西洋近代科学は科学することによって、自然を知り、自然を利用し、自然を征服し、自然を管理することにその基準を併せ、これまで奔走してきました。
ところがこの奔走は微視的視野に留まり、単に科学知識を分化的に寄せ集め、分類したに過ぎませんでした。
生きている統一された自然は、紛れもない生命体であり、分解も解体も許されない「大いなる」ものです。したがって自然は分解されれば死滅します。
自然を分解し、分析し、分離し、その結果に基づいて種別ごとに箱別けしたところで、それは死滅した粉々の、死骸の自然でしかありません。
これまで西洋近代科学が、自然を知り、管理したことに成功したと考えるのは、近代科学者の思い上がりであり、利用する、管理するという暴挙は、とんでもない間違いです。
何故ならば、その出発点において、自然を把握する方法論が間違っているためであり、間違った基盤の上に、いくら新しい理論を構築しても、その立脚点は自然からかけ離れたものになってしまいます。その間違った、かけ離れた理屈の上に、唯物弁証法を用いて、如何に合理的な思考を積み重ねて見たところで、総て根本に誤りがあるので、これは「自然を知る」という大それた思い上がりが、既に虚構理論であるということが明白になります。
もともと自然には、生もなく、死もありません。
また大小も、盛衰も、強弱もありませんでした。ところが文明は、近代農業や近代耕作法に至って、害虫を作り出し、天敵を作り出しました。
近代科学に立脚した近代農業や近代耕作法は、自然を弱肉強食の荒々しい、矛盾に充ちた相対界の代物と極めつけました。その結果、農作物の収穫に農薬が遣われ、田畑を耕すのに耕運機やトラックターが遣われるようになりました。
水田耕作という農耕技術も、これを持ち込んだのは弥生時代以降のことであり、もともと縄文期には水田耕作という技術はなく、大陸や半島で盛んに行われたこれらの技術とは無縁でした。
ところが弥生時代になると、田に水を入れるという、弥生人の技術が主流をなすようになりました。以降、田の土を捏(こ)ねる方法として、牛馬が遣われました。
近代農業に至っては、牛馬に代わり耕運機が投入されて、田を掻き回すという農耕技術が主流をなし、田の土は練に練られて壁土のようになってしまいました。田が壁土のようになれば、固くなって、土は死んでしまいます。死んだ土を何とか柔らかくしようとして、毎年耕耘作業を行います。
つまり、人間は近代に至って、科学する農業が生まれ、耕運機が役立つような、あるいはオートメーション化して、トラックターが役立つような条件を作っておいて、機械化農業が価値ある農業として一喜一憂しているという近代農法が生まれたのです。近代農業が石油に浮かぶ産業といわれるのはこのためです。
さて、害虫が発生すれば、水銀たっぷりの農薬で駆除し、天敵が現われば、それに勝る化学薬品を田畑に投入します。
だから近代科学農業は、雑草や害虫を敵と決め付け、その駆除にやっきになります。これこそ愚かな鼬(いたち)ゴッコであり、「一切無用の自然界」に、無駄な人力を投入するという現実が生まれました。
耕運機やトラックターと、化学肥料で生きた土を殺し、夏中深水にして作物に根を腐らせ、軟弱な病体質の植物を育て、早熟作物を作り出すために化学肥料と消毒剤が遣われました。
つまり農作物が健全でないから、化学肥料と消毒剤が盛んに遣われ、堆肥作りで苦労するという農業の現実を作り上げてしまったのです。
原点に戻り、土は土、草は草、虫は虫の世界があり、土に任せることをせず、草に任せることをせず、また虫に任せることを拒み、いつしか自然農法が近代的科学農法にとって代わられ、確実に大地を殺し、広大な自然を猛烈な速度で蝕む現実が生まれました。 |
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