗主義運動が、インドの独立をもたらしたという捏造(ねつぞう)だった。
 アメリカの意図はイギリスと共謀し、大戦以降、日本に武装させない策謀であった。平和教育の狙いは、ガンジーの無抵抗主義運動を教育題材に遣い、日教組の手助けを借りて、太平洋戦争後の占領国側が、日本人に無理強(じ)いした思想教育である。

 太平洋戦争終結を前後して、アメリカやイギリスは、インド人をはじめとするアジアの有色人種に対し、端(はな)から人間と思っていなかった観が強かった。日本人然りであり、それまでの日本人は猿同然の存在であり、どう酷使しようが、あるいは無差別に殺そうが、何の痛痒も感じない意識が白人主導型の政治政策にあった。広島・長崎の原爆投下も、こうした彼等の痛痒(つうよう)を感じない意識の現われである。

 また日本の敗戦下、日本人の多くの婦女子が、アメリカ兵から言語に絶する強姦や輪姦を受けたことは周知の通りである。当時の孤児を集めた「エリザベス・サンダースホーム」は、こうしたアメリカ兵から強姦や輪姦を受けて、生まれてきた混血児の収容所であった。

 無抵抗服従主義は、一見崇高な思想のように受け取ってしまいがちである。しかし崇高に見える無抵抗主義も、これを解さない民族の前では、全くの無力である。
 かつてガンジーが展開した無抵抗独立運動など、イギリスが本気になって武力弾圧に出れば、あっさりと潰されていたはずである。

 インドを真にイギリスの手から独立させたのは、ガンジーの無抵抗主義(非暴力というらしいが)の独立運動ではなく、チャンドラ・ボースの自由インド独立政府である。ボースによる武力独立の孤軍奮闘が、イギリスの植民地政策から手を引かさせ、以降の植民地化を断念させたのである。

 読者諸氏は、実際に戦争保険なるものがあるのをご存じだろうか。
 戦争保険(war risk insurance) とは、通常の保険では除外される、戦争に基づく保険事故に対し、保険金支払の責を負うものとする保険であり、欧米では「戦争保険」の名で広く知られている。戦争に明け暮れた歴史を持つ欧米人は、戦争と戦争の一時の隙間(すきま)が「平和」と考える思考意識で、長い歴史を積み上げてきた。その一時の平和を媒介として、「戦争保険」なるものが存在し続けているのである。この事からも、人類は未だに、戦争を回避する方法を、まだ知らないということを物語っているのである。

 また如何なる優れた政治システムも、武力弾圧や武力独立を抜きにして、達成できないことを如実に物語っている。
 インドにおけるボース、ビルマにおけるアウンサン(アウンサン・スー・チー女史の実父)らの武力独立を目指す集団が相次いで蜂起したから、傲慢谷(ごうまんきわ)まるイギリスも、これ以上は東洋人を弾圧できないと断念したのであって、決してガンジーの無抵抗主義の独立運動が功を奏したのではない。いわばガンジーの無抵抗主義はこうした混乱時の「漁夫の利」であり、言葉の響の、最も美しいところだけを、欧米人が戦後の日本人の脳裡に培養したに過ぎなかった。

 そしてインドは、ボースによる激しい抵抗があったからこそ、インドは独立できたという経緯がある。この抵抗が激しければ激しいほど、これ以上の弾圧は出来ないという経緯の下に、インドの独立があったのである。

 多くの日本人が見逃していることは、こうした事実であり、単に憲法の中で謳い上げる戦争放棄でなく、また無抵抗主義運動が功を奏したと言うことでもなかったのである。何故なら、人類は闘争を繰り広げ、支配者と被支配者の関係が永遠に解決できない運命的な宿痾(しゅくあ)を背負っているからである。

 そこで登場するのが、万一、何者かに威圧された場合、安易に諸手を挙げて万歳する場合と、某かの抵抗を加え、一度闘えば、強者といえども、無傷では済まされないという闘志だ。敵に回せば厄介な相手というイメージこそ、イザとなった場合、その支柱となる「切り札」であり、これを持っているのと、そうでないのとは雲泥の差が出るのである。