近代科学農業は、人間の欲望を全面に打ち出し、遠心力的に拡散・膨張させる農法を基本に置いています。その基本原理は、自然を管理し、自然から離脱するという遠心力的な農法であり、それは人間の欲望を煽るだけの農業技術に置き換えられています。
その結果、人間は自然の大きな懐(ふところ)から離れ、宇宙の孤児として、もともと還るべき自然を破壊して、目的の安住の地を見失ってしまいました。
科学者達は、自然から離れることを第一番目の目標に掲げ、大都会はビニールハウス擬きの「被い」を掛けて、冷暖房や通風装置を設置して、その中で都市型未来都市を夢見ています。そのため、都会人は明るい自然の陽の光りを知らず、緑の田園風景を知らず、動植物やそよ風に肌を委ねる心地よさすらも知らなくなりました。
至る所がアスファルトとコンクリートで被われ、大地の上を裸足で歩くという、大自然との交流を忘れてしまいました。
科学を第一とし、それを裏付ける唯物弁証法的な近代科学を根本理念において、大自然の中心から離脱し、拡散・膨張する道を選択しました。ここに遠心力的に離脱する分裂の現実が生まれたのです。
しかしこうした現実の中で生まれたものは、期待した巨大都市の発達や経済的活動の急激な膨張によって金融経済を著しく向上させましたが、一方において、人間疎外の空しさを作り上げ、自然を乱開発する、生活環境の破壊に他なりませんでした。
そして自然から孤立した空虚な人間生活が置き去りにされただけでした。
生命と魂を向上し、発展して霊的神性を高める源泉は既に枯渇し、人間は、単に寸刻みの多忙に追われて、時間と空間を競うばかりの競争原理の中に取り残されてしまったのです。そしてこうした現実から、新たに発生したのが奇怪な文明の、「文迷」という現実でした。
では、こうした「文迷」は、人間に何をもたらしたのでしょうか。
喩えば、林檎(りんご)の樹木や、温室のイチゴ栽培を考えて見て下さい。科学万能主義はこうした樹木に、より高い収穫率をもたらすために劇毒剤を散布するという方法を用いました。その結果、訪花昆虫であるハチやアブを死滅させ、今度は人間が訪花昆虫に代わって、花粉を採取し、その採取した一つ一つを人間の手で花に花粉をつけて回るという、人工授粉の方法を用いなければならなくなったのです。
本来ならば、自然のうちに無数の動植物や微生物が動き回って働き、結実させるという自然界の仕組があったのですが、それを無視して、その代役として人間が多忙に動き回るという、徒労の現実を作ってしまったのです。
人工授粉の光景は、まさに悲喜劇であることは明白な事実ですが、あなたはこれを如何がお思いでしょうか。
また、これが徒労であることは、決して疑いようもなく、科学万能主義は、実は人間に多忙と、徒労をもたらしただけではなかったのでしょうか。 |
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