●アメリカが画策した日本人の食思想改造
現代病の蔓延(まんえん)は、食の誤りから起っている。食を誤れば当然のように、体力が衰えるばかりでなく、体質そのものが悪くなる。そして、現代人が根本的に、食に対する誤りを犯している事は、体質と体力を同じように考え、体力があれば、如何なる病気も跳ね返せると信じていることだ。
しかし、「体力の強弱」と「体質の良し悪し」は、根本的に違う。
体質が良いと言うことは、喩(たと)えば、伝染病が蔓延している地域に居ても、一端は伝染病に罹(かか)るものの、その後、直ぐに自然治癒力が働き、病気が治る事を言う。
数年前、アジアで鳥インフルエンザが大流行した。
鳥インフルエンザは、鳥類がA型インフルエンザウイルスに感染して起こる病気である。A型インフルエンザウイルスに感染して発病する鳥類は、鶏や七面鳥等の家きんが主で、野鳥での発病は希である。しかし学術的には、鳥類に感染するA型インフルエンザウイルスを総称して、鳥インフルエンザウイルスと云っている。
家畜伝染病予防法では「鳥インフルエンザ」は、インフルエンザウイルス感染による家禽(かきん/鶏、あひる、うずら、七面鳥などの家で飼う鳥の事で、特に、肉・卵をとる目的で飼うものを指す)の病気のうち、高病原性鳥インフルエンザでないものを指す。
つまり、H5あるいはH7亜型以外の弱毒な鳥インフルエンザウイルス感染による家禽の病気である。この病気を発病すると、元気消失、食欲・飲水欲の減退、産卵率の低下、呼吸器障害、下痢、神経症状などで、肉冠・肉垂・顔面の腫れやチアノーゼ(Zyanose/局所的・全身的に血液中の酸素が欠乏して鮮紅色を失う為に、皮膚や粘膜が青色になる事で、血行障害や呼吸障害で起る)、脚の浮腫や皮下出血などの病変が起る。
そして、年々死者の数も増えている。
これを年代順に統計的に見ると、1997年の香港市民の感染(H5N1: 18名が感染し6名死亡)、2003年の福建省に旅行した香港家族の感染(H5N1: 2名が感染し1名が死亡)、2003年のオランダにおける防疫従事者の感染(H7N7: 約80名が感染し1名が死亡)、2004〜2006年のベトナム、タイ、カンボジア、インドネシア、中国、トルコ、エジプト、アゼルバイジャン、イラク等市民の感染(H5N1)等で直接感染が起るようになった。
感染して衰弱し死に至るか、罹っても短気で回復するかは、体力の有無が決定するのではない。病気に罹っても直ぐに治る、体質が決定するのである。この体質の良さをもって、死の淵から生還した者がいる。
これは如何に体力があっても、体質が悪ければ、こうはいかない。
病気は予防医学で考える前に、体質を改善する体躯(たいく)を養っておいて、どんな流行性の病気が襲ったとしても、その病気から直ちに解き放たれ、回復できる体質を養っておくことが肝心である。つまり、体質が良いと言うことが、現代という時代を生きる極め手になるのである。
病気に罹らない予防医学のみを中心にするのではなく、病気に罹っても直ぐに治る体質の良さを養わなければならないのである。
しかし今日に於いて、こうした事は余り問題にされず、現代栄養学の立場から、予防医学のみが食指針の課題となっている。そして、その予防医学の立場をとる現代栄養学の示すものは、体力重視主義である。あるいはスタミナ優先主義である。
その体力主義の根幹を為すものが、官民揃っての食肉の推奬である。
では何故、日本人は、食肉文化を信奉するようになったのだろうか。
それは先の大戦であった、日米戦までに遡(さかのぼ)る。
昭和16年12月8日の日米戦の開戦において、その発端は、日本がアメリカの言い成りになり、米世界戦略の傘下に取り込む事であった。その政策の一つに盛り込まれていたのが、欧米的な食生活を日本全体に普及させることであった。
この意図は、大戦末期になると、アメリカの意図が露(あらわ)になって来る。太平洋戦争では、アメリカが日本に対し、執拗なまでの情報戦が繰り広げられた。その情報戦による一つに「伝単」(【註】中国語に由来する「宣伝ビラ」のこと)なるものがあった。アメリカの謀略放送に加えて、米航空機から撒(ま)かれる「伝単」なるものが空から降って来た。
これは逼迫(ひっぱく)する戦況の中で、一種の意図的な誘導を持つ心理戦で、爆弾や銃弾を広告チラシに置き換えた「戦争」であった。
まず、アメリカは「爆弾後の生地獄」と題した伝単を日本人の頭上に降らせた。アメリカは、日本の本土空襲に際し、爆弾投下予告として伝単を空から散布したのである。日本国民に、恐怖心を植え付け、また軍部の戦争指導に疑念を持たせる心理戦を展開したのである。近代史の新たな戦争である。
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▲「 爆弾後の生地獄」の表面
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多くの日本国民は、この心理戦にまんまと嵌(はま)って行く。日本軍は大本営発表として、国民が伝単を拾う事を禁止した。
一方アメリカでは、戦時情報局心理班(OWIPWT)という組織がつくられ、航空機による伝単散布で、日本国民の撹乱作戦に踏み出した。この心理班は、日本語に堪能(たんのう)な亡命日本人や日系アメリカ兵を始めとして、かつて日本に棲(す)み、日本で教育を受けたアメリカ人留学生等から組織されていた。そして伝単政策にあたっては、天皇批判は避けて、戦争指導を行っている陸海軍部の軍首脳を叩き、日本国民に厭戦(えんせん)気分を助長させる心理戦に出たのであった。
これ等の中で、特に注目すべきところは、「爆弾後の生地獄」と題した伝単の中の裏面に、当時の戦争指導を行う軍部の弊(へい/良くない事)を説き、威嚇(いかく)と柔躙(じゅうりん)とをもって、戦争の終息を促すチラシを空から散布したのである。
そして、そこに上げられたものは、「四つの自由」というものだった。
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▲「四つの自由」に列挙されたものは、「欲望の自由」「言語の自由」「恐怖からの自由」「壓制(あっせい)からの自由」であった。 |
また一方、日本軍も慢性的に物資が欠乏する中、これに負けず、米兵陣地に対して、郷愁(きょうしゅう)を誘う為に「お色気」で迫る伝単を使ったのである。大戦末期になると、日米が心理戦に出て、終戦まで、日本軍大本営参謀本部第八課では、推定で170種以上の伝単を使い、凡(おおよ)そ1350万枚がばら撒(ま)かれたとある。
これに対しアメリカ側は、食糧難不足で飢餓状態にあった日本人の食欲を掻き立てる為に、豪華な寿司の写真をカラーで刷り、飢餓感を掻き立てたる心理戦に出たのである。
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▲豪華な寿司のカラー写真を載せた、日本人の飢餓感を掻(か)き立てた伝単。
日本人は、もうこの時に、アメリカの食糧政策の罠(わな)に嵌(は)められ、植物性食品から動蛋白への画策が行われていたのである。 |
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▲アメリカのコミック紙に出て来るような絵柄のグラマー女性を登場させ、悩まし気な殺し文句で、米兵を悩殺し、戦意を失わさせようとした大本営参謀本部第八課が製作した苦肉の伝単。当時の大本営はこの程度の低レベルだった。 |
アメリカ軍の、空から散布した豪華な寿司のカラー写真の伝単は、日本人を忽(たちま)ちにして飢餓感に陥れた。そして、アメリカ側の巧妙なところは、寿司が欲しければ、「飛行滑行場の東南方の交叉点(こうさてん)に十字型を書け」というものだった。これは日本兵ならびに日本国民に投降を促したものであった。
先の大戦を、日米の食糧事情から観(み)た場合、その背後に浮かび上がって来るのは、これまでの日本人の食体系を破壊して、日本人を骨抜きにする政策が、太平洋戦争当時、既に錬られていた事である。
日本人は古来より、穀物菜食を伝統として来た。しかし、江戸時代に入り、オランダ文化が流入して来ると、西洋の肉食が次第に、日本人にも浸透する事になる。そして明治維新を迎え、欧米化の食文化が雪崩込んで来ると、牛鍋(ぎゅうなべ)やスキ焼きなどの肉料理が広がり始める。そして、やがて西洋気触(かぶ)れの栄養学者達によって、「肉を食べる事は健康に非常に良い」と言う折紙が付けらられる。こうした学者の言は、庶民にも信仰される事になり、瞬(またた)く間に普及するようになる。
しかし、地方の山村や漁村などの田舎に於ては、依然として穀物菜食や魚介類、海藻類が中心で、食生活には余り変化が見られず、今日のように全国津々浦々まで食肉が当たり前になるのは、近年になっての事である。
肉食文化を日本に持ち込み、肉の動蛋白の持つアミノ酸の優秀性に評価を発したのは、現代栄養学者達であった。そして「肉食をしなければ、栄養のバランスが失われ、病気になる」と嘯(うそぶ)いたのである。
この学者の言を多くの日本人は信じ込み、食肉万能の食思想が日本の食体系の中で重要なポストを占めるようになる。この思想に拍車が掛かるのは、日本の太平洋戦争敗北後の事である。日本は確かに、この戦争で多大な敗北を喫したのである。軍部の戦略や戦術、あるいは物量で負けたばかりでなく、思想的にも、文化的にも、食体系的にも、総て敗北したのである。
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▲日系米兵から水筒の水を飲む幼女 |
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▲農村へ食糧買い出しの真委員列車
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▲昭和22年頃の小学校の給食
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▲闇食糧の警察の取締。
(大宮駅で昭和22年4月)
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多くの日本人は一日も早く、戦後の荒廃から立ち直ろうとした。荒廃の中から立ち上がる為には、アメリカを始めとする先進国の水準に追い付かなければとする、欧米型模倣の生活スタイルが、国民の間にとめどもなく浸透して行ったのである。その結果、これまでの日本の伝統文化は古臭く、非科学的で、時代遅れであり、アメリカこそ、人類のよき手本だと言う考え方が広まって行った。
そして、多くの日本人の思考の中には、西洋的なものなら何でもカッコよく、良いものであると、上から下まで信じるようになったのである。
現代栄養学に基づく理論も、この時に受け入れられ、食指針が、日本の敗戦と共にスタートしたのである。この指針はマッカーサーの訪日と共に押し進められた。この当時、栄養学が推薦している食指針であると、間違った推断で政策が実行され、既に、日本の食糧市場に参入しようとする、戦前から手ぐすねを引いていたアメリカ食肉業界の思惑が働いていたのである。
この結果、日本の食指針は、日本古来からの連綿として受け継がれた、叡智(えいち)に基づく食体系を放棄して、アメリカ型の食思想を受け入れるようになってしまったのである。かくして日本人の胃袋は、アメリカの思惑によってコントロールされ、アメリカ食企業の定める食物習慣によって、完全に占領されてしまうのである。
これは歴史学的に見ても、敗戦国が戦勝国側の言いなりになり、敗戦国民のその殆どが、戦勝国の食体系に取り込まれたのは、過去の歴史を見ても例がない。これを安易に受け入れたのは世界史の中で、日本だけであった。この意味で、日本の無条件降伏は、日本を叩き潰す為に、決定的な極め手となった。そして、お人好しな日本人は、完全に頭の中を徹底改造されたのである。
日本の敗戦後、食肉・鶏卵・牛乳などの動蛋白奨励は、「健康の為」というスローガンの基で遂行されたが、これは真っ赤なウソであった。実は、アメリカの飼料穀物会社による用意周到なる、利潤追求戦略であったと言う事は疑う余地がない。日本人が、こうした狡猾(こうかつ)な食糧戦略に気付くのは近年になってからの事である。
現在でも、アメリカの家畜飼料メジャーは、世界の家畜飼料の市場を一手に握り、動蛋白摂取は、人間にとって最も必要な絶対対策と嘯(うそぶ)く一方、食物経済を独占しようとする意図だけは疑念を挟む余地は全く無いのである。
●昨今の食糧事情
日本では、現代栄養学が金科玉条の如く信じられている。しかし今日では、これを持ち込み、食事バランスを現代栄養学に求めるアメリカの栄養学会が、これを否定し始めている。
1977年、アメリカの上院栄養問題特別委員会は、約2年の歳月と、膨大な予算を費やして、食糧調査報告を提出した。
これによると、「現代の死病は、アメリカ国民の食事に由来する。そもそも死病の要因は、食原病であり、現在の食事のパターンを変更する事が、この病気から救われる唯一の課題である。米国民の健康を増進し、急増する医療費を節減するには、動蛋白の摂取を止め、食肉・鶏卵・牛乳などの誤った食生活を一新する事にある」と、報告書を提出した。
つまり、病気が齎す人への影響は、動蛋白摂取過剰から起り、この過剰状態が、米国民の医療費を圧迫し、国民はこの圧迫に喘(あえ)いでいると言うものであった。
この報告書を受けて、食事指針を見直し、食事目標を直ちに是正すると、心臓病死が半減したとあり、今日、アメリカでは植物性の蛋白源として、納豆(なっとう)や豆腐(とうふ)が脚光を浴びるようになった。菜食の優れた面が、これによって証明され、アメリカは現に、約15年のうちに、心臓病による死亡者数を約30%も減少させる事に成功している。
そして驚くべき事は、アメリカの栄養学では、肉だけに止まらず、鶏卵や乳製品をも含む、動蛋白を総(すべ)て除外してしまっているのである。
かつて食肉万能主義を押し付けたアメリカは、動物性蛋白質は、人間にとって、不必要であるばかりでなく、最も有害であると、気付き始めたのである。
敗戦後の日本に、アメリカの食糧メジャーの意図によって齎された現代栄養学は、アメリカでは否定され、一方、日本に於ては、今なお、何の疑いもなく信奉されていると言う、非常に訝(おか)しな食指針が展開されている。
だが日本では、アメリカではとうに否定されたはずの現代栄養学に基づく食指針が打ち出され、自己の利益しか考えない政財界や関連企業によって、一般大衆である日本人の胃袋を牛耳る食糧政策が行われている。また、その片棒を担ぐ、医学者、栄養学者によって、官民一体となって、新たな画策が企てられている。これはゼネコンの談合の比ではない。
しかし、多くの国民はこの画策に気付かず、医学者や栄養学者の栄養論を信じ、この愚言を頑(かたく)なに守り通し、何も知らない多くの人達は、まんまとグルメブームに踊らされているのである。
昨今の価格破壊などで、「安ければよい」という風潮が大衆心理をくすぐり、その背後で、上流に位置する生産側は、どれだけゴイム(日本国家の底辺を支える、納税を課せられた愛すべき微生物的庶民層)を出汁(だし)にして儲かるか、胸算用をしている。
支配階級であるアメリカの食肉メジャーの思惑で、どのようなことが起こっているのか、知っておくのも悪い事ではないだろう。安全性が重要である食料品に関しては、とりわけ、「アメリカ」と言う国で、一体何が起っているか、それをよく研究する事である。
そして今後の「対日本戦略」は、「兵糧(ひょうろう)攻め」と思われる。
その証拠に、日本に持ち込まれる輸入食品は、穀類や野菜にしても、農薬や化学肥料がたっぷりと使用されたものが溢れている。ところが、いざ食べる段になると、まともに食べられるものは何一つないのである。何と言う悲惨な状態であろうか。
これは重大な事態であり、何処で、何を食べても血が穢(けが)れ、霊的神性が曇らされるものばかりの社会になってしまっている。
心ある一部の人は、自分の棲(す)む土地と、自分の肉体は一体である不可分の関係の「身土不二(しんどふじ)」を実践している。更に、遵守(じゅんしゅ)において、農薬などで死んでいない健康な土地から収穫された農作物を食べるようにしている。そして、こうした「食糧の自給経路」を、自分自身で確保しておくことも大事なことだと、把握している。
こうした事に理解を示す人は、単に、自分だけが食べられる自給状態にあれば良いなど言う考え方はしないものである。
人間は「食の化身」である。その化身は、健康で農薬汚染のない土壤で収穫された農作物や魚介海藻類が齎(もたら)している。したがって、「よりよき健康な食材」を探そうとすれば、その裏で絡む利権や、政治や経済や生産者の思惑に、眼が行くのである。
私たちは、食糧問題を考えた場合、決して政治や経済と無関係ではいられないのである。
こうして考えていくと、日本に持ち込まれる食糧の多くは、「食べられる物など、何一つない」という事であり、間接的な「兵糧攻め」にあっていると言っても過言ではなかろう。
一般のスーパーや商店街、デパートの地下で売られている、一切の食べ物は、実際的には健康を害する物ばかりであり、食べられるものなど、何一つない。
また、買いたくても、買えるものなど、何一つもないのである。何故ならば、こうした所で売られている物は、その殆どが輸入モノであり、農薬漬け、添加物漬けされているからである。食べれば、血を穢(けが)し、細胞の各部位が炎症を起こし、炎症が正常細胞を変質させてガン細胞に変えてしまう憑衣の食材ばかりなのである。慢性病の元凶はこうしたことに由来する。
日本は平成バブル以降、未(いま)だに飽食の時代である。飽食の時代に相応しく、巷(ちまた)には多くの食べ物が溢れ返っている。しかし一方で、飢餓と貧困の実体がある。ソマリアの飢餓を見れば、その現実は明確になる。ここに「自分だけよければ」というエゴイズムが横たわっているのである。
いま人類は、二十世紀の申し児であった東西冷戦構造の縮図から漸(ようや)く抜け出し、更に新たな新世界秩序の構築に向けて動き始めた。そして他方では、さらなる破壊が同時進行し、極めて錯綜(さくそう)した時代に突入した。御存じのように中東情勢は極めて不安定である。また、こうしたミニタリー・バランスが何者かの画策によって作り出されている。火のンの近隣諸国は軍事的強化を強め、軍事的拮抗はバランスを失い始めた。
昨今の混沌(こんとん)とした世情不安は、これを明白に物語っている。海外ばかりでなく、いつ日本にも、同時多発テロのような事態が起るかも知れない。不安定要素は、未(いま)だに解消されず、無気味な様相を呈しているのである。
世界を見回してみると、アフリカや中南米は、国家や社会の基盤も脆弱(ぜいじゃく)な上、更に中東問題に至っては、「世界の火薬庫」としての悪名高き地位を失わず、その上に民族問題や宗教問題が絡んで、更に状況を複雑化している。
さて、中東問題とは、ユダヤ人がイスラエルという国を作った為、そこに住んでいた非ユダヤ人であるアラブ民族が納得できない事を抗議し、ユダヤ人排斥運動に立ち上がり、この地域から立ち退きを迫って、その摩擦から、未(いま)だに小競り合いが続いていると言うのが、そもそもの発端である。そしてイラクの不穏な動きと、イラクの不安定政治要素は、シリア等のアラブ諸国を巻き込み、中東問題に、更に拍車を掛けると言う様相を呈している。
歴史的に見れば、中東は、人類の文明の発祥の地として、輝かしい過去を持っている。
しかし、今や民族、宗教、石油、領土と云った媒体の複雑な利権争いが絡み、地理的にも醜い争いを繰り返している。これが「世界の火薬庫」たる所以である。
人類が歴史を記録し始めて以来、数千年が経過した今日でも、人間は本質的には何も進歩していないのである。
文化人類学などの一部の学問上からは、人類が進化の過程にあるような吹聴が流されているが、むしろ精神領域では、大脳皮質の鬩(せめ)ぎ合いからも分かるように、「第三の目」を司る間脳(かんのう/中脳と大脳半球を結ぶ部分で、第三脳室と呼ばれる腔所をもち、視床・視床下部などに分けられる)を封じ込めて、この領域は退化の一途にあると言えよう。
二十一世紀初頭、世界は、ひと握りのエリートによって画策された、幸福の縮図から派生した人工的な幸福者と、数十億と言う、圧倒的多数の不幸な民衆が存在している。今日では、益々貧富の格差が拡がり、持てる者と持たざる者との隔たりは、明確になってきている。そしてこれは、日本に於いても、例外ではない。
十億円以上の資産を持つスーパーリッチ層と、マイホームやマイカーを持っていても、度々サラ金に出かけて、お金を借り、ローンの支払を遣繰(やりく)りしないと借金が返せない底辺の庶民層との格差は、次第に明確化されつつある。此処にも、「スーパーリッチ層28%」対「底辺の微生物的庶民層72%」の、ユダヤの黄金率は、しっかりと働いているのである。
こうした問題を突き詰めて行けば、人類の歴史の裏には、重大な「陰謀」が鎮座している事が分かる。
もし、今日に見る「ソマリアの飢餓は意図的に作られた」とすれば、これは非常のおぞましい計画であると言わざるを得ないだろう。この現実を真剣に考えると、人間の命を、かくも軽く扱う事が出来るのだろうか、という疑問が脳裡(のうり)を過(よぎ)る。しかし、人間は此処まで、残酷に生まれついた、残酷な生き物であろうか。
ソマリアの飢餓の悲劇が人工的に、意図的に作られたとすれば、その狙いは明らかである。世界の紛争地域には、国連(United Nations/日本人はこの国際機関を「国際連合」と解釈しているが、正しくは「国際連合軍」であり、第二次世界大戦当時の敵国条項には日本などが挙げられている。また、国際連盟の精神を受け継ぎ、さらに強化した組織であると宣伝されているが、これも誤りである。国際連合軍を「国際連合」と訳すのは、とんでもない誤訳である)の合意さえ得られれば、何処にでも、直ちに他国籍軍を派兵し、鎮圧する既成事実を作り上げ、ルール化する構造を作り上げている。このようにして、朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジアやユーゴスラビアの紛争、ソマリアの飢餓も、前もって準備され、画策されたのではないかと言う疑いが浮上して来る。
これ等が仕組まれたものであるとすれば、「正義は力なり」という名の下(もと)に、全世界は「国連」と言う、多数決の場を借りて、「民主主義」を標榜(ひょうぼう)し、この美名の下に、どんな国でも、占領出来ると言う構造が着々と造られているという実情を見逃す事が出来ないであろう。
民主主義の論理に従えば、世界のルールに従わない国は異端と看做(みな)され、制裁を受け、アメリカを中心とした軍事力で独立国家としての主権を奪われるという、世界構造が出来上がりつつある。それが新世界秩序であり、ワン・ワールドの構想だ。そして、その最終目標は「日本である」という事は、ほぼ間違いないようである。
これからの日本は、国家自体が独立国家として繁栄していけるか否か、それは現代の日本人が、如何なる見識と、洞察力を持っかにかっていると言えよう。国民が愚民であればある程、政治は貧困化し、愚昧(ぐまい)政治が展開される。今日の日本人政治家の政治を見て、皆さんはそうは、お思いにならないであろうか。
そしてもう一つ、食に関わる重要な、将来の日本の明暗を分ける未来の構図には、コメの自由化があある。コメの自由化こそ、日本の未来を破壊する巧妙な罠(わな)なのである。
アメリカとうい強大国の外圧に負けて、コメの自由化を認めても、結局バカを見るのは日本である事を知らなければならない。そして、その皺(しわ)寄せは、底辺に位置する一般国民が被る事になるのである。それも、庶民と言われる低所得層の底辺の国民にである。
食糧メジャーが公言する「安定供給やウマイ米」は、全くの嘘であるし、巷(ちまた)に農薬漬けの危険なコメが出まわる事は必定である。日本の農業をしっかり支えていく為にも、コメの自由化は、日本にとってマイナス・イメージである。
GATT(General Agreement on Tariffs and Trade/通称ガット。関税および貿易に関する一般協定で関税の差別待遇をなくす為に、1947年調印した国際関税協定)ウルグアイ・ラウンド農業交渉における関税化の例外措置として、輸入数量制限を実施してきたコメについては、1999年4月1日をもって関税化措置に移行した。
これに伴い、ウルグアイ・ラウンドで定められた、日本が輸入する事とされている最低輸入義務数量以外のコメについては、二次税率を支払えば、誰でも輸入できる事実である。これで、最終目標である「日本占領計画」の舞台装置ならびに、仕掛けは全部出揃った事になる。
コメの自由化、コメの開放問題は、日本の安全保障にとっても極めて重要な問題である。農業を一貫して、衰退させて来た日本政府の中枢を巣喰ったのは、中でも農林水産省の官僚達であった。彼等は、外圧の穏微な集団の手先として動いた形跡がある。そして彼等は、「日本の明日の農業」を荒廃させ、国土を荒れ果てさせた張本人なのである。
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▲かつて瑞穂(みずほ)の国と言われた日本は、いったい何処に行こうとするのか。米を放棄して、果たして「身土不二」に反するパン食で、日本人の霊的神性は守れるのか。
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農地を荒廃させた後に日本を襲うものは、「食糧輸出制限」である事は、ほぼ疑う余地がない。これに備えて、私たちは用心すべきだし、世界の情勢は、刻一刻と日本を包囲して来る事であろう。
今の日本の現状こそ、「豚は肥らせて喰え」という言葉が、しっくり来る国は、他にない。私たちは、運命的に見ても「喰われる媒体」なのである。国際政治的に「狩られてしまった」からである。狩られた以上、喰われるしかない。どうしても一度は、喰われなければならないのである。霊界で起っている事は、現象人間界にも、必ず反映されるのである。
そして、今日の国際情勢ほど、日本を悩ませ、じらせ、おだて、いい気にさせ、苦しめ、悩ませ、悲しませ、あるいは口に飴玉を放り込んで黙らせ、日本に次から次へと、いろんなものを引き寄せ、災いを押し付けることであろう。日本人が血と汗で貯えた財貨は果てしなく支出され、限り無い譲歩を求められている状況は、日本の対外交渉を見れば明らかになる。
このような日本の現状の危機を、如何に容認するかは個人の世界観と、価値観に基づくものであるが、「豚は肥らせて喰え」という言葉が、背後で働いているのは、どうやら事実のようである。したがって、自らの手で防衛出来る事は、防衛しなければならない。
そして、日本人の正しい古来から連綿と続いた食体系と食思想を、再び見つめ直す事が必要であろう。
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▲現代日本人のパン食が「身土不二」の食思想を大きく狂わせている。 |
また「身土不二」の食思想から考えると、日本人の最も相応しい主食は「米食」であり、「パン食」ではない。
私たち日本人は、世界に冠たる日本伝統食がなぜ失われ、食の欧米化により病気大国を作ってしまったのか、このこと事態を考え直す必要がある。
そして、病気大国の元凶は、戦後の栄養教育に落とし穴があり、食原料を全て外国から輸入して主食にするという、戦後の食糧政策と栄養指導に大きな間違いがあったのである。
食生活はどの国でも、必ずその土地でとれる産物や、生産量に応じた食べ方をしてきた。
それが食の大原則であった。これを古人は、「身土不二」と言ったのである。
その土地の産物で、その民族の躰は出来ているということが、そもそもの「民族の興り」であり、これにより言霊が構築されているのである。
一方、世界史を振り返れば、何処の国でも、自国で取れないものを食べて来たと言う歴史はない。これは日本でも同じである。日本でとれないものを食べてきたなどという食生活の歴史は、太古の時代よりないのである。
したがって、パンは日本人の体質形成には全く無関係の食品である。こうした実情を無視して、西洋一辺倒に歩調を合わせたことに、現代病が発生し、日本が、いまや世界で唯一の病気大国になったのである。
そして、完治の見込みのない病態を引き摺って、薬漬けにされた長寿など、決して、「世界一の長寿国」などとして自慢すべきものではないのである。
単に病院側から薬漬けにされ、喋る事も、歩く事も出来ない植物人間が居て、本来の自然死を無視され、自分の意志で、死生を決定できない哀れな老人が増加しているだけの事である。
本来、長寿とは、歳をとっても健康で、ボケも少なく、働ける老人を指して「長寿」と言うのであって、病院のベットで寝かされ、鼻から流動食を挿し込まれ、全国民の老人医療費をつり上げるだけの、寝た切りの植物人間の老人を指して長寿とは言わないのである。
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