このまま、人間の愚行が繰り返されれば、間違いなく、人間界は、大難は大難となって、人間社会は大惨事に巻き込まれることは疑う余地もありません。
では、こうした大惨事はどうすればよいのでしょうか。
問題は簡単です。人間が、もともと神から許された穀物菜食に改めれば、大半の問題は片付くのです。
世界の人口が約60億とすれば、この数の人々が生きていくには年間約6億トンの穀物があれば足りるのです。
現在、世界の穀物総収穫量は年間約19億トンです。13億トンも過剰に生産しています。それなのに、世界の大半は飢えに苦しみ、飢餓難民が続出するのは、一体どういうり理由からなのでしょうか?
一方で飽食を貪り、肉食主義に趨り、独り占めして、貧富の差を大きくして、その分だけ、飢餓難民にまで食糧が回らないという現実がそうさせているのです。
為政者は一口で飢餓と言い、これを天災と言います。しかし飢餓は天災ではなく、紛れもなく政治手腕の不手際が招いた人災です。
そして、金で何でもうまいものは、我田引水的で曳き寄せ、他人の米櫃(こめびつ)の中に手を突っ込むような思い上がった日本人は、もっと慎み深くなる必要があります。
こうした事を考えていくと、資本主義市場経済の自由貿易や自由競争の原理が、結果的に世の中の拮抗を失わしめ、人類を破滅に追い込んでいることが分かります。
そして食糧メジャーの画策とあわせて、もう一つの巨大システムとして機能を始めた世界の金融経済は、構造的にはデリバティブ(derivative financial instruments/債券・株式など本来の金融商品から派生した金融商品。先物取引・オプション取引・スワップ取引などがある。金融派生商品)に見るような、抜本的には機能抑制装置であるブレーキが作動する構造になっていないため、どこまでも突き進んで、天文学的な数字にまで巨大化し、人知では止められない様相を呈しています。
こうした現実が、結局天変地異までに発展します。
人類は、今、大変革を迫られています。人間だけではなく、あらゆる生きとし生けるものが、その進化過程において、大激変を迫られ、火と水の試煉を受けようとしています。人類への受難は、最終段階の峠に差し掛かっていると言えるでしょう。 |
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