まず、人間(大方の哺乳動物を含む)は眠りに就くと、まず、ゆるやかな振動数の脳波が現れる睡眠である徐波睡眠(ノンレム睡眠/non-REM
sleep)に入る。
これはレム睡眠(急速眼球運動/rapid eye movement, REMに見られる睡眠で、脳波は覚醒時に似るので、逆説睡眠ともいわれ、パラ睡眠とも)以外の睡眠で、成人では一夜の睡眠の約80%を占める。
またレム睡眠における急速眼球運動は、転(うた)た寝状態や暁方(あげがた)近くの眠りの中で起こる。
さて人間の場合、ノンレム睡眠(この中には深いノンレム睡眠と、通常のノンレム睡眠がある)によって、前日のストレスや疲れを癒しているのです。そしてこれは人間と同じ性(さが)を持つ、哺乳動物とて同様で、彼等も深いノンレム睡眠のみによって、前日の疲れを癒す。
その為、深いノンレム睡眠域では人間の霊体も、動物の霊体もこの域で同じように共有して、レム睡眠を約90分周期で繰り返す。
そして深いノンレム睡眠に入ると、まず自身の霊体は、自我意識の本体を構成する神体域を伴って、肉体を抜け出し、肉体と幽体を残したまま、動物の魂界と共有する霊幽界に入って行く。動物も霊体(魂域)があるから、霊幽界は動物の霊体で充満している。
つまり人間の霊体は、眠りという脱魂状態の時、肉体から抜け出し、霊体は、今、地上で苦しんでいる動物の苦しみを顕わす霊幽界に至る。そこは動物の悲しみと苦しみの世界でもあり、またそうした動物の魂で満ち溢れれた世界である。
悲しみと苦しみで満ち溢れている動物の魂が、充満していればいる程、かつての死者の魂も、現代に生きる我々の魂も、その苦しみと悲しみをまともに受けていかざるを得ないと言う次元に追い込まれる。
この次元が魂における、哺乳動物に与えられた霊幽界の土台を構成しているのである。
人類の歴史は、この土台の上に、今までいろいろな「行い」をしてきたのである。ここには、その時々の、喜びも悲しみも苦しみも総て記憶されていて、霊幽界の中で大きな時間の流れとなって存在してきたのである。アカシャ・レコードは、これを雄弁に物語っている。
我々が感情を通して、喜怒哀楽を表現する世界は、こうした霊幽界の、時間の中に参入して行く時の表現法で、この世界はまさに苦しく、冷たく、暗く、悲しく、寂しい世界なのである。
そしてどうしようもない位、こうした苦悩に満ちた世界であるので、これが苦悩に満ちていればいる程、これより高次元の存在である、神々との出会いが切実な願いとなって、やがては彼岸(ひがん)へと向かうのである。
霊幽界はまさに此岸であり、涅槃(ねはん)の世界を、彼岸というのに対し、こちらの岸の事で、苦悩に満ちた生死を繰り返す、迷いの世界が「現世」である。
これに対して彼岸は、向う岸であり、生死の海を渡って到達する事のできる、終局の世界、理想の世界、悟りの世界であり、こうした次元を「涅槃」と言う。
そして波羅蜜(はらみた)は、完成・熟達・通暁(つうぎょう)の意味であるが、現実界(生死輪廻)の此岸から、理想界(涅槃)の彼岸(ひがん)に到達すると解釈し、到彼岸・度彼岸・度と漢訳する。
特に大乗仏教で、菩薩の修行法として強調され、通常、布施(ふせ)・持戒・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧の六波羅蜜(ろくはらみつ)を立てるが、十波羅蜜を立てる事もある。
つまり要約すれば、神々との出会いが一層切実になものになり、眠りの中で夢を体験し、そうした体験を、痛切に繰り返して、眼が覚めた次の朝、またそこから新たな活力を得て覚醒(かくせい)するというのが、我々の毎日の繰り返しなのである。この感覚は動物においても、同じ様なものであり、彼等もまた、目覚めと同時に新たな活力を得て覚醒するのである。
これによって人間と動物は、性(さが)が非常に近く、霊幽界では、同じ次元で共有している事が解る。 |
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